第165の扉 夏休みの魔物
「彬人くん、そっちに行ったよぉ」
「ふはははははっ! 任せろ、仕留めてやる」
颯の声に、アホ毛を楽しそうに揺らす彬人。魔王が如く笑いを響かせて、敵を仕留めようと動き出したのだが……
「くっそ、素早い奴め!」
「これはピンチだねぇ」
「あいつの動きを止めないと犠牲者が出るぞ」
「んー、困ったなぁ」
予想外の敵の強さに二人の心に焦りが滲む。じっとりと汗が滴り、諦めモードが漂い始めた。犠牲者の数は何名か。
「真面目にやりやがれ」
「痛いぃ」「痛いな!」
諦めモードの二人のもとへ優一が。そして、二人の頭に怒りの鉄槌を食らわせる。彼らが何をしていたかというと、戦闘中……という訳ではなく夏休みの宿題に取り組んでいたのだ。
夏旅行が終わり、数日が経過。みんなで夏休みの宿題をやろうと風花の家に、翼、優一、彬人、颯、うららの5人が集合。
学年主席の優一、トップ5のうらら。頼もしい先生が2人いる中、勉強会が開始した。
「んー」
「風花さん大丈夫ですか?」
「んー、もう少し自分で考えるの」
「分からなかったら声をかけてくださいね」
風花は数学の宿題に悪戦苦闘中。しかし、投げ出したりせず、自分なりの答えを出したいようだ。うなりながらも真面目に取り組んでいる。そんな彼女の少し向こうでは……
「神崎さん、これ塩酸を入れたら中和されるんじゃないの?」
「あ、これはひっかけですわ」
「!?」
翼がまんまと化学の問題に引っかかっていた。うららの解説で何とか答えにたどり着こうとしている。
うららの両隣で、翼と風花が真面目に課題に取り組む中……
「なぜ兄が動くのだ! 止まれよ、弟が追いかけてきているのだぞ。可哀想だろう」
「そうだよねぇ! 俺だったら弟が追いかけてきたら止まるよ」
優一の両隣で、数学の問題と格闘していた彬人と颯が騒ぎ出した。二人が格闘しているのは『先に出発した兄の忘れ物を届けるために弟が追いかけているが、弟が追いつくのは何分後でしょうか』という問題である。
「よし! 二人でこの兄を叩きのめしてやろう!」
「俺も同じことを考えていたんだぁ。そうしたら兄の速度はゼロだもんねぇ」
二人の中で『兄を潰す』という結論に至り、冒頭のやり取りに戻るわけである。彼らの真ん中で真面目に宿題をしていた優一からすれば、たまったものではない。
「方程式で解くんだよ」
「方程式、だ、と……」
「何それ美味しいのぉ?」
彼らの発言に優一が頭を抱えた。この二人は補修常習犯。授業をまじめに聞いていないのだ。そんな彼らが宿題をできるはずがない。
「神崎、席変わって」
「いやですわ」
うららが優一の要望を拒否。うららが両側にお利口さんの翼と風花を侍らせる中、優一ががっくりと項垂れた。
「私は仕事があるので、風の国に一旦戻りますね」
「うん、お仕事頑張って」
太陽が真っ白な風の国の上着を羽織りながら、風花に声をかける。
太陽は風の国の大臣兼風花の従者。彼は希少な扉魔法の使い手であるため、日本に居る間にも度々召集がかかるのだ。
見送ってくれる風花の視線を背中に、太陽が腕を一振り。桜の花びら模様の白色の扉が出現し、中に消えていった。
「は! 桜木、これをやるよ」
「ん?」
太陽の姿が消えると、思い出したように彬人のアホ毛がぴょこぴょこと揺れ始めた。一同首を傾げながら、彼の様子を眺めていると……
「テレレレッテレー! 心のしずく!」
「ドラ○もんみたいに言うなよ。それと最初に出しやがれ」
ガサゴソと鞄を探り、出てきたのは風花の心のしずく。どうやら、彬人の家の近くに落ちていたらしい。鞄の奥深くに入り込んでしまったので、風花は気配を感じられなかったようだ。
優一が頭を抱える中、風花は両手で心のしずくを受け取る。彼女の中に今回戻る記憶はどんな記憶だろうか。風花は柔らかな微笑みでしずくを眺めている。
「今から入れるね」
風花は早速胸元に心のしずくを持ってきた。すると、しずくが暖かな光を放ちだし、ふわりと風が吹く。風花の髪が嬉しそうに踊り、胸の中へと入っていった。そして、彼女の瞳から一筋の涙が。
「?」
幻想的な風花の様子に一同は見惚れていたのだが、涙を拭いた風花が首を傾げた。
「どうしたの、桜木さん?」
「何も、思い出せなかった」
風花が寂しそうにポツリと呟く。
風花の心のしずくの中には感情と記憶と魔力の3つが入っている。しずくを胸の中に入れると、その中の過去の記憶が風花の頭の中を駆け巡るのだが、今回のしずくからは何も入ってこなかったらしい。頭の中に白色の霧がかかっているような感じだったようだ。
「何でだろう、今までこんなことなかったのに」
「そのうち思い出せるかもしれませんわね」
「おぉ! そうかも!」
うららの言葉で風花は納得したようだ。ふんわりといつもの笑顔を浮かべる。
「……」
そんな彼女と対照的に、精霊付きたちの顔は重い。
おそらく今回の一件。取り戻したしずく一つ分の記憶が、封印対象となったのだろう。太陽が心の器にかけた魔法により、風花の記憶は閉じ込められた。彼女は何を隠されているのだろうか。
「神崎、ちょっといいか」
風花が課題を再開する中、優一がうららを呼び、リビングから抜け出した。翼たちが彼らの背中を見送り、再び課題に集中し始める。
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「封印のこと、お前はどう思う?」
「おそらく、風花さんは自力で魔法を解くのでは?」
「そうだよな……」
今回の記憶の違和感。うららの言葉で風花は納得したようだが、今後心のしずくを集めていけば、自分の記憶の違和感にたどり着くだろう。太陽が隠したい事実はいつまで隠し通せるか分からない。
「太陽さんはもう気がついているでしょうね」
「何か手を打ったのか……」
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「ふぅ……」
パタンと扉が閉じると同時に、太陽の口から息が漏れた。彼が今いるのは風の国の王宮。全体的に薄ピンク色の柔らかい印象のする城で通称『桜城』
太陽は難しい顔をしながら、とある人物の部屋をノックする。
「あら、太陽くんこんにちは。どうしたの、今日は仕事ないはずだけれど」
彼が訪ねたのは風花の母親であり、風の国の王妃である優風。彼女は読んでいた書類から太陽へと目を移す。
「突然申し訳ございません。ご報告がありまして」
驚いた様子の彼女にぺこりと頭を下げて、今回の来訪の目的を告げる。
「タタン様に、姫のみが誘われました」
口を開いた太陽から出てきた言葉は、夢の国での出来事。夏休みに入る直前、風花は夢の国へ旅立っている。夢の国は、その国の人物が招かないと入国できない国。タタンは魔法を使って、太陽の入国を拒否、風花のみを誘った。
そして、そこで風の国の話をさせて、風花を泣かせている。京也のおかげで無事だったが、一歩間違っていれば、風花の記憶の封印が解かれていた可能性がある出来事だった。
「はぁ、タタン様は何を考えているのでしょうね」
太陽から事情を聞いた優風が頭を抱える。夢の国と風の国は親交が深いのだが、優風にもタタンの意図はわからないようだ。彼は一体何をしたかったのだろう。
「この件は私の方で何とかしましょう」
「ありがとうございます」
優風の言葉を聞いて、太陽の肩から力が抜けた。太陽にとって風花の封印は気がかりな種なのだ。心のしずくが全て集まるその瞬間まで、内緒にしなくてはいけないこと。風花が壊れてしまわないように、最後まで笑顔でいられるように……
「そうだ、これを渡しておくわね」
太陽が風花の未来に思いを馳せていると、優風の声が現実に引き戻す。目を映すと、優風の手のひらには心のしずくが。
「私の魔力も入れておいたから、消助ちゃんの時みたいに暴発することはないと思うのだけれど」
優風から心のしずくを受け取った太陽は、悲しげな瞳で見つめる。彼の表情の理由はなんだろうか。
「一度思い出しかけたので、間に合って良かったです」
「あの子意外に勘がいいわよね。気がつくのはもう少し後だと思っていたのだけれど」
「……」
真剣な顔をしながら自分の娘をディスっている優風。太陽はそんな彼女に苦笑いしか返せなかった。




