八話 お嬢様、狙撃兵を目指す
この世界に来て、早一週間が経つ。
お嬢様は今頃何をしているのだろうか。不安にざわめくのを抑えつけるように、アリアンナは一人、家の掃除を済ませる。
とはいえ、連日に渡って、しているせいか最早やることも無くなってきている。
「お嬢様……はあ」
ちょうど昼食の時間だ。きちんと食べているだろうか。着替えは? 入浴は? 考えれば考えるほどに、心配になってくる。
「……そろそろ時間ですね」
日課の掃除と洗濯を済ませ、アリアンナは二階奥の物置へと向かった。
今頃、ソフィアは訓練に明け暮れている頃だろう。にも関わらず、従者である自分がただ待っている訳にはいかないだろう。
「やはり私はあまり、好きになれそうにはないですね」
アリアンナはため息混じりにドアを開いた。
その扉が繋がっていた先は、一人の少女を閉じ込めた檻。何処でもない部屋だった。
***
訓練にソフィアが合流してから三日が経つ朝。
ラッパの独奏が辺りに響き渡る。俗にいう起床ラッパだ。
「……んー。もう朝かー。全然寝れなかった」
二段ベッドの上。言葉の割にアリシアはすっと目を覚ました。
「昨日の訓練もきつかったよねー」
「アリシア、朝からうるさい」
ミラは既に着替えを済ませていて、二段ベッドの下で本を読んでいる。
「ソフィア? そろそろ朝食の時間だよー? 起きてるー?」
「あ、あと五分……」
単体の壁際の二段ベッドの下。毛布に包まり、猫のように丸まったソフィアは口元から涎を垂らしている。最早、到底貴族の令嬢には見えない。
「ダメだよー、教官にどやされるよー」
「はあ。甘やかしすぎ、こんなのは、こうやって起こせばいいの」
ミラはパタンと本を閉じ、立ち上がると、ソフィアの毛布を剥ぎ取った。
「うぅ」
「あんた、何しに来たわけ? 一人じゃ何も出来ないなら、とっとと帰れば?」
「はっ! そ、そうですわっ! わたくしは一人でも大丈夫になれるようにここに来たんでしたわ!」
ソフィアは思い出したように言って、体を起こす。
「起こしていただき、ありがとうございますわっ!」
「……どう致しまして」
「ソフィア、着替えて朝食に行こ」
「そうですわねっ!」
ソフィアとアリシアらは着替えを済ませる。ミラはその間、またも本へと視線を落とす。そうした後で、三人は揃って、食堂へと向かったのだった。
「おはよう。随分と遅い朝だな」
入り口に立っていたのは、教官。室内にも関わらず、サングラスをつけている。
「七班、揃っています!」
「よし、○六三○までに朝食を取ったら、演習場に集合しろ」
「「はっ!」」
「……はっ! ですの!」
現在の時刻は6時15分。つまりは、残り15分しかない。そこから、5分前集合を守るのであれば、食べる時間は10分もない。
「い、急いで食べなくてはっ!」
「お前はこっちだ。クソ虫」
食堂へと入ろうとするソフィアの首根っこを掴む教官。
「え、えーと。朝食は……?」
「貴様は希望兵科についての話がまだだろ? それが先だ」
「そ、そんなぁ」
そうして、ソフィアだけ別室へと引き摺られてゆくのだった。
***
ソフィアが教官からの説明を受け、全ての兵科を理解する頃には、既に昼前。流石の教官もそれには随分と呆れていたようだった。
「今日の訓練は、兵科演習。各員は今、自分の希望する兵科の訓練を受けている」
「……わたくしはどうすれば?」
「希望する兵科はない……のだったな。ならば、今から色々見学をしてこい。砲兵、衛生兵、狙撃兵。分類すれば、かなりある」
「教官様。お聞きしても宜しくて?」
ソフィアは手を上げた。
「なんだ?」
「兵科の中で、最も人を救えるのは何処でしょうか?」
「ほう? なぜにそんなことを聞く?」
サングラスの奥の瞳が、ぎゅっと細められたのが分かった。生半可な覚悟は許さないと。
ソフィアは一瞬、その目に恐怖しながらも、ゆっくりと息を吐いてから言葉を紡ぐ。
「……わたくしを助けてくれた人がいましたの。その人は優しくて、困っている人ならば誰にだって手を差し伸べるような方だったと、ラント様に聞きました」
ピート・リンカー。彼がいなければ、ソフィアは確実に死んでいた。その身を盾に、守ってくれたからこそ、今ここに自身がいる。
「……それが、今の貴様になんの関係がある?」
「わたくしも──人を救うために戦いたいですの」
それが、あの日戦おうと誓った理由。そして。
「わたくしの前では、もう誰も死なせない」
それこそが、今出来るたった一つの存在証明。あの日生き残って、成すべきこと。ソフィアはそう確信していた。
「……ふっ。バカが」
教官は呆れたように口角を上げた。その感情が、ソフィアにはよく分からなかった。何処か、嬉しそうでいて、寂しげな。
「ならば、お節介焼きの貴様に向いた場所がある。ついてこい」
「はっ、はい! ですわ!」
言われるがまま、連れて行かれたのは、土のグラウンドの隣。森の中の施設。
そこは。
「ここは、狙撃兵の訓練場だ」
「お、おぉ」
数百メートルは離れた広大な木々の枝には、円形の的が取り付けられている。
それに向かい合う訓練生達は、それぞれ細長い銃を手にその上部に付いた筒を覗き込んでいる。
そして、そこでソフィアの目についたのは。
「第二射。行くね」
地にうつ伏せになり、銃を構えるアリシアと。
「了解。西より風、2S。距離、二百M」
それより左。中腰にて、同じく筒を覗き込むミラの姿だった。
「第二射、よし」
「はーい」
アリシアが引き金を振り絞り、飛び出した銃声は戦地で聞いたものよりも数段と低く、腹の底で太鼓を打つような爆音だ。
「ひっ!」
ソフィアは驚きのあまり、腰を抜かして、尻餅をつく。
「驚いたか? 貴様があの戦場で見たのは、恐らく自動小銃と呼ばれる機関銃だ。対して、こちらは狙撃用対物ボルトライフル」
「それは、何が違いますの?」
「まずは威力。あれを見てみろ」
教官が指差した先。それは一本の木。
「……確認。着弾誤差、左三○。スコープ修正、レフト1クリック。森林破壊は重罪よ、ちゃんと当てなさい」
「あちゃー」
大木は根元から大きく欠如し、ゆっくりと傾き始める。結果、幹は軋み、枯葉を巻き上げながら、地面に倒れ伏した。
「あわわわっ」
ラントには小さな鉄の鏃を飛ばすと聞いていた。のだが……。
「威力が、おかしくはありませんか?」
「普通のセミオートライフルとは、弾の大きさが違う。もしも人体にでも当ててみろ。上半身と下半身が今生の別れをすることになるぞ」
「……本当にこれが、一番人を救える行為なのですか?」
「ああ。そうだ。何せ」
教官は指を銃のように見立て、ソフィアの鼻先へと向けた。
「──魔女を殺せば、数万人は救えるだろうさ」