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愛の証明とかいう名の悪魔の証明

僕の高校生活は基本的にボッチだったけど、振り返ってみればそれなりにいろんなことがあったと思う。


笑って、泣いて、恥かいて、足掻いて…時には立てこもり犯として世間様から冷たい目で見られていたこともあった。


良いことも、悪いことも沢山あったと思う。


たくさん失敗を重ねたけど、それでも後悔はしていない。


学校のことも、望のことも、立てこもりのことも、何かを得られた確証はなくたって、どれも後悔なんてしていない。


そう、僕のこれまでの人生に後悔なんて何一つとしてないんだ。


…いや、正確に言えば、一つだけ後悔していることがある。


どうしても悔やんでも悔やみきれないことが一つある。


それは、高校の卒業旅行の時…愛里との温泉旅行のあの日…。


あの時…どうして…どうして僕は…愛里を抱かなかったのか!?。


あの卒業旅行の夜、良い年した男女が同じ布団で一夜を共にして…どうして僕は手を出さなかったんだ!!。


あの時、絶対やれたよね!?。僕が望めば愛里は受け入れてくれてたよね!?。


それなのにどうして!どうして僕は手を出さなかったんだよぉ!!。


変なプライドのせいでなんかカッコつけて有耶無耶にして…そんなプライドなんてゴミ箱に捨てちまえよ、バカヤロォ!!。


大学生活が始まって数日が経ったとある日の静かな夜、自分の部屋で布団にくるまりながら僕はあの日の愛里との夜を思い出し、激しい後悔の念に苛まれていた。


なんとなく一人の夜が虚しくて、ふと愛里とのあの日の夜のことが思い浮かび、後悔の念が再発してしまっていたのだ。


「僕のバカァ、絶対後悔するの分かってたじゃん」


行き場のない悔しさを少しでも発散しようと、自分の枕に顔を埋め、ため息を漏らすように後悔を口に出していた。


「やるまでとはいかなくてもせめてもっと触っておけばよかったぁぁぁぁ」


それでも虚しさは晴れず、後悔は全身に伝染し、足をベッドにバタバタとぶつけ、布団にくるまって激しく転がりながら悔いを精一杯表現していた。


しかし、少ししてからふと我に帰り、ベッドからガバッと起き上がって辺りを見渡し、警戒の糸を張り巡らせた。


昔からこういう所を姉に見られていじられてきたトラウマが無意識のうちに僕をそうさせたのだ。


「いや、何を警戒してるんだ、僕は。姉ちゃんはもうずっと前から家を離れているというのに…」


姉はすでに結婚し、所帯を持っているので、この家にいるはずがないのは冷静に考えればすぐにわかるはずのことなのに、長年身に染み付いた姉への恐怖がどうしても僕に警報を鳴らしてしまうのだ。


姉などすでに過去のまやかしでしかないことを再確認し、杞憂で終わったことにホッと息を吐き出したその時…重々しく錆びついた重金属の扉が開かれるような鈍い音と共に、僕の部屋の扉が少しだけゆっくりと開いたのが見えた。


そして僕はその扉の隙間から見てしまった。扉の先にある薄暗い深淵の廊下から、部屋の中の僕を見つめるおぞましいくらい歪に光る怪しい瞳を…。


その瞳は僕の姿を捉えると、にたりと笑みを浮かべ、妖怪のごとくおぞましい声を僕に投げかけた。


「みぃ〜たぁ〜よぉ〜」


いるはずのない姉の姿を薄暗い廊下という深淵の中から見つけてしまった僕は蛇に睨まれたカエルのようにその場からピクリとも動けなくなり、全身から滝のような汗を吹き出し、張り裂けそうなほど心臓の鼓動が高鳴り、上手く呼吸もできなくなり、過呼吸に陥ってしまった。


なぜ…姉ちゃんがそこにいる?。


そんな疑問を目の前の深淵に潜む怪物にぶつけてやりたかったが、口の中がカラッカラに渇ききってしまって、言葉を発することすら出来なかった。


やがてその深淵に潜む怪物はぬるりと扉からその全貌を露わにし、生まれたての子鹿のように固まった僕へと迫って来た。


深淵のモンスターを目の前にし、卒倒しそうになっている僕に、奴は不気味な声をかけてきた。


「光輝ぃ〜、姉ちゃん見たよぉ〜、顔を枕に埋めて悶える弟の姿をよぉ〜」


その声は純粋な悪意を孕んだ好奇心に満ちていた。


深淵の怪物が僕へと放つ言葉の一つ一つが僕の胃を捻るように干渉し、全身を鎖で雁字搦めにされるような感覚に苛まれた。


「どうしたんだぁ?光輝ぃ〜。まさかぁ〜恋なのかぁ?ラブなのかぁ?」


死神の鎌を喉元に突きつけ、猟奇的な怪物は僕に迫り、僕を離そうとはしなかった。


こうなってしまってはもはや…逃れることは出来ない。


死への恐怖で僕の体は震え、その瞳からボロボロと涙が溢れ出てきた。


あまりの恐怖に嗚咽が止まらなくなり、僕は顔を真っ青にしてその場に蹲ってしまった。


そんな拷問を受けている囚人のような僕の姿を見て、姉は一言呟いた。


「いや、久しぶりの姉弟の再会なのにそんな反応するなよ、姉ちゃん傷つくわ」


「ごめん、昔からのトラウマでつい…」


「いや、むしろ姉ちゃんこそごめん、完全に私の自業自得だわな」


姉は呆れたようにそう一言謝罪を述べると、近くにある椅子に腰かけた。


「で、どうしたんだ?光輝」


話を元に戻そうと質問をしてくる姉から目をそらし、僕はダンマリを決め込んだ。


「おいおい、ダンマリかよ。言えよ、光輝」


そう言って姉は顔をニタニタさせながら再び僕に迫ってきた。


「…いやだ」


姉に弱みを見せるのは良くも悪くも影響が大きいので僕は愛里のことを話すを躊躇い、拒否した。


「そういうなよぉ、教えてくれよぉ〜、光輝ぃ〜」


「姉ちゃん、いい歳こいて恋バナにご執着とかみっともないからやめなよ」


「何を言う?。金と天気と恋バナに興味のない人間はこの世にいないんだぞ?」


「姉ちゃんの興味以前に僕の人権を…」


「いいから話せってぇ」


まぁ、この僕風情があの姉の追従を逃れられるわけもなく…結局諦めて僕は愛里とのことを一切合切話すハメになってしまった。


「ほうほう…愛里ちゃんとそこまで発展していたとは…」


僕の話を聞いて、姉は感心するように頷いていた。


「でも二人っきりの夜で結局もなかったと…」


「まぁ、そういうことですね」


「男女が二人っきり、同じ布団で寝といて何もないとは…この意気地なしが」


「で、ですよね」


そう言われると僕も思ってたから、僕は『意気地なし』という姉の言葉を素直に飲み込んだが、姉は一息ついてから再びこう言葉を続けた。


「…って、言いたいところだけど…まぁ、今回は許してやるわ」


「え?姉ちゃんにしては随分と寛容的だね」


「どういう意味だ?それ。…まぁ、今回の光輝の判断は悪くはなかったと思うよ」


「消極的な僕の行動を評価するなんてどうしたの?姉ちゃん。いつもなら『いまだ!そこだ!やれ!犯せ!』とか言いそうなのに…」


「私はどこの蛮族だよ?。まぁ、なんていうかさ…ぶっちゃけ光輝って…別に愛里ちゃんじゃなくても、やれるなら誰でもいいんだろ?」


「…まぁ、どうしても愛里じゃなきゃダメってわけじゃないけど…」


姉の的を得た発言に僕は思わず姉から目をそらしてそう答えた。


「光輝は愛里ちゃんとやりたかったんじゃなくて、やれそうなのが愛里ちゃんなだけだろ?」


「………」


姉の問いかけにはっきりと否定することも出来ず、ただただ目を泳がせながらダンマリを決め込むしか出来なかった。


そんな僕を一喝するように、姉はその場から立ち上がり僕にこう言い放った。


「そんな中途半端な輩に、私の愛里ちゃんはやらん!!」


「…いや、『私の愛里ちゃん』ってなに?。姉ちゃん、愛里とほとんど面識ないでしょ?」


僕が知る限り、愛里と姉ちゃんが会ったのは高校2年生の時に望を宿した姉に愛里を合わせたその時一度きりだったので、僕は勝手に愛里を我が物としている姉にそう問い詰めた。


「何を言う?私と愛里ちゃんは友達だぞ?」


「一回会っただけで友達ヅラとか…」


「何を言う?私と愛里ちゃんは今でも連絡を取り合う仲だぞ?」


「…え?」


姉と愛里の意外なパイプに僕は思わず声をあげた。


「1年前くらいに鷲宮東高校のOBOG会があってな、その時に愛里ちゃんと再会して連絡先を交換したんだ」


「え?そんなことあったんだ」


「言っておくが、何回か愛里ちゃんと二人で遊びに行ったこともあるぞ?」


「へぇ…意外な繋がりだなぁ…」


「愛里ちゃん、人脈を広げるために頑張ってるんだよ」


「そっかぁ、頑張ってるんだな、愛里…」


「おまけに何回か私と旦那の新居に招待したこともあるし、私の旦那とも面識がある」


「え?僕でさえまだ姉ちゃんの新居行ったことないのに?」


「そうだぞ。…なんなら光輝より愛里ちゃんの方がウチの旦那と仲良いぞ?」


「マジかよ!?どうなってんだよ!愛里の人脈!」


「まぁ、頑張ってんだよ、愛里ちゃんは光輝のために……いや、なんでもない」


「え?なんか言った?姉ちゃん?」


「とにかく!そういうわけでお前なんぞにうちの可愛い愛里ちゃんはやれんのだよ!!」


『うちの可愛い愛里ちゃん』と堂々を言えるに値する説得力のある姉と愛里の関係に僕は何も言えずにいた。


…っていうか、何回も家に遊びに行くほど愛里と姉ちゃんって仲良かったんだ。


愛里が僕の家に来たのは一回だけだし…もしかして、僕より姉ちゃんの方が愛里と仲良いんじゃ…。


っていうか…僕ってそんな愛里と仲良くないんじゃ…。


僕にとって愛里との温泉旅行は唯一の卒業旅行の思い出だけど…愛里にとっては、僕との旅行なんて数ある卒業旅行のうちの一つに過ぎないのでは…。


僕は愛里にとって特別な存在と勝手に思ってたけど…別にそんなことないんじゃ…。


愛里と僕との隔たりに僕が露骨に落ち込んでいると、姉が少し優しい声で僕に問いかけてきた。


「結局、光輝は愛里ちゃんとどうなりたいのさ?」


「どうなりたいって…」


姉にそう問われて、僕は改めて愛里との関係を考えてみた。


「光輝は愛里ちゃんのことどう思ってんの?好きなの?」


「好きだよ。…でも、僕が思うに好きには三段階あると思う。『この人でいい』っていう及第点は超えてるから愛せるっていう妥協的な好意の好き、『この人がいい』っていう数ある選択肢から相対的に好意を持っているという好き、『この人じゃなきゃダメ』っていう絶対的比べようのない絶対的評価の好意の好き。少なくとも僕にとって愛里は最初の『この人でいい』っていうラインは超えてるのは明白なんだよ。でも…それ以上なのかはわからない。『この人でいい』なんていう妥協を孕んだ好意を伝えるのは…なんだか気が引けるし、そういう不安を抱えたまま愛里に好きだなんて言いたくないんだ。僕は愛里への好意に絶対的な自信を持ちたい」


自分に言い聞かせるような僕の言葉を姉はめんどくさそうな顔をしつつも温かい目で見守ってくれていた。


そんな姉の瞳に後押しされて、僕ははっきりとこう答えた。


「僕は…僕の愛を証明したい。そうじゃなきゃ僕は…多分告白すら出来ないと思うから」


そんな僕の言葉を姉は気恥ずかしそうに受け止めてくれた。


「我が弟ながら…めんどくさいやっちゃなぁ…」


そう口にして困ったような顔をしている姉に、今度は僕から問いただした。


「姉ちゃんは…旦那さんのこと好き?」


「そりゃあ、好きだよ」


姉は少々恥ずかしそうな顔をしてそう答えたが、僕はこの機に乗じてもっと踏み込んで聞いてみることにした。


「姉ちゃんはその好きを…証明できる?」


「証明までは難しいだろうけど…少なくともその人と結婚して、その人の子供が欲しいくらいには好きって言えば、人に伝えるのにも、自分が納得するのにも、十分な説得力はあるっしょ」


「確かに…姉ちゃんくらいの答えなら僕でも納得出来そう」


「でも、恋愛に限らずそこまでなにかを好きって言えるようになるにはそれ相応の付き合いというものが必要なのだよ。私だって最初から旦那や美術のことが大好きってわけじゃなかったしね」


「そういうものなの?」


「そうだよ。旦那との付き合い始めも別にそんな相手のこと好きじゃなかったけど、告白されて付き合ってって言われて『まぁ、いいか』って妥協混じりにオーケーして、それから相手のいろんなことを知って少しずつ好きになっていって…まぁ、恋愛なんて最初は大体妥協だ。妥協しなきゃなにも始まらないからな。そういうわけでとりあえず付き合ってみれば?」


「いや、いきなりそんなこと言われても…付き合うってよく意味が分かんないんだよなぁ」


僕がボソリとそう呟くのを見た姉は、少し考え事をしてから僕にこう問いただしてきた。


「光輝はさ、例えば知り合って間もない女の子と遊びに行くとしたら、どうやって誘う?」


「…え?。…それは諦めるって選択肢はないの?」


姉の問いかけに僕は死んだ目をしながらそう答えた。


「例え話の中くらい、もうちょっと積極的になれよ。まぁ、確かにいきなり誘い出すのは難しいな。じゃあ、その時にたまたま映画のペアチケットを持ってたらどうよ?。それなら少しは誘いやすくならない?」


「んー…確かにペアチケットがあるなら『チケットがあるから』っていう大義名分を作りやすいし、誘いやすいかも…僕でも希望が見えてくるよ」


「目的は女の子をデートに誘うことでも、『映画』っていう大義名分がないと誘えない。でも恋人になれば、そういう大義名分はなくても不自然じゃなくなる。恋人だから一緒に出かけて、恋人だから手を繋いで、恋人だから一緒にいて、恋人だからセックスもする。共に何かをする理由を『恋人だから』でカタをつけられる。そうやって共に過ごすことでしか見えてこないものもある。光輝にとっては付き合うっていうのは漠然としたもので、どこか強引なものに見えるかもしれないけど、そうやって無理矢理にでも関係を作らないとやりにくいこともが沢山あって、それを乗り越えないと見えてこないものが沢山ある。少なくとも、光輝の愛を証明するには絶対に必要なものだと私は思う」


珍しく真面目なことを宣う姉に感心して、僕はただただ黙って姉の言葉を聞いていた。


「『好きだから』付き合うんじゃなくて、『好きか確かめるために』付き合うっていうのも交際を始めるのには十分な理由だと思うよ」


「うーん…でもなぁ…それだと愛里に失礼な気が…」


「っていうか、光輝は付き合う程度を重く受け止め過ぎてるんだよ!!これだから童貞ってやつは!!。『ちょっと試しに付き合ってみない?』くらい言えんのか!?」


「いや、でもさぁ…」


「じゃあなんか他に方法あんのか!?他にどうやってお前の好きを証明するんだ!?」


「んん…『この人がいい』って数ある選択肢の中から相対的に好意を持っていることくらいまでははっきりさせたいけど…愛里以外に比べられそうな人もいないし…そうなるともっと女友達を増やす必要があるわけで……あ、ダメだ、僕コミュ障だったわ。…詰んでる」


「…お前、それでも私の弟か?」


独り言で自己完結させて落ち込む僕に姉は呆れながらそう言ってきた。


「なんにしても、もう少し無理矢理にでも愛里ちゃんと関係を持ちな。…グズグズしてたらそのうち見捨てられるぞ」


「おっしゃる通りで…」


姉に背中をドロップキックで押し込まれた僕は携帯を取り出し、愛里へ連絡しようと試みた。


しかし、愛里とはよく遊ぶが、自分から誘ったことは最近はあまりなかったので、僕はどうやって誘おうか一瞬戸惑ってしまった。


少し考えて、僕たちの間にそういう時のための誘い文句があったことを僕は思い出した。


この言葉はもう、愛里には似合わないものなのかもしれない。


それでも、この言葉は僕らに…少なくとも僕にとっては特別なものな気がして…少し考えてからまたこの言葉から始めてみることにした。


そして僕はその日も、メールを通して問いただすのだ…『お一人ですか?』と…。

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