暴食呪祭
じゅるり、ぶちっ、じゅるり。
激しい音を立てながら、その影は咀嚼を繰り返す。
その食べっぷりは正に獣の如し。大型の肉食動物ですら、食すのに数日以上は優にかかるであろうその肉の山は、たった一体の獣の牙によって、既に三分の一程に減っていた。
急いで食べすぎたか……そう反省するその口元はルージュを塗ったかのように真っ赤に染まっている。しかし自省を示したその喰いっぷりとは裏腹に、広げられた晩餐は綺麗に肉を剥ぎ、骨を残して食べられていた。
「すごい力ね、骨も肉も簡単に噛み切れる」
彼にそう語りかける者がいた。
彼は、その言葉を聞いて、少し得意げに答えた。
「これでも──私は神だからな」
淡い茜色に染まる夕刻の教室は、ある一人の食事によって、夥しい量の血肉によって、見るも無残な地獄と化していた。
「さあ、食事を続けましょう?」
「神隠しぃ?」
「そう、神隠し。女子中学生四人がね。数日前突然いなくなったらしい」
四月の終わりのこと。ゴールデンウィークを目前に控えた、春の陽気が心地よいある昼のことだ。
俺はそんな絶好のレジャー日和にも関わらず、そして高校二年生という身分にもかかわらず、学校をサボり、どこかに遊びに行くこともなく、この薄暗い喫茶店のカウンター席に腰掛け、胡散臭い話に耳を傾けていた。
カウンター越しに俺に語りかけるのは霧崎翔子。特殊な能力と幻創世界に侵入することができる俺と同種の人物で、過去に俺を救った命の恩人であるが、クールな性格で俺もその多くを知らない。
艶やかな長い黒髪にフランス人形のような容貌は、深窓の令人と呼ぶのに相応しい。しかし、身に纏った細やかな縫製の黒のワンピースを着た姿は、金持ちの旦那に早逝されてしまった若き未亡人といった出で立ちになってしまっていて、どちらにしてもこの喫茶店には似つかわしくないように見える。
二ヶ月前、俺は幻創世界という異空間に迷い込み、侵食者と呼ばれるある怪異の一つ——時代遅れの口裂け女に襲われ、一度命を落とした。しかし、どんな奇跡か俺は息を吹き返し、色々あって口裂け女は、この手で討ち取ったのだが、その際に暴走した俺の力を抑え込み、起こっていた様々な怪現象を説明してくれたのが彼女だ。
おそらくあの時彼女が現れなければ、俺は死んでいただろう。つまり俺の命の恩人というわけである。尤も、その出会いによって俺の日常は一変し、幻創世界と侵食者を巡る戦いに身を投じなければならなくなったのだが……
翔子さんは、俺に淹れたてのカフェラテを渡し、話を続けた。
「女子中学生の集団失踪なんてのは、それなりにセンセーションな事件ではあるが、まあ有り得ない話でもないだろう。私達の出る幕では本来ない。」
「じゃあ何で?」
「最初に言っただろう。神隠しさ。彼女たちはね、四人で、教室にいたのを複数人に目撃されている。証言によると、目撃されたほんの数分後に跡形もなく消えてしまったらしい。そして問題はそれだけじゃない。彼女らのクラスメイトの三分の一が後日、同じように消えてしまったんだ」
翔子さんは、自分の分のコーヒーを淹れつつそう語った。
なるほど。確かにこの現代社会で四人が影も形もなく消えるなんてのは有り得ない。加えてクラスの三分の一が失踪なんてのはかなりの大事件だ。学校という中にいて、直前に目撃者もいるというのに、人の手で影も形も残さず突然姿を消すなんてことは到底不可能だろう。
「つまり、そこで幻創世界に引きずり込まれたってことか……」
幻創世界——人々の噂や伝承が侵食者と呼ばれる怪物として力を持ち、具現化する異空間。俺たちが住むこの世界の鏡写しのようで、俺たちの世界を喰い尽くさんとする最も遠い世界。
「恐らくね。その最初に消えた四人の女子中学生は、消える数日前にこっくりさんをして遊んでいたらしい」
「こっくりさんってあの?なんか鳥居とか五円玉とか使うやつだよな?」
「そうだ。狐の神を呼び出す例のまじないさ」
随分と久しぶりにその名を聞いた気がする。
こっくりさん──机の上に、はい、いいえ、鳥居、男、女、零〜九までの数字、五十音表を書いた紙を置き、その紙の上に五円玉を置いて参加者全員の人差し指を添えていく。全員が力を抜いて「コックリさん、コックリさん、おいでください。」と呼びかけると独りでに五円玉が動き出し、あらゆる質問の答えをくれる──確かそんな感じだったか。
俺はやったことはないが、精神が狂うとかなんとかで、俺が通っていた小学校では禁止を言い渡されていた。
「でも、あれって確か無意識に誰かが動かしてる一種の集団催眠とかって聞いた気がするんだけど」
「私もそう思っていたさ。というか、本来は科学的に説明がつく非オカルト的な現象なんだろう。恐怖を抱いた潜在意識だとか、筋肉の無意識な動きがもたらすただの遊びさ。
でも今回は違った。何の偶然かわからないが、彼女たちは本当にこっくりさんと呼ばれるナニカを召喚してしまった。そしてこれは私の推測だけど、彼女たちはルールの一つである、こっくりさんに帰ってもらう儀式を行わなかった。それがファクターとなって幻創世界に引きずり込まれたんじゃないかな」
一通り説明を終え、翔子さんはようやく自らのコーヒーに手を付けた。
釣られて俺も少し温度の下がったカフェラテに手を付ける。
「それで……今回の目的はその消えた中学生の救出?それともこっくりさんとやらの討伐か?」
俺の問いかけに対し、翔子さんは唇に指を当て、少し考え込むような素振りを見せる。
「恐らく……彼女たちはもう生きてはいないだろう。幻創世界に入ったのが、昨日の今日とかなら希望はあったかもしれないが、今回は数日経ってしまっている。つまり、今回やるべきは、力を蓄えているであろう妖狐を確実に狩り、今後の被害者を発生させないことだ」
「妖退治……ねぇ。陰陽師になった覚えはなかったが」
俺は思わず軽い溜め息をつく。
この騒動に巻き込まれてから数ヶ月。
これほどに文明が発達した社会に生きているのに随分と童話じみたモノが多いもんだと呆れてしまう。
「それと、今回は白神。君一人で向かってもらう」
そんな俺の顔を素知らぬふりをして翔子さんは言った。
「え、翔子さんは行かないのか?」
「私は他にやらなくてはいけないことがあってね。色々と根回ししなくちゃいけないこともある。何よりも君は自らの力を使いこなし、一人で戦い抜く術を身につけなくちゃいけない。周りのためにも、自分自身のためにもな。それには私は邪魔なのさ」
「……」
彼女の眼差しは真剣なものだった。
確かに俺の力は未だ謎の多い力で、持ち主である俺にもその正体はわからない。
しかしとんでもないほどに強大で、使い方を誤れば、破壊と破滅を容易にもたらすものだということは俺でもわかっていた。
異論はなかった。その眼差しを深く受け止め、俺は頷いた。
最後に翔子さんは、呆れた心を隠そうともせず、馬鹿にするように言った。
「しかし君、ニュース見なさすぎじゃないか?」
話を終え、喫茶店を後にした俺は、事件が起きたという中学校を見に行くことにした。
外に出ると、やや雲が増えていたものの、依然として明るく、まだ夕暮れまでは時間がありそうだった。
直接切り込みに行くのはおそらく明日の晩になるだろう。
翔子さんは、それに向けて色々と根回しをしなくてはならないという。
なので、今見に行くのはほんの気まぐれに過ぎない。昼過ぎの人がいる状態の学校がどんな様子になっているのか気になっただけだ。
バスに乗って十数分。問題の中学校は、住宅街の中にある何の変哲もない公立中学校であった。年季の入った校舎の外観からして創立数十年以上の歴史があるだろう。
校門の前にはたくさんの警察やマスコミが集まっており、それに紛れて俺と同じく野次馬と思わしき、どこか浮ついた様子の人々も混ざっている。今はまだ授業中のはずだが、ここで下校する生徒を待ち伏せているのだろうか。
集団失踪とはいうものの、話を聞いた限り、学校側の落ち度はないように思える。しかし、未だ警察による捜査の手と、マスコミによるお茶の間への情報提供の手は伸ばされているようだ。学校の管理体系の追及や、生徒の交友関係などの恥知らずな詮索がしばらくは続くのだろう。
門越しに見える校庭では、体育の授業が行われており、多くの生徒が運動をしている。
いつも通りの日常の風景。そのように感じた。
学校という小さなコミュニティの中において、複数人が行方不明になるということは大きな衝撃を与える出来事だろう。しかし、内部であろうと、それほど交友関係のない者にとっては、一晩寝てしまえば忘れる程度の一時のゴシップ程度なのかもしれない。
小さくため息をつく。もし、このまま事を放っておけば、いずれ、この学校全てを消し去るほどの脅威がここを起点に始まるだろう。
だが、それを食い止めようが放置しようが、この学校の人間にも、外部の人間にもそれを知ることはできない。ほんの少しの寂寥を胸に、俺は中学校を後にした。
次の日の夜、俺は再び例の学校を訪れた。今日の目的は一つ、元凶と思われる侵食者を消すことだ。つまり、昨日の来訪とはまるで違う、命を懸けた殺し合いに来たのだ。
校舎の外壁に設置された時計に目を向ける。もうすぐ日付けが変わる時間だ。昨日見たときとは全く違う無人の学校は、不気味な雰囲気を纏っている。
夜遅くということで、流石に残って作業をしている教師やマスコミなどはおらず何故か警察の姿も見当たらず、すんなりと校内に潜入することができた。
尤も、普通ならば警備システムやらが働いてるのだろうが、そこは翔子さんによる根回しとやらが効果を発揮しているのだと思う。
無人の校舎を一人きり進んでいく。標的となる侵食者は突如現れるというものではない。今俺が歩いているこの校舎には直接的な危害は潜んでいないはずだ。
しかし、やはり誰もいない校舎は非日常的で、得体の知れない違和感を感じ、背筋に冷たいものが走る。
言うならば──そう、ついさっきまで元気だった人の死体を見ているよう感じだ。
活気を失い、無機質な建造物と化したこの空間は、異界としての風格を存分に持ち合わせている。
幻創世界の発生に関係があるのかはわからないが、怪異が潜むに相応しい舞台だと思う。
そんな事を考えていると、いつのまにか行方不明になった生徒達が最後にいたという三年生の教室に辿り着いた。中に入って見回すも、特に不審な点はなかった。
あくまで、外見的な話であるが。
窓際の中央あたりの席近く──その周辺は空間に軋みのようなものが存在していた。
綺麗に並んでいたものを強引に捻じ曲げたような、ノイズが走っているようなそんな感じだ。
幻創世界──その入り口がそこに存在するのは明白だった。
それに向けて手を伸ばし、目を閉じる。
全身の血の気がスッと引いていき、血液の代わりに氷水を流されたかのように身体が冷たくなる。
これが幻創世界に入る感覚。何度目かではあるものの、未だ慣れはしなかった。
ゆっくりと目を開けて、辺りを見回す。
教室に飾られた学級目標や掲示物、それら全ての文字がバグでも引き起こしたかのように文字化けを起こしている。
陰と陽、光と陰、俺たちが住む世界と映し鏡のような存在であり、殆ど変わりはないこの幻創世界において、最大の相違点がこの文字化けだ。
どういう理屈で起きている現象なのかはわからないが、この文字化けが、得体の知れない不気味さと、幻創世界に無事入ることができた安心感を俺にもたらしていた。
探索のために移動しようと足を上げた瞬間、バチャという音が足元で鳴り響いた。
ゆっくりと視線を降ろすと、そこには夥しい量の血溜まりと肉塊が散らばっていた。
「何だよ……これ」
あぁ──どうして気が付かなかったのだろう。視界はおろか、すでにこの空間は、赤が目に焼き付くほどの濃厚な死の香りで充満していたというのに




