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きみと桜の木の下で  作者: 花音
第5章  バトル大会編
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第104の扉 月と星が綺麗な夜に

「ちょっと散歩してくるね」

「行ってらっしゃい!」


 元気に手を振ってくれる美羽に別れを告げて、一葉は一人夜の闇へと溶けていく。






「どうしたんだろう、私」


 一葉は自分の胸に手を当てる。彬人に縋りついて泣いたあの日から異変を感じる胸。彼のことを考えると胸が痛い。ギュっと締め付けられるような感覚に襲われる。


「い、たい……」


 一葉と彬人は去年同じクラスだった。

 出逢った当初から厨二病を発症していた彼。最初は彬人の言動に戸惑いを感じることが多かったのだが、次第に彼の言葉が分かるようになってきた。

 彬人はいつも暗い雰囲気になると茶化して、みんなを笑わせてくれる。さっきの美羽の病室で起こったキス事件も、暗くなった雰囲気をどうにかしようと思った彼なりのやり方なのだろう。彼の周りには笑いが絶えない。いつも笑顔にしてくれる。


「はぁ……」


 そんな彬人だが、案外人の変化には敏感に気がつく。水の国での迷いを感じていた一葉に、声をかけてくれたのは彬人だけだった。そして、一葉が感情を爆発させた時、そのきっかけに気がついたのも彼だ。

 一葉は彬人の自分への言動を思い出して、また少し頬を赤く染める。自分を気にかけてくれている彼にお礼を言わなければいけないと思うも、一葉の心にある感情がそれを邪魔するのだ。


 そんなことを考えていると、ホテルのテラスにたどり着く。人気は全くない。柵にもたれながら、目の前に広がる庭を眺めていた。すると


「一葉」


 振り向くとそこには彬人の姿が。お風呂上りなのか、彼の髪の毛は若干湿っていた。いつもと少し違う雰囲気に、一葉の鼓動が増していき、体も熱くなる。自分の心を見透かされそうで、彼の姿を捉えると同時に目を反らした。


「隣、いいか?」


 彬人もそれを分かっているのだろうか。いつもなら何も言わずに隣に来るのに、今日は許可を求めてくる。そんな些細な優しささえも、一葉の鼓動を速くした。


「うん……」


 二人の間に沈黙が落ち、息遣いだけが静かな夜に響いている。

 彬人が隣に来た瞬間に、彼の香りをふわりと感じた。今までうるさくしていた鼓動がその香りを嗅ぐと、静かにいつもの動きを取り戻していく。徐々に心も落ち着いてきた。今回はきちんと彼と話ができそうだ。一葉は自分の中で言葉を組み立てていく。


「すまなかったな」

「え?」


 一葉が言葉を組み立てていると、彬人がぺこりと頭を下げた。


「無理に聞き出すような真似をして、すまなかった」


 彬人は何回かタイミングを見計らって、一葉にアタックしていた。その度に玉砕していたのだが。それでも何回もトライしたのは、一葉の助けになりたいと思ったからだろう。


「あ、いや、それは私もごめん。変な態度取って」


 一葉はその行動を迷惑とは思っていない。ただ、最初に彼を避けるような態度をとってしまったため、何となく話しづらかったのだ。


「それとありがとう。何回も話を聞こうとしてくれて。そ、その……嬉しかった」

「そうか……」


 彬人はふっと微笑む。安心したようだ。

 一葉はそんな彼の笑顔を見て、顔を赤くする。なぜだろう、些細な彼の仕草さえ、今日はとても鼓動を速めていく。折角落ち着いてきていたのに、また最初に戻ってしまった。

 今は夜。辺りは闇に包まれているので、一葉の赤い顔が彬人に見られることはない。


「解決したか?」

「うん」

「そうか……」


 彬人は一葉の悩みが解決したことを知ると、ますます笑顔になる。一葉は彬人がそれほど自分のことを気にかけてくれていたことを知り、胸がギュっと痛くなった。自分はこんなに心配してくれている相手から逃げ回っていたのか、と。

 颯が言っていた。自分の気持ちに素直になれ、と。いつかこの気持ちを打ち明けられるだろうか。その時、彼はなんと言ってくれるのだろう。


「「……」」


 二人だけの空間に心地良い風が吹き抜けた。風に乗って、再び彬人の香りが一葉の元に届く。とても暖かく、安心する香りが一葉を包んでいった。

 風に誘われて、一葉が彬人の方を見ると、そこには嬉しそうに外を眺めている彼の姿が。無垢な子供のような笑顔で空を見上げている。その笑顔が、一葉が押し込めようとしていた言葉たちを連れ出そうと誘った。胸が苦しくなる。心臓が鼓動を増していく。今なら素直になれるかもしれない。


「あき……」

「月が綺麗だな」


 一葉が決心を固めた時、彬人が空を見上げながら呟く。彼の言う通り、空には明るく輝く月が。今日は満月だろう。とても綺麗な月が二人を見下ろしていた。

 しかし、その言葉に一葉の顔が、ボンと音を立てて赤く染まっていく。


「む?」


 彬人はボンと音という音を不審に思ったのだろう。しかし、月明かりしかないこの状況で、彼は一葉の顔の色までは分からない。彬人は首を傾げていた。


『月が綺麗』


 彼はこの言葉の意味を知っているのだろうか。おそらく今の態度を見ると、知らないだろう。ただ単純に月が綺麗なのだと言いたくて、その言葉を使った。

 一葉は乱れる呼吸と赤い顔を落ち着けようと、深呼吸を繰り返す。安心したような、もやっとしたような感情が胸の中に広がった。先ほど決意を固めた言葉たちが、再び一葉の元に押し込まれる。彼女はその言葉たちが出てこないように、ギュっと胸の奥にしまい込んだ。そして、先ほどの彼の言葉に返事を返す。


「……星も、綺麗だよ」

「おぉ! そうだな」


 やはり彼は言葉の意味を分かっていない、いや知らない。一葉の返した言葉にも全く反応を示さなかった。一葉はそんな様子を見て、ため息をつく。これで良かったのか、良くなかったのか分からない。颯が言っていた通り、これからの道のりは大変なことになりそうだ。しかし……


「ふ、天からの贈り物」


 彬人はキラキラとした瞳で空を眺めている。まるで幼い子供のように。今はこのままでいいのかもしれない。彼はどこまでも彼だ。

 彼はいつか『月が綺麗』『星が綺麗』の意味を知る時が来るのだろうか。







『月が綺麗』 あなたが好きです

『星が綺麗』 あなたは私の気持ちを知らないでしょう

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