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七話 大佐は今日も睡眠不足

 そこは鉄の匂いがした。

 小さな町の、それより小さな汚れた路地裏。

 ──齢十二歳の俺が、この世界に来て初めて見た風景は、そんなどうしようもない景色だった。


「ジゼル大佐っ! もう朝ですよ!」

「ん……はぁ、おはよう」


 執務室の一室。いつの間にやらで眠っていたようで、部屋中に響いた副官の一喝で、ラントは目を覚ます。


「んー、あー、首が痛い。まだ。戦況は変わりないか?」


「ええ、変わりありません」


「《写本》は?」


「【複製品】を生み出し続けてはいますが、戦線より北七十キロの地点から一切動いておりません」


「……なら、当分は大丈夫そうだな」

「大佐。これを」


 差し出されたのは、白いマグカップ。中には並々のコーヒーが注がれていた。


「いっつも言ってるけど、俺、寝起きのコーヒーは胃が荒れるから嫌なんだけどなぁ」


 文句を言っても、これがココアになることはあるまい。ラントはため息混じりに受け取って、一気に流し込む。

 苦い、ぬるい。多分、一時間は前に入れたものだ。


「今って、何時?」

「7時数分です」

「うわ、全然寝れなかったんだが?」


 ラントはほどほどに立ち上がり、扉へと向かう。ドアノブに手を掛け、開いた瞬間のことだった。


「おっと!」


 視界が捻じ曲がるように、渦を巻き、次第に暗転する。

 そして、


「おはよう。ラント君」


 ガラスを一枚隔てた部屋の奥から声が聞こえた。


「……はあ、お前の仕業か」


 もはや見慣れて部屋にラントはいた。それもこれも、眼前の少女の力。

 帝都の何処にでもありながら、何処にもない部屋。


「お前? お前と呼んだね? なるほど、これは感慨深いな。確か君の元いた世界では、夫は妻のことをお前と呼び、妻は夫のことを貴方と呼ぶ……ふむ」


 アガーテはいつものソファーから腰を上げる。何度が、声音を調整するように、喉を鳴らした後で、


「おかえりなさいっ! あ・な・たっ! ご飯にする? お風呂にする? それとも、ぼ・く?」

「……お、おう」


 やはり随分と頭の中を覗かれているようだ。何せ、そのフレーズは元いた世界では知らぬ人はいないほどの有名なもの。


「……」

「ねぇ、黙るのは、良くないと思うなぁ?」

「アガーテ」

「何かな?」

「お前、照れてるだろ?」

「っっっ!!??」


 その白い頬は急激に茹で上がった蛸のように紅潮し始める。


「違う断じて違うっ! 僕はただ君を揶揄ってやろうとしただけでっ、そもそも僕達魔女に羞恥なんて感情はないっ!」


 アガーテは早口で捲し立てる。最早頬だけではなく、顔そのものと耳まで真っ赤だ。


「嘘つけ。お前ら《魔女》だって、心や性格って面では人間と変わらないだろ」


 アガーテを見ていれば、よく分かる。

 

「……ラント君。僕は君に人扱いを受けるのは、嫌いではない。けれど、《魔女》全てをそんな風に捉えていれば、君はいずれ痛い目を見る」


「ほう」


「そして、きっとそれに直面した時点で手遅れだ。何せ、君が死ねば、僕が何をするかは分からないのだから」

 

 それは心からの忠告だったのだろう。そう直感するほどに、アガーテの瞳は真っ直ぐにラントを向いていた。……いまだに少し頬は赤いが。


「ああ。心に留めとくよ。さて、ここに来たついでに、色々聞こうかね」

「ふむ、ならば立ち話もなんだ」


 拍手が二度鳴る。

 すると、ラントの背後に音もなく椅子が現れた。


「あんがとさん」

「さて、なんの話をしようか? 僕の話? それとも君が僕に対して抱いている劣情とリビードの話かな?」


 アガーテもソファーに座る。今日は随分と上機嫌だ。ぶらりぶらりと足が揺れているのが、その証拠。


「お嬢が訓練に入って早三日。どんな感じだ?」

「ふーん。君は逢瀬の最中に他の女の話をするような人だったとはね。がっかりだよ」

「そういうのやめろって。俺とお前の仲だ。どうせ隠し事もできやしない。……どうせ、盗み見てるんだろ? お嬢のこと」

「まあ、ね」

「なら、話してくれてもいいだろ? アガーテ」

「むぅ。仕方ないなぁ」


 そうして、アガーテが話し始めたのは、ここ三日間のソフィアの状況だった。


***


 それは長く苦しい訓練初日の後。

 訓練場横にある宿舎の食堂でのこと。


「……う、うぅ」


 フォークを手にしたソフィアは四角形のプレートに並んだ献立に、顔を青くした。

 食欲を一切感じさない冷めたマッシュポテトと、ミックスビーンズ。そして、中心に居座るのは、まるで石のような硬さをしたビスケットのような何かだ。


「食べないんですか?」


 声を掛けてきたのは、隣の席の少女。

 紺色の髪と、小さな体躯はソフィアよりも一回り幼く見えた。


「い、いえ。食べますわ。でも……す、少し勇気がいりますわね」

「見た目はアレですけど……結構いけますよ?」


 そういうと少女は、山盛りのマッシュポテトをガツガツと口いっぱいに詰め込み始めた。


「……わ、私も」


 恐る恐るソフィアも口へと運ぶ。


「大丈夫?」

「……これ、結構いけますわね」


 食べてみると、意外と……いや、かなり美味しかった。適度に塩気が効いていて、香草の風味もスッキリと鼻に抜ける。


「ね、美味しいでしょ」

「ええ! これはうちのシェフに匹敵する味付けですわっ!」

「それはちょっと分からない……」


 少女は困ったように笑ってから、少し離れた席で食べていた数人のグループに何やら、親指を立てた。

 すると、数人は一斉に立ち上がって、ソフィアたちの席までトレーを持って歩いてきた。


「こんばんは。隣の席いい?」「んじゃ俺は、斜め前を失礼」「ちょっと! あたしが座ろうと思ってたのにっ!」


「わ、わわっ!」


 少し気圧されながら、ソフィアは続々と埋まる周りの席をきょろきょろと見回していた。


「みんな、ガーデンさんとお話ししたかったんだけど、なんだか声を掛けにくくて」


 少女は、ごめんなさいと笑った。


「そ、そうですのね。それより、なぜ私の名前を知っていますの?」


 まだ自己紹介もしていないのに。ソフィアは首を傾げて目を細めた。


「そりゃあ? 教官にあんなに堂々と名乗りをあげたんだから、みんな知ってるって」

「ほんとほんと。いやぁ、あの鬼教官相手によくもまあ啖呵切ったもんだよ」


 食堂に笑い声が響く。


「はーい。みんな。喋るなら一人ずつ。じゃないと、ガーデンさんが困っちゃうでしょ?」

「「はーい」」


 こほん、少女は咳ばらいを一つする。


「改めまして。私は、アリシア・アリソン。ちなみに、ガーデンさんは私ともう一人のこと同室だから、今後ともよろしくね?」


 少女はそう名乗って、握手を求めて、手を差し出してくる。


「よ、よろしくお願い致しますわ。アリシア様」

「様はやめてよ、お互いまだ志願兵なんだしさ」

「じ、じゃあ……アリシアさん?」

「呼び捨てでもいいけど、ま、今はそれでいいかな。よろしくね、ソフィア」


 ソフィアはアリシアの手を取って、握手を済ませると続々、自己紹介が始まった。

 最後の一人が終わったところで、ソフィアは立ち上がると、深々と頭を下げる。


「その、皆様。今日は、私のせいで……その失礼したしました」

「ん? あー。走らされたこと? 大丈夫だよ。あんなのしょっちゅうだから」


 アリシアが言うと、皆もそれに頷く。なんとも、もの悲しげで諦めたような目だった。


「そーそー。あの鬼教官、俺達に難癖つけては走らせるんだよ。姑かよってくらい」

「絶対、楽しんでるわよね。あの鬼」


 あはは、とソフィアは愛想笑いを浮かべて、コーヒーの入ったコップを持ち上げる。一口飲んでみるものの、やはりまだ早い。


「ねえ、ソフィア。聞きたいことがあるんだけど、いい?」

「ん? なんでも聞いてくださって結構ですわよ?」

「じゃあ、お言葉に甘えて。ジゼル大佐は、戦場ではどうだった?」


 周りのみんなもよく聞いてくれたと言いたげに、うんうんと頷いた。どうやら、ラントにただならぬ興味を抱いているようだった。


「ラント様……え、えーと良い人ですわ。わたくしもあの人に救われましたし、《福音》? という魔女の翼を切ったのも、すごかったですわ」


 おおっと場の空気が一気に熱を持ったように盛り上がる。歓声が上がり、口笛までもが響く。


「ああっ! やっぱあの人は英雄だ! 人類の希望だよ!」

「な、なんですの。皆様、急に」

「あれ、ソフィアは知らないの? ジゼル大佐がこれまで、どんな功績を立ててきた人なのか」

「え、ええ。聞いたことありませんわ」

「ほほう。ならば、解説して進ぜよう」


 メガネをかけた一人が何やら流暢に話し始めた。


 ラント・ジゼル。それは、この国における英雄の名だと。

 始まりは五年前。

 突如として帝都に出現した《断章》セラエノは街を占領し、破壊の限りを尽くしたそうだ。そこで、当時大尉であり、南西の戦線より舞い戻ったラント・ジゼルは一騎打ちを持ち掛けた。

 この国を滅ぼしたければ、自分を殺してからにしろ。と。


「そして、大佐は三日にも及ぶ戦いの末。《断章》を討伐した。この世界で初めて、魔女を倒したんだ」

「おお、なんと」

 

 ソフィアはぱちぱちと手を打ち鳴らし、感動を表現する。しかし、そうしたのも、つかの間。


「けれど、どうやって? ラント様は、魔法は使えないとおっしゃっていましたわ」

「魔法? そりゃ、そうだ。魔法を使えるのは、《魔女》だけ。だが、人間にも特別な才能ってのは、もちろんある」

「それは、どのようなものですの?」

「えーと、それはね?」


 アリシアが指を立てて、解説しようとしてくれたその時。


「──《権利者ホルダー》。人が生まれた際に、ごく稀に得ることができる先天的才能の持ち主をそう呼ぶ。そして、その才能を《権利スキル》」


 声が聞こえたのは、少し遠く。

 食堂の入口のあたりからだった。


「異世界人ってのは、何も知らないのね。ほとほと呆れる」


 切れ長の目。冷静を超えて、冷徹にも見える鉄面皮。短く切り揃えられた黒い髪は、アリアンナよりも深く濃い。猫のようにしなやかさを感じさせる肢体。


 美少女という言葉はもはや似合わず、美女と言った方がしっくりくる。そんな人物だ。


「噂をすれば、だね。ソフィア。彼女が私達志願兵の中で唯一の《権利者》だよ」



 その少女の名は──ミラ・リーディード・ヘインツ。後に、ソフィアにとって、かけがえのない存在となる少女だった。


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