第103の扉 あなたの胸のぬくもり
「私、生きてる」
ポロリと美羽の頬に涙が伝った。戦いの恐怖を思い出したのだろう。自分の腕で体をギュっと抱きしめた。
「……美羽ちゃん」
彼女の涙を見て、風花がギュっと抱きしめる。それでも美羽の涙は止まらない。ポロポロと流れ出し、風花の服を濡らしていった。翼たちは何も言わず、静かに二人の少女を見ていた。
「私ね、もうダメだって思ったの」
残虐な技の数々。痛みで朦朧とする意識の中、美羽は諦めていたそうだ。もう自分はここで死ぬのだと。
「でもね、風ちゃんの白い背中が見えて、『あぁ、大丈夫なんだ』って思ったの」
「……美羽ちゃん」
「私、風ちゃんを見たらすごく安心してね。今まで眠っていたのも、安心していたからだと思うよ」
美羽はにっこりと微笑む。しかしその手は微かに震えていた。やはり怖いものは怖い。その感情を消すことはできない。美羽はそれでも風花に声をかける。
「だからね、自分のせいだとか、怖い思いをさせちゃったとか思わないで」
「……」
「風ちゃんがそうやって自分を責めちゃうの、私すごくつらいな」
美羽は体を離し、悲し気な瞳で風花のことを見つめる。その瞳は少し潤んでいた。
美羽は戦いの恐怖を感じた。死の恐怖を感じた。それでも、彼女は自分のせいで友人が心を痛めることを何よりも恐れた。だから風花に言葉を届ける。
美羽の優しい言葉を聞き、風花の目から涙がこぼれた。
「……ありがとう」
風花の涙を合図に翼たち他のメンバーが美羽のベッドにやってくる。それぞれが美羽に祝いの言葉をかけていた。
「「ジャジャジャジャーン!」」
そんな中、彬人と結愛が元気な声をあげる。その手には大きなガーベラの花束が。
「どうしたの、これ?」
「美羽ちゃんの回復祝いだよ」
「ふ、妖精たちの花園で入手した」
訳)花屋さんで買ってきました
二人は脱走した時に買ってきていたようだ。彬人は一葉に一発食らったのだろうか、その顔には目の周りに青あざが。彬人の顔を見た美羽が驚いた表情をするも、差し出された花束を大事そうに受け取る。
「ありがとう」
これで本当にいつもの雰囲気が戻ってきた。先ほどまで何か足りないと思っていたものも、今は全く感じない。
翼はいつまでもこんな日常が続いてくれればいいのに、と心から思った。
「翼くんにはこれね」
「え、僕にもあるの?」
結愛が後ろでぼけっと立っている翼に話しかける。彼女が差し出したものは菖蒲の花のネックレス。丸い透明なケースの中に菖蒲の花が入っている。菖蒲は端午の節句などでお供えされる花として有名だ。
「優勝祝いだよ」
「ふ、邪気払いのおまじないだ」
訳)菖蒲には邪気を払う効果があると言われています
二人はバーサーカー翼のことを気にしていたのだろう。翼は二人の心遣いに胸がギュっと痛くなった。そして、早速身に着ける。ネックレスは翼の胸元で、楽しそうに揺れていた。
「ありが、とう」
翼がお礼を言うと、彬人と結愛はニコリと微笑んでくれる。もう暴走しないように、と願いを込めながら……
「どうぞ」
「ありがとう」
風花の部屋では、太陽が紅茶を注いでいた。流石執事なだけあって、彼の所作はとても丁寧。太陽は普段身に着けている燕尾服ではなく、スエットのような柔らかい素材の服に身を包んでいる。風花は色違いの物を身に着けていた。
美羽の目は覚めたものの、大事を取ってもう一日滞在することとなった。体は特に異常なし。心も特に問題はないようだ。
二人ずつで宿に泊まっているが、風花と太陽は相部屋。仲良く二人で紅茶を楽しんでいる。
「美羽さん、良かったですね」
「……うん」
美羽は無事に目覚めた。その後の経過も良好。特に記憶障害などの後遺症も見られていない。しかし、美羽の名前を出した瞬間、彼女の顔が苦痛に歪んだ。今回のバトル大会での美羽の怪我。風花は責任を感じているだろう。太陽はそれを見逃さなかった。
自分がもっと早く助けに行けば。この大会に参加しようなどと言わなければ……
その思いが彼女の心を蝕んでいく。
「……」
彼女はまた自分を責める。以前に比べれば、風花が自分を責めることは減ってきた。それは翼たちがかけてくれた言葉のおかげだ。水の国の一件でその責任を背負い込み、爆発した風花。そんな彼女に彼らは優しい言葉をかけてくれた。自分を責めなくてもいいのだと。そのおかげで風花が自分を責める回数は減った。しかし、それは回数が減っただけ。ゼロになるわけではない。
太陽は苦しそうに顔を歪めながら、言葉を紡ぐ。
「今回も姫様のせいではありません」
「……」
「美羽さんが悲しみます。ご自分を責めることはやめてくださいね」
彼女はどんな言葉をかけたとしても、自分のことを責め続けるだろう。それは風花の性格上、仕方がないことなのかもしれない。ずっと責め続けてきた思考回路は、そう簡単に治らない。
風花が責め続けるのなら、自分は彼女のせいではないと何回でも言い続けよう。彼女の負担を軽くし続けるために動こう。この言葉が彼女に届くことを信じて。
「……ありがとう」
風花は太陽に抱き着き、彼の胸元の服をギュっと握って抱きしめた。太陽はそれ以上何も言わずに、震え続ける風花の背中を撫でる。
彼が着ている柔らかい服の素材が太陽のぬくもりと重なって、心地よい感覚が風花の胸に広がる。彼の暖かさが風花の心に届き始めた。そして、太陽の腕の中で風花がポツリと口を開く。
「昨日ね、うららちゃんに言われたの」
「……」
「私は優しすぎるって。自分にも優しくしてあげてほしいって」
うららは風花の自己犠牲に気がついて、彼女にそう声をかけた。もちろん太陽も風花の自己犠牲に気がついている。
美羽の試合の時、パルトの前に飛び出した。バーサーカー状態の翼の前に飛び出した。
二回とも何事もなく、無事だが一歩間違えば命が消えていた行為だろう。彼女の優しさは周りを助けるが、同時に傷つける。
「分かってるの。私が傷ついたらそれを悲しく思ってくれる人がいるってことに」
風花は気がついている。自分を犠牲にして周りを救っても、かえって傷つけてしまうかもしれないということに。ちゃんと分かっている。しかし……
「でもね、私が怪我をしても、みんなが無事ならそれでいい」
「姫様……」
太陽の顔が悲しく歪む。風花が守る対象は『自分』以外。自分はいくら傷ついても構わない。仲間たちが無事で居てくれればそれでいい。そう考えて彼女は動く。
もちろん、風花は故意に自分を傷つけるようなことはしない。しかし、誰か一人が傷つかないといけない場面になった時、迷いなく自分自身を差し出すだろう。
「風花様……」
風花の意思は固いようだ。彼女の目には迷いの色は浮かんでいない。風花は何かを守ると決めた時、その瞳に迷いの色は浮かばない。
太陽はその瞳を見て、自分も決意を固めた。風花が自分を犠牲にし続けるのなら、必ず自分がそれを救う、と。




