五話 お嬢様、帝都に来る
「おお? おお!!」
「お嬢様。はしたない声が漏れていますよ?」
「アリアンナっ! 見て! あれはなんですの!?」
帝都。白く輝くような大理石と花崗岩によって作られた独特の色と、華やかさを併せ持つ美しい街。
軒を連ねた大通りの中心。四つの輪の付いた鉄の箱が右往左往と道を走っていた。
「ありゃ、車だ」
言葉に窮したアリアンナの代わり、ラントが答えた。
「車っ!? 車ですってよ! アリアンナっ! 車とはなんですのっ!?」
「お嬢様、少々お待ちを」
アリアンナは古書を開く。煉瓦のように分厚く、表紙もない本。
ぱらぱらと項を捲り、単語を探す。
「……あの女。もっとマシなものがあったでしょうに」
愚痴混じりにアリアンナが開いた古書は、冗談に付き合わせたお詫びに、とアガーテより渡された品だった。
『──これさえあれば、君達がこの世界において聞き覚えのない単語の全てを調べられるはずさ。そうすれば、その生意気な態度は多少、マシになるだろう?』
そんな皮肉と共に、だ。
「おい、二人とも。寄り道はもうしねぇ。さっさと行くぞ」
「ちょっと! もうちょっとだけでもぉ!!」
ラントに半ば無理やり、連れて行かれたのは、街並みを外れた広大な空間。
人の身長の三倍以上の高さを誇るであろう鉄の門と防壁。
それはまるで、向こうの世界で王国の中心に聳え立っていた王宮に近しい。
「ここは、宮廷? ですの?」
「いや、軍事基地だ。謂わば、俺の職場ってとこかねぇ」
「アリアンナ!」
「はい……軍事基地。軍隊……つまりは騎士団の駐屯所を大きくしたようなものです」
「な、なんと」
「さ、御目通りだ。今から俺の直属の上司に会う。精々、失礼のないように頼むぜ? 命が惜しければな」
「ひっ!」
「ご安心を、何があろうとも私がお守りいたします」
***
「──この世界は、終わりに向かっている」
強面の男は言った。
窓から斜陽の雪崩れ込む執務室の中、上座に座り、鋭い目つきを作り、足を仰々しく組んだ男 ジーク・バーン・ジゼルだ。
聞いたところによると、ラント・ジゼルの義父だそうだ。
「え、ええ?」
その正面に座るソフィアの動揺を意にも返さぬまま、指を二本立てた。
「我々が選べる結末は恐らくは二つ。この世を滅ぼさんとする六体の《魔女》を全て殺し、未来を勝ち取るか。座して終焉を待つか、そのどちらかだ。久しく訪れた異世界人よ」
アリアンナの眉間にしわが寄る。
「その言い方は、私たちの他にも、異世界の人がいるようですね」
「ああ、いるぜ? お嬢さん方の目の前に一人、な」
「え!? ということは!?」
ソフィアはじっとジークの強面を見た。
「まさか、ジーク様がっ!?」
確かに、この中で一人だけ、雰囲気があまりにも違う。絵画で例えるならば、筆遣いが。
「いやいや、違うって、こっちこっち」
気まずそうな顔したジークの隣で、ラントが苦笑いを浮かべながら、親指を自分へと向けてアピールする。
「ら、ラント様が!?」
そんなこと、一度だって言わなかったではないか。ソフィアは頬を膨らませた。とはいえ、よくよく考えてみると……。
「……確かに、ラント様はこちらに来たばかりで、右も左も分からなかった、わたくし達を冷静に受け入れてくださいましたものね」
「お? お嬢もたまには頭が回るな」
「たまにはぁ!? アリアンナも頷かないでくださいまし!」
隣でアリアンナがうんうんと頷いていたのを、ソフィアは見逃さなかった。それもなんとも感慨深そうに。
「あ、一応言っておくが、俺が元いた世界は、お前らとは違う。魔法も使えない。それにもう十二年前も前の話だ」
「その頃から戦争を?」
「いや、もっと前だ。戦争が始まったのは、今から三十年前。その間に、俺たちが殺せたのは、たったの一人。三十年で、一人だ」
「そんな……しかし、先日は」
訴えかけるような目で、アリアンナはラントを見る。
「あれは時間稼ぎにしかならねえよ。完全に治るまで……三ヶ月ってところだ。というか、片翼を落としたくらいで殺せるなら、三十年も戦ってない」
「……ならば、どうやって」
「さあ、な。そもそも殺したといても、死ぬかは分からない。殺すっていう言葉の意味すらも《魔女》に当てはめれば変わってくる」
パチン。手を打ち鳴らす音が響いた。
「話が逸れたな──さて、ここまで話したのも、すべては君たちに一つの選択をしてもらうためだ」
ジークの視線はアリアンナ、ソフィアと順に向く。
口いっぱいのビスケットを慌てて咀嚼して、ソフィアはコーヒーで流し込んだ。苦味で、顔を顰めそうになったがどうにか堪える。
「選択、とは一体なんでして?」
「ああ。至極簡単で、非常に重要極まりない問いだ」
すっと、息を吸い込んだジークの強面が同情に移ろいだ。
「──君たちは、我々と共に戦うかね? それとも、座して死を待つかね?」
確かに、答えるだけならばあまりにも容易。けれど。
「わたくし、は……」
ソフィアの頭の中には、自分を庇って死んでしまった青年の死に顔が過ぎった。そして、次に《福音》と対峙した時のアリアンナの鬼気迫る表情。
あり大抵に言えば、それが恐ろしかったのだ。
自分が関わることによって、招いてしまうかもしれない『死』が。
「そ、そうですわ! この世界の人々全員を、わたくしのいた世界に招けばっ!」
「どうやって? なぜここに転移させられたのかも、どのような仕組みでそれが起こったのかも分からないのに、か?」
「……で、でも」
ラントの一言に、ソフィアは押し黙るほかなかった。何せ、ラントの問いに対して、一つも答えを持ち合わせていなかったからだ。
「──私は、手を貸しましょう」
「アリアンナ?」
「帰る方法が分からない今、私達はこの世界で生き残らなければなりません。そのためには、《魔女》をどうにかする必要があります」
「で、でも」
「もちろん、お嬢様に強いたりしません。というより、私の願望としましては、お嬢様には安全なところで……」
『──その言葉。待った、だ』
突如として、何処からか部屋の中に声が響いた。
「……《断章》セラエノか」
『これはこれは、ジーク義父様。本日はお日柄も良く……』
アガーテの挨拶の途中、腹の底まで響くような大きな音が鳴る。
「──何の用だ? 魔女よ?」
それはジークが拳を机へと叩きつけた音だった。焦茶色のテーブルの一部が深く凹み、その足に亀裂が走る。
『ふむ。やはりそう簡単に好感度は上がらないね。ラント君、私達の恋路は波乱に溢れていそうだよ? それと、義父様。私は、既にセラエノじゃない。アガーテだよ。子猫のように愛くるしく、白百合のように可憐で繊細。おしゃべりなのが玉に瑕な、アガーテだ』
「やっぱ仕込んでやがったな?」
声を発していたのは、ラントの視線の先。机の上に置かれた一冊の古書。
アガーテがアリアンナへと渡したそれだ。
「殺戮の限りを尽くした《魔女》が」
低く、怒りに満ちた炎のような声音を堰き止めて、ラントは目を細めた。
「親父、落ち着け。話は俺が聞く。……アガーテ、何の用だ?」
『いやぁね? 君たちの会話があまりにも愚かしかったもので、観客としてブーイングでもしてやろうかと思って』
「愚かしい? 何が?」
アリアンナが眉根を寄せて尋ねた。
『まず、戦うか? なんて、問いに意味はない。何せ、その二人は異世界人だ。戦わなくては来た意味がない、だろう?』
「それは、どういう意味ですの? アガーテ……様?」
『ほうほう、様付けとはね。中々、従者とは違って礼儀を弁えているようだ。名前は確か……ソファー?』
「ソフィアですわ!」
『ふむふむ。そんな名前だったかな? まあ、なんにしても異世界人とはこの世界において、ある種、援軍のようなものだ。そこのラント君然り、他の異世界人然りね』
「そ、そうですの?」
「お嬢様! 聞く耳を持ってはなりませんっ!」
『──五月蝿いぞ、矮小な人間め。今は君と話していない。多少の魔法が使えるからと言って、発言権があるとは思わない方がいい』
「っ!」
たった一言。まるで、カエルを睨む蛇のような冷徹さを待ち合わせたその一言は、鋭くナイフのようにアリアンナの言葉を両断した。
『さて、静かになったようだから続けよう。君たち、異世界人の役割は、この世界に何かをもたらすことにある。でなければ、呼ばれる謂れはないし、その必要もない』
「ま、まさか貴女がわたくしたちをこちらの世界に?」
『違うとも言えるが、正しいとも言える。招いたのは、僕ではないけれど、恐らくは《魔女》の中の誰かだろうからね』
「ほ、ほんとですの?」
『僕は嘘は付かないし、決して裏切るつもりもないよ? ラント君が生きているうちはね?』
けたけたと楽しそうな笑い声が古書から響く。
「アガーテ、結局何が言いたいんだ?」
『おっと、失礼。恋している自分に酔っていたよ。まあ、これは僕の意見……いや、というより、考察だが』
こほん。アガーテの咳払いが一つ挟まる。
『そこのメイドと、ソフィアちゃんが《増幅装置》であれば、蟻の如く脆弱でなんの力も持たない君達にも、糸屑ほどの勝機が……』
言葉の途中で、ソフィアは立ち上がる。
『おや、ソフィアちゃん。どうかしたのかな?』
「本当ですの? 今のは」
『勝機があるってところかな? まあ、真実が虚言かどうか以前に、僕は君達の敵、《魔女》だ。信じられるかは、ほどほど……」
「信じますわ。アガーテ様は先程、嘘はおっしゃらないと言いましたもの」
『うわ、本気ぃ? 後悔しても知らないよぉー?』
思い立つに至った明確な理由を言えと言われれば、きっとソフィアには答えられなかっただろう。正直に言えば、足は子鹿のように震えていた。あの戦場を思い出すだけで、泣き出してしまいそうだった。
けれど。
「──わたくしは、戦いますわ。もう誰にも死んで欲しくはありませんのっ!」
ソフィアは、気高く吠えた。
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