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『離』婚約破棄

男爵令嬢は略奪がしたい ~『離』婚約破棄~ 【短編版】

作者: tea

男爵家で侍女をしていた私、テレーズ・ブランシャールは十七歳の時に結婚しました。


栗色の長い髪に、大きくパッチリとした揃いの色の瞳。

母方の祖父は男爵だったようでそれなりの教養もあり、ちょっぴり泣き虫ではありますが、好奇心旺盛で何事にも物怖じせず、素朴で愛らしいと近所では評判の私ですが、残念ながら絶世の美女という訳ではありません。


そんな私が結婚したお相手は、自分がかつて敬愛し行儀見習いのような形で仕えていた奥様の旦那様、つまり私が働くお屋敷の主であるブランシャール男爵様です。



私が旦那様から再婚のお話をいただいた時、旦那様は病床に伏していらっしゃり、体を起こす事もままならない状態でした。


旦那様が亡くなれば、成人しており家を継ぐ者がいない男爵家はお取り潰し。

敬愛する奥様の忘れ形見である、まだ三つになったばかりの一人娘のリリーシャ様は孤児となってしまわれます。


お産の際に亡くなられた奥様に代わり、リリーシャ様のお世話係としてずっと彼女を溺愛していた私は、リリーシャ様をお守りする為、旦那様の形ばかりのプロポーズをお受けしたのでした。





養子縁組等諸々の手続きが済んでようやくホッとした小雪がチラつく冬の日、


「テレーズ、すまない。どうか……どうかリリーシャを頼む……」


一言そう言い残し、眠る様にして旦那様は亡くなられました。


「お母様? どうして泣いていらっしゃるの? どこか痛い??」


まだ死を理解するには幼すぎる、リリーシャを不憫に思い強く抱きしめれば、


「リリーシャがいるから大丈夫よ。だから泣かないで、お母様」


優しいリリーシャがそう言って無邪気に笑って見せるから。

私は余計に涙を止められなくなってしまうのでした。







******


しかし、代理とは言え男爵家の主となった私は悠長に泣いてばかりもいられません。


敬愛する旦那様と奥様に代わりリリーシャの為、涙は封印し、これからは私がしっかりこの男爵家を守っていかないと!


そう思ったのですが・・・・・・。



右も左も分からぬ私が身代を潰す以前に、長期に渡り旦那様が病に伏していらした事もあり、男爵家は既に借金で首が回らなくなっていました。


このままでは爵位の返上を求められるのも時間の問題でしょう。


しかし、リリーシャの為にもそれは何としても防がねばなりません!


家族に縁の無かったリリーシャに名家から婿養子をもらい、リリーシャがこの男爵家を継いで素敵な家族に恵まれ、早逝された奥様の分も幸せに過ごす様を陰から密かに見守る事。

それこそが、今の私の夢なのです!!


その為に死んでも男爵家を潰す訳には行かないのですが、幼いリリーシャを残して私が外に働きに出る訳にも行かず……。



十八歳になる私宛に届いた学園の入学通知を見ながら、私は心を決めました。


「よし! こうなったら学園に入学して、同じ学年にいらっしゃるはずの第二王子のルーク様を略奪し男爵家を支援してもらおう!」


可愛い娘の為にはなりふりなんて構ってられません!


リリーシャ、大船に乗ったつもりで安心してください。

お母様は頑張りますよ!!







******


クラスメート達には身分を男爵『令嬢』と偽り、意気揚々と乗り込んだ学園でしたが・・・・・・。


現実は恋愛小説の様には甘い筈も無く、ルーク様を略奪するのは実に骨の折れる仕事でした。


特にルーク様の婚約者であらせられる侯爵令嬢のレティシア様は、ホント煮ても焼いても食えない人で……。





例えば上級生に呼ばれ、上の階にある教室に赴く階段の途中での事です。


誰かにちょいと肩を押されたのをこれ幸いと、


「ルーク様! 私、階段から突き落とされそうになりましたの。本当に怖かったですわ!!」


悲劇のヒロインのように目に涙を浮かべ、お優しいルーク様の肩に『よよよ』と、しなだれかかろうとした時でした。


ルーク様の肩に触れる前に


「まぁ、それは大変! 二度とそんな怖い思いをされなくていいように飛び級して二階に上がらずとも今年度いっぱいで卒業出来るようにして差し上げますわ」


と、どこからか突如湧いてらしたレティシア様の鶴の一声により、その場で私の年飛び級 & 今年度いっぱいでの卒業が決まりました。



えっ?

飛び級??


いや、本来であればリリーシャの傍に居られる時間が増えて嬉しいですけど?!


でもほら私、ルーク様を略奪しないといけないんで!

もう一年在る筈の猶予が、がくんと減ると本当に困るんですよ!!!


庇って(?)下さる事を期待し、焦ってルーク様を見たのですが……。


残念ながらルーク様は、私に代わりルーク様の肩に頭を甘えた様にチョコンと乗せるレティシア様を彼女にバレないよう、しかし実に嬉しそうにご覧になるばかりで、完全に私の存在を忘れていらっしゃる様でした。





そんな仕打ちにもめげず―


パーティーに参加した時の事です。


不意にぶつかられ、自分で適当に繕った流行遅れも甚だしいドレスにちょっとワインがかかったのをまたこれ幸いと、


「ワインをかけられてしまって。みっともないので着替えたいのですが、後ろで留めたリボンが自分一人では解けなくって……」


そう言い訳してルーク様を別室に誘い込み、リボンを解く手伝いをお願い(色仕掛け)しようとした時でした。


「まぁ、それはお可哀そうに! またそんな嫌な思いをされないよう、そもそもパーティーには今後しばらく出ないで事足りる様にして差し上げますわ」


沢山あるお城の個室の中、私達が咄嗟にルーク様を引きずり込んだ部屋を一体どうやって突き止めたのでしょうか?

ルーク様が私のドレスのリボンに触れる前にドアを蹴破るようにして開け入っていらしたレティシア様がそう仰い、その場で私の社交界への長期出禁が決まりました。



新しくドレスを仕立てる余裕はないのに、爵位が上の方からのパーティーへのお誘いをまさかこちらからお断りする訳にもいかず。

いつも古いドレスを着ている事を陰でコソコソ笑われて大変腹立たしい思いをしていたので正直ちょっと嬉しいですが?!


でもほら私、誰かさんのおかげで今年度いっぱいでの卒業が決まっておりますので!

こういったパーティーも恥の感情をかなぐり捨て、ルーク様を略奪する為積極的に活用していかないといけないのですよ!!



とりなしを期待してルーク様を見たのですが・・・・・・。


何を勘違いされたのか、ルーク様はこっそり私に向かってサムズアップした後、さっさと出て行けとばかりにドアの方を小さく顎でしゃくって見せられたのでした。





挙句の果て―


放課後、街で一人買い物をしていた時の事です。


知らない男の人にちょいと絡まれたのをこれ幸いと、


「暴漢を差し向けられたんです! 私、もう恐ろしくて恐ろしくて。一人でいる事に耐えられません!! ですから、今夜はどうぞルーク様のお側に・・・・・・」


用意していた目薬をさし、ルーク様に迫真の演技で持って訴えた時でした。


「まぁ、それは恐ろしい思いをされましたね! でも、どうぞご安心下さい。二度とそんな危険な目に遭わないよう専属の護衛をつけて差し上げますわ」


突然、護衛を引きつれしゃしゃり出て来たレティシア様に、ルーク様付の騎士を押付けられる事になってしまいました。



王子付きの騎士様に専属で守っていただけるなんて本来ならとっても光栄なことですが?!


でもほら私、隙あらばちょっとした嫌がらせを受け、それを健気に耐える姿を見せつける事でルーク様の庇護欲を煽り立て略奪へと繋げないといけないんですよ!


がっつり守られたら、せっかくのその嫌がらせを受ける機会に恵まれなくなっちゃうじゃないですか!!



ダメです。

詰みました……。


……………。

……………。


なーんて☆


学園では男爵『令嬢』という事にしておりますが、実際には私は男爵『夫人』。

護衛とは言え、若い男性を側に侍らせる事は世間が許さないでしょう。


残念でした!

今回の仕返し(ざまぁ)は颯爽と(かわ)して見せるぞ!!

世間の目、そして世間の常識万歳!


内心では舌を出しつつ、しかし表面上はしおらしい態度でレティシアにそう反駁して見せた時でした。



「だったら……いっそ彼と再婚してしまえばいいじゃない。彼が男爵家に婿養子に入れば何も問題はないでしょ? それでも世間が五月蠅く言うというなら……そうね、彼の後見は私の父が引き受けましょう。それなら誰も文句は言わないはずよ?」


レティシア様がそんな思いもしなかった事を仰いました。


ちなみに。

このレティシア様の『ご厚意』を断れば、不敬を理由に我が家(男爵家)に未来は無いとのこと……。


扇で口元を隠し、一見慈悲深そうに微笑むレティシア様を見て、私は、決して敵に回してはいけない人に喧嘩を売ってしまった事を、今更ながら深く深く後悔したのでした。



経済的支援得る為ルーク様の寵を得なければならないのに!

騎士様なんかと結婚しても男爵家の借金は減らないのに!!


でも、この縁談を断ればそもそも残すべき男爵家が無くなってしまう。



今度こそ本気で助けていただきたくて、半泣きになりながら懸命にルーク様を見つめるのですが……。


レティシア様に腕を組まれた事が嬉しくて仕方がない様子の殿下は、私の方をチラと向いて下さる事さえありませんでした。





ルーク様とレティシア様が仲良く腕を組んでどこかに行かれた後。

茫然と地面に座り込む私に向かい、騎士様は非常に困ったような顔をしながら


「よかったらオレと『離』婚約を結びませんか?」


そんな事を仰いました。


「『離』婚約?」


聞きなれない言葉に首を傾げます。


「そうです。レティシア様のお怒りが解け次第、離婚する約束です。二、三年経って離縁のお許しが王家から出れば、オレは身一つで男爵家を出て行きましょう」


「二、三年我慢すれば男爵家を残しつつ、また独り身に戻れる?」


私の言葉に、彼は苦い顔をしたままゆっくり頷かれました。


自分の事にばかり気を取られ、結婚相手に指名された彼の事にまで気が回っていませんでしたが。

よく考えて見れば私は自業自得ですが、たまたまその場に居ただけで私なんかと結婚を強制された彼の方こそたまったものではなかったですね。


・・・・・・・・・・・・。



結婚とは本来、神の前で永遠の愛を誓い合う神聖な行為。


それを二回も道具の様に割り切り、踏みつけにする私は、きっと生涯誰かから唯一無二の存在として愛される事はないでしょう。


それでも……。


「分かりました。ご迷惑おかけして申し訳ありません。短い間ですがどうぞよろしくお願いいたします!」


私はリリーシャの幸福な未来を繋ぐべく、彼に向け自ら手を伸べたのでした。







******


騎士様は、そのお名前をフレデリック様と仰いました。

年は二十二で、子爵家の出との事。


子爵家の御令息が、身分が下の男爵家に婿入りなど許されるのかと不思議に思い尋ねれば、フレデリック様は庶子で腹違いのお兄様が三人いらっしゃる上、元から家族との縁は薄く、子爵家を出て行くことは最初から決まっていたので特に問題無いのだとか。







結婚式当日―


参列者はリリーシャしかいないのに。

フレデリック様はわざわざ私の為に綺麗なウェディングドレスを用意してくれました。


結婚は二度目ですが式を挙げるのは初めてなので、もちろんこのように美しい純白のドレスを着るもの始めです。


「どうかしら?」


同じくフレデリック様が用意して下さった愛らしいドレスを纏った、天使と見紛うばかりに愛らしいリリーシャに少し照れながらそう尋ねれば、


「わー!! お母様とっても綺麗!」


リリーシャはそう言って手を叩き飛び跳ねながら本当に嬉しそうに笑ってくれました。





誓いの言葉を述べながら、二人目の夫となったフレデリック様をコッソリ盗み見ます。


ありふれた茶色味が強いくすんだ金髪に、同じくありふれたグレーがかった青い瞳。

一見コレと言った特徴の無いように見えるフレデリック様ですが、しかしその背は騎士様らしくスラッと高く、ルーク様のような華はないにしても、そのお顔はよく見れば丹精な造りをしている事に気づきます。



私のせいでとんだ茶番に巻き込まれ、ウンザリされているはずなのに……。


ふと目が合った時でした。


何を思われたのでしょうか。

突然、フレデリック様が私に向けてフワッと優しく破顔されました。



職業柄これまで表情を露わにされる事の無かったフレデリック様の初めて見せる笑顔に、大人だと思っていたフレデリック様の年齢よりもぐっと幼く見えるその無邪気な笑い方に、突如何故か自分の鼓動が大きく跳ねたのが分かります。



思わず真っ赤になってしまいながら狼狽える私のすぐ隣で、


「誓います」


フレデリック様は良く通る落ち着いた声で一言そう答え、彼の少し冷たい唇を私の唇にどこまでも優しく、まるで壊れ物を扱うかのようにそっと重ねられたのでした。







******


そうやって意図せず始まったフレドリック様との暮らしでしたが……。


それは存外楽しくて、また私以外にもいざという時リリーシャを慈しみ守って下さる方がいるという生活は、非常に心安らぐものでした。


「お父様!」


そう言いながら駆け寄るリリシャーを危なげなく抱きあげ、優しく幼げな表情を惜しみなく晒して笑うフレデリック様を見て、また結婚式の時の様に頬がカァッと熱くなりました。


長年、幼いリリーシャを慈しんで来たせいなのでしょう。

フレデリック様が時折見せる、この年齢より幼い優しい笑顔を見ると、条件反射のように私の中にある『愛おしい』の近くにある何らかの感情が揺さぶられ、胸がキュッと切なくなってしまいます。



「お母様どうされたの? お顔が真っ赤よ。もしかしてお熱??」


不思議そうに首を傾げるリリーシャに、ただ西日が照ってそう見えるだけだと苦しい言い訳をしながら、恥ずかしくなってフレデリック様のお顔から彼の胸元辺りにフッと視線を逸らした時でした。


フレデリック様の開いたシャツの襟もとから、わずかに包帯がのぞいている事に気づきました。


「フレデリック様、またお怪我をされたのですか?」


思わず低い声でそう問い詰めれば、まるで不貞を勘付かれた夫の様に、酷く慌てふためきながらフレデリック様がシャツの胸元を押さえ包帯を隠します。


リリーシャを寝かしつけた後で聞いた話によると、何でも後輩を庇って怪我をされたのだとか。



フレデリック様の長所は『誰にでも優しいところ』ですが、短所は『誰にでも優しすぎて、自らの事は余り顧みないところ』です。


包帯を取り換える為、シャツを脱いでもらえば、フレデリック様の体には沢山の傷や痣がありました。


「これは?」


そう尋ねると、フレデリック様はバツが悪そうに黙ったままそっぽを向かれました。


と、いう事は。

これはきっと、私が階段から突き落とされた私を庇って下さった際に出来たものなのでしょう。


「じゃあこれは?」


わき腹にある、切り傷の痕について尋ねると、また黙秘されます。

つまりこれは、私を暴漢から守って下さった時に受けた傷とのことですね。


そう言えばフレデリック様、私を庇い、パーティーで思い切りワインを浴びて下さったこともありましたっけ。



「……あなたが怪我をされると、リリーシャが悲しみます」


そう言えば、フレデリック様は神妙な顔をして、


「今後はなるべく怪我はしないように気を付ける」


そう仰いました。


「いえ、そもそも誰かを庇う事を辞めて欲しいのですが」


私の言葉にフレデリック様が三度黙ります。



まったく。

フレデリック様のお人よしも困ったものです。



「見捨てる事が出来ぬと仰るのであれば、せめて相手の攻撃自体を防いでください」


呆れながらそう言えば、どういう意味かとフレデリック様が首を傾げました。


「ずばりやられる前にやるんです! 攻撃は最大の防御なりです!!」


フレデリック様はお優しいですから、人を傷つけるのは本意ではないのでしょう。

私と口論になる事を嫌がって反論はされませんでしたが、頷きもされませんでした。



人の気持ちが分かるフレデリック様です。

それを活かし、相手の気持ちを先読みする事によって、これまで私にしてくださったように、多くの人を間一髪のところで庇って守っていらしたし、これらからもそうされていくつもりなのでしょう。


そのお心は立派です。

でも、その優しさはいずれ彼を苦しめる(あだ)となるでしょう。


「先読みをしたならそれを活かして相手が攻撃に移るのを待たず、こちらから攻撃を仕掛けるのです! 人の気持ちが分かるフレデリック様なら、相手が何をされれば一番嫌なのかが分かり優位に立ち回れるはずです。……卑怯だとお思いかもしれませんが、誰かを本当に守る為には心を鬼にせねばならぬ時もあるのですよ」


私の真意が伝わったのでしょう。


「……心に留めておく」


フレデリック様は不本意そうなお顔をされつつ、絞り出すように一言そう仰ったのでした。







******


私とフレデリック様の結婚から三年が経ちました。


フレデリック様が奮闘してくれたおかげで男爵家の借金は少し減りましたが、相変わらず我が男爵家は貧乏です。



レティシア様とルーク様は昨年めでたくご成婚され、先日お子様がお生まれになりました。

お二人は今でも仲睦まじく、レティシア様は私の事など既に歯牙にもかけられていないようで・・・・・・。


年の初め、ついにフレデリック様との離縁の許可が下りてしまいました。



その旨が書かれた紙を見ていると、リリーシャとフレデリック様の楽し気な話し声が聞こえてきます。


リリーシャは優しいフレデリック様に本当によく懐きました。

実の父親の事はもうほとんど忘れてしまったようで、フレデリック様を父と無邪気に慕うその姿に、これからの事を思うと酷く胸が痛みます。





夜リリーシャが眠った後、フレデリック様に『離』婚約の話を切り出せば、彼は苦し気な顔をされたものの、黙ったままコクッと小さく頷かれたのでした。







******


久しぶりに一人で訪れた夜会で、男爵家のパトロンとなってくれそうな次のターゲットを物色します。


しかし……。


資産家かつ好色で有名な伯爵様に触れられた瞬間でした。

鳥肌が立ち、私は思わずその手を払い除けてしまいました。



こんな事では駄目だと頭を振り、気持ちを切り替えようと頑張ったのですが……。


男性から声を掛けられる度、何故かフレデリック様のあの幼げな笑顔ばかり思い出してしまい。

結局私は本来の目的を果たす事がどうしても出来ないのでした。







悲嘆にくれながら屋敷に戻った時です。

離縁の事を知ったのでしょう、リリーシャの部屋から彼女の啜り泣く声が聞こえてきました。


あぁ、違うんです。

リリーシャを悲しませたい訳ではなかったんです。


ズキズキと痛む胸を押さえ涙を堪えながらリリーシャの部屋に入り、その小さな肩をギュッと抱きしめ話しかけます。


「リリーシャ悲しい思いをさせてしまってごめんなさい。でも私は、あなたには素敵な家族に恵まれ、早逝された奥様の分も幸せに過ごして欲しいの」


『だから……』


そう言葉を続けようとした時です。

涙に濡れた顔をパッと上げ、リリーシャが思いもしなかった事を言いました。


「素敵な家族にならもう恵まれているわ! いつも私の事ばかり考えて下さるお母様と、不器用だけど、いつだって私とお母様の思いを優先してくれる優しいお父様!!」


もう恵まれている?


そんな事……男爵家を残す事にとらわれ過ぎて、考えてもみませんでした。



でも、そうだとしたら?

リリーシャにとって本当にこの関係が幸せだとしたら?


私、フレデリック様とお別れしなくてもいいのでしょうか??



一瞬そんなバカげたことを考えて、やはりそれは私にとって都合の良いただの夢物語だと首を横に振ります。


優しいフレデリック様は二、三年の事と割り切っていたからこそ、同情から一緒に居てくだっただけ。

これ以上フレデリック様を私達の人生に縛り付ける訳にはいきません。



しかしそれを、まだ幼いリリーシャに何と説明したものか……。

そう思い途方に暮れた時でした。


「爵位を返上し、このまま三人で一緒に街で暮らさないか?」


いつから私とリリーシャの会話を側で聞いていらしたのでしょうか。

私とリリーシャの思いを先読みされたフレデリック様が、自己犠牲の精神からまたそんな事を仰いました。



「ダメですよ。私、リリーシャと同じ位フレデリックには幸せになってもらいたいんですから」


フレデリック様のその優しさをありがたく思いながらも、うっかり泣いてしまわぬよう精一杯微笑んで明るくそう言えば


「本当に?」


フレデリックがどこかホッとした声でそう聞き返していらっしゃいました。

その嬉し気な声音に、やはりフレデリック様にとって私達の存在は心の負担になっていたのだ改めて知り胸が痛みます。


しかし決してそれを気取られぬよう


「ええ、もちろん!」


これまでずっと良くしてくださった事の感謝を込めて、大きく力強く頷きます。



「オレは。ずっと誰かが幸せならば、オレも幸せだと思って来た。でも……。他でもないテレーズが何よりオレの幸せを願ってくれるなら、オレはオレの幸せだけを願って我儘になってもいいのかな?」


お別れは寂しいですが。

フレデリック様が、私が大好きなフレデリック様ご自身の事をようやく顧みて下さったことが素直に嬉しくて


「ええ! 貴方はそうすべきですよ!!」


全身全霊を以て彼の言葉を肯定しました。


するとフレデリック様は、いつの間にか私が愛してしまっていた無邪気で綺麗な顔を惜しげもなくさらして、これまでで一番柔らかく微笑んでくださったのでした。



あぁよかった。

これでフレデリック様は私達から自由になり、きっといずれ本当に愛する人と幸せな結婚をする事が出来る。


心からそう思った時でした。



「だったら、テレーズ、君との『離』婚約は破棄させてもらう!!」


「……はぁ???」


フレデリックが突然訳の分からない事を仰いました。

余りに訳の分からない展開に、思わず間抜けな声が出ます。


『離』婚約を破棄???



「ずっと三人で一緒にいよう!!」


そう言って手を広げて見せたフレデリックの腕の中に、リリーシャが歓声を上げながら迷わず飛び込みます。


「フレデリック様?! い、いけません!! 私、本当に貴方には幸せになっていただきたいんです。だから……」


『破棄だなんて絶対ダメです』


そう言おうとした時でした。


「どうしても離縁だと言うなら、リリーシャはオレが引き取る。リリーシャと引き離されたくなければ……どうか、これからもずっとオレの傍にいてくれないか?」


またしてもフレデリック様が、酷く不安気に瞳を揺らしながら、私が考えもつかなかったような事を仰いました。



「卑怯は百も承知だ。でも、誰かを本当に守る為には心を鬼にせねばならぬ時もあると言ったのは、そのために相手が何をされれば一番嫌なのか考え優位に立ち回れと言ったのは君だろう?」


フレデリック様はそう仰ると、私がフレデリック様の事を思い身を引く前にさっとその手を伸ばし、私をその腕の中にリリーシャ共々優しく優しく閉じ込めてしまわれたのでした。







◆◆◆◆◆◆


初めてテレーズを見たのは、休日に一人街を歩いていた時のことだった。


栗色の長い髪に、大きくパッチリとした揃いの色の瞳。

凡庸な色合いでありながら愛らしく清純そうなテレーズに、一目でどうしようもないくらい心奪われた。


しかし、その直後だ。

駆け寄ってきた幼い少女が彼女を


「お母様!」


そう呼ぶのを聞いて酷く驚いた。


それと同時に。

『清純』と感じた事に対し何故か勝手に裏切られたような気になって、妙に彼女の事を腹立たしく思った。



それから間もなく。

ルーク様の護衛としてついて行った先の学園で、思いがけず再び彼女を見つけた。


身持ちが悪いのであろう。

全く相手になどされていないのに、彼女はルーク様と懇意になろうと一人躍起になっていた。


それが鼻に付いて他の令嬢からの嫌がらせを受ける彼女の事を、オレはしばらくの間、周囲と同じように冷ややかに傍観していた。



略奪を試むような女など、どれだけ容姿が好ましかろうと願い下げだ。

そう思っていたはずなのに……。


はたから見れば酷く滑稽でありながらも、どこか常に一途さを感じさせる彼女の姿に無性に惹かれ、いつの間にか彼女の事を眼で追うようになっていた。



そんな時だった。

何を思われたのか。

ルーク様の婚約者であらせられるレティシア様が、彼女の素性と彼女の真の目的を何故かオレだけに明かした。


彼女が血の繋がらない娘の為に孤軍奮闘していたことを聞いて、テレーズに対し酷い誤解をしていた事を心から申し訳なく思った。

それと同時に、彼女の一途さに感じたちぐはぐさは、彼女が真に愛しているのはルーク様ではなく、血の繋がらない娘だったのかと納得した。


『贖罪の為、彼女に何がしてあげられることはないだろうか』


そう考えた時だ。

突然、レティシア様から男爵家を守りたければテレーズと結婚するよう言い渡された。



贖罪の事などすっかり忘れ、浮かれた気持ちで、彼女にプロポーズした時だった。


「二、三年我慢すれば男爵家を残しつつ、また独り身に戻れる?」


考えて見れば当然なのに、彼女にとってオレとの結婚は『我慢』するべき事柄なのだと知って、また勝手に酷く落ち込んだ。

恋心というものはいかんせんオレの手にはどうにも余るものらしい。







真っ白なドレスをその華奢な身に纏い、戸惑うように曖昧に微笑む彼女は、まるで地上に堕とされた天使のようだった。


式の途中の事だ。

落ち着かない様子の彼女を見て、彼女がオレからのプロポーズを受けた後、


『神の前で永遠の愛を誓い合う神聖な行為を二回も道具の様に割り切り、踏みつけにする私は……、きっと生涯誰かから唯一無二の存在として愛される事はないでしょうね』


そう言って、悲し気に目を伏せた事を思い出した。



彼女は愛を誓う行為を踏みつけにしてきたと言う。

しかし彼女はいつだって結婚の誓約の裏側で、血も繋がらないリリーシャに永久の真実の愛を誓って来たのだろう?


だから……。

この結婚には期限があり、そして彼女がオレなんかを愛していない事は百も承知の上で。

オレは彼女の健気さに報いる為、唯一無二の存在として彼女を生涯心から愛する事を、一人神に誓ったのだった。







テレーズとリリーシャとの生活は、家族との縁が薄かったオレにとって、くすぐったく感じるくらい甘やかで、そして温かなものだった。


またテレーズは、やはり初めて見た時にオレが思ったままの人だった。

テレーズのその愛情深くも清純な姿に、共に過ごす時間が長くなればなる程、自分の思いが募っていくのが分かる。



一方、自分なりに懸命に努力したつもりではあるが、残念ながらオレ一人の力で男爵家の財政が持ち直させる事はどう足掻いても無理だった。


このままでは男爵家取りつぶしの通達が届くまで時間の問題だ。

どうしたものかと頭を抱えた時だった。


テレーズが王家に離婚の打診をした事を知った。





テレーズとリリーシャの事を思えば手を離してやらないと。

最初からその約束だったじゃないか。


そう頭では分かって納得しているのに酷く胸が苦しい。


それでも、


『どの道、悩み苦しんでも、きっとオレは最後には彼女達の為と思ってこの手を離すのだから』


と、これまでのように早々に割り切って二人に別れを告げようと思った時だった。


リリーシャが


「お父様大好き。これからもずっとリリーシャとお母様と一緒にいてね」


そう言ってそっと自分の方に凭れながら愛らしく笑ってくれた。


それが嬉しくて、これまでの自分の努力が全て報われたような気がして……。

諦めるのではなく、二人の幸せの為、自らの意思で彼女等の手を離す事を決めた。


その時だった。


テレーズに怪我を咎められ、そして時には心を鬼にする事も大切だと諭された。



「だって私……リリーシャと同じ位フレデリック様には幸せになってもらいたいんですから」


そんな事を言われ、驚くとともに思わず鼻の奥がツンと痛くなる。


優しさが正義だと思っていた。

誰かが幸せになってくれるのならば自分の我慢も報われると、常にそう思い込もうとしていた。


でもテレーズにそんな話をされ、


『誰かとオレ自身、どちらかを天秤にかけるのではなくその両方を幸せにする道があるなら……。オレは諦めることなくその道を探さないといけないのかもしれない』


オレは初めてそんな事を思った。







「テレーズ、君との『離』婚約は破棄させてもらう! ……だから、ずっと三人で一緒に暮らそう」


オレがそう言った時の、ずっと一人で肩肘張って頑張って来た彼女が思わず浮かべたその年齢相応にあどけない安堵の表情を、オレはきっと深い反省の念と共に、一生涯忘れはしないだろう。



君の心細さにもっと早く気づいてやれなくてごめん。


『二人の事は命に替えてオレが守るから何も心配しなくていい』


もっと早くそう言ってやれなくてごめん。



オレの為に身を引こうとする彼女の手を取り、そんな事しなくていいと腕の中に抱き寄せる。



「君を、そしてリリーシャを生涯無二の存在として愛し続ける事を、改めて誓うよ」


そう伝えて、まるで結婚式のやり直しをするようにそっと彼女の唇に口付ければ。

ずっと気丈に振舞ってはいたが、本来彼女は泣き虫なのだろう。

彼女の涙がシャツから染みて、以前よりちょっと上手く立ち回る事を覚えて包帯を巻かなくなったオレの肌を、温かくシドシドと濡らした。







******


『誰かと自分自身、どちらかを天秤にかけるのではなく、その両方の幸せにする道を探さないといけないとオレに教えてくれたのは、テレーズ、君自身だろう?』


そんなフレデリック様の言葉に背中を押され、『離』婚約は破棄する事に同意しました。



その後も何だかんだ言いつつリリーシャの為、フレデリック様はギリギリまで粘って下さったのですが。

結局、男爵家とのしての体裁を保てなくなった為、その後しばらくして爵位は国にお返しする事になりました。


それに関しては、良くして下さった奥様と旦那様に本当に申し訳なく思っています。


しかし、リリーシャは今日も幸せそうにしているので、きっとお優しかったお二人は許して下さるのではないでしょうか。





旦那様と奥様の墓前で、思わず泣き虫だった素の自分に戻りホロッと涙を零してしまったその時です。


「お母様? 泣いていらっしゃるの?」


あの時よりもすっかりお姉さんになったリリーシャがそう言って、


「リリーシャとお父様がいるから大丈夫よ。だから泣かないで、お母様」


傍で膝を突いてくださっていたフレデリック様と楽し気に二人で顔を見合わせ、私が大好きな無邪気な笑顔を二人揃って惜しげもなく見せてくれるものだから……。


私は、余計に幸せの涙を止められなくなってしまうのでした。







ちなみに☆


飛び級出来る程優秀な生徒は、学園には過去には一人もいなかったそうで……。


その功績を称え(?!)、私に代わりその夫であるフレデリック様が、男爵位をルーク様によって授与される事になるのですが、それはもう少し先のお話です。

最後まで読んで下さりありがとうございました。




******


レティシアとルークのお話は連載版の方に書いてあります。

よろしければそちらもお付き合いいただければ幸いです。

『 『離』婚約破棄 ~「お前との『離』婚約は破棄させてもらう!」「……はぁ??」~ 』


作者名、もしくはシリーズをクリックしていただけると見つかるかと思います。

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