(12)
アイの本当の名前。昔、名前がないと言っていたのは嘘。あの時は確かに不思議に思いました。名前がないなんておかしいと思っていましたが、そこまで気にしていませんでした。よっぽどの事情があるのだろうと、名乗れない程の事があったのだろうと思っていたからです。
「ぼくの、名前は……」
アイは俯きがちに呟きました。名前を言う事に抵抗があるようでした。そんなに無理しなくてもいいと言いましたが、「知っててほしいから」と首を横に振りました。だから私はアイの決心がつくまで、待っていました。
しばらくして、アイが呟いた言葉は信じられないものでした。
「ぼくは、セシル・リア・グランヅ。グランヅ家の次男だよ」
「じゃあ…、ロレオ様の……」
「うん。ロン兄様は、ぼくの兄だ」
ロン兄様。アイはロレオ様をロン兄様と呼んでいました。
そんな事よりも、アイがロレオ様の弟だなんて……。という事は、旦那様の息子……。グランヅ家の人間が何故売られたのでしょうか。それにセシルだなんて、女の子みたいな名前……。
「みんなはぼくの事、セーシェルって呼んでた。なんかどっかの国の名前だとかなんとか……。でも国の名前をあいしょうにされても困る……。あ、でもサーシャの名前に似てるね。サーシャはぼくの事アイって呼んだままにしてね」
「じゃあ、アイ。アイはどうしてあそこにいたの?グランヅ家の人間なら、売られる筈……」
「なんか、母様に似てたからだって」
ロレオ様とアイの母親。どんな方なのでしょう。私が鳥籠の中にいた時でさえ、その姿を見た事がない。ロレオ様も旦那様の話はしても、奥様の話はしなかったのです。母親に似ているというだけで売るというのは、つまり旦那様は奥様が嫌いだったという事でしょうか。
「父様はいつも母様とぼくを目の敵にしてた。母様の事はもともときらいだったみたいだけど、成長するたびに母様に似てくるぼくの事もきらいになったみたいだ。ちょうど四歳の頃に母様が病気で死んで、それを待ち望んでいたかのようなスピードでぼくは売られた。もちろんロン兄様は反対してたけどね」
やはり旦那様はアイの事が嫌いだったのです。会えないなと思っていた奥様も、いないのであれば会えないのは当然です。
ロレオ様は弟が売られるのを見て、どう思ったのでしょう。泣き虫になったのは、その頃からでしょうか。
そう悩んでいると、アイは残っている青色の林檎を差し出しました。
「食べてあげて。これはロン兄様の今の気持ちの味だ。サーシャには、知っててほしいの」
「…わかった。食べればいいの?」
「うん。ロン兄様の気持ち全部、これでわかるよ」
アイに言われ、私は一口林檎を齧りました。すると、涙が止まらなくなりました。私が悲しい訳ではありません。でも、涙は次々に私の頬を濡らしました。ロレオ様はこんなにも悲しい思いを抱いている。
やっぱりロレオ様は泣き虫です。




