外伝 ドリファス夫妻はあてられる
サブキャラで全然登場しないおじいさまだけど、本編より楽しんで書けてなやましい
乱雑に積み上げられていた本や木簡、書簡を机に並べてため息をついたのは老齢に差し掛かろうとする執事の男。
窓の外は月明かりのみとなるものの、その執事の主人作成した魔道具の明かりが室内を昼間のように照らしている。
執事の名前を、ドリファス=ファーライトという。ダランベール王家に代々仕える貴族の家系だ。
ファーライトの家は既に自分の娘に家督を譲っている、半引退気味の男である。
「さて、概要としてはこのようなものでしょうか。こちらの大陸とダランベールで言葉が同じなのは助かりましたな」
機密文書なのだろう。暗号で書かれたものもあり、自分の主である道長=ライトロードでは手に負えない書類も多くあった。
その手の書類の作成を手掛けた事のあったドリファスは、これらの書類の整理を代わりにあたっていたのである。
左手で本を開き右手でそれらを簡略化させる。
簡略化させるのが困難であったり、簡略化させていいものか分からない専門用語などが連なった文章はそのまま書き写している。
暗号の解読も同様だ。どうしても解読できないものや、恐らく暗号で書かれているであろう物語などもドリファスは発見しているが一旦後回しにして分かるものから片付けていく。
それらの書類を開き、別の書類に手をかけ、時には一度閉じた書類を再び開いての作業の繰り返しだ。
すべての本の内容を把握できるものではないが、いくつもの資料から重複している情報などをピックアップしたり、それぞれの資料に記載されている情報の真贋の見極めなども時には行っている。
「ふうむ、魔法陣というものだけは手に負えませんな」
魔法陣というものを完全にコピーするには慣れが必要だ。
自国のものならまだしも、他国のもの。それも錬金術師や召喚師などが扱う魔法陣だ。
ドリファスは戦いに身を置く人ではない文官の出の人間だ。しかも魔術的な能力も平均的である。
元文官であり今は執事と言う職に就いている以上、様々な知識を保持しているが、理解できないものも当然存在する。
特に魔法陣と呼ばれるものは、それを見ても何を表しているのか、同じ本の文章を確認してそれらがどの魔法陣を示しているかの確認程度しかできず、それらの魔法陣が正しい物かの判別も出来ない。
「あなた、そろそろお休みになりませんと。明日に障りますよ」
「ああ、そうか。旦那様の魔道具を使っていると時間の感覚がどうにもな」
自分の夫に限ってそんなこと起きる訳がない。そう理解しつつも、言い訳を大人しく受け入れるのはドリファスと共に長い時間を過ごしてきた妻だ。
「それで、資料の研究ははかどってるのですか?」
「そうさな。旦那様に見せてから初めて結果というものが出るのだが……」
芳しくない。そう表情が語っている。
「よろしくなさそうですね」
「進めば進む程、疑問が増える。これらの資料はあくまでも召喚に関する資料。送還に関しての資料は見つからないな……ハイランドは元々帰すという考えを持たずに勇者召喚を行ったのかもしれんな」
「それは、随分とその……高圧的なお考えだったんですね」
「何の説明もなく人間を呼び出し、帰す手立ても示さずに……果たして呼び出された人間はどのような感情を抱くか。その程度の事を誰も考えつかなかったとは思わぬがな」
「隷属魔法を使う予定だったのでは?」
「それも一つの考え方だが、無理矢理いう事を効かせるのは正直効率が悪い」
ダランベールにも奴隷はいるしドリファスも見た事はある。
だが奴隷達には簡単な肉体労働くらいしかさせられないのだ。
隷属魔法という手段を用いても、本人の意思が伴わなければ十全な結果を生まないからである。
「黒竜王との戦いの為に勇者召喚を行ったのですよね?」
「そう書かれている書物がほとんどであるが、どうにもな……」
「何か気になる事でもございましたか?」
「ああ」
真剣な視線でいくつもの書類を並べるドリファス。
あくまでも旧ハイランド王国の情報であり、現在滞在しているシルドニア皇国の歴史に関する部分ではない。
だがこのシルドニア皇国というのはハイランド時代の人間の血筋が色濃く残って出来た国だ。
国家機密のレベルでの話になるかもしれないと、ドリファスは思案顔である。
「では、どうなさるのですか?」
「旦那様のご判断に任せるより他はあるまいて」
真面目な顔で答える夫に苦笑してかえす妻。
「あらあら、随分と入れ込んでますわね。珍しい」
「色々と主を持ったが、旦那様は毛色が違うからな。これまで一緒に過ごした時間は長くはないが、ここ何カ月かは楽しい毎日を過ごさせてもらっている」
道長はダランベールはおろか、この世界の人間ではない。
自分の常識ではかれる人間ではない。
特異な才能を持つもそれに驕ったりもせず、何事にも全力で事にあたる。目的に邁進する姿はドリファスから見れば好印象だ。
「別の大陸に連れて来られた時にはなんの冗談かと思いましたよ?」
「私もだ。巻き込んですまんな」
「今更です。それにこちらの事を知るのもなかなか面白いですよ」
ドリファスの妻も立派な貴族夫人だ。
シルドニアで活動する以上、情報収集は怠らない。
「ダランベール特有の料理もですが、奥様方の知られる様々な甘味が皆様のお口を滑らかにしてくれますからね」
口元を抑えながら、上品に笑う。
「しかし、旦那様がお料理を作られるのがあそこまでのレベルだったとは思いもよりませんでした。あなたもずっと黙っていたなんて人が悪い」
「べ、別に黙っていた訳ではないぞ? そもそもだ、旦那様に調理場を任せるのは反対なのだから」
「では次の機会ではあなたはお預けですね」
「それはないだろう!?」
道長は知識さえあれば普通の人間よりも2,3桁上のレベルで物を作ることが出来る能力を持つ。
【作る】という行為すべてにそれが適応されるので料理の出来も頭のおかしいレベルになるのだ。
最近は自分の装備や自分の妻達の装備、従者達の装備の充実化を図るためそちらばかり作っているが、たまに妻達のためにお菓子や食事の準備をすることがある。
そのおこぼれに預かれるのは、ほんの一握りの運がいい使用人達。
「旦那様は何を目指しているのでしょうね」
「少なくとも料理人だけはないぞ」
「非常に残念ですね」
「……そうだな」
ドリファスも道長に胃袋を掴まれた人間の一人だった。
そんな自分の夫の様子に苦笑いを落としつつ、夫の寝台を整え始める。
「今日はもうお休みくださいな」
「ああそうだ。明後日は休みを取れたんだ、ハイナリックを回ろうと思うのだが」
「それは私の休みも調整してくれた上でのお誘いですよね?」
「もちろん」
「では久しぶりに、デートと洒落込みましょう。まあ護衛は付くでしょうけど」
「で、デートなどと」
この歳になって妻の口からデートなどという言葉が飛んでくると思っていなかったドリファスが言葉を失う。
「ふふ、奥様方にあてられたみたいでしてね」
ここのところ忙しく、満足に自分の妻の顔を見ていなかったドリファスだが、妻の顔を見るとどこか若返ったような錯覚を覚えて……口元に笑みを浮かべる。
そして自分と同様に、皺が随分と増えた彼女の手を取って言う。
「……ハルティア嬢、私とデートへ行きませんか?」
「大変うれしゅうございます。ですが、わたくしでよろしいのですか?」
「貴女と、行きたいのです」
そんなやり取りをした後、お互いに目を向けあい、互いに小さく笑いあった。




