十五話
「貴様らに──最後の試練を与える」
明くる日。訓練生全員をグラウンドへと集めた教官が言った。
「え? さ、最後の試練? ですの?」
ソフィアと同じく、周りの候補生にも動揺が走っていた。何故ならば。
「し、しかし我々の訓練期間はまだ三ヶ月も……」
候補生の誰かが言った。けれど。
「ならば、《魔女》にでも頼んでみるか? 残り三ヶ月は何もしないでくれとでもな。……それができれば、そもそも貴様らは軍に入る必要はなかっただろう?」
すっと訓練生達が引き下がった。というより、返す言葉がなかったようだった。
「さて、訓練の説明だ。貴様ら、耳の穴をかっぽしって聞くんだな」
***
「ほうほう。中々綺麗な街じゃんかよぉ。ミールランネの帝都は」
赤い髪の少女は、帝都より十数キロ離れた森林の中心。飛び抜けて高い一本の木の枝先にて腰を掛け、街の風貌を眺めていた。
「ふむふむ。これ以上近づくと勘付かれるちゃうなぁ。やっぱり妹を立てるのが、姉だもんねー」
少女は懐から一般の小瓶を取り出した。そうして、その蓋を開け、頭上高くへと投げる。
「さてさてさてー。そろそろお時間だぁ。しょーたーいむ」
破砕。天高く、小瓶は粉々に砕けると同時。
中を満たしていた赤の液体は、花火と如く拡散したのちに、不可思議な力によって収束する。
瞬きのうちに出来上がったそれは、深い赤の球体。
「──《赤の終焉。見做しの権能》」
球体へと少女は一本の指を立て、差し向ける。
「さて、さて……ん?」
少女の耳が微かな捉えたのは、木々の不可思議な揺れ。僅かながらにも、それは確かに風や野生動物の生み出す空気の流れとは違った。
「勘づかれた? あたしが?」
少女は手を下げると、ゆるりと振り返る。
その刹那だった。
「──中々どうして、運がいいな。俺は」
言葉と同時、迸った黒色の剣閃は少女の挙げた腕を断つ。
「もぉー、痛いじゃんかよー。女を傷つけるなんて、減点だなぁ」
少女は切り絶たれ、宙を舞った腕をもう片方の腕で掴み取ると、頬を膨らませた。
その視線の先。
頭ひとつ小さな背後の木、その頂点に立っていたのは軍服の男。すらりとした体躯に、鋭い瞳は確かに燃えていた。
「偶然だ。ほんと、笑っちまうぐらいのたまたまだ。こんなところで、出くわしちまうとはな」
「確か、ラント・ジゼル。だったっけ? ミールランネの英雄様だね?」
「《写本》のナコトにまで、認知されていたとは光栄だな」
少女は、否。《写本》の魔女──ナコトは腕の断面をちらりと除いてから、そのまま肩口へと戻した。
それだけで元通りとなった腕の感触を確かめながら、ナコトはラントの持つ獲物へと注視する。
飾りのない、黒の直剣。刃渡りは一メートル弱程度。
「知ってるよぉ。勿論、何せ……何せ何せ、君はあたしから愛おしい妹を奪った憎たらしい男なのだから」
「妹? 聞いたことのない話だな」
「あらら? セラエノから聞いていないの? 自分には、美しく知的で非の打ち所がない姉がいるって」
「ないね、そんなことは一度として」
間合いにして、十メートル前後。
その距離は、ラントの有効射程距離であると共に、ナコトの魔法であれば、容易に対処し切れる領域でもあった。
しかして、両者は距離を保ったまま、自らをもって仕掛けようとはしない。
「君のその剣。セラエノの匂いがする。やはり、君が私の妹との契約者なのかな?」
「けっ、妹の匂いを覚えてるなんて、過保護通り越して、ちょっと気色悪いぜ。姉上さん」
ラントのそんな何気ない一言に、ナコトは深く眉間に皺を寄せ、怒りを露わにする。
「──んだと、てめぇ。自分の立場ぐらい理解しろや。てめぇはまな板の上の鯉なんだよ。ぴちぴち愉快に跳ねてろ、人間風情が」
「ふっ! それが本性かよっ!」
感情を出す。即ち、それを隙と判断したラントは跳躍し、二太刀目の一撃を放つ。
巻き起こったのは、横凪一閃、漆黒の波濤。
「しゃしゃってんじゃねぇぞ! 三下がっ!」
怒号。障壁が展開され、波濤を正面から受け止める。しかして、一瞬の間隙のうちにその姿はラントの視界から掻き消える。
「っ!?」
「大したことねぇじゃねえか。英雄」
声が聞こえたのは、背後。
滑らかな死の予感がラントの首筋を撫でる。
「これで、終わり……」
「──《権利》、行使」
知っていた。それは、アガーテに教えられたことだった。《写本》ナコトの司る権能の本質を。
「反射と模倣。それがお前の力だろ?」
過去。数度に渡って、ナコト本体との交戦状態になった記録が、軍中枢には残されている。
それは二十年前、初めて銃器が完成し、戦争へと用いた時のこと。
「お前は、触れたものを作り出せる。違うか?」
視線が交錯し、甲高い金属の悲鳴も鍔迫り合いが発生する。
だからこそ、ナコトの手にあったものに、ラントはわざわざ驚かなかった。
「その剣は、これの模倣。ほんと、そっくりだな」
柄頭から鍔に至るまで、一切の飾りはなく、剣身までもが、夜闇のように深い黒を纏った剣。
「だったら? どうしたってんだ? てめぇに本気の魔法をブッパすんのは不憫だから合わしてやってんだよ!」
「そういう割にっ! 剣術も随分と慣れてるみたいだけどなっ!」
「てめぇのレベルが低いだけだろうがっ!」
交錯する剣のせめぎ合いの中、ナコトはラントの腹に鋭い蹴りを打ち込む。
「かはっ!?」
その衝撃によって、地へと一直線に叩き落とされたラントは、受け身の態勢を素早く形成する。
しかし。
「──《権利者》と聞いて、期待しすぎたあたしが馬鹿だった。この失望の責任は取ってもらうぞ、ラント・ジゼル」
ナコトは己が手首を薄く切ると、傷口を掲げ、その血を周囲へとばら撒いた。
途端に、その雫は形を変え、幾つかの輪郭を生み出す。
「自分の獲物で死ねるなら、本望だろ。英雄」
それは数十、数百に及ぶラントの剣の複製。鏡写しの剣の群れ。
「──くたばれ。くそったれ」
それは真下。並びたる木々へと向けて、それらは矢のように一瞬の溜めのうちで発射された。
剣は雨の如く大地に降り注ぎ、土煙を巻き上げながら、その幹を紙切れのように切り裂き、貫き続ける。
「……やりすぎた。あーあ。こりゃ、またあいつに嫌味を……ん?」
すべての剣が、大地へと深々と突き立てられた後で、ナコトは何かに気づく。
「障壁か。ほう? この前の異世界人は魔法を使えんのか」
それは円錐型。半開きになった傘のような障壁。
「……いやあ、助かる。メイドちゃん」
「いいえ。アガーテ様きっての頼みでしたので。間に合って、幸いです」
そこにいたのは、憎き青年 ラント・ジゼル。
そして。
「あれも、魔法……本当にこの世界の魔法は、規格外が過ぎますね」
白と黒を基調としたクラシカルメイド型の衣装を身にまとった場違いな少女。
アリアンナ・ラフランスであった。
「反撃と行きますか? ラント様」
「いいや。それは相手次第だな」
相対した二人。ナコトはいまだ上空に佇んだまま、見下していた。
「──調子に乗りすぎだろ、人間ども」