九話 おしゃべり魔女は、メイドを鍛える
そこは白い部屋だった。壁と床の境界線すらも曖昧であり、奥行きや高さなどの全ても容易には判断出来ない。
「では、お願いします」
「はあ、君も懲りないね。ほんと──《硝煙弾雨》」
言うと同時に、アガーテの周囲には大量の弾丸が生み出された。それは、ほとばしる烈火の如く赤く輝き、撃ちだされる時を今か今かと待ちわびている。
それは紛れもなくアガーテの魔法だった。
「──障壁、展開」
対して、距離を取ったアリアンナはその情景を静かに見つめながら、手を伸ばす。
「では、喜ぶといい。──《君に惜しみない賛辞を》」
パン。アガーテが手を打ち鳴らすとともに、まるで、弾丸は加速し、駆けた。
まるで、それは光のように屈折し、真紅の轍を残像と共にアリアンナへと迫った。
「くっ!?」
障壁に着弾する。同時に、ぴきりとガラスにヒビの入るような音が空間に響く。
「……それ、まだまだ行くよ?」
弾丸の雨は障壁へと横殴りに降り注ぐ。そうして、五度目の弾雨が打ち込まれた頃、ついに障壁は完全に破壊される。
同時にアリアンナは、息を切らしながら膝を突いた。
「はーい、しゅうりょー。今、君は死にましたー。その背後にいたソフィアもろともぐちゃぐちゃのミンチになっただろうさ」
ぱちんとアガーテの指が鳴る。同時に、その周囲をいまだに浮遊する無数の弾丸は解けるように霧散した。
「……これは、防げそうにありませんね」
「そりゃそうじゃないか。弾丸の雨を紙傘じゃ防げない。こうなって、当然だね」
アリアンナがアガーテに『死』を告げられるのは、この三日間でちょうど三度目だった。訓練を行えば、行うほどにその力量の違いを思い知らされる。お前はただの人間に相違ないのだと分からせられるような感覚に陥る。
「この三日。何度も言っているよね? 君の障壁は真っ向から魔女の攻撃を受けられるものではない。何せ、絶対値が違いすぎるのだから、と」
絶対値。それは取り扱える魔力の総量。努力によって、それを伸ばすことはできない才能の指標でもある。
「でしたら、どうやって防げと?」
むっとアリアンナは唇を尖らせる。そもそも守れないような魔法を使われたのであれば、こうなっても仕方がないではないかと。
「……はあ。君、賢そうな顔をしているが、意外とおつむは残念みたいだね」
「なっ!?」
「君は、スコップ一本で川を堰き止められると思うかい?」
どこか小馬鹿にするような顔で、アガーテは問うた。
「……無理ですね」
「いやいや、出来るだろう? 横に溝を掘ればいいじゃないか。そして、水量の減ったその川その土を被せれば不可能ではないだろう?」
「そう言われれば、そうですけど……」
流石は魔女。話している規模感が違う。周囲の被害を一切考えず、自分さえ良ければという行為など、人間の尺度では不可能に近い。
「つまりは……私にどうしろと?」
「はあ、ここまで言っても分からないのか……ならば、きちんとお願いしてみなよ? 僕だって暇じゃない。にも関わらず、君にこうして訓練をつけてあげているんだ。お礼の一つくらいは……」
「──お付き合いいただきありがとうございます。重ねてお願い、致します。教えて下さい。アガーテ様」
驚くほど、すんなりとアリアンナは頭を下げる。流石のアガーテも目を丸めざるを得なかった。
「私は、強くなくてはいけないのです。お嬢様を、守り切るために」
「ふーん。君も、そんな顔を出来るんだね」
アガーテは呆れたように嘆息を漏らす。そして、指を一本立てた。
「受け止める、じゃない。左右に流す。それが君如きの絶対値でも僕の攻撃を防ぐ唯一の術だよ。今であれば弾丸の力の方向を変えてやればいい? そうは思わないか?」
「……可能、なのですか?」
「不可能なら死ぬだけだよ? 君もソフィアもね?」
ああ、やはりと。
アリアンナはその目に、自分と同じ人間らしさというものを見出せずにいた。
***
「狙撃候補生ども、総員傾注」
狙撃訓練場の一角にて、集められた候補生達は整列し、耳を傾ける。
それは、あの日から五日が経った頃だった。
「本日より、一名の追加人員が加入する。クソ虫ども。クソ虫同士手取り足取り教えてやれ。お前からもなんか言え」
「はっ! ソフィア・ガーデンでありますわ! 皆々様っ! どうかよろしくお願い致しますっ!」
ソフィアもこの張り詰めた空気感に随分と慣れたもので、初日とは随分と違う様になった挨拶であった。
「とのことだ! よろしくしてやれ!」
「「はっ!」
一糸乱れぬ敬礼と共に声が響いた。しかし。
「教官、少しよろしいですか?」
最前列の一人の少女が手をあげた。それは、ソフィアと同室の少女、ミラだ。
「ん? なんのつもりだ? ミラ」
「異議の申し立てですよ。なぜ、彼女がこのタイミングで? 私たちは、今日この訓練に至るまで一年以上の基礎訓練を積んであります」
「それが? どうした? 何か問題あるのか?」
挑発するような教官の問いに、ミラは不服そうに眉根を寄せる。
「そこのソフィア・ガーデンは、異世界人です。銃器の扱い方も知らなければ、狙撃手というもの達が、どう言った役割、目的を持っているのかも知らない」
ミラは一歩、踏み出し、ソフィアへと指を差し示した。
「──必要ないでしょう。使えない駒は。なんの努力もせず、苦労もなく、たまたまこの世界を訪れたからと言って、便宜を図れと?」
「……わたくしだってっ!」
なんの努力もなしにここまで来たわけでは……。
「じゃあ、何? 貴女はこれまで何をしてきたの? 焼かれた村の片隅で、泥水を啜ったことはある? 無惨に横たわった親の骸の隣で、雑草や虫を口の中にかき込んだことは?」
「それ、は」
ミラの言葉は、ソフィアにとって想像すらしたことのない行為だった。昼になれば、昼食を、夜には晩餐を。眠るのは、いつだって豪邸のふかふかなベッド。
それこそが、ソフィアの知る当たり前と言うものだったから。
「口を慎め、ミラ。貴様が幾ら《権利者》であろうが、軍人を志す以上、上官の言葉には従ってもらうぞ」
「上官? 笑わせないでください。戦地にも出ていない貴女が死地に向かう我々に何を……」
「っ!」
その言葉は、ソフィアが知らないだけで、事実なのかもしれない。けれども、怒らずにはいられなかった。
「──それはっ! 違うでしょう! 貴女はわたくしが気に入らないのではなくて!? なら! 噛み付くのはわたくしでいいではありませんかっ!」
「はあ? 私は今、責任の話を……」
一触即発な二人の間に、教官が割って入る。
「ミラ。貴様にはどうやら、このクソ虫を私が特別扱いする理由が必要らしいな」
「ええ。そうなりますね。どうせそんなものは……」
「ある。──ソフィア・ガーデンは《スキル》を持っているのだから」