十六話
「ありゃりゃー。酷いもんだ」
赤髪の少女は、切り刻まれた大地の中心。夕日の傍、横たわった少女を眺めていた。
既に事切れたその骸は、確かに赤い髪、眼鏡。立ち尽くす少女と何一つとして同じだった。
あれほどの巨大な魔力の塊が落ちてきたというのに、周りの森林に一切の被害はない。
全く、殊勝な心掛けだと少女は鼻で笑う。
「全く。ルルちゃんはあたしが自分複製するのにどれだけの時間と労力を必要とするのか分かってないよなぁ」
そう言って、少女は唇を尖らせながら、その骸の頬に触れる。すると、骸は液体へと変化した。
それはナメクジのように地面を這いまわりながら、小さな雫の轍が生まれる。
「はぁー、想像以上に消費しちゃったじゃん。もー」
雫によって、形成されたそれは陣。
魔法の行使を潤滑に行うための舞台装置だった。
「さてさてさて、出てきていいよ? 【複製品】共」
空間に色を付けるように浮き上がったのは、数千の影。黒い靄を纏った兵士たち。
「ま、一旦はこれくらい? かな。いい姉たるもの、手加減を間違えてはいけないからね」
その手には、銃器の数々。
その姿は。
「はははっ! 行け! 殺せ! 兵士どもっ! 祖国を守らんとした貴様らは今から祖国を滅ぼすべく戦うんだ!!」
少女は歌うように嗤う。不遜かつ愉快に。
それを号令代わりに、既に死した骸の兵士たちは侵攻を開始した。
***
「「……」」
ソフィアとミラは、あんぐりと口を開く傍、焚き火の薪はばちばちと音を立てて崩れる。
「あ、あれれ? 何? この雰囲気?」
「え、えーと。これは自己紹介をすればいい流れ……ですの?」
困惑するソフィアをよそにミラはなんとなく意図を感じ取っていた。
「……そういうことね。ほんと、お節介」
「ど、どういうことですの?」
「つまりは、質問しろってことよ。何か聞きたいこととか、ないのかって」
「な、なるほどですわ」
確かに言われてみれば、ミラとアリシアはルームメイトということもあって、他の方々よりは距離が近かった。けれど、あまりにも二人のことを知らない。
訓練や座学など、着いていくので必死だったからだろうか。
「二人の話を聞く前に。というか、ミラのことはほとんど知ってるから、ソフィアの話を聞きたいんだよね」
アリシアは胸を張って、誇らしげな顔をしながらもちらちらと残った鹿の肉へと視線を送っている。
……まだお腹が空いているのだろうか。
「で、では。お言葉に甘えて……アリシアさんは軍学校に入るまで何をなさっていましたの?」
「あー、それ聞いちゃうかぁ」
アリシアは質問を受け取るなり、なんとも気まずそうな顔を作った。
「ま、まさか聞いてはダメなこと……でしたの?」
「いやぁ、うーん。なんともね」
誤魔化すように笑うアリシア。それを見て、ミラが口を開いた。
「私とアリシアは昔、ミールランネ近郊にあった小さな国出身よ。もう《写本》の軍勢に飲まれてしまったけれどね」
「それ、はつまり……」
「ええ。今はもう存在しない国。そこから流れ着いた。この国にね」
ソフィアは言葉を失った。二人はなんでもないことのように話しているけれど、きっとそんなわけはないだろうことは世間知らずなソフィアにさえ分かったからだ。
「なんと、言えばいいか」
「同情? やめてもらえる? うざいだけだから」
「……ごめんなさいですわ」
「こらこら、ミラ。言い過ぎだって。……まあ、ちょっと悪いこともしてたんだよ。物を取ったり、ちょーっと人を脅したりして」
「な、なるほど」
決して褒められた行為ではないが、ある種この世界で生き残るためには必要なことだったのだろう。
ソフィアはそう納得した。
「それじゃあ次っ! ソフィアのことを聞かせてよ!」
アリシアはミラを諌めた後で、改まって視線をソフィアへと向ける。
あまり自分のことを話したことはなかったからか、ソフィアは一つ一つ言葉を拾い上げるように話し始めた。
「わたくしは……元の世界では、貴族の娘ですの。こうもお転婆では信じてもらえないかもですけれど」
何不自由のない生活。アリシアとミラが送ったであろう生活とは、恐らく対照的。
おはようからおやすみまで、勝手に全てが回って、成立してしまうような恵まれた生活。
十九年にも渡り、暮らしていた広い屋敷と絢爛な庭園は、目を閉じれば今でも思い出せる。きっとこれから先何年この世界にいようともきっと変わらない。
「へぇ。そりゃあすっごいね。普段は何をしていたの?」
「え、えーと。勉強……とお茶会が毎日の日課でしたわ」
「じゃあ家からあんまり出ないの?」
「わたくし、幼い頃は病弱で……あまり外で遊ぶと言うことを知りませんでしたので、自然とそのような感じになってしまいまして」
「そうなんだ。ソフィアはもっと活発な子だと思ってた」
「わたくしの友達は、メイドのアリアンナと部屋にたくさんあった童話の山くらいでしたわ」
だからこそ、この世界に来てからは痛感してばかりだ。
ソフィアにとっての当然は、この世界ではあり得ないことなのだと。
人とは散漫と生きることは許されず、たとえどれほどの善人であっても、不幸は降りかかる。
「その、さ。ソフィアはさ? 帰りたい、なんて思ったことはないの?」
どんよりとした気まずさの中で、アリシアは誤魔化すように口を開いた。
「帰りたい……正直に言えば、この世界に来てから毎夜思っていましたわ。でも」
そう思う度に、頭の中には一人の青年の顔が過ぎる。
鬼気迫る顔で、ソフィアを突き飛ばし、その命を投げ捨ててまで、助けてくれた彼のことを。
「まだ……わたくしは何も返せていませんの。私を救ってくれた方へ」
知らない世界。心細くて、何もかもから逃げ出してしまいたいけれど。それでも彼の代わりに誰かを救うことができるまでは、と。
「「……」」
「え、えーと。どうかなさいまして?」
「いや、なんか……私が思ってたより、ずっとソフィアは強いんだなって」
「そ、そんな訳ありませんわ」
「いやいやぁ、強いって。ソフィアは。……これは、うかうかしてられないね? ミラ」
意味深に、アリシアはにやけ顔をミラはと向けると、ミラは不機嫌そうに立ち上がった。
「……周囲の偵察に行ってくる。熊が出ないとも限らないでしょ」
「あ、わたくしも着いていきますわ」
「あんたは先に寝てたら?」
「い、いえいえっ! 流石にそのようなことは出来ませんわっ!」
ソフィアが言うと、ご勝手にとでも言いたげな手をひらひらと振って、ミラは森へと歩き始めた。
「じゃ、待ってるねー」
アリシアに見送られる形で、二人は夜の森を歩き始めた。
***
「な、なぁ。これって……訓練なんだよな?」
夜の森の傍。山の垣根に身を隠した訓練生が震える声を囁やかにあげる。その声は、隣に横たわった友人に対して、向けたものだった。
「な、なぁ? ここは戦地じゃない。帝都から何十キロか離れた場所だって、言ってたよな」
依然として、返事はない。それは至極当然のことであったが、錯乱した訓練生には理解出来なかった。
既に、その体に熱はなく、胸の中心には大きな穴が空いていたというのに。
「は……ははっ! 終わりかよ! こんなとこで!」
木々の隙間から、覗いたその光景に訓練生はついに狂ったようにけたけたと笑った。
皿のような白い月に重なって、伸びたるは一つの影。
羽毛を纏う純白の翼。
月光に淡く光る虹彩異色の眼。
それは教本によって、散々その理不尽なまでの権能を教え込まれ、言葉を覚えたばかりの子供でもその脅威を十分に知り得ている。
この世界の災厄にして、怖れという言葉の権化。
──《福音》の魔女、ヨハネであった。
「クソがっ! クソがクソがクソがぁぁ!!」
青年は猟銃を向ける。
きっと自分はここで死ぬのだろうけれど、せめて、足掻き切ってやろうと。