08話 食卓はロシアンルーレット
翌朝、裕司が食卓に着くといつものように食事が始まった。眼帯をした真冬は何事もなかったかのように卵焼きを口に入れる。
裕司はそれを見て気分が悪くなった。
橋が止まったままの裕司に、真冬が口を開いた。
「そんなに警戒しなくとも大丈夫だ。皐月が気にかけてきたのは私なのだし、調理には細心の注意を払っていると言っていただろう。現に今まで何度か間違いがあっても、いずれも大事にはいたっていない」
つまり真冬は、以前から皐月の悪意にさらされながらも平然とそれらを許容してきたということだった。
一方の皐月も、主人である真冬を憎みながらメイドとしての仕事をそつなくこなしてきたことになる。
眼帯をした和装の少女とメイド姿の女性。
以前と同じ光景でありながら、今の裕司にはそれがとても歪つに見えた。まるで食卓のあちこちから腐臭が立ちのぼるようだった。
「どうぞ」
突然の声に裕司は我に返った。皐月が裕司に向かって味噌汁を差し出していた。
裕司はそれをどうしていいか分からず凍りついた。
皐月はそんな裕司の様子に戸惑う様子もなく、ただ無表情に味噌汁を差し出し続ける。
その時、ズズッという音がした。
見ると、真冬が味噌汁をすすっていた。真冬は味噌汁の具のナスを箸でつまんで口に入れると、それを咀嚼して普通に飲み込んだ。
そうして一通り味噌汁を味わった真冬が皐月に言った。
「うん、いい塩加減だ」
「ありがとうございます」
それは、朝の何でもないやり取りだった。
それで裕司の金縛りが解けた。もう腐臭はしない。
裕司はぎこちない手つきで皐月から味噌汁を受け取ると、硬い声で皐月に礼を言った。
その日から、裕司の訓練はより実戦的なものへと変化した。
体力づくりは今までどおりだったが、剣術の稽古は型どおりではなくより動きの激しいものになったし、射撃訓練は射的のように的を撃つだけではなく、実際に皐月と撃ち合いをする模擬戦が加わった。
もちろんそっちは実銃を使用しない。よくできたモデルガンでゴーグルを付けて撃ち合うことになるのだが、奇妙なのはとにかく接近戦を挑むよう皐月に指示されることだった。遠間からの撃ち合いを避け、いかに敵の攻撃をかいくぐってふところに飛び込み銃弾を叩き込めるかに重点が置かれていた。
厳しさの増した皐月の訓練に裕司は面食らったが、そこに表面化した皐月と真冬の確執が関係していないわけはなかった。
それでも裕司は、皐月のあの取り乱しようを思うと皐月に何も聞けなかった。
そして、あの日の晩以降、真冬が離れを訪れることはなかった。
男がやってきたのは、そんなことがあった数日後だった。裕司にとっては、この屋敷に来た時以来の再会だった。
男はいつかのスーツ姿ではなく、今日は神社で神主が着るような和装だった。裕司が日頃訓練に使っている神社もそうだが、この山村一帯が貴藤流神道の総本山にあたり、この男がその当主だというのだから神主姿もおかしくはないといえる。
男が真冬に告げた。
「明日の朝3時に車を回す。用意しておけ」
それだけだったが、途端に部屋の空気が張り詰めるのが裕司にも分かった。
「分かりました、父上」
男はそれだけ聞くと、そのまま帰っていった。
裕司だけがわけが分からず、怪訝そうに真冬にたずねた。
「明日、何があるっていうんだ?」
「来れば分かる」
真冬はそれ以上答えるつもりはなさそうだった。仕方なく裕司は隣に座る皐月を見た。
だが、やはり皐月も裕司の疑問には答えてくれなかった。
「明日になればすべて分かります。ぜひ、後悔のない選択を」