05話 お散歩は誰がために
「それではあとはよろしくお願いします。夕方までには戻りますので」
「ちょっと気が重いですが、分かりました」
皐月は苦笑すると車に乗って週に一度の買い出しに出かけて行った。いつものメイド服ではなく、年相応の華やかな装いだったのが裕司には珍しかった。
裕司はハーとため息をつくと、重い足取りで駐車場から屋敷の中へと引き上げる。
だが、ガラリと玄関の戸を開けたらそこには眼帯姿で腕組みをした真冬が既に待ち構えていた。
「……何してるんだよ、お前」
「貴様、皐月がいないからといって勝手に街に遊びに行こうなどと、そんなことが許されると思ったのか?」
いきなりわけの分からないお説教を食らった。
「なに? しかも私も無理やり連れて行って共犯に仕立てるだと!? まったく、なんと悪辣な奴なのだ」
「いや、俺どこにも出かけるつもりなんて…」
「くっ、そこまでの覚悟なら仕方ない。ここで下手に抵抗して乱暴されてもかなわぬからな。大人しく貴様に従おうではないか」
しおらしくうなだれてみせる真冬に、裕司は頭が痛くなってきた。
「俺の一存で眼帯姿の箱入り娘を勝手に街に連れ出せるわけないだろ。バレたら俺はクビになっちまうよ」
「そうか、その言葉で今すぐクビになる危険が出てきた気がするわけだが、どっちがいいのだ?」
ぬけぬけと言ってのける真冬に裕司の顔色が変わった。
「き、汚いぞお前!」
「何とでも言うがいい。まあそれに、ようは私だとバレなければいいのだろう? これならばどうだ」
そう言うと真冬はカチャリと眼帯を外してフフンッと笑った。
裕司は、真冬の脅迫に膝を屈するしかなかった。
「妙だな。変装したはずなのにどうして道行く人間からジロジロと見られるのだ?」
長い黒髪は赤いリボンでツインテールに分けられ、上はTシャツに裕司のウインドブレーカー、下はヒザ上のミニスカートに身を包み、最後にさっき裕司がコンビニで買ってきた小ぶりのサングラスをかけた真冬が不思議そうに裕司に聞いてきた。
眼帯を外して髪型をいじり、普通の女の子の恰好をした今の真冬は、まるで読モか私服姿の芸能人のように裕司には見えた。せめて目立つサングラスだけでも外させるかと思ったが、素顔をさらすのはそれはそれで昔の知り合いとかに会えば危険そうだし、まさか眼帯に戻すわけにもいかない。
考えあぐねた裕司は仕方なくこのまま押し通すことにした。
「……そうか? 別におかしな格好ってわけじゃないんだから、堂々としてれば大丈夫だろ」
「うーん、そんなものか」
「そ、それよりもだ。これをどうにかしてくれ……」
裕司は苦い顔をして立ち止まると、さっきから真冬に握られている自分の手を掲げて見せた。
「ああそれか。御主人様をエスコートするのは下僕の役目だろう? それに、万が一にもはぐれるわけにはいかんしな」
「これのせいでさっきから俺まで一緒に見られて周りの視線が痛いんだよ!」
なんでこんな美少女が無愛想で冴えない感じの男と一緒に歩いてるんだ、といった通行人の声が聞こえてくるようで裕司はいたたまれなかった。それに、真冬の柔らかな手の感触も気になる。
「なんだ、やっぱり貴様も気になっていたのではないか。ならばなおさら貴様を逃がすわけにはいかんな。下僕は主と一蓮托生だ」
そこで真冬はニヤリと笑った。
「それとも、首輪に鎖の方が良かったか? タロウ」
「願い下げだ……」
これ以上嫌がると本気でそうなりそうな危険を感じた裕司は、それ以上の抵抗をあきらめるしかなかった。
ハーッとため息をつくと、大人しく真冬の手を引いて裕司はまた歩き始めた。
「それで、どっちが見たいんだ?」
真冬の希望でシネコンの入ったショッピングモールに裕司達はやってきた。今から間に合いそうなのは流行の恋愛映画と、スプラッターっぽいサスペンス映画の2つのみ。
「そうだな。あっちがいいかな」
真冬が選んだのは、果たしてサスペンス映画の方だった。
女の子としてその選択はどうなのかと裕司は思ったが、真冬のアレな性格を考えるとこれはこれで似合いというべきか。
そう納得した裕司だったが、賢明にもコメントは差し控えた。ショッピングモール内のペットショップで首輪と鎖を買う羽目になるのは絶対にごめんだった。
「なかなか面白い映画だったな。しかし、そろそろお腹もすいてきたかな」
「お前、あの映画見た後でよくそんなセリフが出てくるよな……」
映画は想像以上にスプラッターだった。2人の座席の間のヒジ掛けに手を置かされていた裕司だったが、上に重ねられた真冬の手を気にするよりも自分がヒジ掛けを握り締める方に必死だった。
正直、裕司は食欲などまったくわかなかったが、確かに時間的にはもうお昼過になっていた。
疲れた声で裕司は真冬に聞いた。
「そうだな。じゃあ、ファミレスでいいか?」
裕司達は近くのファミレスに移動した。
そこで座席に座ろうとした裕司はとある不便に気付いて真冬を見た。
「おい、これをなんとかしろよ」
繋がれた手を裕司が掲げてみせると真冬は何事か考えだした。
「ふむ、そうだな。対面ではあるし、よしとするか」
そう勝手に納得すると、ようやく真冬は裕司の手を離した。
しばらくぶりに解放されて、裕司はホッとしながら席に座った。真冬も裕司の対面に腰を下ろす。
注文からしばらくして料理がやってきた。裕司の前にはアイスコーヒーとサンドイッチが、そして真冬の前にはコーンスープとサーロインステーキが並べられた。
裕司はジュージューと音を立てる鉄板を何ともいえない思いで眺めた。おまけに真冬はデザートにフルーツパフェまで注文済みだった。
真冬が肉汁のしたたる赤い肉片をおいしそうに口にする。それを見た裕司は、さっき見た映画のワンシーンを思い出して顔をしかめた。
「お前、よくそれを平気で食べれるよな」
「ああいった光景には慣れているからな」
こともなげにそう返されてしまった。
やはりあの手の映画が好きなのだろう。そう思った裕司はそれ以上ステーキを食べる真冬を眺める気にはなれず、アイスコーヒーをすすると窓の外に視線をやった。
コーヒーの香りと街路樹の緑のおかげで裕司はようやく人心地ついたが、普段眼帯をしているはずの真冬がどこでそういったシーンを見る機会があったのかについては遂に気が付かなかった。
見るとはなしに外を眺めながらアイスコーヒーを裕司がすすっていると、突然見知った人影が裕司の目に飛び込んできた。それは、朝見送ったはずの皐月だった。
あわてて身を隠そうとした裕司だったが、すぐにその必要がないことに気付いた。
ファミレスの窓ガラスには何本かの横ラインがペイントされており、こちらからは通りが見通せても外からは店内の様子が分かりづらいようになっている。おまけに相手は車道を挟んだ向こう側を歩いていた。
裕司は胸をなでおろすと、少し落ち着いて皐月の様子をうかがった。
すると、皐月は一人ではなかった。皐月の横には男の姿があった。
目つきが鋭く、がっしりした感じの長身の男だった。
皐月は並んで歩くその男にしきりと話しかけていて、屋敷では見たことのない笑顔を浮かべていた。
裕司はいつもと違う皐月の服装や遅い帰り時間にようやく納得がいった。
しかし、嬉しそうな皐月の姿とは対照的に、男の方があまり皐月に意識を払っていないようなのが裕司は気になった。露骨に邪険にしている感じではないが、かといって笑顔で応対しているわけでもない。
裕司はいろいろと想像しかけて、やめた。皐月はこれからも世話になる先輩で、そのプライバシーを勝手に覗き見たことにいくばくかの罪悪感すら感じる。
そうこうするうちに皐月の姿は雑踏の向こうに消えていった。
なぜかホッとした裕司が店内に目を戻すと、真冬は既にステーキを食べ終えフルーツパフェに取り掛かっていた。
「そこの通りを皐月さんが歩いていたぞ」
裕司の言葉に真冬のスプーンが止まった。
「もう満足だろ。皐月さんにバレない内にさっさと戻るぞ」
しばらくして、真冬はまたパフェを食べだした。
「皐月が戻るのは夕方なのだろう? なら、あと一か所くらいどこかに案内してくれたら考えてもいい」
その提案に裕司は考え込んだ。
やがて、裕司の脳裏に1つの場所が思い浮かんだ。
「俺の行きたい場所でもいいんだな?」
「有意義なところならな」
「……分かった。あとで文句なんていうなよ」