第99の扉 真っ赤と買い物チャレンジ
「佐々木、今がチャンスだ。行くぞ」
「あいあいさー」
彬人が小声で話しかけると、結愛が元気に敬礼した。優一とうららは二人のストッパー役としてついてきているが、何やら話し込んでいる。その隙を見逃さず、彬人の目がキラーンと光った。
「ふははっ」
「にひひっ」
彬人と結愛は優一たちをまんまと出し抜き、上機嫌で商店街を駆け抜けて行った。
「美羽……」
一葉はいまだ眠り続ける美羽の頭を撫でる。颯は美羽の隣のベッドに横になると、すやすやと寝息をかき始めた。のんきな颯にため息をつき、一葉はベッドの隣の椅子に座る。美羽の顔を眺めながら、陽光に言われた言葉を思い出していた。
『剣に迷いがある』
一葉は陽光に勝てなかった。水の国の後に感じていた自分の迷い。彼はそれを瞬時に見切って、指摘してきた。それだけ自分の剣に迷いが混じっていた証拠なのだろう。
「……」
『迷いがある剣は戦闘で死ぬぞ』
陽光が一葉にかけた言葉が、重くなって心にのしかかる。
殺すかもしれない、殺されるかもしれない。この思いを抱えて振るう剣は、確かに鈍るだろう。いざという時に、思い切って剣を振るえないのだから。殺さなければ殺されるという場面で、自分は迷いなく相手を切れるのだろうか。
「はぁ……」
一葉はため息をつき、頭を抱えた。自分はまだまだ覚悟が足りないのだ。この迷いを消さない限り強くなれない。大切なものを失ってしまうかもしれない。
一葉は剣道部のエース。今まで熱心に練習してきた技術が、人殺しの手段となりつつある。殺す、殺される。守る、守れない。
「どうしたらいいんだろうね、美羽……」
迷いの瞳の中には穏やかな寝息を響かせている美羽が。彼女はまだ目覚めない。一葉が困った時はいつも話を聞いてくれて、一緒に答えを探してくれる美羽。しかし、彼女は眠ったまま。一葉の話を聞いてくれない。
「迷いなんて、消せないよ」
一葉は苦しそうに呟き、美羽の頭を撫でる。彼女のその動作でも美羽はピクリとも動かない。一葉の苦しみに返事をする者はいない、はずだった。
「そんなの当たり前じゃない?」
「え……」
一葉は突然発生した声に驚く。声の発生源へと彼女が視線を向けると
「俺は迷いのない剣を振るう藤咲さんなんて、怖いけどね」
眠ったと思っていた颯が、ベッドから起き上がり一葉を見つめていた。今の彼から普段ののんびりとした印象は感じない。真剣そのもの。一葉が普段との違いに戸惑っていると、颯は構わず話を続けた。
「『殺す』かもしれない、『殺される』かもしれない。それを考えて迷うことは、悪いことじゃないと思う。陽光さんはその迷いを捨てないといけないほど、戦いの場に身を投じてきたんだろうね。戦いに慣れているんだと思う」
「……」
「慣れる必要はないよ。むしろ慣れたらダメだと思う。戦うことに、殺すことに」
慣れなくていい、迷っていい。
一葉の中に渦巻いていた黒色の感情が、颯の言葉で消えていく。消そうと思っても消えなかった感情が、彼の言葉でスッと消えてくれた。苦しかった胸に暖かな感情が広がる。
「だから、大丈夫だよ」
「……ありがとう」
「お礼なら、俺じゃなくて彬人くんに言ってねぇ」
「え?」
胸の中の心地よさに感動していたら、思ってもみなかった人物の名前が飛び出した。一体どういうことだろう。一葉が首を傾げていると、颯が事情を説明してくれた。
それは昨日の宿での出来事。太陽が手配してくれた部屋へと歩いていた颯だが、彼を引き留める声が一つ。
「颯」
「んー」
颯はのんびりと声の方へ振り向いた。そこには真剣な表情の彬人が。
「彬人くん、どうしたのぉ?」
「頼みがあるんだ」
いつになく真剣な様子の彼。彼は基本的にふざけている。漆黒と深淵を愛する戦士。その彼が真剣なのだ。こんな彼は珍しい。余程の重大事件が起こったのだろうか。
「一葉のことをお願いしたい」
「はぇ? 藤咲さん?」
彬人は彼女の様子がおかしいことを説明した。何か一人で思いつめているようだから、聞きだしてほしい、と。しかし……
「別にいいけどぉ、それは君の役目じゃないのぉ?」
颯はコテンと首を傾げて彼に聞き返す。一葉が何か抱え込んでいるなら、それを解決するために自分も協力したい。しかし、その感情を解決してあげるのは、最初に気がついた彬人の方がいいだろう。
「いや、俺じゃダメなんだ」
彬人は颯の言葉に苦しそうに言葉を返す。
彬人は医務室での治療を終えた後、何回か事情を聞こうとアタックした。しかし、その度に撃沈。逃げられるか、顔面に拳をもらうかのどちらか。流石の彬人もお手上げの様子。
「ん、分かったぁ。話聞いてみるよぉ」
「ありがとう」
本来は彬人の役目だが、彼はもう最善を尽くしている。颯も納得した上で、今回の任務を引き受けた。そして、彬人本人は無自覚だろうが、一葉のことになると彼の雰囲気は真剣になる。余程心配なのだろう。
「あいつは、俺の前だと何だか苦しそうだ」
「んー?」
自分の前だと素直になってくれないと感じているらしい。逃げ回っている今回が良い例だ。話しづらいという理由の他にも、一葉の別の感情が邪魔をしている訳だが、彬人はそれに気づけない。
「彬人くんは、無自覚タラシだよねぇ」
「む?」
彬人は颯の言っている言葉の意味が良く理解できないようだ。不思議そうに首を傾げていた。
「と、いうことで、藤咲さんは、自分の気持ちに正直になるべきだと思うよぉ」
いつもののんびりとした口調に戻った颯が、いたずらっ子のような笑顔を一葉に向ける。彼は一葉の気持ちに気がついているのだろう。颯の言葉を聞いた一葉の顔が赤く染まった。
「あー、真っ赤だぁ。可愛いねぇ」
「ちょっと、鈴森! からかわないでよ」
茶化す颯に一葉は声を荒げる。彼女のその行動がますます颯を加速させた。
「彬人くんは鈍いから大変だと思うよぉ。頑張ってねぇ」
「そういうのじゃないってば」
「ふーん」
「鈴森!」
颯のニマニマは止まらない。真っ黒な笑顔を貼り付けて、一葉へと言葉を投げ続けていた。
「およよー!」
結愛の元気な声が商店街に響き渡る。優一とうららを出し抜いた二人は、異世界探索をエンジョイしていた。
「素晴らしき異世界……」
「わぁあ!」
商店街には様々な店が。異世界らしい武器屋、防具屋、魔法書専門店。他にも食料品店などが所狭しと並んでいた。二人はその光景に目をキラキラと輝かせる。どこに行こうかと彬人が悩んでいると、結愛から肩を叩かれた。
「美羽ちゃんと翼くんにプレゼントを買いたい」
結愛は美羽の回復祝いの品と翼の優勝祝いの品を買いたいようだ。結愛は美羽の回復を疑わない。だからまだ目は覚めないが『回復祝い』なのだ。
「ふ、天使たちに祝福を」
訳)いい考えですね
二人は早速プレゼント探しにいそしむ。何をプレゼントしようか考えていると、彬人が閃いた。
「ふ、傷ついた戦士には妖精たちの口づけが良いだろう」
訳)怪我人に贈ると言えば花束だと思います。
「結愛も賛成!」
二人は早速、花屋さんを探して歩いていく。




