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10話 メイドとドキドキロングドライブ

 真冬を来た時と同じ車に乗せて見送ると、皐月は裕司の方に振り向いた。


「裕司さんは私の車にどうぞ」


 その言葉で、裕司はどうして皐月が自分の車で来たのか分かった。皐月はこのような状況になるのをあらかじめ予測していたのだろう。

 裕司が助手席に座ると皐月は黙って車を発進させた。

 車が高速に上がったところで、やっと皐月は口を開いた。


「ニュースにもなったのであなたも知っているかもしれませんが、このY市では最近、連続猟奇殺人事件が起こっていました」


 裕司はこのあいだ真冬と一緒に見たニュースのことを思い出した。


「さすがに事件の詳細は情報統制で伏せられましたが、実際には被害者は惨殺されただけでなく、その血肉を喰われるという異常な事件だったのです。特に脳は、脳内麻薬物質の関係からか優先的に狙われます」


「の、脳を!?」


 裕司の衝撃に皐月は静かにうなずいた。


「そうです。この事実をもしマスコミが記事にしたなら、さぞかしセンセーショナルなものになるでしょう。

 ですが、その事件は先ほど解決しました。犯人の死亡によってです」


「……まさか、さっきの男の人がその犯人だとでも?」


「あれは鬼と、それを討った貴藤流神道たかふじりゅうしんとうの祈祷師との戦いでした」


 裕司は自分の耳を疑った。


「今、鬼っていいましたか!?」


「そう、鬼です」


「正気ですか?」


 皐月は裕司の失礼な発言にも怒らなかった。


「あなたの鬼に対する認識がどのようなものかは分かりませんが、私たち貴藤流神道たかふじりゅうしんとうではあれを鬼と呼んでいます。火や風といった超常の力を自在に操り、火事場の馬鹿力のような人間離れした身体能力を有し、人を襲い、喰らう。そんな鬼を古来から討滅してきたのが、貴藤流神道の祈祷師と呼ばれる術者たちです。本来は鬼を討つと書いて鬼討士であり、貴藤たかふじも実はその当て字にすぎません」


「一体……どこまで本気なんですか?」


 裕司はだんだんわけが分からなくなってきた。

 鬼というのはにわかには信じられなかったが、かといって池のほとりで目撃した異常な戦いのことを考えると、皐月の言葉を妄言だと簡単に否定することもできなかった。


「昔話がお嫌なら、今の話をしましょう。政府は鬼のことを、ハイゼンベルク症候群を発症した悪性の患者と定義しています。この場合、貴藤流神道の術者は良性ということになりますね」


「せ、政府?」


 裕司は愕然とした。


「まさか……、皐月さんはあんな超常現象を政府が認めているとでも言うんですか?」


「そもそも時の権力者の協力が無ければ、鬼を討つなどという行為をこれまで続けてこれたはずがありません。特に現代においては、警察やマスコミを抑えないことには不可能です」


 裕司は皐月が池のほとりで地方警察と口にしていたことを思い出した。


「でも、こんなこと一度も聞いたことが……」


「この事実は厳重に秘匿されています。鬼の存在を公表すれば深刻な社会不安が起こるからです」


「そりゃそうかもしれませんが、もし本当にそんな殺人鬼が社会に紛れてるっていうなら、すべてを公表して厳戒態勢でも取った方がいいんじゃないですか」


「誰が発症したとしてもおかしくない、奇病のようなものだとしてもですか?」


「……え?」


「鬼の因子は既に広く人間社会に拡散しています。それがどのような遺伝子の結合で鬼となる人間が生まれ、いつ目覚めるかはまだよく分かっていません。そこには環境も深く影響してきます。

 しかし、一度目覚めてしまえば鬼の狂気に段々とむしばまれ、最終的には衝動のおもむくまま見境なく人を襲って喰らう化物になりはてる。この事実をもし公表した場合、一体どうなると思いますか?」


 そう聞かれて裕司は言葉に詰まった。


「見分ける方法も治療するすべもない奇病がまん延しており、発症した人間が次々と食人鬼になって襲ってくるなどと公表したら社会はパニックになるでしょう。友人や隣人どころか、家族ですら信用できなくなるのだから当然です。互いの疑心暗鬼はやがて社会秩序そのものを崩壊させ、最終的には日本という国が溶けてなくなりかねない。ですから時の権力者たちはこの事実を隠蔽し続け、貴藤流神道の活動を黙認し、時に支援してきた」


 皐月の口調には真実の持つ重みのようなものが感じられて、裕司はただ圧倒された。


「地鎮祭がしきりに執り行われるのもそのためです。人の強い負の想念は鬼の因子を呼び覚まします。術による因果律の乱れも場を不安定にし、事後に鬼火やかまいたちといった災厄を引き起こすだけでなく、人々の精神をかき乱してよどみを生む。そういったもろもろのけがれを払い、鎮め、鬼への覚醒を未然に防ぐことが地鎮祭の隠れた目的なのです」


 地鎮祭にまさかそんな意味があったとは、裕司の中で社会に対するこれまでの認識が激しく揺らいでいく。


「鬼と、それを討つ術者とやらはどう違うっていうんですか……。俺からしてみれば、どっちも人間離れした化物にしか見えない」


 裕司の脳裏から、不可思議な力で青年を殺した真冬の姿がこびりついて離れなかった。


「鬼の狂気を宿しているか否か、でしょうね。術者の家系の人間は精神的に安定している者が多いのですが、代わりに術の威力については全般的に鬼より劣ります。術の行使にも、意識の強い集中によるトランス状態が必要になる。祝詞のりとを唱えるのはいわば自己暗示であり、勾玉のはまった銅鏡や刀剣を用いたりするのはそれらが術の発動を補助する神器だからです。

 これが鬼であれば、その強い狂気ゆえにそういった制約なしに強力な術を行使できる。だから本来、鬼と渡り合うのは非常な困難を伴うのです」


 そこで裕司はようやく気付いた。皐月も以前、銅鏡を持って術を使おうとしたことを。つまり、皐月にもさっきの真冬と同じことができるということになる。人や鬼を、殺すことが。

 車内に、裕司の強い緊張が走った。


「その反応こそが、貴藤流神道が最も恐れてきたものです。人は自分達と少しでも違うものを本能的に排除しようとします。それが鬼にも似た強い力を持つ存在ならなおさらです。だからこそ、術者たちは神道の形式に固執し神の側に立とうとした。人々の自分たちに対する恐怖を、神の威光によって畏怖に変えようとしたのです。そうでなければ、鬼と同じ化物として徹底した迫害を受けたことでしょう」


「……すみません」


 皐月を化物扱いしようとしていた裕司は、そう謝ることしかできなかった。


「気にしないでください。それに、私からすれば実はあなたの方がよほど恐ろしい存在なのですよ」


 裕司は皐月がからかっているのかと思ったが、皐月の声はあくまで真剣だった。


「術の力は強力です。タイミングさえあえば銃弾すら防ぎます。ですが、その術すら無効化してしまう存在がある。それが、審神者さにわです」


 審神者さにわ。これまでも裕司が何度か聞いた言葉だった。


「神主や巫女が神憑かみがかりとなって神の言葉をつむぐ際、審神者は降りてきた神の正体を見極めその言葉の真偽を判断します。貴藤流神道において、術の存在は神憑りによって振るわれる神の力だと定義しましたが、そこに審神者はいなかった。いえ、通常は術者と審神者とを同一視してきたのです。

 ところが、千年を超える貴藤流神道の歴史において、まれに本物の審神者の存在が確認されています。神憑りの神をすべて偽りと断じ、術を無に帰させし絶対の裁定者。その力は鬼の術すら封じたそうです」


 裕司は恐る恐る皐月に聞いた。


「まさか俺が、その審神者だとでも言う気ですか?」


 果たして、皐月は裕司の言葉にうなずいた。


「そうです。あなたこそ、現代に再び現れた審神者です」


「お、俺はただの人間です! そんな怪しい術なんか、使えるわけないじゃないですか!」


「おそらく、あなたの存在そのものが術に干渉するのだと思います。確かに空間の因果律を操作したはずなのに、あなたの現状を維持しようとする強固な固定観念がそのような観測結果を許さず、繊細な術の発動を片っ端から狂わせてただの無意味な乱数へと劣化させてしまっているのでしょう」


 裕司は遠回しに空気の読めない鈍感男と揶揄されているような気がした。


「……本気ですか?」


「現にあなたはあの晩、私の術を打ち消しています。それに、お嬢様と初めて出会ったときにもお嬢様の術を封じて見せたはずです。でなければ、お嬢様があれほどあなたにこだわり、屋敷に引き取るはずがない。あなたは奇異に感じたかもしれませんが、お嬢様の眼帯は伊達ではありません。眼帯を外した時のお嬢様は、時に術を暴発させてしまうことがあるのです」


「暴発?」


「ええ。お嬢様の力は術者の中でもかなり特殊です。その力は術者の身でありながら鬼をも凌駕し、2つの術を同時に発動することすら可能とする。単純な術ならば、祝詞のりとの詠唱や意識の集中すらなく反射的に発動、つまり暴発してしまいかねません。眼帯は、そのような荒ぶる神のごとき荒魂あらみたまの力の暴発を防ぐためのものです。視覚によって視ることができなければ術を行使することができない。もし眼帯がなければ、街角で人とぶつかっただけでも反射的に術が発動する危険があります」


 つまり裕司は、真冬との初対面の時にぶつかった拍子で死んでいてもおかしくない存在だったというわけである。


「そういう、ことか……」


 裕司はようやく、パンツが見えるほどワンピースの裾がまくれあがっているのに、真冬が呆然と自分を見上げ続けた理由を理解した。あれは、なんでまだこいつ生きてるんだろうという純粋な驚きだったのだ。

 食パンをくわえた美少女が、遅刻遅刻と言いながら交差点でぶつかった少年と恋に落ちる的な展開をこじらせているだけかもしれないと思っていた裕司は、自分の恥ずかしい勘違いに思わず身もだえした。







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