6話:≪水瓶の迷宮≫
ようやくダンジョンです。
ダンジョンへ足を踏み入れると、ひんやりとして湿り気のある空気が俺の身体を包む。
壁に触れればわずかに水が流れており、このダンジョンの名前の由来にもなっている。
そもそもダンジョンの名前というのは発見された後で勝手につけられているもので、そのダンジョンの名前を見ればおおよその特徴がわかるようになっているのだと、ギルドのガイドブックに書いてあった。
ダンジョンの成り立ちはまだ不明な部分がほとんどだから過信するのもよくないが、ここ≪水瓶の迷宮≫のように踏破済みのものに関して言えば、信頼していいだろう。
「……ん」
微弱な魔力反応に気づき、通路に視線を戻す。
青緑色の透き通った半球体……つまりはスライムがぽよぽよと跳ねているのが見えた。
もにもにしていて非常に愛らしいがあれは威嚇行動だ。つまり。
「うわっ」
ぽよんっ、とひときわ大きくたわんでからスライムが飛び掛かってくるのを避ける。
スライムは獲物を丸呑みしてそのまま消化するという原始的な生き方をする魔物だが、その分、顔などを襲われると酷いことになる。酸を皮膚にぶちまけたらどうなるか。そういうことである。
「貫き凍てよ。≪氷矢≫!」
スライムが再び襲ってくる前に、魔法を叩き込んでやる。
各属性の初歩魔法は詠唱せずともある程度扱えるが、野良の魔物とダンジョンの魔物の強さがどれくらい違うのかわからない以上、少しだけでも精度を上げておいた方がいい。そう思っての簡易詠唱だったが、ぴくりとも動かなくなったスライムを見て、ここなら問題なさそうだと判断する。流石、最低ランクの冒険者でも挑戦できるダンジョンだ。
そういえば魔物の素材は正しく採取すれば売れるのだったか。冒険者の生計を主に支えているのが、依頼の報酬の他に魔物素材の売却である。魔物の素材は武器や防具に使われるほか、薬にもなったりする。
魔術的な触媒に必要だったり、毒薬の調合に用いたり、その辺りは俺も触ったことがあるからある程度何が使えるものかはわかる。
ふと、魔術塔所属時代のことを思い出す。当時の先生は驚くほど厳しくて、少しでも内臓を破いたり骨を折ったりすると烈火の如く叱ったのだった。おかげで何度も何度も解剖をやり直させられるはめになった。
瓶のふたを開け、中をスライムで満たす。
スライムは万能だ。よく燃えるしよく凍る。属性の力に影響されやすいので加工しやすく、様々なものになる。
死体を口にしても溶かされる、なんて心配はないので、ポーションの基礎材料によく使われる。それから、たいまつにもなる。液体にしたスライムを布にしみこませて巻いたり、そもそもゲル状のものをそのまま棒切れに塗りたくって火をつければ簡単に燃える。実に便利である。あまりにもよく使うので、家でスライムを飼っている錬金術師も居るらしいというくらいだ。
素材の収集が済んだので立ち上がってまた歩き出す。
探知魔法で自身を中心とする一定範囲の魔力反応を見つつ進んでいく。
勇者一行として旅をしていた時は、索敵はクルスが一手に担っていたから俺はほとんど探知系の魔法は扱わなかった。というよりも、索敵範囲に引っかかる前にクルスが気づいてしまうので俺の出る幕は無かったのだ。
遠くで剣戟の音がするのを聞きながら杖を構えた。魔物だ。
今度遭遇したのはゴブリンが二匹と、スライムが一匹の群れ。
ゴブリンの構える、矮躯に見合わない刃こぼれした長剣は、おそらく死んだ冒険者のものか、あるいは捨てていかれたものだろう。
「ギギギッ」
「ヤッ、ヤッ、ギギッ」
濁った耳障りな声を上げながらゴブリンらが突撃してくる。
「≪氷矢雨≫!……っとと」
まとめて片付けようとして、運よく氷の雨をすり抜けたスライムの一撃をぎりぎりで躱す。油断した。
避けた勢いのままにスライムの方へ向き直って、魔法を一発放ってやれば、今度こそ倒すことができた。
「……ちょっと危なかったな、今の」
今までの人生で、敵と戦うときには「仲間が居る」というのが、俺の中で前提になっていた。
盾を張れる先輩魔術師が、聖盾を持ったカインが、結界を作れるエレオノーラが、糸で妨害をするクルスが守ってくれていたから、俺は敵を殺すための魔法を詠唱することに集中できた。そして自身が防御魔法を使うのは、自分以上に仲間を守るためだった。
これからはその前提を覆さないといけない。魔物を倒せる威力はすでに持っていても、身を守れなければ簡単に死ぬ。
「ソロでの立ち回り、覚えていかないと、だな。……よしっ」
死ぬのは怖い。怖いなら、死なないために努力すればいい。
ひとまず目先の目標ができたので、気を取り直して素材の採取に掛かった。
ダンジョンを歩き回り、魔物を見つけては殺す。
振るわれる切っ先を、飛来するスライムを、掻い潜っては殺す。
背中を守る誰かはいない。屍を拾う誰かはいない。
以前よりも素早く、以前よりも正確に。なぜなら死なないために。
高速で魔力を構築し、急所目掛けて放つ。頭が焼ききれそうだった。
だがこれに慣れていかねばならない。大変だな、とぼんやり思う。
いくつかの傷を負い、そろそろ帰ろうかと思案する俺の耳に悲鳴が届いたのは、ダンジョンに入ってから七度目の戦闘が終わった時の事だった。
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