第174の扉 太陽事変
「もう一思いに逝かせてよ! トドメをさしてくれよ!」
「落ち着けってぇ!」
リビングでは翼がいまだ末期。優一と彬人が必死に自殺を食い止めている。
「よく考えてみろよ。お前がいきなり綺麗なお姉さんにバックハグされて、口を塞がれたらどう思うんだ?」
「プシュゥ」
「だろ? 桜木の状態はそれに近いんだよ。びっくりしてあんなことになったんだ」
流石は学年主席。説明が丁寧で理論的である。彼の言葉を受けて、ようやく翼が落ち着いてきた。
「なるほど……」
「それに桜木はまだ恋を理解できないけど、お前は花火の時にその表情を見たんだろう?」
夏旅行最終日夜。『僕のことを好きですか』という翼の質問に、風花は表情で答えている。その表情は翼しか知らないものの、その後の彼の顔にモザイクが発生していた。それほどの表情だったのだろう。
「ぐへへっ」
「「うわ、キモイ」」
風花の表情を思い出したのか、再び翼の顔がモザイクに。優一と彬人が辛辣な言葉を放つも、それさえも彼の耳には届かない。
風花が恋を自覚する日が近い。そして、彼女の思い人は恐らく翼。彼らの恋の結末はどんな姿をしているのだろう。
「ぶへっ!」
翼がモザイクになる中、彬人の服に風花がボフンッと埋まった。その衝撃で前のめった彬人が翼と優一を押し、4人もろとも床に転がる。
「なんだよ、いきなり」
「えぇ、桜木? どうしたのだ?」
転がりながらも彬人を離そうとしない風花。腰の部分でムギュッと抱き着いている。彬人はのんきに鼻の下を伸ばしていたのだが、翼が殺気を放ってくるので顔を引き締めた。
風花は先ほどまで自室で太陽と話していたはずだが、どうしてこんなことになっているのだろうか。全く状況が理解できない。
「ぁぁぁぁ」
耳を澄ましていると、二階の部屋から太陽の悶えている声が聞こえる気がする。彼らに何があったのか。
「桜木さん大丈夫?」
「どうしたのだ?」
相変わらず彬人に抱きついて離れようとしない風花。事情を知っているであろう太陽を、優一が引っ張ってくると……
「ひ、め」
「や、嫌い、大っ嫌い」
「ぐ……」
風花の攻撃が太陽にクリティカルヒット。ふらつく足元を優一が支えた。風花は相当怒っているようだ。彼女がこんなに怒るのは、何とも珍しい。
「何をしたんだよ、太陽」
「実は、かくかくしかじかでございまして」
「「「あーあ」」」
事情を聞いた翼たちから揃って声が漏れる。風花を見てみると、まだほんのりと頬が赤く、瞳も潤んでいるようだ。彬人にピタッと引っ付いて離そうとしない。
「太陽やりすぎ」
「桜木可哀想」
「誠に申し訳ございませんでした」
優一と彬人にジト目を向けられた太陽が、土下座で謝罪する。
太陽は別に悪気があってやった訳ではない。恋心が疼いている今の状態が辛いだろうと、あんな強硬手段に出たのだ。しかし、結果は風花にもぎられて終了。心の蕾は固いらしい。彼女が恋を自覚するのはまだ先のようだ。
「桜木さん、太陽くんがごめんなさいしてるよ?」
「や、嫌い、大っっ嫌い」
「ぐ……」
翼が仲直りを促すものの、風花はかなりご立腹。太陽のやり方が荒過ぎたのだ。恋を自覚できなかった風花からすれば、たまったものではない。
「どうしたら許してあげる?」
「や、嫌い、大っっっ嫌い」
「あぁ……」
「桜木さん?」
「や、嫌い、大っっっっ嫌い」
「ぐぅ……」
翼の問いかけを全て拒否。彼女の言葉が太陽に突き刺さった。さらに……
「姫……」
「いや、触らないで、近づかないで」
「ぐはっ」
手を伸ばしてきた太陽を、キッと睨み付け、パシッと手を弾いた。彼女の言動でついに太陽が崩れ落ちる。彼にしては、今までよく耐えていた方である。
「あらら……」
「詰みである」
苦笑いの翼と合掌を捧げる彬人。そして、風花はもう太陽の姿を見たくないのか、顔を背けて彬人の服に埋まった。こうなってしまっては手の打ちようがない。
「優一、さん……たすけ、て、くださ、い」
今にも力尽きそうな太陽。息がか細くて、顔面が真っ青である。彼にとって風花の『大嫌い』は刃物そのもの。あんなに連発して刺されては、そろそろ死んでしまうのだ。そんな様子を見かねて、ついに優一が動く。
「なぁ、桜木」
彬人にしがみついている風花の前までやってくると、その背中越しに優しい口調で問いかける。
「太陽はちょっとやり過ぎたけど、胸が痛い原因を教えてって言ったのは、お前だな?」
「……」
「『本当によろしいのですね?』って太陽が確認した時に、頷いたのもお前だな?」
「……」
「どっちが悪いんだ?」
「……わたし」
優一の誘導で、風花が彬人の服から顔を上げる。そして、崩れ落ちている太陽の元へ。
「たぃよぅ」
「ひ、め」
「いろいろごめんなさい……それ、と」
「それと?」
「触っていいし、近づいてもいいよ」
「ひめさまぁぁぁ!」
ムギュっ! もう一度言う、ムギュっ!
太陽は風花が潰れるのではないかという位、力いっぱいムギュっと彼女を抱きしめている。風花は苦しそうに顔を歪めながらも、太陽の腕の中に大人しく収まっていた。
「いやぁ、お騒がせしました」
「お騒がせしました」
風花と太陽が揃ってぺこりと頭を下げる。風花の頬の赤みはもう落ち着いており、太陽に刺さったナイフも全て抜けた。二人とも完全復活である。そしてもちろん、風花の恋の蕾は胸の奥の奥へとしまわれた。
「あ!」
ぺこりと頭を下げていた風花だが、何かを思い出したようでトコトコと翼の元へ歩いていき、彼の正面に座り込んだ。翼が何事だろうと首を傾げていると……
「相原くんにお礼を言ってなかったの」
「お礼?」
「うん。セレナ島で(守るために)抱きしめてくれてありがとう。嬉しかった」
「プシュゥ」
「!?」
風花が肝心な部分を省略してお礼を告げたため、翼の顔が真っ赤に染まり頭から煙が発生。風花は彼の現象が分からなかったようで、再びパニック状態になった。
「なぜなの!? 相原くんが死んじゃう!」
「桜木、言葉はちゃんと使おう?」
「「南無」」
パニック風花の頭を撫でながら、優一が注意している。その隣では彬人と太陽が翼に合掌を捧げていた。
モザイク翼と恋心もぎり風花。
彼らの関係が発展するのはまだまだ先らしい。
「京也」
「……はい」
魔界王の間。真っ黒な壁、窓もない部屋、禍々しい気配の立ち込める空間で、董魔と京也が対峙していた。いまだかつてない緊張を感じ、京也の心拍数が跳ね上がる。
「面白いことを思いついたんだ」
「何でしょうか……」
ニヤリと笑いながら董魔が宣言し、京也に嫌な汗が広がった。董魔の言う面白いことは、大概京也にとっては面白くもなんともない。そして彼の予想通り……
「この薬を使って、姫の近くにいるあの小僧を消して来い」
董魔は真っ黒のおどろおどろしい液体が入った瓶を一つ、差し出した。その液体の中身を理解した京也が顔をしかめる。
「嫌なら私が行こうか」
なかなか瓶を受け取らない京也へ、董魔が威圧的に言い放つ。彼は言葉を発しただけなのに、心臓を掴まれているような恐怖が京也を襲った。
「……いえ、行ってきます」
苦し気にそう言うと、京也は瓶を手に王の間を後にする。命令は絶対。逆らうことは許されないのだ。




