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13話 その発想はなかった

「どこへ行くというのだ」


 ボストンバッグを肩にかけ、靴を履いた裕司が玄関から出て行こうとすると不意に背後から呼び止められた。

 裕司は振り返ることなく告げた。


「ここを出る」


「わ、私はそのような行動を許した覚えなどない!」


 裕司は真冬の言葉を無視して玄関の引き戸に手をかける。


「い、妹はどうするのだ! 貴様がここを出ていくというのなら、妹はあの病院から追い出されるのだぞ。それを分かっているのか!」


 真冬のあせった声に、裕司は戸から手を放すとゆっくり振り返った。

 だが、ちぎれたワンピースの肩紐を結びなおしただけの真冬の姿に、裕司はさっきの行為を思い出して顔をしかめた。

 それでも何とか気を取り直すと、裕司は険しい顔で宣言した。


「もう、俺たちはこの家の世話にはならない。これからは、愛梨と二人で生きていく」


「バカな……。そんなこと、できるわけがない。妹の治療はどうするというのだ!」


 その言葉に裕司はカチンときた。


「親の仇にみじめにすがりながら生きていると知って、あいつが素直に治療を受け続けるわけがあるか! 母さんが自分の治療にどれだけ苦労してきたかを一番知ってるのはあいつなんだぞ? その母さんがなぶり殺されたんだ。それでもあいつが退院を望まないなんてこと、絶対にないんだよこのバカ!!」


 裕司はハアハアと肩で息をした。


「分かったら、二度と俺たちにかかわるな」


 そう言うと裕司は真冬に背を向けた。


「ま、待て!」


 真冬の必死な声にかまわず裕司は玄関の戸を開けた。


「い、妹が知らなければどうなのだ!」


 歩き出そうとした裕司の足が真冬の声で止まった。


「知れば退院するというのなら、知らせなければいい。そうすればすべて今までどおりではないか!」


 真冬のあまりに身勝手な言い草に裕司は思わず真冬に振り向いた。


「そんなことできるわけないだろ! 母さんの最後だぞ? それをお前は黙ってろって言うのか!」


「知れば退院して、死んでしまうというのなら仕方あるまい。それとも貴様は、そんなに妹に死んで欲しいのか?」


「そ、そんなわけあるか!」


「なら、すべてを告げぬことだ。母親はこれまでどおり連続猟奇殺人事件で殺されたのだ。それでいいではないか」


 真冬はそこで嗜虐的な笑みを浮かべた。


「それとも、残酷な真実を告げて失意の中でみじめに死んでいく妹の姿を、じっくりと鑑賞する方が好みだったか? それなら引き留めるなどと無粋な真似をして悪かったな。すぐに妹のもとへ行ってやるがいい」


 その醜悪な邪推に裕司は吐き捨てるように怒鳴った。


「お前なんかと一緒にするな!」


「ならば、わがままで妹を殺すのはやめたらどうだ?」


「なん……だと?」


 裕司は真冬に何を言われたのか分からなかった。


「だってそうではないか。私は貴様の妹を助けるために手術をしてやると言っているのだぞ。なのに自分だけが真実を知る苦しみから逃れたいという、身勝手な欲望のためにそれをぶち壊そうとしているのがわがままでなくてなんだというのだ。貴様は、自分のわがままで妹を殺すのだ」


 裕司は唖然とした。


「俺が……殺す?」


 真冬はゆっくりとうなずいた。


「そうだ。貴様が、殺すのだ」


「ち、違う……。そんな……つもりじゃ、ない。俺は、あいつを助けるんだ。助けなきゃ……ダメなんだ……。じゃないと、俺は……」


 うわごとのようにつぶやき続ける裕司に真冬は甘くささやいた。


「妹を助けたいのだろう。ならば、ここにいろ。それだけで貴様は妹を救うことになる」


 裕司のつぶやきが止まった。裕司はすがるような目を真冬に向けたが、すぐにハッとしたように首を振った。


「ウ、ウソだ! そんなこと言って、また俺をだますつもりなんだろ!」


「ウソではない。私はウソなどついたことはない。確かに黙っていることはいくつもあったが、それとて皐月を脅して口止めなどしなかったではないか」


 それは、確かにそうだった。さすがに名家のお嬢様というべきか、そういったところだけは妙に義理堅いのが余計に裕司をいらつかせた。


「さあ、選ぶがいい。己の弱さで妹を非業の死へと追いやるのか、自分は暴虐な主人のもとで辛酸をなめようとも、妹だけは何も知らず幸せな人生を送らせてやるのか。どちらにするのだ、『お兄ちゃん』」


 こんな問われ方をして、裕司に選択の余地など残るわけがなかった。それでも、せめてもの抵抗を裕司は試みた。


「手術は……、確かにしてくれるんだろうな」


「当たり前だ。病院の中庭で私は既にそう約束したからな。貴様があの時の誓いをたがえぬ限り、私は必ず約束を守る。

 それに、事前にちゃんと言っておいたはずだぞ。後で絶対に後悔することになるとな」


 あの時に言っていたのはこのことだったのかと裕司は思ったが、今更それを知ったところで事情は変わらない。裕司はガクリとうなだれた。


「……分かった。好きに、しろ」


 だが、真冬は裕司の決意をフンッと鼻で笑った。


「足りないな」


「…………なに?」


 裕司がにらむと真冬はもう一度繰り返した。


「その言葉では足りないと言っている」


「や、やっぱり約束を守る気なんてないんじゃないか!」


 色めき立つ裕司に真冬は苦笑した。


「そうではない。確かに約束はしたが、貴様はその後で何をした? 御主人様に襲い掛かったあげく屋敷を出て行こうとした下僕を、そんな言葉一つで再び信用できると思うのか。手術が終わったとたんにこれもまた復讐だとか言って、再び屋敷を出ていかれてはたまらんからな」


 無残な姿の真冬にそう言われると、さすがの裕司も反論できなかった。


「なら、どうしろって……いうんだよ」


「そうだな。ここは一つ、誠意を見せるための儀式をこなしてもらおうか」


「儀式?」


「なに、簡単なことだ。今の貴様なら問題なくできるだろう」


 裕司はとっさにここにきてからの訓練のことを思い出した。


「まさか……、俺に鬼を殺せって言うのか!?」


「そんな物騒なことではない。もっと楽しいことだ。その楽しさを知れば、貴様もきっと病みつきになることだろう」


 裕司はそのセリフに聞き覚えがあった。しかもついさっきだ。

 真冬が嗜虐的な笑みを浮かべて宣言した。


「私の目の前で、貴様が一番気になる女を徹底的に凌辱してみせろ」


 裕司は絶句した。


「妹を救うという大義名分のもとに背徳の限りをつくす愉悦を味わえば、貴様は二度と私のことを非難できまい? 相手の女はそうだな、これまでで一番犯したいと思った女にしようか。それなら気分も盛り上がるし、忘れられない思い出になって貴様を縛ることだろう。この儀式を無事にやり遂げたなら、私も貴様を再び信用すると約束しようではないか」


「そ、そんなこと……、できるわけないだろ!」


 だが、裕司の叫びなど真冬はまったく聞いていなかった。


「どうだ、誰かいないか? ああ、後のことなら心配しなくていいぞ。うちの権力を使えばそんな事件など、簡単にもみ消せるからな。さあ遠慮なく言え。あこがれの女教師や片思いの同級生、病院の美人ナースでも誰でもいいのだぞ」


 そこで真冬は意味ありげにささやいた。


「それとも、殺したいほど憎くていつか襲ってやろうと思っている女がいるのであれば、そっちでもいい。むしろその方が、貴様も興奮できそうだしな」


 裕司はハッとしたように真冬を見た。


「ん、どうした? おかしな目で私を見て。何か変か?」


 真冬が自分の体を見下ろすと、そこにはワンピースが無残に裂けてブラジャーや白いお腹がのぞく、煽情的な姿の自分があった。

 真冬はわざとらしく驚いた。


「そういえば、さっき私は貴様に犯されかけたんだったな。しかも憎い母親の仇ということは……、何と恐ろしい奴だ。まさか私の言葉を逆手にとって復讐を果たそうとはな。やれやれ、飼犬に手をかまれるとはまさにこのことだな」


 なげかわしそうに真冬は頭を振った。


「しかし、一度約束すると言った以上は私からその言葉を破るわけにはいかぬ。そんなことをすれば、貴様は二度と私を信用しないだろうからな。ああ、なんと小賢しい真似なのだ。その狡猾な条件、遺憾ながら私は飲むしかなさそうだ」


 いかにも断腸の思いであるかのように「くっ…、好きに犯せ」と真冬はうめいた。


「だが、これは貴様と私とが交わす文字通りの血判状というわけだ。貴様を縛る、これ以上ない鎖になりそうではないか」


 フフフッと凄絶に笑う真冬を見て、裕司は真冬の狂気にからめとられる自分を感じた。そしてその狂気が、裕司にはおよそ理解できなかった。


「お、お前はそんなんで……いいのかよ。まだ処女なのに、復讐なんかでレイプされて……。それでお前は、平気なのかよ……」


「フンッ。鬼を殺すことしか能がなく、はずみでうっかり人を殺してしまうような化物の貞操の心配とは、まったくお優しいことだな。だが安心しろ。こんな化物女を犯そうなどと考える物好きは、審神者さにわである貴様くらいのものだ。それに、一方的に踏みつけられる痛みを教えて少しは真人間にしてくれるのだろう? ならば、これはもう立派な忠義ではないか。

 まあ、やることは鼻持ちならない小娘への容赦ない凌辱に過ぎないがな」


 狂気の奥にひそむ少女の痛烈な自虐と皮肉に、裕司はそれ以上かける言葉がなかった。


「では、決心がついたら好きな日を指定しろ。その日は丸一日皐月に暇を出す。あまりぐずぐずとしていたら、その間に妹が死んでしまうかもしれぬからいつまでも悩む時間はないぞ。それとも…」


 真冬はニヤリと笑って裕司に聞いた。


「私は貴様の激しい責め苦で、無事に朝チュンを迎えられるのかを心配した方がいいのかな」







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