第133の扉 ムギュっ!
「あれ、何とかしてやれ」
優一が指さした方向には太陽が。先ほど崩れ落ちた所から一歩も動かずに、突っ伏していた。大嫌いショックからまだ立ち直っていないようで、めそめそと泣いている。風花の顔が罪悪感で歪んだ。
「太陽……」
風花は翼の手を離し、太陽の前にしゃがみこむ。風花が手を離したことで、繋いでいたことを認識したのだろう、翼の顔が赤く染まった。しかし、風花は今それどころではない。
「ひ、め」
彼女の登場に太陽がようやく顔を上げた。その瞳からはポロポロと涙が。それを見た風花の口から苦しそうな声が漏れる。
「うぅ……」
ついかっとなって言ってしまった言葉なのだろう。本心ではないのだ。しかし、風花大好きな太陽には堪えたらしい。彼は風花が幼い頃から従者として遣えているが、大嫌いと言われたことがないのだろう。太陽の心はズタボロ。
「たいよぅ」
「ひ、め」
「猫ちゃん飼いたいって、わがまま言ってごめんね」
「姫、さま」
風花の言葉を聞いた太陽の涙が弱まる。しかし、まだ止まらない。うるうるの瞳で見つめていた。
「んぅ……」
風花はモジモジと唇を噛みながら、指をツンツンしていたのだが、太陽の瞳に射抜かれて、ゆっくりと言葉を紡ぎ始める。
「怒ってくれて、ありがとう、それと……」
「そ、れと?」
「……大嫌いって言って、ごめんなさい。本当は……」
「ほんとうは?」
「……大好き」
「ひめさまぁぁぁぁぁぁ!」
ムギュっ!もう一度言う、ムギュっ!
風花が潰れるのではないかという位、力いっぱいムギュっと彼女を抱きしめている。風花は苦しそうに顔を歪めながらも、太陽の腕の中に大人しく収まっていた。
「良かったな」
「ニャー」
優一の声に反応するように、子猫がニャーと嬉しそうに鳴いている。この猫は人間の言葉が分かるのではないだろうか。なお、翼はいまだ真っ赤になって動けない。
「いやぁ、申し訳ございません。取り乱しました」
どれくらいの時間彼らはムギュっとしていただろうか。太陽がやっと風花を解放し、翼たちに謝罪する。太陽は先ほどとは一変して、ニッコニコの笑顔だ。爽やかスマイル。
なお翼の顔の色も元通りに戻り、復活した。
「では、猫さんのご家族を探しに行きましょうか」
通常の彼よりも数倍テンションが高い気がする。風花と仲直りできたことが余程嬉しいのだろう。笑顔が眩しく輝いていた。
翼たちが太陽の笑顔に目を細めていると、玄関の方から何やら物音が。優一が扉を開くと
「お迎えが来たみたいだな」
「ニャー」
そこには三毛猫の一家が。母猫と子猫が他にも2匹いる。居なくなった子供を探していたようだ。これで無事に子猫は家族と再会を果たせた。しかし……
「お迎え」
風花の顔が明らかに暗くなる。自分の心の中で子猫と分かれる決意をしていたとはいえ、やはりその瞬間は悲しい。風花は翼が抱っこしている子猫に悲しい視線を向けていた。
「桜木さん、さようならしようか」
「……うん」
翼の言葉に風花は素直に頷いてくれる。もう我がままは言わないと決めたようだ。唇をギュッと噛んで、言葉を押し込めている。そして、翼の言葉に反応して、子猫が風花の方へ頭を差し出した。
「……バイバイ。遊びに来てね」
「ニャー」
風花が子猫の頭を撫でてあげると、気持ちよさそうに手にすり寄っている。やはり、この猫は人の言葉を理解できるのだろうか。
もし本当に理解しているのなら、風花のお願い通りまた遊びに来てくれることだろう。
「太陽、ちょっといいか」
「はい?」
翼と風花が三毛猫一家と戯れる中、優一が太陽を呼び部屋を抜け出た。
「来る途中に翼と話してたんだけど、俺たちにリミッター解除教えてくれないか。もっと強くなりたいんだ」
リミッター解除。魔法使い全員に備わっている制御機能、これを外すことにより爆発的な力を発揮できる。しかし、それは諸刃の剣。一歩間違えれば自我崩壊や自身の魔力によって身体が破壊されることも考えられる。
丹後での一件で、彼らは自分の弱さを自覚したのだろう。守りたいものを守るためにはまだ弱すぎるのだと。
「そろそろいいかもしれませんね」
太陽が考え込みながら、ポツリと漏らす。
翼たちの身体には元々魔力はなかった。心のしずくと共鳴した精霊が彼らに力を貸すことで、その体内に魔力が生成されるようになったのだ。つまり、身体が慣れていない状態でのリミッター解除は、風花の二の舞になる可能性が高い。以前バトル大会でリミッターを振り切った翼の身体に異常が起きていないので、おそらく大丈夫なのだが、慎重に修行をしていく必要があるだろう。
「次回から練習しましょうか」
「サンキュ」
太陽は頼もしい彼らに感謝しかない。自分の足りないところを見つけて、強くなろうと努力してくれる。守りたいものを守れるように、大切にしてくれる。風花は本当に良い仲間と巡り合えたな、と心から感謝を捧げた。
「それと……」
「はい?」
「いや、何でもない。戻ろう」
優一は何かを言いかけるも、口を閉じてしまった。何が言いたかったのだろうか。太陽は首を傾げるしかない。
「みけちゃん、バイバイ」
「名前付けてるやん」
優一と太陽が戻ると、風花が『みけちゃん』と命名し、お別れを済ませた所だった。恐らく、みけちゃんはまた彼女の元を訪れてくれることだろう。
遠ざかっていく猫たちの背中を見ていると、リビングの置時計が時を知らせる。
「あ、もう帰らないと」
「二人ともありがとう」
時計を見た翼が慌てて呟くと、風花と太陽が見送ってくれた。ドタバタした一日だったが、可愛い猫と戯れることができたし、太陽の珍しいシーンを見ることもできた。何かと頼もしく大人な彼だが、やはり風花が弱点のようだ。この情報は他のみんなとも共有しなくては、と優一が黒い微笑みを携えている。
そんな彼に苦笑いを零しながら、翼には一つ気になることが。
「そう言えば、クッキー食べなかったね」
「あ……」
みけちゃん騒動ですっかり忘れていたが、本来クッキー試食会のために翼たちは訪れていたのだ。無意識ではあるが、餌食にならずに済んだ。自然と二人から息が漏れ、お互いに握手を交わす。
「まぁ、太陽が全部食べるだろ」
「そうだね」
そして、今の太陽なら、たとえ風花の料理であっても、いくらでも食べてくれるだろう。むしろ、自分たちが食べるはずだった分も、彼に渡した方がいいかもしれない。結果的にこれで良かったのだ、きっと。翼と優一は歩きながら、太陽に合掌を捧げた。




