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06話 龍虎の醜い争い

「病院?」


「ああ、今から愛梨の見舞いに行く」


 真冬がハッとしたように裕司を見た。

 裕司はそんな真冬を無視して病院の敷地に足を踏み入れる。手を引かれる形で真冬も渋々後に続いた。

 目当ての病棟の階段を上り、妹の病室の近くまでたどり着いたところで裕司は後ろを振り返った。


「いいか、絶対に余計な事は言うなよ。それと、俺は目に障害を抱えた女の子の家で執事の真似事をしてるってことになってるんだ。サングラスの下の目は閉じたままにしてろ」


 すると真冬が意味ありげに笑った。


「ああ、分かっている。だから安心するがいい。タ・ロ・ウ」


 これだから安心できないのだが、住み込みで自由のきかない裕司がこの機会を逃すと次の見舞いは一体いつになるか分からない。それに、普段妹のことをダシにして自分に言うことをきかせている真冬を妹と会わせることで、少しはその考えを改めるのではないかという淡い期待も裕司にはあった。


「……頼んだぞ」


 細かく注意しても逆効果になると思った裕司は、それだけ言うと少し緊張しながら妹の病室をノックした。


「はーい。どうぞ」


 中から明るい女の子の声がした。


「は、入るぞ」


 裕司が病室の扉を開けると、ベッドの上でテレビを見ていたセミロングの髪の可愛らしい感じの少女がパッと笑顔になった。


「あ、お兄ちゃん! お帰りなさ~い」


「あ、愛梨あいり。その……げ、元気にしてたか?」


「うん、元気だよ」


 そんなわけはなかった。いつ命にかかわる発作が襲ってきてもおかしくない入院患者に対して、元気かと聞くのはブラックジョークを超えて嫌がらせに近い。

 もう随分前に裕司はそう尋ねるのをやめていたのだが、真冬という常にない不安要素を抱えて裕司は思わずその禁を破っていた。


「どうしたのお兄ちゃん。中、入ったら?」


 入口で固まる裕司に妹がクスクスと笑いながら促す。裕司の葛藤などとっくにお見通しのようだった。


「あ、ああ……」


 力無く答えると、裕司はトボトボと病室の中に足を踏み入れた。

 すると、今度はそれまで笑顔だった妹の方が固まった。


「お、お兄ちゃん……。そ、その人は?」


 妹の戸惑いに気付いた裕司はあたふたと弁解を始める。


「こ、こいつはだな。ほらっ、前に言っただろ。目の不自由な子の家で住み込みで働くって」


「もしかして……貴藤真冬たかふじまふゆ、さん?」


 どうやら話が通じたようで裕司はホッとしたが、事はそれだけでは終わらなかった。


「で、でも……それ……」


 妹の視線が真冬とつないだ手にそそがれているのを感じた裕司が再びあわてた。


「こ、これはあれだ。こいつの目が見えないから手を引いてるだけで、ふ、深い意味なんてないからな? ご、誤解するなよ!?」


「な、な~んだ。ただの付き添いなんだ。ああ、ビックリした。お兄ちゃんに彼女でもできたのかと思っちゃった」


 そう言うと妹は胸を撫でおろして笑った。


「バ、バカだな。そんなわけないだろ」


「そ、そうだよね」


「「アハッ、アハハハハッ」」


 病室に乾いた笑いが響いた。




「フゥ。でも、私もそろそろ心配かな。お兄ちゃんたら昔から私にベッタリで、ご飯食べさせてくれたり、髪を結ってくれたり、体を拭いてくれたり、添い寝してくれたり。そんなんで彼女なんてできるのかなあって」


「い、いやアレはお前がしつこくせがんでくるから仕方なく…」


「あ、でも、だからといって役得で手を繋げるのを勘違いして、貴藤さんに言い寄って困らせたりしちゃダメだからね。貴藤さんは恩人の娘さんでお嬢様で、お兄ちゃんなんかとは絶対に釣り合わない高嶺の花なんだから」


「お、お前何わけわからんことを…」


「相手にされなくてもし寂しくなったら、暴発して襲ったりする前にちゃんと私に言ってね。この胸で抱きしめてあげることくらいなら、いつでもしてあげるんだから」


 妹は真冬と違って豊かな胸をポンッと叩くと、今度は急に恥ずかしそうにモジモジしだした。


「そ、それに……、私の体でいいなら、また拭いてくれていいよ。手が滑っていろんなところを触られても、私、ちゃんとガマンするから」


「え? 何言ってんのお前!?」


「そ、その先のお手伝いまでは(まだ)無理だけど……。でも、お兄ちゃんが私の体を拭きながら後ろでどんなことしてても、私知らないフリするね」


 ダメだった。妹は自分の知らない世界へ旅立っている。いつもの無邪気で純真無垢な妹は一体どこへ行ってしまったのか。

 妹の突然の変化に裕司は呆然とした。

 しかし、それでおさまらないのが裕司の同行者だった。


「さ、さっきから聞いていれば兄妹でいかがわしいことばかりぬかしおって。しかも小さな声で『まだ』とか言わなかったかこの小娘は? な、なんと破廉恥な!」


「わ、私はお兄ちゃんがあなたに迷惑かけないように言ってるんだから邪魔しないで!」


「フンッ、タロウの世話くらい私だけで十分できる。余計なお世話だ!」


「タ、タロウって何!? お兄ちゃんを犬扱いしないで! そ、それにそんな胸で十分なお世話なんてできるわけないじゃない。お兄ちゃんは巨乳好きなんだからね!」


 妹が勝ち誇ったように胸をそらすと、真冬の何かを押し殺した声が裕司の耳に聞こえてきた。 


「……そうなのか?」


「本当だよね、お兄ちゃん。いつも私の胸から困ったように目をそらすし、お兄ちゃんが好きなアイドルって巨乳ばっかりじゃない」


「ほうっ、どうりで御主人様に向かって残念だと言い放ったわけだ。これはあとで、じっくりと尋問せねばな」


「あ、いや、それは…」


 裕司としてはとんだとばっちりだったが、まるっきりの濡れ衣でもないので否定もできない。

 そしてそのことが、真冬を更にいらだたせた。


「そうだ、そんなに私の胸が嫌なら足で踏んでやるとしよう。もう何も出せなくなるまで、徹底的にな。そうすれば汚らわしい妹の色香に惑わされることもなくなるだろう」


「け、汚らわしいって何!? 私の思いは純粋なんだから! お兄ちゃんのあそこをいやらしく足で踏んでもてあそぶだなんて、あなたの倒錯したSM趣味と同じにしないでよ!」


「と、倒錯してるのはそちらだろうがこの変態ブラコン娘!」


 ガルルルッと言わんばかりに言い争う二人を前に、裕司はハーッとため息をついた。


「愛梨。また来るから……」


 見舞いの失敗を悟った裕司は、未だに妹を威嚇し続ける真冬の手を引いてトボトボと病室から出ていくしかなかった。




「まったく、一体何なのだあの妹は!」


 プリプリと怒る真冬の手を引きながら、裕司は人気のない場所を探して中庭の木陰にたどりついた。


「愛梨も悪かったけど、お前の方が年上なんだからもう少し何とかならなかったのか?」


 裕司が真冬をたしなめると痛烈な皮肉を返された。


「私より半年ほど年上のはずのお兄ちゃんはもっとダメダメだったがな」


「うぐっ…」


「完全に妹に手玉に取られていたではないか。しかも、妹相手に一体何をしてきたのやら。ああ汚らわしい」


「い、言っとくがやましいことは何もしてないからな!? 全部あいつの作り話だからな!」


「だが、体を拭いたり添い寝をしたりはしていたのだろう?」


「そ、それはまあ……小さい頃は」


「どうだか。あの様子では相当最近までさせられていたようだったぞ。なんならその先まですぐに押し切られそうな勢いだったではないか」


「その先って……そ、そんなわけないだろ!」


 顔を赤らめる裕司に真冬が面白くなさそうに吐き捨てる。


「フンッ! もういい。さっさと帰るぞこんなところ。まるで時間の無駄だった」


 それでも、裕司はすぐに動き出そうとはしなかった。何かを考えるようにうつむき、ジッと地面を見つめた。

 イライラとした真冬が裕司をせかす。


「ほら、どうした。皐月の帰りが心配ではないのか?」


 真冬にせかされ、裕司は心の踏ん切りがついた。

 裕司は真冬の足元にしゃがむと、地面に手をつき頭を下げた。


「お願いだ! 愛梨を……、妹を助けてやってくれ! あいつに心臓の手術を受けさせてやって欲しいんだ!」


 病院の中庭に沈黙が落ちた。

 しばらくして、その沈黙を破ったのはクックッという真冬の失笑だった。


「なるほどなるほど。私の家はお前たち兄妹の生活費から入院費まですべて出してやっているわけだが、それに加えて莫大な手術費まで都合しろというわけか。虫がいいとか、返す当てもないのにとは思わなかったのか?」


 改めてそう指摘されると、裕司としては何も反論できない。

 だが、裕司もここで簡単に引き下がるわけにはいかなかった。


「俺は一生お前の犬でも奴隷でも構わない。だから頼む。この通りだ!」


 裕司はついに額を地面にこすりつけた。


「フフフッ。そうだな、私もまんざら鬼ではない。貴様がそこまで頼むのなら、考えてやろうではないか。私が死ぬまで貴様が下僕として私に仕えると、今ここでハッキリ誓うのなら妹の手術をしてやろう」


「ほ、本当か!?」


 裕司がガバッと顔を上げると、真冬は妖しく微笑んだ。


「貴様は後で絶対に後悔することになると思うが、それでもいいのか? それで構わないというのなら、好きに誓うといい」


 そう言うと真冬は、地面にしゃがむ裕司に向かってスッと右手を差し出した。それは、いつかの屋敷での2人の対面シーンを思い起こさせた。

 表情を改め、意を決した裕司の右手がゆっくりと持ち上がっていく。

 それが今度こそ真冬の手の上に重ねられた。

 裕司は下から真冬の目を見つめてハッキリと運命の言葉を口にした。


「渡瀬裕司はお前が…いや、貴藤真冬が死ぬその日まで、下僕として貴藤真冬に仕えることを今ここで確かに誓う」


 それはまぎれもない『お手』なのだが、見ようによっては騎士がお姫様の前にひざまづいて忠誠をささげているようにも見えただろうか。真冬は、お手を受けた姿勢のまま固まっていた。

 何も言わない真冬に、裕司は不安になって声を掛けた。


「お、おい。こ、これでいいのか? その……ま、真冬お嬢様」


 裕司が初めてちゃんと口にしたその呼び名に、真冬はハッとしたような顔をした。


「あ、ああ……。しゅ、手術のことなら心配するな。何の問題もない」


「そ、そうか。あ、ありがとう。あいつの分も、礼を言う」


「う、うむ。せいぜい今のうちに恩に着るといい。すぐにその顔が怨嗟えんさにいろどられることになっても、わ、私は知らんがな」


 照れた真冬が憎まれ口を叩いているだけだと思った裕司は思わずあきれた。


「めんどくさい御主人様なのはもう十分知ってるぞ」


「……別に、そういう意味ではないのだがな」


 真冬の深刻そうな口調が裕司は気になった。


「じゃあ、どういう…」


「さ、さて! それではそろそろ本当に帰るとするか。皐月に外出が見つかるわけにはいかんだろ」


「あ、ああ」


 いまいち釈然としない裕司だったが、帰宅を急いだほうがいいのは確かだった。

 お手をした手で真冬の手をギュッと握りながら立ち上がると、裕司は出口の方へと歩き出した。

 その時、後ろで真冬が小さくつぶやいた。


「本当に、後悔しなければよいのだがな……」







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