第167の扉 独特な味
「何事でしょうか」
「あ、太陽お帰りなさい」
「ただいま戻りました」
風の国から帰国した太陽が、戸惑いの声を上げている。それもそのはず、彼の目の前には、真面目に課題を片付けている風花と、机に突っ伏してピクリとも動かない翼、優一、彬人の姿が。
「姫様、みなさんはどうされたのでしょうか」
「んー? 少し眠いから休憩するんだって」
「ソウデスカ」
風花本人は本当に休憩をしていると思っているようだ。彼女に悪意は全くない。しかし、太陽は彼らの手の近くに転がっている、一口しか食べられていないドーナッツを見て事情を理解。静かに合掌を捧げた。
「Excalibur!」
庭で彬人が剣を振り回している。風花の殺人ドーナッツから復活したようで、元気にアホ毛が動いていた。
「なんであんな殺傷力があるんだよ」
一方リビングでは優一が頭を抱えていた。
以前京也の誕生日パーティーで惜しみなく、その料理の腕前を披露してくれた風花。そこで自分の力不足を自覚してから、彼女は料理の勉強をしている。しかし、全く上達の兆しが見えない。なぜだろうか。
「太陽くんが一緒に作ればいいんじゃないの?」
翼が太陽に問いかける。太陽は風花の従者。家事全般はそつなくこなし、料理の腕前もピカイチである。そんな彼に教わればメキメキと上達しそうなのだが……
「……」
「太陽、久しぶりに一緒に作ろうよ! 私準備してくるね」
何かを悟ったように穏やかな微笑みの太陽と、無邪気にキッチンへ消える風花。彼女が『久しぶり』と言ったということは、以前一緒にクッキングしたことがあるのだろう。
「俺、結末が見えたから、彬人と一緒にエクスカリバーしてていい?」
「僕も行こうかな」
太陽の表情を見て、事情を理解した優一と翼。どうやら暗黒物質の生成は食い止められないようだ。
「んふっー」
翼と優一が遠い目をする中、キッチンでは髪を結んで丁寧に手を洗った風花がご機嫌である。久しぶりに太陽との共同作業で心が躍っているようだ。ちなみに彼女たちが一緒にクッキングをしたのは、翼たちが中央投下を習得したあたりが最後である。
「クッキーを作ります! いろいろ教えてね」
風花が鼻息荒く宣言している。太陽は執事なだけあって、料理関係の知識が豊富。風花の至らない技術などサポートしながら、料理を行うようだ。
「よろしくお願いします!」
「お手柔らかにお願いします」
二人でぺこりと挨拶するも、言葉が逆な気がする。ちなみに最初の発言が風花で、それに答えたのが太陽である。
「むふっー」
しかし、風花は特に気にしていない様子。材料をボウルの中に入れて、くるくるとかき混ぜ始めた。太陽はその様子を仏のような微笑みで眺め、自分も作業に取り掛かった。
「そう言えば、リミッター解除ができないんだけど」
「俺も」
庭にやってきた翼が優一たちに話を振る。
リミッター解除。以前、風花と太陽にやり方を教えてもらい、習得できるように修行中なのだが、難易度が高く全く習得ができない。
「焦らずにやるしかないよね」
「だな」
リミッター解除は身体と心を破壊する可能性のある諸刃の剣。焦って習得しようとして、第三段階まで踏み切ってしまっては大変である。
「よっし! やるぞ!」
「うん!」
焦らずに、ゆっくりと。風花を守れる力を手に入れられればいい。彼らは鋭い光をその目に宿して、練習を開始した。
「どうかな?」
「独特なお味でございます」
その頃、無事に暗黒物質を作り上げた風花。サクサクと咀嚼音を響かせ、太陽が犠牲となった。
「それは美味しいってこと?」
「独特なお味でございます」
「美味しくないの?」
「独特なお味でございます」
太陽はサクサクしながら、『独特なお味でございます』しか言わなくなってしまった。ついに壊れたらしい。
「相原くんたちにも食べてもらおうね」
「サクサク」
風花はそんな彼の様子に首を傾げるも、クッキーを丁寧にお皿に乗せていく。最初は手に傷をたくさんつけて苦戦していた料理。最近では技術は上達してきていた。
風花は自分の成長を感じていたのだが、気になることが一つ。
「昔は美味しくできてたのに、いつから『独特』になったんだろう」
太陽が犠牲になり続ける中、風花は自分の過去を思い出してみる。
以前京也の誕生日パーティーを開くきっかけになった記憶。その記憶の中で作っていたケーキは、美味しいと言って京也が食べていた。と、いうことはその後に何か原因があり、『独特』になったはずだ。
「……」
風花が真剣に自分の過去を思い出していると、太陽がポケットの中から優風にもらった心のしずくを取り出した。そして、音を立てないように風花の背後から近づいて行く。
「んー」
風花は太陽の行動には気がつかずに、引き続き自分の中の記憶を探っていく。
ケーキを作っている自分。色とりどりのフルーツ。美味しそうな生クリームとスポンジ。そして、その横には……
「ねぇ、太陽」
「はい」
風花は自分の過去をぼんやりと思い出しながら、太陽に話を振る。
「前に風の国で、京也くんにケーキを作ったことがあったでしょう?」
「そうですね」
「あのケーキは私と母様で作ったんだっけ?」
「そのように記憶しております」
風花の疑問に太陽は淡々と答えていく。彼のその声には、何の感情もこもっていない。驚くほどに無機質な声。しかし、風花は記憶を思い出しているので、彼の声の変化には気がつかない。そして、太陽は静かに風花の背後へ忍び寄る。
「隣に居たのは本当に母様?」
「そうですよ」
「違う人が居たんじゃないの?」
風花のその言葉を聞いた途端、太陽の身体から不気味に真っ黒の物が吹き出し、彼の身体が黒く覆われた。その気配に気がついた風花が振り向くと……
「ぇ……だ、れ?」
真っ黒な物を身体に這わせて、にっこりと微笑む彼の姿が。普段とは違う様子に一瞬フリーズしたが、身の危険を感じキッチンを飛び出そうと駆け出した。
「あいはr、んんっ!?」
翼たちに助けを求めようとした風花だが、後ろから口を塞がれ、羽交い締めにしてキッチンの中に連れ戻される。
「んんっ、んぅー!」
「お静かに願います。これ以上手荒な真似はしたくないのです」
風花がくぐもった声をあげながら抵抗するも、太陽の拘束は緩まない。がっちりと風花の身体を囲い込み、翼たちを呼ばないように口を塞いでいた。そして……
「んんっ!?」
ズボッと、風花の胸の中に手を突っ込む。彼の手の中には心のしずくが。
「んふぅ! むぅ、んんっ!」
「申し訳ございません。すぐに終わりますのでご容赦ください」
「んんんー!」
風花が暴れるも、彼女の力はかなり弱い。太陽の手が入った瞬間、ゾクリと不気味な物を感じて力が抜けたのだ。
太陽は構わず手を進めていき、5センチほど進むと指先にしずくを持ち変えて、風花の中に落とした。
「ん……」
それと同時に風花の動きがピタリと停止。太陽に身体を預けると、ゆっくりその瞳が閉じていく。そして、閉じた瞳からは一筋の涙が。
「ふぅ……」
太陽は風花の体内から腕を引っこ抜くと、額の汗を拭った。彼が纏っていた黒色の物は徐々に身体の中に仕舞われていく。
「え! 桜木さんどうしたの!?」
翼たち三人がそろそろ暗黒物質が出来上がっただろうかと思い、家の中に戻ってくると、ソファーの上でスヤスヤと眠っている風花の姿が。彼女はお菓子を作っていたのに、なぜこのようなことになっているのか、翼たちには全く理解できない。
「貧血です。すぐに意識が戻るでしょう」
太陽がにこやかに答えてくれる。お菓子作りの途中で意識を飛ばしたようだ。
「はぇ、貧血」
「ふ、鉄分の不足である」
翼と彬人が太陽の言葉を信じ、風花に心配そうな目を向ける中
「太陽、ちょっと来い」
険しい表情の優一が声をかけ、二人で部屋を抜けた。




