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3 どうして彼女を選んだか

「…それはあんた絶対にのろけよ」


 リュイはそう言う。そうかなあ?とあたしは首をかしげる。


「だって」

「相手の困ったところを楽しそうに言うことの何処がのろけじゃないって言うのよ。まあ相手が相手と言う所があんたはもう」

「あんただって人のこと言えるの? 侯爵夫人」

「言えますよっ。あたしは堂々と旦那のいい所誉めちぎってるもん」


 たびたび遠慮もなしにやってくるこの友人は、最近はコンデルハン侯爵の帝都内の本邸に居座っているらしい。

 明るくて勢いのいいその性格は、どうやら本邸の方々とぶつかる所もあるようだけど、それでもぶつかること十に八は彼女が勝利しているらしい。頼もしいことだ。

 椅子にふんぞり返り、彼女は高笑いしかねない勢いで話す。

 最初に出会った時からそうだった。学校の高等科に進科する時には、寄宿舎だって成績順に部屋が決められた。あたしと彼女は成績が大して変わらないので一緒の部屋になって。延々それが二年半続いて。

 彼女は絶対に自分を卑下しない。十人居れば八人までが「美人」と言う目鼻立ちくっきりした外見、首席を争った程の頭、よく通る声、そんな自分の美点を誉めまくる。

 誉めまくるけれど決して嫌みにならない。それでいて欠点は素直に認める。ただし無駄な努力はしないけれど。

 ずいぶん彼女には影響受けたもの。中等の高等科へ入るまでのあたしは、周囲から変わってる変わってるって言われて結構縮み込んでしまっていた所があった。

 だけどどうやらその「変わってる」は場所によりけりだ、ということが学校で判ったし、「変わってる」点は美徳にもなることを彼女は教えてくれた。

 そういう彼女だからだろう。「仕方ない」ことにいつまでもこだわっていない。

 結婚してしまったならしたで、相手のいい所を見つけて、どうせなら楽しくやっていこうとする。それでいて決してそれは「努力」みたいな堅苦しいものでもなく、ごく自然。

 そういう点ではあたしはまだまだ悟りきれていないと言える。


「だって毎日聞く声がいいってのはいいことよ? 絶対『この外見にこの声ってのはおかしい』ってくらいのものなんだけど… だってうちの旦那って、下手するとあたしより可愛いのよっ」

「……一度お目にかかりたいわ」

「あ、でも取っちゃ駄目よ。あたしのなんだから」

「……あんた誰に話してると思ってるの?」

「何言ってるのよっ。そりゃあんた、皇帝陛下のお妃さまに決まってるじゃない」


 とうとう高笑いまで入ってしまう。全然そう思っているようには聞こえないですけど。

 ……まあ、あたし自身が皇帝陛下を皇帝陛下と思っていないせいも確実にある。皇帝としての政務を執り行っているところを見たことがないから余計にそうなんだわ。

 確かにこの館にもいろいろな人が来た。今度の妃には陛下もずいぶん執心だ、と言う噂を聞いて。

 もう最初の日から二ヶ月も経っている。その間に来たのは、国務大臣、文化大臣、軍務大臣のお三方、その下の、だけど権限は結構ある内務庁長官、外務庁長官、教育庁長官、保存庁長官、科学庁長官――― 内軍庁の辺境局局長も来たと思う。

 そんな大臣だのお役人だの、**公爵夫人だの○○伯爵令嬢だの、社交界の現在の花形と呼ばれる方々、有名な音楽家だの学者だの…… 毎日毎日誰かしら訪問客がある。

 そのたびあたしは、あたしでもできる程度の愛想笑いをしてそれなりに応対もするんだけど、半分は「こんなものか」と言いたそうな目付きに途中から変わる。見覚えのある視線だ。故郷に居た頃のあたしを見る目と同じだから。

 おそらくその人々の訪問は「二回目」はないな、とあたしは思った。まあそれはそれでいい。仕方ないこと。

 でもやっぱり態度には出るらしく、そういう人がやって来た後に何となく落ち込んでいると、またあの皇帝陛下が実によく気付く。めざといと言うか何と言うか。

 そしてそのたびに、からかっているのか励ましているのか判らない言葉を掛けていく。

 時々それが怒りのツボにはまるとあたしが怒るので面白いらしい。……やはりいい根性だと思う。

 だけどその後には、たいがい気分はすっきりしてしまって、結局訪問者のつまらない態度に落ち込んだりしていた自分が馬鹿らしくなる。


 訪問者と言えば。


 その晩あたしは一つ疑問になっていたことがあったので、訊ねてみた。

 そういう話はなるべく彼が来たらすぐにすることにしている。タイミングを逃すと、相手のペースにはまって、話どころではなくなってしまうものだから。

 さすがに二ヶ月もほぼ毎日そういう日々を送っていると、タイミングも判ってくる。

 まだやや自分の中の「不本意」と「よく判らない感情」が戦ってる感じはあるけれど、それでも笑顔が多くなったらしい。あたしは気付かないけれど、相手はそう言う。


「私は何処か訪問しなくてもいいんでしょうか? もう二ヶ月も経ってしまったんですけど」

「誰を?」

「ここの他の御夫人方を」


 すると彼はひらひらと手を振って、「まだ必要ないさ」と言った。


「だけど私新参者ですし」

「お前の現在のあるじは誰?」

 

 そういう問いは困る。また「不本意」がそろそろと顔をのぞかせる。そういう時に露骨に不機嫌な表情になるので判るらしい。彼は言い直す。


「うーん、違うな、お前自身をのぞいたお前のあるじ」

「皇帝陛下です」

「その俺が行かなくていい、というの」

「でも」

「どうせそういう時期が来たら、でかい宴会が開かれる。その時に一気に紹介してやる」

「はあ」

「何か今日は煮えきらないなあ? またお前を気に入らなそうな客だったか?」


 あたしは首を横に振る。


「今日はコンデルハン侯爵夫人です」

「ああ何だ、遊び疲れか」


 笑いながらそう言って、彼はねそべる。何ですかそれは、とあたしはやや口を尖らせた。


「女官長が珍しく大笑いしていたと言うぞ。お前らのやりとりが、ものすごく無作法なのにも関わらず、つい微笑しくなってしまったとか言って」

「…大笑い…」

「大のろけ大会だったらしいが?」


 にやにやと笑う。確かにそれはそうだけど……


「そんなあたし達おかしいですかあ!」

「ほら出た」


 皇帝は人差し指を立てる。


「お前気が立つと地が出るんだよ。気がつかないと思ってた?」


 あ、とあたしは口を塞いだ。彼はくっくっとたまらないように笑いながら、


「別に怒りも何もしないから、言いたいように言いな」

「だけど礼儀とか作法とか」


 その時だった。濃い太い眉が、思いきり上がった。と思ったらあたしは床にうつ伏せに強く押しつけられていた。

 何? と言う間もなく、次の瞬間、窓のガラスが一気に割れる音がした。


「潜ってろ!」


 皇帝はそう言うと、あたしを寝台の下へ押しやった。慌てて言われた通りにする。もともと大きいものなので、全然窮屈じゃない。

 と、耳に飛び込んで来る音に悪寒が走る。

 金属同士が勢いよくぶつかる音だ。記憶にある。兄様が剣の稽古をつけている時の音。だけど兄様の練習のなまくらな音なんかじゃない! もっと激しい打ち合い。速さが違う! 勢いが違う!

 何度も触れ、こすれ合うたびに、心臓をえぐるような気持ち悪い音が走る。時々それ以外の音が、そして声が。押し殺したような声が。


 ……


 どのくらい経っただろう。音は消えていた――― らしい。

 いつの間にかあたしは耳を塞いで目を閉じていた。そのことに気付いた時、ずいぶん自分が嫌になりそうになったが、ただただ怖かった。凄く怖かった。


「…もういいぞ」


 低い声が聞こえた。耳を塞いでいても、その声だけは飛び込んできた。どれだけ騒がしい宴会でも自分の名は聞こえる時のように。

 これだけこの声が聞きたかったことはない。

 あたしはのそのそと這い出した。彼は大きな剣を手にしていた。それはまだ濡れていた。真っ赤な真っ赤な血がその先からたれていた。

 辺りを見渡す。一人二人――― 五人の男が倒れていた。ぴくりとも動かない。死んでいる!

 彼は今までに見たことのない険しい顔をして、大またで入り口まで歩く。そして扉を大きく開け放し、今までに聞いたことの無い大きな声を上げた。


「侵入者だ!」


 その声を聞いて館内の者が駆けつける。後宮だけに存在する警備の女官が一気に集まってくる。

 それも何処からか、いつの間にかなのか、あたしが把握する間もない位だった。見たこともない女達だった。一体この館の何処に居たのだろう?


「七人だ。二人取り逃がした。探せ。捕らえられない様なら殺せ」


 そんな言葉があっさりと彼の口から放たれる。それが当然、と言うように。

 警備の女官は五人程度だったが、その短い命令を聞くと、すぐさま姿を消した。


「女官長」

「はい。すぐに片付けさせます」


 気が付かなかったが、女官長もそこに居たのだった。彼女は普段のおっとりした様子とはうって変わった険しい表情になっていた。

 彼女が手を上げると、マスクを掛けた女官が一斉に大型のワゴンを押して入ってくる。このワゴンは見たことがない。

 女官長は表情を一瞬緩めると、あたしに向かって言った。


「失礼しました。少々ジュータンが汚れましたので明日換えさせます。本日は隣の間でお休み下さるよう」


 別人を見る様だった。毎日花を活けてくれる女官も、お茶をいれてくれる女官も、皆てきぱきと転がった遺体を運んでいる。さすがに男の遺体は重いらしく、二人三人がかりで持ち上げてはワゴンに乗せている。白いエプロンが血で赤く汚れていく。

 あたしは急に胸にむかつきを覚えた。遺体から目が逸らせない。さほど大きな傷を負っている訳ではない。ただ致命傷だった。大きくはないけど、そこからは血が途切れなく流れ出している。次第にその血が生々しい臭いを立て始める。


「う…」


 その場に座り込んだ。力が抜けていく。

 やだ。気持ち悪い。

 だけど目が離せない。きっといつもならちゃんと凝視できるはずなのに!どうしちゃったんだろう?いつものあたしなら、ちゃんと見られるのに!


「新妃さま?」  


 女官長が駆け寄る。連れて行け、と皇帝は女官長に合図をした。


「ですが陛下」

「まだ刺客は何処かに潜んでいるかも知れん。所詮目的は俺だ」

「判りました」


 どうしてそれで女官長もすぐに引き下がってしまうのだろう? 取り替えのきくあたしなんかより、唯一無二の皇帝陛下の方が大切に決まっているのに!


「新妃さま、立てますか?」


 あたしは首を横に振る。ショックだからではない。本当に立てないのだ。吐き気が止まらない。こみあげてくる。口の中が唾液でいっぱいになる。


「仕方ねえな」


 皇帝陛下は軽々とあたしを持ち上げると、一つのワゴンを引っ張りだし、これ一つ借りるぞ、と女官達に言った。


「贅沢は言うなよ」


そしてぽん、とあたしの背を叩く。口を開けない。開いたらその瞬間、一気に胃の中のものが出てしまう。精一杯の力を込めてあたしはうなづいて見せた。

 満足そうに彼は笑った。女官長は皇帝に一礼するとそのワゴンを押し出した。



「おめでとうごさいます」


と医者が言った。

 それを近くで聞いていた女官長は、それじゃ、と確認するように訊ねた。医者はうなづいた。


「ずいぶん久しぶりのことですなあ」

「そうですねえ…」


 医者と女官長は何やら感動した様子で、彼女など目をつぶって何か思い出しているかのよう。


「…あのお…」


 あの夜倒れ込んでからずっと寝込んでいた身体を起こす。そしてあたしはその二人に水をさすようで悪いとは思ったが――― 何しろ会話の意味が判らないので。


「何が、おめでたいのですか?」


 二人はきょとん、としてあたしを見た。


「説明して下さると嬉しいのですが」

「…あの… 新妃さま… お気付きにならないですか?」

 女官長が苦笑しながら言う。あたしは何のこと?と問い返す。


「おめでた、ですよ」

「まだ判らない。もう少し私にも分かりやすく…… 医学的に言っていただけませんか?」


 医者は女官長の方を一瞬見る。こういう方なんですよ、と言いたげに今度は苦笑する。


「では単刀直入に申し上げます。新妃さまには御懐妊――― さらに平たく申しますと、妊娠なさっております」

「にんしん」


 さすがにこれ以上の説明はなくても判る。だけど今度はあたしの頭の中が真っ白になった。

 ちょっと待て。にんしんと言えばつまり子供ができたってことでしょ。

 そりゃ確かにこんなこともあんなこともしたし、よく考えてみればそういう役目でここに来たはずだわ、よくよく考えてみれば、だけど…

 ああだけどだけど。


「新妃さま?」


 頭に一気に血が上った。目の前が真っ赤になる。そして真っ黒に。

 だがそこで気を失わなかったのは我ながら進歩だと思う。一瞬暗転した視界も意識を手放す前に復活させたんだから。


 そしてその原因は、刺客のことなど何もなかったような顔でやってきた。ただし知らせが知らせだったので、昼間から堂々と。


「いいのですか?」


とあたしが聞くと、


「この用事なら公務だ」


と言った。まあそうかもしれない。彼は医者に、いつまで安静が必要か、と訊ねた。


「まあ今は困りますが、ふた月もすれば」

「ふた月だな。女官長?」

「はい、陛下」

「本宮の国務大臣にそう伝えろ。どうやらふた月後には宴会が開けるぞ、とな」

「はい」


 女官長は満面に笑みをたたえてうなづく。皇帝陛下は再び医者に問いかけた。


「それでどうだ? 男か女かどちらか判るか?」

「まだこの状態では判りませんな。かつての文献では昏々と眠り込むという症状がございますが、先々代の時代のことですし。ああ、確か以前も陛下は私にそうお聞きになられたが」

「ああそうだったな。さすがに今度は結構時間があったからな」

「二十年になります」


 なかなかとんでもない会話だ。

 この皇帝陛下ならともかく、この宮中医の先生が冗談を言う訳がない。あたしは未だに心の隅で彼の年齢に疑いを持っていた。持たずにはいられないのだわ。仕方ないことなのに。


「ぜひ御身体を御大事になさって下さい」


 はあ、とあたしはやや気の無い返事をした。

 女官長も医者も立ち去って、あたしはまた彼と二人残された。何となくほっとする半面、実に気恥ずかしさがあった。あたしは何を言えばいいんだろう?あたしは何と言って欲しいんだろう?

 ところが彼の口から出たのはあたしの予想していたもろもろの言葉とは違ったものだった。


「取り返しも何もつかなくなってしまったな」


 え? 

 思わず問い返していた。


「どういう意味ですか?」

「もしも気が進まなかったら、今からでも医者に言えばいい」

「…は?」


 何を言ってるんだろう? この「皇帝陛下」は。

 彼は寝台の端に腰掛けると、こっちにやや背を向ける恰好になった。そして今までになく真面目な顔になる。視線を決してこっちに向けない。


「俺には以前、全部で十人の女が居た」

「十人」

「三十五年、だ。俺がここで時間を止めてから。時間を止めて俺は皇帝陛下と呼ばれるようになり、俺には女があてがわれた。世継ぎのためだ」


 喜んでいた女官長。医者。確かにそうだろう。確かにこのひとの子供ならこの国の世継ぎだ。


「だが世継ぎは一人だ。男子だ。たった一人だ。だがその一人がなかなか生まれない。今の帝国に『皇后』がいないことはお前も知ってるだろう?」

「はい」

「『皇后』は男子を生んだ妃がなるものだ。特別だ。身分も年齢も何も問わない。だから誰もがなりたがる。ならせたがる。だが」


 彼は言葉を一度切った。


「十人のうち、四人が身体に合わず、生む前に死んだ。可哀そうな女達だ。皇后にも夫人にもなれず、妃のままだ。綺麗な女達だった。華奢で、生まれた時から誰かの手を借りずには生きてこれないような。荷がかちすぎた」


 綺麗で、華奢で…… あたしとは反対だ。


「五人が子供を生んだ。だけどそのうちの二人が生む時に死んだ。丈夫な女のはずだった。だが何かが合わなかったのだろう。ひどく身体が衰弱していた。現在残っているのは三人だ。カレガンとウォナとサファイ。三人が一人づつ娘を生んだ。だがここ何年も会っていない。向こうも俺には会いたがらない。娘の一人はそろそろ俺の歳を追い越す」

「もう一人の方は」

「前に言ったろ? 俺の前から逃げだした」


 彼はふっとあたしの方を向いて苦笑する。


「それが最後の女だった。それから十年経ってる。また新しい女を入れるという話はあったのだがな」

「ではどうしてあたしの話には乗ったのです?」


 聞きたかった問いだった。

 どうして。


「どうしてだろうな」

「はぐらかさないで下さい!」


 自分の言葉に驚いた。皇帝陛下に命令してる。普通なら許されることじゃない。歴史の中でも「愚帝」だった二代帝の時代だったら、とっくに首をはねられてる。

 だけど彼は愚帝じゃない。律儀に答えてくれる。


「話は毎日のように来る。最近に至ってもな。だけど前俺が言ったように、綺麗だの可愛らしいだの、そんな女ばかりだ。役目が役目な以上、そんな女は確実にまた生命に危険を伴う」


 何か胸の中で火花が飛んだような気がした。


「そんな時にクドゥル伯が話を持ってきた。変わった娘が居る、と」

「変わった」

「お前以前、クドゥル伯に上の学校への進学を頼まなかったか?」

「頼みました」

「高等女子専門に進学したがるような変わり者ですが、と健康診断書を添えられたよ」


 あ、とあたしは思い出した。高等女子専門学校は女子の教育機関としては最高の位置にある学校。そこに入るには、さすがにうち程度の家では無理があったのだ。経済的な面もあったが、推薦も必要な所だった。

 だからあたしは、本家の当主さまに手紙を書いた。それが夏休暇の前だった。それがどういう訳か、休暇の終わりには進学どころか後宮入りの話になってしまったのだ。


「面白いな、と思った」

「面白い?」


 火花が何かに引火した。


「これならもしかしたら大丈夫かもしれない、と思った」

「大丈夫?」


 何かが胸の中で燃え始めるのを感じた。ああそうか。そうだったのか。

 再び頭に血が上った。今度は自分を止めなかった。赤から視界が黒に変わり…


「まあ会って見て楽しくなったが――― カラシュ?」

 

 もの凄く珍しいわ。名前を呼んでくれることなんて殆ど無いじゃない。もっと呼んで。あたしの名よ。あたしだけの名よ。

 その他大勢とは違うのよ! あたしはあたしなんだから!

なのにどうして今なのよ…


  

 夢を見た。

 おかしな夢だった。

 今までも時々そんな感じの夢は見ていたような気がする。だけどこれだけ鮮明なのは初めてだった。

 何かひどく身体がだるかった。まるで身体が一つの鈍い金属の塊になってしまったかのよう。

 動けない。

 身体が地面にべったりとへばりついて、手足は指一本動かすことができない。動かせるところと言ったら、せいぜい首くらいなもの。

 ううん、地面じゃない。ひどく背中が冷たい。こんな地面はない。だって何かつるつるしてる。

 …あれ、よく考えたら、(こんな感触が背中にするって)あたし何も身につけていないじゃない!

 やだ! 恥ずかしい!

 とは言っても身体が全く動かせないんじゃ仕方ない。

 何とか顔だけは動かせるみたい。横目で見ると地面は白い。やっぱりつるつるしてる。光ってる。金属? 違う。金属じゃない。どっちかと言うと陶器みたいだわ。

 と。真上に何かが飛んでいるのに気付く。

 飛んでいるなら鳥かしら? ううん鳥じゃない。虫でもない。

 光が飛んでいる。

 その光はぎらり、と光った。丸い金属のようにも見えた。お茶の時間の銀のトレイのようにも見えた。

 妙な光景だわ。

 金属が飛ぶなんてことは有り得ないはずなのに。

 その銀のトレイは次第にあたしに近付いてきた。それだけじゃない。その真ん中から一筋の光線が次第に出てきた!

 その光線が地につくと、何やら焦げたような臭いがした。鼻をつく。

 最近やたらと臭いが気になる。敏感になっているんだわ。ううん、それどころじゃない。あの光線が地面を焼いてるんだわ。

 そして次第にその光線はあたしに向かってくる!

 もう駄目!

 光線はあたしの真上で止まった。

 …

 痛くはなかった。だが奇妙な感触がよぎった。

 切り取られているんだわ。

 あの光線が、あたしを切り刻んでいるのよ。

 それが分かる。爪に始まって、指の関節の一つ一つ、腕の付け根、足の指一本一本、太股、胴、胸、…首。頭。耳、鼻、口、舌、目… 頭。

 全てが切り離される。全然痛くはないのよ… でもそれが判る。

 そして、それが一つ一つ、切り離されるとすぐに、銀のトレイから伸びる触手に持っていかれてる。触手。本当にそうだわ。光っているんだけど、うねうねとうごめいてる。

 待ってよ、あたしの身体よ。どうするつもり?

 そこに別の触手が、同じ部分――― だけど別のものを置いていく。

 置いていったものが元あったものと同じだけ揃うと、今度は別の触手が現れて、今度は金属同士をくっつける溶接の時のように、一つ一つ何かで継ぎ合わせていく。

 その時にも痛みはない。

 変と言えば変だった。

 だってあたしの頭も心臓も、全部取り替えられていくんだから、その時にあたしの意識もあの光の中に取り込まれていてもおかしくないじゃない。そうなって当然じゃない。

 だけどあたしはずっと白い冷たい地面にくくり付けられている。それだけは判る。あたしはずっとここに居た。

 それ以外が全て変えられていくのをここで感じている。


 どの位たっただろう?

 全ての溶接が終わったらしく、触手は銀のトレイの中にまた戻って行った。そして今度は光線も引っ込めて、来た方向へと銀のトレイは飛んで行った。

 動く。

 ゆっくりと身体を起こした。手のひらを見つめる。

 別に何も変わったところはないように見えた。切断された跡も、溶接された跡も、何も無かったように見える。

 だけど、あの何かがあたしの中に深く食い込んで、切り離してしまう感触、切り離されたものをつなげていく感触は、確かに覚えているのよ。

 思わず自分自身を抱きしめる。

 そう言えば、と一つだけ変えられていない所にあたしは気付いた。

 あたしは自分の下腹部に手を当てた。そうよここだけは換えられていないんだわ。



 翌朝はひどいだるさに襲われて、気分の悪さも加えて、全く起きあがれなかった。

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