第121の扉 儚くて脆い
女性の悲鳴を聞いた風花が声の方へ駈けていく。曲がり角を曲がると……
「うるさいな、静かにしろよ」
男性が女性を殴っている現場を目撃した。何発も殴られたのだろう、女性の体には痛々しい内出血の数々が。そして先ほどの一発で気を失ってしまったのか、ぐったりとして男性にもたれかかった。男性の足元には、同じく倒れて動かない女性がもう一人いる。
「何してるんですか」
風花は男性に杖を構える。全員20代くらいだろうか。関係は分からないが、先ほどの助けを求める声は彼女のものだろう。しかも、一方的に暴力が振るわれていた状況。彼女たちをこのままにしておくのは危険だ。
男性は深緑色のローブに身を包んで、不気味な雰囲気を醸し出している。風花の声に反応して、こちらをギロリと睨んだ。
「あ? 誰だよお前」
声を出しただけなのに、ナイフが刺さるかのような痛みが風花の元に届く。目の前の男性が放つ威圧感が凄まじいのだ。風花は男性の威圧をぐっと堪えて言葉を放つ。
「っ……その女の人嫌がっていました。離してください」
男性は風花の言葉に全く動じた様子がない。男性はめんどくさそうに、ため息をついている。
「お前、この世界の人間じゃないのか?」
「どういうことですか?」
男性はなぜ風花が異世界の住民だと分かったのだろうか。風花は全く状況が理解できない。
「俺たちに歯向かう奴なんて、この世界には居ないからな」
男性の名前はクワ。インセクト族という部族の出身だそうだ。
『インセクト族』
この種族は戦闘特化型の種族。見た目はごく普通の人間と変わらないのだが、素早さ、パワー、持久力。すべてにおいて桁違い。魔法使いたちでさえも彼らには敵わない人が多い。
この世界は彼らに制圧されているのだろう。風花のように歯向かう輩は、異世界人ということだ。
「……その女の人たちは?」
風花が恐る恐る尋ねる。戦闘部族と聞いて、風花の中の緊張が跳ね上がった。自然と彼女の声は弱弱しくなる。
「こいつは貴重なんだ。高く売れる」
クワは女性たちを壁にもたれかけさせた。背が高くて、とても綺麗な女性たち。クワは人攫いをしているのだろう。
風花は人の命を簡単に商品として扱う彼に腹が立った。睨みつけていると、彼は気がついたように片眉を上げる。
「お前、可愛い顔してるな」
「!?」
クワは風花の顔、身体、全てを嘗め回すようなねっとりとした視線を向けた。どうやら風花も女性と同様、商品としたいらしい。
風花が戦闘態勢を取るも、クワの余裕の表情は崩れない。余程自信があるのだろう。彼の纏っている空気は、肌が焼けるかの如く鋭さを放っていた。風花の額に汗が滲む。果たして自分は勝てるのだろうか。全く分からない。
「来いよ」
「っ……wind fist!」
風花は拳を叩き込もうと向かっていく。しかし……
「なっ!?」
クワはいとも簡単に拳を受け止めた。風花は風魔法を拳に纏わせていたので、相当の威力を持っていたはず。それにも関わらず、腕一本で受け止めた。余裕の表情と共に。
「いっ……」
風花の顔が苦痛に歪む。クワが手に力を込めたのだ。ミシミシと骨が軋む音がする。指の骨数本が砕かれてしまったようだ。
風花は必死に彼の手を振りほどこうともがくも、全く離れる気配がない。クワはギュっと握って、拳をホールドしている。
「んぅ……」
風花が抵抗しても、クワは腕の力を緩めない。痛みに顔を歪ませながら、脱出を試みる。掴まれていないもう一本の手と、足で彼に攻撃を叩き込んだ。
「効かないな」
風花の攻撃を受けても、彼は微動だにしない。余裕の表情で攻撃を受け流している。戦闘民族はこれほどまでの強さなのか。手も足も出ない。風花の心に焦りが滲む。
「やっぱりいけるな」
「うわっ!?」
クワは突然風花の体を壁へ押しつけた。両手を上に束ねると、彼女の両膝の間に足を入れ、身体を拘束する。そして、品定めするようにじっくりと嘗め回した。
「うちの商品にならないか? 高く売れそうだ」
「いや! 触らないでください!」
クワは風花の顎に指をかけて、上を向かせる。風花はキッと睨んで、脱出を試みるのだが、力の差が大きすぎた。束ねられた両手は全くほどけない。そして、クワはおもむろに自分のポケットへと手を入れる。
「まぁ、拒否権はないんだけど」
「いやっ」
風花は彼が取り出したものに悲鳴を漏らす。彼が取り出したのは注射器。中には透明な液体が満たされている。一体何が入っているのだろうか。
「少しチクッとしたら終わるからよ」
「やめて、離してっ!」
クワが風花の服の首元を破くと、白い肌が露わになった。風花は抵抗を続けるも、彼の腕の拘束は全く緩まない。焦る彼女に向かって、注射器は徐々に近づいていった。
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「翼」
「あ!」
翼が振り向くと、そこには優一と美羽が。二人は近くに居たようで、先ほどの彼の声に反応して出てきたようだ。翼は二人の無事を確認すると、自然と頬が緩む。
優一たちも状況を理解できていないことは同じらしい。残りのメンバーと合流しようと動き出す。
「桜木さん……」
ポツリと翼は風花の名前を呼んだ。彼の頭の中には、先日の柳たけるとの戦いが。彼女の悲しい音を思い出し、翼の顔が苦痛に歪む。
彼女は僕よりも強い。何倍も何十倍も。
でも、その強さは脆くて儚い。消えてしまいそうな弱さを持っている。
「どうしたの、相原くん?」
「……何だか嫌な予感がするんだ」
翼は先ほどからざわざわとした胸騒ぎを感じ取っているらしい。
「早く全員見つけて、帰るぞ」
「そうそう! 帰ろう、帰ろう!」
「うん……」
優一と美羽の頼もしい声で翼にも元気が出てきたようだ。表情が少し明るくなる。
「どこにいるんだろう」
三人は周辺の捜索を続ける。




