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17話 中に誰もいませんよ?

 車から降りた裕司は、大きな米袋を肩に担いで屋敷に向かって歩き出した。

 だが、屋敷の玄関が見えたところで裕司はその米袋を取り落とした。


「な、何だよ……アレ」


 裕司の目は玄関に血まみれで転がる人影をとらえた。それはなぜか、見覚えのある洋服をまとっていた。

 ふらふらと裕司はその人影に歩み寄る。

 間近で見下ろすソレは片腕がもげ、片足もちぎれかけていたが頭部は無事なようだった。

 裕司は吸い寄せられるように傍らにしゃがみ込むと、震える手をソロソロと伸ばして乱れた前髪をかきわけた。そこには、よく見知った顔があった。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 魂が裂けてゆくような叫びがあたりに響いた。

 裕司が遺体を抱き上げると、ズルリと何かがこぼれ落ちた。


「あ、愛梨!」


 裕司は血相を変えて玄関にこぼれたモノを必死にかき集めようとした。


「だ、大丈夫だぞ愛梨! こ、ここここんなのすぐに俺が元に戻してやる。だ、だから全然心配しなくていいからな? きゅ、救急車だって、すぐに呼んでやる!」


 だが、濃いピンク色をした太い紐のようなソレは、ヌメヌメと滑って集めても集めても裕司の手をすり抜けていく。それでも裕司は夢中で手を動かし続けた。


「そ、そうだ、ついでに心臓の手術も一緒にしよう! お、俺、あいつに約束させたんだ。お前の手術をするって。何かうるさいこと言ってしぶってたけど心配するな。そんなのすぐに終わらせてやる。だからお前は大丈夫だぞ。もう発作におびえる心配なんかない。自由な生活を送れるんだ。う、嬉しいか? 嬉しいよな、愛梨!?」


 妹からの、返事はなかった。

 玄関にこぼれたモノも、ただグチャグチャとかき混ぜられるだけで元に戻りそうにはなかった。

 やがて、必死に動いていた裕司の手がゆっくりと止まった。


「どうして……、どうしてこんなことが…………」


 無残な状態の体とは反対に、なぜか安らかともいえる死に顔をした愛梨の頭を抱くと裕司は叫んだ。


「誰か……、誰か俺に教えてくれよ―――――――――――――――――――――!!」






 裕司に近づいてくる足音があった。

 裕司は愛梨の頭を抱いたまま動こうとしなかった。

 足音は裕司の背後で止まった。だが、何かをちゅうちょするような気配があるだけで、なかなか話しかけてこようとはしなかった。

 先に口を開いたのは裕司の方だった。


「……俺、昔こいつに言ったんですよ。お前なんか、死んじゃえ……って」


 裕司の告白に、背後の気配が揺らいだ。


「母さんはこいつの看病にかかりっきりで、いつも俺は一人家で留守番。母さんにかまってもらえないのが嫌で、甘え上手な妹が妬ましくて、ついそう怒鳴ったんです。こいつはひどく傷ついた顔をしました。それでようやく自分が何を言ったのかに気がついた俺は、怖くなって病室から逃げ出しました。

 翌日、俺がおそるおそる病室に入ると、こいつはいつものように嬉しそうにお兄ちゃんって俺のことを呼ぶんですよ。そしてまるで何事もなかったように、いえ、以前より明るくふるまうんです。謝ろうと思っていた俺は……、もうその言葉を言えませんでした」


 裕司は力無く笑った。


「だけど……、何もないわけがなかった。あの日からこいつは徐々に変わっていった。俺に気を使って母さんのように振舞ってみたり、少し過剰なくらい俺に甘えてみたり。ふてくされてた俺を何とか励まそうとしてくれたんです。俺はその笑顔にだまされたフリをしました。そして、あの時の言葉を忘れようとした」


 もし真冬がここにいれば、それは弱みに付け込んで篭絡ろうらくしようとしただけだ目を覚ませと諭しただろうか。それとも、パパのお嫁さんになるというたぐいの戯言たわごとへの妄執もうしゅうに、これだから病院育ちの純粋培養は手に負えないのだ、と吐き捨てたか。


「でも、忘れられるわけがなかった。だから俺はいつかこいつに謝ろうと、そしてその言葉に真実を込めようと、頑張ることを自分に誓ったんです。なのに、なのにこいつは……。結局あの時の俺の言葉だけを抱えて……」


 裕司は愛梨の遺体を強く抱いた。


「俺が代わりに死ねばよかったんだ。どうして……、どうしてこいつだけがいつもつらい目に!」


 裕司の嗚咽だけがあたりに響いた。






「ここ最近の私が外出がちだったのは、実は愛梨さんと会っていたからです」


 不意に皐月がそう切り出してきた。

 裕司の背がピクリと震えた。

 皐月は沈鬱な声で続ける。


「会って、私が知る限りのことを愛梨さんに話しました」


「……どうして、そんなことを」


 たずねる裕司の声はかすれていた。


「私には、愛梨さんの様子を見る役目も課されています。先日病院に行った時、私はひどく愛梨さんから問い詰められました。どうして自分たちを引き取ったのかと。そして裕司さんはどうしているのかと。

 私は何とか誤魔化そうとしたのですが、愛梨さんは何か裏の事情があることを確信しているようでした。強く懇願されてしまうと、私も母を亡くしているだけに黙っていることができませんでした」


 皐月の言葉で裕司は直感した。真冬と病院に行ったことが引き金だったのだと。もしかすると中庭での一件すら見られていたのかもしれない。そうでなければいきなり妹が態度を変えた説明がつかなかった。


「すべてを知った愛梨さんは、どうしてもお嬢様と二人で会いたいと希望しました。その前に裕司さんと話し合ってはどうかと私も勧めたのですが、まったく聞き入れてもらえませんでした。とにかくお嬢様との面会の段取りを内緒で整えてほしいと。そうでなければ自分にもそれ相応の覚悟があると思い詰めた顔で言われてしまい、やむを得ず私はその手助けをしてしまいました。それがまさか、逆上したお嬢様に殺されてしまうなんて……」


 裕司の背後で衣擦れの音がした。


「ごめんなさい。謝って済む問題でないのはよく分かっていますが、私にはこうするしかありません」


 裕司がゆっくりと振り向くと、そこには石畳の上で正座して地面に両手をつきながら深く頭を下げる皐月の姿があった。


「や、やめて……ください。悪いのは……皐月さんじゃ、ない」


 裕司はそんな皐月の姿から目をそらした。


「たぶん、皐月さんに内緒で病院に行った時に、中庭で俺があいつに土下座してるのを……見られてたんだと思います。それに、俺がそれからも見舞いに行ってれば、こんなことには……。なのに俺は、自分のことを考えるのに精いっぱいで、こいつをほったらかしにしてしまった」


 裕司は無念そうにきつく眼を閉じた。


「だから悪いのは。こいつを殺したのは……。俺と…………あいつ!」


 目を開けた裕司は、妹の遺体をそっと横たえるとユラリと立ち上がる。そして土足で屋敷に上がった。


「ま、待ってください! どこへ行くのですか!?」


 皐月の声に裕司は拳を強く握りしめた。


「どこって……そんなの一つしかないじゃないですか。あいつを、殺しに行くんです。あいつはこれ以上生きてちゃいけない。だから……、俺が終わらせてやるんです!」


 そう言うと裕司は廊下の奥を突き進んで真冬の部屋の襖を開け放った。だが、そこには誰もいなかった。

 半狂乱になった裕司は屋敷中を探し回ったが、結局、真冬の姿はどこにもなかった。


「おそらく、本家の方に逃げたのでしょう」


 いつのまにか傍に来ていた皐月の言葉に、裕司は今度は外へ駆けだした。


「無駄です! 今からでは本家の人間にはばまれて会うことすらできません!」


 裕司はハッとして立ち止まる。


「いくらあなたが審神者さにわの力を有していようとも、剣術にたけた本家の人間が相手では到底勝ち目はありません。取り押さえられて、どこかに幽閉されるのが関の山でしょう」


「それじゃあ、俺はもう……愛梨の仇を討つことすら、できないのか?」


 絶望で目の前が真っ暗になった裕司は、その場にガックリとくずおれた。

 そんな裕司に、皐月がためらいがちに声を掛けた。


「手が、ないこともありません。非常に遠回りで、不確実な方法になりますが」


「…………え?」


「政府が組織する、対鬼用の特殊部隊が警察の中にあります。そこなら里の手も届きにくいでしょう。あなたは部隊で戦闘技術を磨きながら、機会を待つことができます。それにもし、血に酔ったお嬢様の存在が今より危険視されるような事態になった場合、政府が鎮圧に使えるのはその部隊だけです。その時は、審神者たるあなたの力がものをいうことになるでしょう」


「じゃあ……」


 裕司の中に暗い希望がともるが、その炎に皐月は冷水を浴びせかける。


「ですが、そうなればあなたは職務として鬼を殺すことになります。あなたのお母さまと、同じ存在を」


「母さん、を?」


 皐月はうなずいた。


「それでもあなたの力があれば、鬼をそのあわれな業から速やかに解き放ってやることができます。鬼との戦闘で命を落とす人の数も減るでしょう。つまり、あなたの存在には鬼と人間の双方を救う可能性があるのです」


「俺が……救う? 病気の妹すら救ってやれなかった、この俺が!?」


「私は車で待っています。もしその気があるのなら、私が部隊まで案内しましょう。おそらく時間は、あまりないと思います」


 皐月は裕司に背を向けると、屋敷の外に歩み去った。

 残された裕司の中で、やり場のない怒りだけが渦を巻く。


「ちくしょ―――――――――――――――――――――――――――――――!!」


 そして裕司は、最後まで気付くことがなかった。妹の落とした短刀を、皐月がひそかに回収して隠し持っていたことに。







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