不老不死の病
ぼくは自分の身に降りかかった天災を、自分自身の枷として生きることを決めた。
この現象を単純化するなら、強者が背負うべき代償の一言で方が付いてしまうことが個人的には非常に憎ったらしいが、それに一々口を挟んでいられないのが天上天下を地で行く最強災厄の男の末路だということも、ぼくは厭というほど味わった。
医者に見せるほど暇ではないし、医者にこの病を診断する程度の能力があるとは、ぼくには甚だ疑問だった。
この病状に悩まされ始めたのは、中学一年の春。まだ入学して間もない頃のことである。小学生時代からの友達はたくさんいたし、中学でも程々に友達は作れると考えていた。
一学年は五クラスもあったので、小学生からの友達とは別々になってしまった。今にして思えば特定の一人と同じクラスになる可能性は1/5なので離れてしまったとてそこまでたいそうな話ではないが、その当時孤独に慣れていなかった幼きぼくには辛かったのだろうと、かつてを思い出す。
一人知らぬ地、知らぬ者たちの間に放り込まれたぼくは、それでも同胞を見つけることを諦めはしなかった。
のも束の間、ぼくはある重大な事象にはたと気づいてしまう。
「時間が伸びている気がする」
始まりの違和感はこの程度。ここで気がつけなかったことが運のつき。
ぼくは何時しか集団でしか行動することが儘ならない愚かな阿呆どもを見て、昔の自分もああだったのではないか、と疑念を抱く。そして決意した。
ぼくは孤独の中で生きる。誰にも媚びず、誰にも諂わない。たった一人で自分がここにいる証明を、阿呆な有象無象どもに突きつけてやるのだ!
そう自覚して数日、授業も始まり二週間が経ったころ、三時限目のある時、ぼくは突如として強烈な腹痛に見舞われる。お腹を摩り何とかその痛みが去るのを待ったがどうにもなりようはなく、腹痛の対処について電子辞書で調べてみてもどうにもしようがなかた。
苦しそうでも一匹狼のぼくに差し伸べられる隣に座る美夏ちゃんの手はなく、後ろで勉学に励んでいる優等生の真理ちゃんでさえ助けてはくれなかった。
手を上げトイレへ行くことの許可を貰おうにも、国語の時間である今はクラスの人気者である健くんが先生の指示で音読をしていた。
かくてぼくは漏らした。時間が伸びていく感覚とともに。
それから美夏さんと真理さんの机は昨日までと比べて二十センチは離れていた。前に座る名前のわからない男に至っては、三十センチは遠かった。
しかし幸か不幸か、いやどう考えても不幸だが、一人で生きていこうと決めた矢先に喋りかけられる種が生まれたことも事実で、実際、ぼくは多くの人に話しかけられるようになる。もっとも、糞野漏だとか糞尿だとかだったのだけれど。
それからはカバンの中に馬糞を詰められたり、学校に来てみると自分の机がなくて、探してみると校舎裏にある鳥の巣の下で白く染まっていることもある。初対面の人に笑われることはしばしばで、二年生に上がると後輩からはうんこさんと呼ばれた。
その頃になるとぼくの時間は無際限に伸び続けるようになっていた。時間の牢獄に閉じ込められたようであり、もはや一人に拘らなくとも誰かと時間を共有することが困難になっていた。
中学二年、日付は七月十日。もうすぐ夏休みで、一学期の中間テストを終えて授業は進まなくなった。
暇を潰す目的で理科の先生は一本のDVDを授業で流す。それは理科に興味を持ってもらうために何処かの放送社が作ったもので、日常生活で感じるあれこれを科学的に考えるという内容のものだった。
アインシュタインの相対性理論を考えるさい、楽しい時間は早く過ぎ去り、辛い時間は遅く感じるということが説明された。
ぼくは未だ半分にも達していない中学生活を、今現在で四千年生きている。