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1-13

 日は既に落ち、祭りも終わりを迎えた頃、ノアは背中を襲った鈍い痛みで目を覚ました。


「起きろ無能。明日の朝までに全部洗っとけよ」


 ノアの背中を蹴りつけた男はそう言い放ち、返事を聞くこともなく小屋から出て行った。いつもであれば男の気配が完全になくなるのを待つのだが、ノアは藁の中から這いずるように抜け出し始める。


「お腹減ったな」


 男が入ってきたときから漂ってきていた食事の匂いに、ノアの腹が音を立てる。彼はその匂いのする方へと移動し、男が洗っておけと言ったものを手探りで探す。小屋の中に灯りなどあるはずもなく彼の目には何も映らないが、狭い小屋の中ではすぐに木の器に触れることができた。彼は食べ残しを指でぬぐい取るように掬い、口へと運ぶ。


「……美味しい。今日はご馳走だったんだ」


 腹ばいの姿勢だったノアは器が積まれた前に座り、さあ食べようとしたとき──突然小屋の扉が開いた。びくりと震え、硬直するノアに、まだ幼さが残る男性の声がかけられる。


「ノア、飯持ってきたぞ。一緒に食べようぜ」


「……ベアト?」


「遅くなってごめんな」


 ノアはふるふると首を横に振る。ノアにとって、ベアトはこの村の中で唯一の友人だった。残飯程度しか与えられていなかったノアが今まで生きてこられたのは、ベアトがこうして食事を持ってきてくれていたからであった。


「この鹿の肉は神官様の従者が狩った魔物らしいぜ。めちゃくちゃ強そうな犬人族でさ。親父が勝てんなんて言うのを聞くなんて夢にも思わなかったよ。それでさ……」


 音が漏れないよう小声で延々と喋り続けるベアトの話を横耳で聞きながら、ノアは貪る。詰め込みすぎた食事を水で流し込み、また詰め込む。数人分はあろうかという量を食べきったノアは、改めてベアトに頭を下げた。


「ありがとう。こんなにお腹いっぱいになったの久しぶり」


「今日は大盤振舞だったからな、ちょろまかすのも簡単だったんだ。それよりさ、神官様に会いに行かないか? あの人ならきっと相談に乗ってくれる」


「……ベアトは儀式を受けたの?」


「ああ、錬金術師ってのを授かったよ。ほんとは戦士とか剣士とかが良かったんだけど、しゃあないな」


 やれやれと言った様子で肩をすくめるベアトに対し、ノアの瞳はこれでもかというほど見開かれていた。


「錬金術師……か、よかったね。でも、僕は器を洗わないといけないから」


「二人でぱぱっと終わらせればいいだろ?」


 どうにか説得しようとするベアトだが、ノアは首をふるふると横に振る。


「神官様に会いに行ったことなんてのがバレたら、殴られるじゃ済まないよ。黙って言うことを聞いておけばたまに小突かれるくらいで済むし」


「……そんな。もしかしたら、職業が機嫌を直してくれるかもしれないじゃんか」


「職業が機嫌を直してくれたとしても、僕は所詮【農民】。うちの連中が、今更そんな僕を受け入れると思う? 何年間もこれだけ酷いことをしてきた人たちと元の関係に戻れると本当に思うの?」


 ノアはじっとベアトの瞳をのぞき込む。ノアのうつろな瞳から一片の希望すら感じることができず、ベアトはごくりと生唾を飲み込んだ。


「……じゃあどうするんだよ」


「何もしないよ。言われた雑務をこなして残飯を貰って生きていくだけ。ベアトとたまに話せる時間があればよかったんだけど、それもなくなるかもしれないね」


「っ! なんでだよ──もがっ!?」


 つい声を荒げてしまったベアトの口を押え、ノアは耳をすませて外の気配を探る。


「……ベアトは、この村にとって錬金術師って職業がどれだけの意味を持つのか分かってない。密会してるのがバレたら、呪いがうつるとかなんとか言われて僕なんて殺されちゃうかも」


「……そんなこと俺が絶対させないから」


「ありがと。じゃあ、僕は皿洗いに行くから」


 ノアは立ち上がり、器を籠に放り込んでいく。さらに、小屋の外に積まれていた衣類を見つけると、ため息をつきながら籠の上に載せ、村の中を流れる小川へと向かって歩き始める。ノアの突き放すような声に、ベアトはその姿をただ眺めることしかできなかった。


 木々に囲まれた小川のほとり。他人の目につきにくいが、月明かりが照らしてくれるそこは、ノアがよく利用する場所であった。冷たい水にかじかむ手で彼が水仕事をもくもくとこなしていると、近づいてくる足音が聞こえてきた。


 ノアは洗い物を切り上げ、籠の中に器や衣類を急いで詰めていく。祭りの後だということが、彼の恐怖を強くさせていた。酒に酔った者がしばしば加減をなくすことを知っていたからだ。


 全てを詰め終え、ノアは気配を消して立ち去ろうとする。しかし、彼が暗闇の中で一歩を踏み出すよりも一瞬だけ早く、彼の背中に若い女性の声がかけられた。


「待って!」


     ◆


「待って!」


 私は、逃げるように去ろうとした彼に向けて叫んだ。ベアト君が突然訪ねてきたのにはびっくりしたけど、まだいてくれてよかった。


「あなたがノア君ね。私はシェリィ。少しお話してもいいかしら?」


 暗がりでじっと固まっている彼に、出来るだけ優しく、ゆっくりとした口調で声をかける。ルゥやパステルに頼めば無理やり捕まえることは簡単にできる。でも、それだと意味がない。


「こっちに来て?」


 ノア君はしばらく動かなかったが、私は彼の返答をじっと待った。やがて、彼はゆっくり振り向き、陰の中から姿を現す。月明かりに照れされた彼の痛々しい姿に、私はひゅっと短い息を呑んでしまった。


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