第122の扉 瞳の先には
「大人しくしてろよ」
「いやだ! 離してください!」
風花の叫び声も虚しく、クワが突き刺そうとしている注射器は止まらない。これが彼女に届けば、確実に攫われてしまうだろう。必死に抵抗するのだが、相手が強すぎる。両手を掴まれた拘束は全く緩まない。もうダメかもしれない、そう思い、風花はギュっと目をつむった。
「そのお方から、手を離していただけますか?」
突如発生した声に、クワの動きが止まる。注射器は風花に刺さるすれすれの状態で停止した。
「あなたが簡単に触れていい方ではございません」
「たい、よぅ」
恐る恐る目を開けると、そこには剣を構えている太陽が。風花と目が合うと、安心させるようにニコリと微笑んでくれる。
「なんだよ、男か」
しかし、クワは一向に風花の手を離そうとしない。太陽にチラリと目を向けただけで、注射を打ち込もうと腕を進めていった。その様子を見た太陽の空気が変わる。
「離せと言ったのです」
彼の声と共に、キンと剣が交わる音が風花の耳に届く。ピリッとした空気を纏った太陽が、クワに切りかかったのだ。
「くっそ」
クワは腰に刺していた短剣で太陽の剣を弾く。短剣を抜いた拍子に、手にしていた注射器が地面に落下。足元に落ちたそれを、すかさず太陽が踏みつぶす。
今のやり取りで拘束していた腕が緩み、風花は脱出に成功した。
「お怪我は?」
「大丈夫。ありがと、助かった」
風花は破られた服を整えながら、太陽にお礼を言う。あと一歩彼の到着が遅ければ、風花は攫われていたかもしれない。
「ったく、折角の上玉なんだ。大人しくしてくれよ、これ以上傷をつけたら価値が落ちる」
クワの発言に、太陽が一層ピリピリとした空気を纏った。彼の体から何だか黒い物が見えなくもない。
「ほぅ……お前も高く売れそうだな」
クワは太陽の様子を見て、嬉しそうに顔を綻ばせる。両者の間に緊張感が立ち込めた。
「……二段までなら解放してもいいと思う?」
「しかし」
「あの人強い。リミッター外さないと倒せない」
風花の発言に太陽が唇を噛む。
『リミッター解除』
リミッターには三段階存在する。段階に応じて解放される力の大きさが異なり、発揮できる魔法の威力も桁違いとなる。しかし、その分体への負担も大きい。
リミッター解除最上級である三段目。この状態では、自我が飛んでしまう可能性が高い。以前バトル大会で見せた翼のバーサーカー状態は、三段目に当たるだろう。
「前に外した時は大丈夫だった。殺すまではやらないよ」
「危なければ、私が止めます」
解除二段目と言えど、未熟な術者の場合バーサーカーが降臨することがある。風花が以前解除したときは、自我崩壊はなかったようだが油断できない。彼女にバーサーカーが降臨すれば、辺り一帯は消し飛ぶだろう。
「ふぅ……」
風花は深呼吸して、心を落ち着けると一歩前へ出た。足元には魔法陣が浮かび上がる。
「リミッター解除、二段」
両手を祈るように組み、彼女が呪文を唱えると、魔法陣は一層その輝きを増す。風花を凄まじい勢いで風が包み込んだ。
「おいおい、マジかよ……」
クワは彼女の様子にたじろいでいる。風花から発生した風が、すごい勢いで巻き起こっていた。そして、
「wind fist!」
「っ!?」
一気に距離を詰めた風花が、拳を彼のお腹に打ち込む。今回の彼女の攻撃は前回とは桁違い。クワは防ぐこともできず、飛んで行ってしまった。鈍い音と共に壁にぶつかる。
「ゲホ、ゴホッ。二段でここまでなるかね」
クワは口から血を吐き出し、苦しそうに呟く。
「ふっー、ふっー」
風花の目はしっかりとクワを捕らえていた。その目はまるで獲物を刈る肉食獣。彼女のその目を見て、クワも一層殺気を纏う。反撃しようと短剣を握りしめるのだが……
「は!?」
「wind shot!」
風花は杖から大きな風の塊を発射する。彼女は簡単に発射しているように見えるが、今発動した風の塊は普段の比ではない。今までに見たこともない大きさの塊がクワに向かって、物凄い勢いで飛んでいった。
「ぐっ……」
クワはそれを短剣で受け止める。しかし、風花の攻撃の威力が強いようで押し負け、後ろに吹き飛んでいった。
「ケホッ」
苦しそうな声と共に再び血を吐き出し、立ち上がる。流石は場数を踏んでいる戦闘民族。先ほどの風花の攻撃の軌道をずらし、直撃を避けたようだ。直撃していれば、立ち上がることすらままならないだろう。
「くそが……」
クワは手の甲で血を拭くと、風花に刃物を突き立てるため一気に距離を詰める。
「wind shield」
彼の剣を軽々風花が受け止め、重心をずらして剣の勢いを殺した。彼女の動きでクワのバランスが崩れる。風花はすかさず腕を引っ張り、彼の身体を地面に叩き付けた。
「う……」
クワが体を起こす前に、拘束しようと風花が彼の上に馬乗りになった。しかし……
「うわ!」
風花がびゅんと吹き飛ぶ。いきなりクワが体を起こしたのだ。風花はクワの上に乗っていたとはいえ、まだ子供で体重も軽い。力任せに体を起こされれば、吹き飛ぶしかない。しかし、どこかの関節が負傷したのだろうか。彼が立ち上がる時にはミシっと嫌な音がしていた。
「姫様!」
後ろにすっ飛んだ風花の元へ太陽が駆けつける。風花はただ転んだだけなので、特に怪我は負っていない。そして、いつの間にかクワは姿を消していた。
「良かったぁ」
危機一髪、何とか撃退できたようだ。クワは余程ダメージを負っているのだろう。彼が攫おうとしていた女性たちは、そのまま壁にもたれかかって気絶していた。
「お身体は?」
「ん、平気!」
リミッターを解除していた風花だが、自我崩壊せず無事。身体も何ともないようだ。太陽の口からホッと息が漏れる。
「太陽、あの人たちの治療……ゲホッ、ゴホッ。……え」
風花が苦しそうに咳き込む。彼女の手には、べったりと血が付着していた。




