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起床

4話


「あら……今夜のお客様は誰かと思えば、急に消えちゃった坊やじゃない」


 女は目を糸のように細める。大きなマスクで目以外の顔の全ては覆われ、その表情は見ることはできないが、マスクの下で大きく口を歪めている姿が思い浮かぶ。


 女の印象は人の形でありながら、さしずめ蛇といったところだ。女の纏う雰囲気も、細いのに直視すれば背筋が凍りつくような不気味な眼差しも、何もかもが俺とは何か存在であると告げている。


 右手には数日前と同じ馬鹿みたいに大きい銀色のハサミを持っている。その大きさからして、真っ当な使い方をするためではないことは一目瞭然であった。


「アンタ……何なんだ?ただの不審者なのか?」 


 拳を固く握り締め、少し後ずさりしながら、女に問いかける。


 我ながら馬鹿みたいな質問だ。

 だが、意外にも女は、浮かべた笑みをそのままに俺の疑問に答えてきた。


「何なんだ……ね。中々に核心を突いた質問じゃない。いいでしょう、答えてあげるわ。私は人間じゃあない。坊やたちとは何もかも違う化け物よ」

「人間じゃあ……ない?」


 その返答の突飛さに、一瞬頭が白くなる。確かに浮世離れしたその雰囲気は、本能的に危険を感じるものである。


 しかし、姿形はあくまでも俺と同じ四足歩行の哺乳動物でしかない。


 化け物っていったら、ぱっと思い浮かぶのは爪や牙の生えた怪物だ。眼前の女の姿は、思い浮かんだどのイメージにもまるで似つかわしくなかった、


「信じられないって顔ね。まあすぐにでもわかるわ。その身をもってね……」


 女はおもむろに、顔半分を覆う大きなマスクに手をかける。ゆっくりと露わになる顔の下半分。隠されていたその口元は──


「ねぇ……私綺麗?」

 口角から耳の辺りまで引き裂かれていた。

「く、口裂け女……」


 誰もが一度は聞いたことがあるであろう都市伝説。かつて日本中の子供たちは恐怖に陥れた存在が目の前にいた。

 その姿は、噂に聞く口裂け女の特徴そのものだ。


「あら、やっぱりその名前が知られているのねぇ」


 クスクスと肩を震わせ笑う口裂け女。

 それは確かに恐怖を呼ぶ光景であった。しかし、化け物というには足りないんじゃないとも思った。


 何故なら、口が裂けてる程度、何かの医療ミスなどで可能性はある。

 確かにその姿は不気味であり、イカれた野郎なのは間違いない。 


 しかし、周囲の文字化けした景色や、眼前に佇む口裂け女を見てもまだ、俺にはこの女が人ならざる化け物と信じることはできなかった。


「アンタ何が目的なんだ?こんな深夜に馬鹿でかいハサミ持って、ドッキリにしちゃタチが悪い」


「必死に冷静さを保とうとしているのかしら……可愛いじゃない。ところで私がどうしてこんな大きなハサミ持ってるかわかるかしら?」


 女はチャキチャキとハサミを鳴らしてみせる。大きさの割に軽やかな音がしんとした空間に鳴り響く。


 その様子に気を取られたほんの一瞬、視線を上げると、十メートルは離れていた筈の女が、突如として俺の目の前に立っていた。


「な──!」

「こうするためよ!」


 俺の顔目がけ、突き刺されるハサミ。

 間一髪のところで反射的に避けるも、ハサミは頬を掠め、頬肉を一文字に切り裂く。


「くっ──!」


 痛みに顔が苦悶に歪む。だがその痛みに気を取られる間も無く、女が突き刺すハサミは雨のように俺に降り注ぐ。


 何とかそれを躱し、女に背を向け全速力で駆け出す。

 既にハサミによって身体中は切り傷だらけだ。だがその痛みすら最早恐怖で麻痺している。


 とにかく逃げなくては。逃げ場なんてあるのかわからないけど、ここにいたら間違いなく殺される。


 混乱と恐怖が渦巻く脳内で、その確信だけがあった。


 人生で間違いなくベストを記録する速さで走り抜ける。 


 心臓は恐怖と疲労で破裂しそうだが、無理矢理にでも足を動かし続ける。


 顔だけを振り向け、背後を見ると、幸いなことに女はその場から何故か一歩も動いていなかった。

 

 理由は知らないがこのまま走り続ければ、数百メートルは距離を稼げる筈だ。──走っても走っても、辺りの景色が変わっていないような気もするが、そんなことに想いを馳せる余裕はなかった。


 あぁ……俺は本当に馬鹿だった。大した理由もない好奇心でこんなことに首を突っ込んだのが間違いだった。

 

 あの女は確かに化け物だ。それは何も見た目の話だけではない。ハサミを振り下ろすその目。


 それは蟻の巣に水を流し入れて遊ぶような純粋な嗜虐心に満ちた眼差し。そんなことをできる存在が化け物でなくて何であろうか。

 

 自分が先ほどまで抱いていた化け物という言葉への疑心。それがどれだけ甘い考えだったのかを身体中の傷を以って痛感した。

 

 とにかく人を探して助けを求めよう。こんな馬鹿げた状況だろうと走り続ければ必ず誰かはいるはずだ。


 何度も角を曲がり、女から少しでも遠ざかるように走る。

 背後を見ても、女の姿はない。


 十分は走ったか。どの程度の距離かはわからないが、かなりの距離を離したはずだ。


「しかし、一体ここはどこだ?」


 横に広がる景色に視線を巡らすが、その景色に見覚えはなく、そのどれもが相変わらず文字化けしている。


「あら、追いかけっこはもう終わり?」

 不意に耳元から聞こえたその声に、驚きと共に振り向く。


 ドン!と鈍い音がした。

 振り向いた視線の先にいたのは、涼しい顔で立っている口裂け女だ。その顔は血みたいな飛沫をたくさん受けていた。


 ──胸が熱い。痛い。熱い。痛い。

 視線を落とすと大きなハサミが俺の胸を深々と貫通していた。


「ごふっ──」


 口から大量の血の塊が吐き出される。女は勢いよくハサミを引き抜く。


 血みたいな、じゃあない。女の顔に撒き散らされていたのは、壊れたスプリンクラーみたいに俺の胸から撒き散らされている俺の血そのものだと気がつく。


「坊や知らないの?口裂け女は百メートルを三秒で走れるのよ?また逃げられるのも面倒だから、先に息の根を止めさせてもらったわ。私と同じように綺麗にしてあげるのはその後よ」


 薄れゆく意識の中、女の声が遠く聞こえる。最早思考を巡らせることもできず、意識は深い深い闇の中に落ちていく。


 ──俺は、白神凛はこうして死亡した。


 最後にたった一つだけ。呆気なかった、殺されるくらいなら殺せば良かったと思いながら。

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