第141の扉 楽になりなよ
「さて、そろそろかな」
美羽が時計を見ながら呟く。ちなみに一葉はいまだ真っ赤。彬人の上着を抱え込んで、撃沈している。ぽぅ、と宙を見つめて、先ほどの感覚を思い出しているのだろう。何とも幸せそうな表情だ。
「本城くん、成瀬くん、ちょっと来てほしい所があるんだ」
「む?」「ん?」
美羽は教室で作業をしていた二人に声をかけ、隣の教室へと誘導した。彼女が不敵な笑みを携えていることに、二人は気がつけない。のこのこと美羽の背中を追った。
「「うげっ!」」
美羽が扉を開いた瞬間、二人の口から声が漏れる。そう、二人が連れ込まれたのは衣装部屋。そこには既に犠牲となった男性陣の屍が。
よく思い返してみると、最初に拉致された翼と颯から始まり、教室から男性陣の数が徐々に減っていたようにも思う。少しずつここに誘い込んでいたのだろう。
「ふふっ」
絶望する二人の後ろでは、美羽がパタンと扉を閉じている。完全に退路を断たれてしまった。優一と彬人の背中に嫌な汗が流れ落ちる。
「メイド服着てね」
「「やめろ、近づくな」」
美羽はジリジリと二人との距離を詰めてくる。相手は美羽、ただ一人。彼女を倒し、この教室を飛び出せば何とかなる(何ともならない)
「彬人、分かってるよな?」
「あぁ、ここで死ぬわけにはいかぬのだ」
いつになく真剣な二人。彼らの額にじっとりと汗が滲んだ。
「んふふっ」
優一と彬人の鋭い視線が美羽を射ぬくも、彼女は動じない。涼しい微笑みで二人と対峙していた。何か考えがあるのだろうか。彼女の微笑みには嫌な予感を覚える。
「「……」」
戦闘開始時のような緊張感が彼らを包み込む。息づかいしか聞こえない室内。溢れ落ちる汗。
緊張感が頂点に達した時、優一と彬人は姿勢を低くし、強行突破しようと構えた。しかし……
「「は!?」」
彼らが動き出そうと息を吸ったその瞬間、美羽がパチンと指を鳴らした。その音を合図にメイド服に身を包んだ、親衛隊が現れ、彼らを取り押さえる。屈強なメイド服戦士に押さえられて、優一と彬人は動くことができない。
「横山、てめーズルいぞ!」
「そうだぞ! 正々堂々、勝負しろ!」
納得のできない二人が喚くも、拘束の手は緩まない。美羽はそんな彼らの元へふわりとしゃがむと、耳元で囁いた。
「楽になりなよ」
その後、彼らの悲鳴が響き渡ったことは言うまでもないだろう。
一方、風花の家では
「はぁ、あっ、すず、らん、さん……んっ」
「そのまま奥まで入れてください。大丈夫、上手ですよ」
「んぅ……は、ぃ……」
太陽の額に無数の汗が滲み、苦しそうな声が響いている。二人がいるのは風花の家。彼女は今学校にいるため、家には太陽と鈴蘭の二人きりである。
「ぁぁぁ、も、ぅ……限界で、すぅ」
「あとちょっとですよ」
「えぇ……む、りぃ」
鈴蘭は口調も丁寧でおしとやか。しかし、結構スパルタなようだ。思わず太陽から敬語が抜けた。
「頑張ってください」
「っ、や……はぁ、はぁ、あぅ」
「太陽さん」
「んっ、んんー、もぅ、む、りですぅ」
鈴蘭の励まし虚しく、太陽はもう限界のようだ。汗が流れ落ち、眉間のしわが深くなっている。彼の様子に流石のスパルタ鈴蘭も諦めて、行為の中断を求めた。
「お疲れ様でした」
「はぁ、はぁ……んぅ、ありがとう、ございました」
太陽と鈴蘭が何をしていたかというと、人参相手に回復魔法を施していたのだ。もう一度言う、回復魔法を施していたのだ。
風花たちより年齢が上の彼らだが、ナニもしていない。健全に回復魔法の練習に励んでいただけである。
「ぁぁぁ……かなり、力を、使いますね」
太陽の手がぷるぷると震えている。先ほどの練習の後遺症だろう。
回復魔法はとても繊細な魔法。それ相応の魔力量と集中力が必要となる。人参相手といえど、バラバラになったその身体を繋ぎ合わせるのは容易ではない。
「次は少し細く魔力を込めてみましょう」
「は、い」
鈴蘭がアドバイスをしながら、人参を元通りにしていたのだが、太陽はかなりのみこみが早い。このペースならすぐにでも鈴蘭と同等、それ以上の回復魔法の使い手になれるだろう。風花を守りたいという気持ちの表れなのかもしれない。鈴蘭は二人の信頼関係を思い、目を細めていたのだが
「何だか、回路が詰まっているような感じがしますね。少しいいですか?」
「はい、どうぞ」
魔力は血液のように全身にいきわたっている。その流れを集中させることで魔法を発動させるが、太陽の場合、心臓付近に淀みが見えた。流石は高度医療の担い手ハナカラ族の一員である。魔力回路やその人の体調には敏感なのだろう。
鈴蘭は太陽の胸に手を当て、淀みを消せるように白い光を放った。
「ふふふっ、くすぐったいですね」
太陽は鈴蘭の光に身をよじるも、大人しく彼女の光を受け入れた。胸の中にポカポカとした温かい物が広がっていく。身体全体が暖かく、手足の先までゆっくり血液が満たされていくような心地よさを感じていた。しかし……
ゾクッ!
「!?」
光を放っていた鈴蘭だが、太陽から素早く距離を取る。太陽は彼女のその動作にコテンと首を傾げた。
「どうされたのですか、鈴蘭さん」
「太陽さん、あなたまさか……」
鈴蘭が紡いだ言葉の先を聞いた途端、太陽の身体からブワッと黒い物が溢れだす。黒い物は太陽の身体の周りを不気味に漂っていた。
「おや、気付かれてしまいましたか、流石ですね」
「あ、の……」
怯える鈴蘭に、太陽はニコリと微笑んでくれる。しかし、その微笑みは普段の優しい微笑みではない。鈴蘭は底知れぬ恐怖を感じた。
鈴蘭は太陽の回路の淀みを緩和しようと、魔力を流していたのだが、心臓部付近に達したとき、今までに感じたこともないような恐怖が彼女を襲ったのだ。
「風花さんは、ご存じなのですか?」
恐る恐る尋ねる鈴蘭の質問に、太陽は首を振った。風花はこの事実を知らない。彼が隠しているのだろう。それほどまでにこの事実は隠したいことなのだ。
しかし、それを今自分は知ってしまった。鈴蘭の背中に嫌な汗が流れ落ちる。
「太陽、さん」
鈴蘭は戦闘系の魔法は使えないし、戦闘経験もない。対する太陽は、剣術に長けており、かなりの魔力量を持つ。彼の腰には普段通り長剣が刺さっていた。
風花は今学校に行っている。翼たち他の精霊付きたちも同様。雛菊は風花と共に学校について行っている。今、この家の中には鈴蘭と太陽しかいない。
「ぁ……うぁ」
恐怖で鈴蘭の息が不規則に乱れ、心臓の鼓動が速さを増していく。
先ほどから太陽の身体から黒い物が溢れ出して止まらない。その黒い物体は次第に彼の身体を覆い尽くしていった。
鈴蘭は太陽の変わりようと、彼から放たれる不気味な気配に押されて、動くことができない。地面にぺたんとしゃがみこんで、怯え続けるしかなかった。
「秘密を知られたからには、仕方がありませんね……」
太陽はふわりと微笑み、黒い物を纏わせたまま、震えている鈴蘭へ歩みを進めた。




