四話 お嬢様、おしゃべり魔女と出会う
「それで? 君がわざわざ、戦地を離れてまで僕のところまで、来たのかな? いいや、勿論、嫌がっているわけではないよ? ただね、乙女としては、想い人に会う前には、色々と準備が必要でね。例えば、どんなメイクをするだとか、どんな色のどんな雰囲気の服を着るだとかね? こだわるべきところは君よりも多いのさ。ああ、勘違いしないでくれまえ? 今のは皮肉ではなくて……」
銀の少女は囀った。それは朝の陽ざしを受ける小鳥のようでいて、宵闇に犇く蝙蝠のようでもあった。
「ごたくはよせ、さっさと本題に入ろう」
帝都の奥底に眠る出口も入り口もない部屋。ラントの声が響いた。
福音の翼を断ち、はや三日が過ぎた。あれ以降は、戦線も盛り返しを見せ、ラントにもようやく少しばかりの余裕ができた。
そうして、一度、帝都に戻ることとなったラントについていく形でソフィアとアリアンナは、帝都を訪れていたのだが。
「はっ! 釣れない! 釣れなさすぎるっ! 折角、《福音》の片翼を切り落としたんだから、英雄らしく酒でも飲めば良いものを。……いや、まさかとは思うが、私と濃厚な口吸を期待してのことかな? だとしたら済まない。僕と君を別つ、この忌まわしい板さえなければ……。あー残念、残念極まりないなぁ」
隙間風の音もせず、街の雑音もないそこには、ラントとソフィア、アリアンナがいた。
そして、そのガラス一枚を隔てた密室。その中心、金色の縁取りに赤い布地の長椅子の上には、一人の少女が寝転んでいた。
「あー、退屈だ。実に実に実に、退屈極まりない。本を読むのにも飽きたし、一人遊びにも飽きてしまった。……おっと一人遊びというのは、君が想像するようなものではないからね?」
ラントに案内されてはいったその部屋にいたのは、少女。口を開けば、濁流の如く言葉を吐く少女だった。
か細く触れれば折れてしまいそうな細い指と、処女雪のような長い髪。人形のようにきめ細かな肌と、宝石の如き輝きを秘めた相貌。
「さてと、何ようかな? 親愛なるラント・ジゼル君」
そして、その少女──あくまで、魔女《断章》アガーテは笑う。
「聞きたいことができた。アガーテ」
「なるほど。だから、君が……よもや真面目を絵に描いたような君がこんなところに客人を連れてきたというわけか。しかも、とびきりに面倒臭そうな相手だ」
「分かるのか?」
「当然だとも。異世界人が二人。ふむふむ、しかも、そのメイドの方はそこそこ魔法を使えるね?」
ぎゅっと相貌が細められた。しかして、その目に一切の興味や感情は見えず、ソフィアとアリアンナが見下されていると感じるのも無理はなかった。
「お嬢様、お下がりください。この者はあまりにも……」
「なんだい? たかだか人間の分際で、僕を蔑む気かな? ああ、それはいただけない、いただけないことだ」
アガーテは立ち上がる。同時に、細い指先をソフィアらの方向へと伸ばした。
無論その手が、届くことはない。けれど。
「っ!? これ、はっ!?」
途端、アリアンナは喉抑え、苦悶の顔を見せる。まるで、見えない何かに締め上げられるように。
「アリアンナっ!? どうしたしましたの!?」
「お、嬢様っ! お逃げくださいっ!」
「無駄だよ。ここの部屋には、入り口も出口もない。すべては僕の機嫌次第だ」
状況が理解できないまま、ソフィアはきっとアガーテを睨みつける。
「アリアンナを離しなさいっ!」
「うわあ、おっかないなあ。ますます力んでしまいそうだ」
「ぐっ!?」
さらに、アリアンナを締め上げる力は強くなり、ついに靴さえも地面より離れる。
「さてさて、君たちは見たことがあるかな? 人の首がコマのようにぐるぐると回る愉快な光景を」
「アリアンナぁ!!」
少女の形をした怪物だ。ソフィアの頭は認識する。
その行いに、言葉に、人の心などなく、箒で塵でも払うように、または玩具を取り壊すように人の命を奪う破壊の化身、なのだと。
「──やめろ、アガーテ。それは許可しない」
「……むう。ラント君、君は私を、『自分の命令ならば、すぐにだって股を開くような女だ』とでも思っていないかい? まあ、君に言われたのなら、僕は喜んで開くけどね」
拗ねたように、すっと手を下ろした。同時に、アリアンナの首を掴んでいた力は霧散した。
「アリアンナっ!? 大丈夫っ!? 大丈夫ですのっ!?」
「大事は、ありません」
咳き込むアリアンナとそれに寄り添ったソフィアを横目に、アガーテは咳払いを一つ打つ。
「さて、何を話したいのかな?」
「ようやく、本題か。……まず聞きたいのは、この二人についてどう思うか、だ」
「さっきも言ったが、そのメイドは私を基準にそこそこの魔法を扱える。そっちの金髪は私を基準にしても、魔力の絶対値はなかなかと言ってもいいが、術式の運用があまりにも下手。そんなところかな?」
「な、何故それを……?」
確かに、アガーテの言う通りだった。ソフィアは魔法を使えないことはないが、消費が激しくまともには使えないのだ。
「そうか、ならもう一つ尋ねる。三日前。《福音》との戦闘中に起こったことだ」
「ああ、あの金色の魔力障壁のことか。確かにあれは興味深い。しかし、それがなんであるのか、なんて面白くもない疑問は受け付けないよ? 私をこんな空すら見えない場所に封じ込めておきながら、嫌みったらしく、わざわざ天気予報は何? と尋ねるようなものだからね」
「いや、俺が聞きたいのは、このメイド一人にあの現象が可能かだ」
「なるほど。そういうことだね」
何かを察したように、アガーテはソフィアを見た。
「絶対にない。あり得ない。魔法における絶対不変の法則に反している。一旦、それ自体を許容したとしてもの、そのメイドの才能はあまりにも平凡だ。まあ、私からすればだけれどね?」
アリアンナが言い返さないあたり、アガーテの言った言葉は事実のようだった。
「可能性といて、一番面白くないのは、《福音》が何かしたパターンだが、これは薄いね」
「なら、どのパターンが一番考えうると思った」
にやり。残虐に、けれど、咲き誇る薔薇の花弁のようにアガーテは嗤う。
「考えうる? そんなのはどうだっていい。重要なのは、一番愉快なパターンだ」
ぴしり、とアガーテはソフィアを指さした。
「お嬢様、お下がりください」
同時に、アリアンナが庇うようにソフィアを背の後ろに隠す。
「安心したまえ。危害を加えるつもりはない。何せ……」
さぞ愉快そうに笑みをたたえ、アガーテは言い放つ。
「──その、金色の少女は、不可能を可能にする存在、いわば『増幅器』かもしれないのだからね」
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