十二話
「ソフィア・ガーデンっ! 行きますわっ!!」
ソフィアが狙いをすまし、引き金を引くと同時。射撃訓練場に轟音が響く。
薬室より排出された薬莢が宙を舞い、地へと転がった?
「……あー。うん。なるほど」
「……貴様は……本当に救いようのないクソ虫だな」
着弾地点は的から大きく外れた大木の幹。弾丸がその樹皮を穿ち抜くなり、鳥達がばさりと一斉に飛び去った。
「わたくし、才能がないのかしら……」
計十五発、的を捉えることは一度もなかった。
「あははー、私とミラで出来る限りのことは教えているんですけどねー」
これには、アリシアも苦笑いするしかなかった。
「射撃訓練に入ってから、どれくらいだ?」
「三週間と少しだ」
「ま、まじか」
流石に予想外だったのか、ラントすらもなんとも言えない顔をした。
「……こうなれば、戦地で覚えていくしかないか」
「おい、ラント貴様。もはや今の状態でこいつらを戦地に、と考えてはいないだろうな?」
「俺は流石にまだ……と思ってるんだがな。上層部の都合はそうもいかないらしい」
そう言ったラントがぎゅっと拳を固く握り、震わせていたのが、ソフィアには分かった。
「ラント様……申し訳ありません。わたくしがもっと……」
上手くできていれば、そうであれば、少しは役に……。
「おい、クソ虫」
視線を下に向けたソフィアに、教官は苛立った声をぶつけた。
「は、はいっ! ですの!」
「ハナから、貴様に誰が期待なんてしているものか。自惚れるのも大概にしろ」
「そんなこと……」
「貴様が落ちこぼれであることなぞ、少なくともここにいる誰だって知っている」
「……その、通りですわ」
何も言い返せはしない。ソフィアにはここの皆が当たり前のようにできることが、最初は何一つ出来なかったから。
「──だが。今の貴様が入った時に比べ、随分とマシなクソ虫になったことも、皆知っている」
「……え?」
ソフィアは耳を疑っていた。その声が聞いたことないほど柔らかかったから。
そして、訓練に参加して、おおよそこの一ヶ月。一度として、そんな風に褒められたことがなかったから。
「貴様は驕らず、しかして誇れ」
「……はっ、はい!」
積み上げた努力が報われる時。それがソフィアにとって、今この瞬間だったのは間違いなかった。
「アリシアさんっ! 次行きますわっ!」
「はいはーい。……にしても、ミラはまだ起きないのかなぁ」
燃えるソフィアといつも通りのアリシアの訓練は続く。
しかし。
「ラント。お前がわざわざここに来たということは、何か話があるんだろう?」
「ああ。少し、話せるか」
教官とラントはそっと寮舎へと向かっていった。
***
「……ん、ここ、は」
消毒液の匂いがした。ベッドの周りには白い布のカーテンが掛かっている。
医務室。すぐに理解できた。
「……はあ、今日も話せなかった」
ミラは頭を抱えるように手を額に当てた。
これで幾度目か? いや、最早数えなくなって久しい。
「……訓練、行くか」
うじうじ考えるよりも、訓練に打ち込んでいる方が建設的だ。そう考えたミラは立ち上がると、数度屈伸をしてから医務室を出る。
とりあえずは教官の執務室に行って、訓練再開の許可を貰うべきだろう。
「……ん」
部屋の前、ミラが扉をノックしようと拳を裏返したところでだった。
『大規模攻勢だと……正気か? ラント。奴らはまだ新兵なのだぞ』
『俺が……自分からそんなことを言い出すと思うか? 新兵どもを無駄死にさせるような作戦をっ! 俺が考えると思ってんのかよっ!!』
聞こえたのは、確かな怒声だった。強かでありながらも、悲しみに暮れたような。
『すまん。私も少し、動揺していたらしい』
『……いや、俺こそ。怒鳴ったりして、悪かった』
ミラは扉の横。少し土埃に汚れた壁に背を預けた。
目を閉じて、呟く。
「──《権利》行使」
途端、感覚は研ぎ澄まされる。五感の全ては、一帯を包み込むが如く、拡張される。
その力の名は、【到達と道標】。ミラの保持する《権利》だった。
扉を隔てた向こう側の様子は、音の反射によって、ミラには手を取るように分かった。
『少し早いが、奴らには最後の訓練を明日、与える。期間は二週間だ。それなら間に合うだろう?』
『ああ。いつも……あんたを悪者にして、すまないな。リンカー中佐』
ラファリス・リンカー。確か教官の名前は、そんなだった気がする。
『全くだ。その戦争が終わったのなら、そこそこのポストを用意してもらうぞ? 出世頭様よ』
『任せろ。戦友全員そうするつもりだ。……それはそうと、お嬢の様子はどうだ?』
ラントの少し楽しげな声に、奥歯が無意識に軋む。何故、彼まであんな腰抜けを意識しているのだ。
考えるだけで、腹が立つ。
『悪くない。基礎体力や身体能力は元々、高い部類だったからな』
『そうじゃなくてさ? 精神的なとこだ。お嬢は元々何不自由ない生活をしていただろうからな。きちんと、周りと馴染めているのか?」
『なんだ貴様。まだ二十五だろ? もう父親にでもなったつまりか?』
『いや、あの子とあの子のメイドには……恩義がある。恩ってのは、返すまでが恩だろ?』
恩義? ラントが? あの女に? ……そんなことがあり得るのだろうか。
『まあ、なんだ。ちょっとだけ、気を遣ってもらえるとって……まあ、あんたにゃ無理か』
『私が贔屓など出来ないのは、知っているだろう?』
『ああ、思い出したよ。あんたには、さんざん扱かれたからな。いやぁ、思い出すだけで……寒気がする』
『ふっ。いつでも扱いてやる。また来るんだな』
ラントの足音。どうやら部屋を出るらしい。
大きく深呼吸をして、ミラは《権利》の発動を止める。
ぎぃぎぃと蝶番の悲鳴と共に、ドアは開いた。
「……お、ミラ。なんだ、もう大丈夫なのか?」
ああ。その目だ。
ミラは向けられた眼差しに心臓を高鳴らせた。
強く、清廉としたラントの瞳。いつ見ても、憧れを抱かずにはいられない。
「あ、ミラ。もしかしてだが、話……聞こえてたか?」
「……」
言われて、脳裏に過ったのは、ソフィアだった。
ラントに、大切に思われているのは間違いなく、自分と同じく《権利》を所有すると聞いた少女。
なぜ、あんな奴が。憎しみにも似た感情は胸中で大きく膨らんでいく。
「……大佐」
「どうした? ミラ」
言わずにはいられなかった。
だって。『私』が一番、彼を想っているから。
「──どうすれば、貴方の一番になれますか?」
それだけが、たったそれだけがミラの夢であり、生きる理由だったから。