煙たい明日
「こんなにもらっていいの…?」
ヒラヒラと福沢諭吉が印刷された紙幣を数える少女。
「あたしこんなにもらったの初めて。もしかしてまだ何かオプションで求めてる?」
靴下から順に履き直す男を見て、不思議だと思いつつもどこか好感が持てた。
「いいんだよ。もう俺にとって金は意味の無い物になったんだ。」
男は下着まで履いたところで、振り返ってそう言った。
「おじさん… ん?お兄さん?どっちかわかんないけど、なんなの?人生辞めちゃう気にでもなった?」
「来年30だからなぁ… おじさん扱いも納得だな。」
出会った時も大事そうに抱えていたアタッシュケースを一瞥してから、安心したように微笑んだ。
「ねぇ。自殺でもしちゃうわけ。」
「俺はさ、この国に絶望しちゃったわけ。でさ、何もかも吹っ飛んだらいいと思ったのよ。」
かけ直したシャツのボタンが食い違っていることに気づく。
「ふーん。吹っ飛ばすのはいいけど、この辺はやめてよね。まだあたし当分この辺にいる予定だし。」
少女は紙幣を大事そうに財布にしまいながら、他人事のように言った。
「そうか。それは考慮してあげたいところだが、そうもいかない。今日まで綿密に練ってきたからな。一人の為に融通を利かせることはできない。」
「そう。じゃああたしも人生終わっちゃうのかな。」
あとはスーツを羽織ればというところで、残り2本となったタバコケースに手を伸ばす。
「終わらせたくなければ、できる範囲で遠くに行きな。それでよければ明日もこの辺にいるといいさ。」
「なんかそれ無責任。無責任な大人になるなって先生が言ってたよ。」
ライターの火がタバコに上手く引火する。
「それじゃ俺からも1つ。無責任な大人にはついていくな。」
「それ今言うの。」
「今言っとかないともう言えなくなるからな。」
「ふーん。なんか深いね。」
制服に袖を通すと、昼間つけた香水が香る。年上の男を釣るには、より挑発的な香りを漂わせるのが効果的だというのは経験から実証されていた。
「説教垂れる気はないけど、君も言いたいことを言いたい人に、言えるうちに言っておいた方がいいよ。」
口から放たれた煙は、明日以降の未来を欺くかのように空気を包む。
「あたしそんな人いないなぁ… そうだね。強いて言うならおじさんに言いたいことがある。」
「何?もう1万上乗せして?とか?」
男の笑顔は無邪気だった。それでいてどこか寂しさを感じさせる表情には、子どもが母親と別れる時のそれに似ていた。
「ううん。お金はいいの。もうお金はあたしにとって意味の無い物になったから。」
タバコの火が消える。
「明日、一緒にいてよ。」
制服を纏ったその姿は幼さを感じさせたが、その凜とした顔から放たれる視線からは目を逸らすことが許されないように思えた。
「明日は…」
出かかる言葉を遮るように少女が付け足す。
「言いたいこと、言えた。」
刹那の静寂のあと、男が口を開いた。
「じゃあ俺からも一言いいかな。」
カーテンが夜風に揺られて、散乱したタバコの煙と混じり合っていくようだ。
「明日が無事に終わったら、美味いものでも食べに行こう。」
「いいよ。付き合ってあげる。」
時計の秒針が動く。
また今日も1日が始まっていくーーー。
〜end〜