前編
ヒロインが生まれるずっと前の話です。
それは今から70年前の出来事だった。
「今日が峠でしょう。」
医者は沈痛な面持ちで家族にそれだけ告げると、家から出て行った。
僕らの目の前には畳の上にひかれた布団の中で青白い顔をして眠る祖父がいる。
祖父は先月90になったばかりだが、背筋はあまり曲がって折らず毎日欠かさず運動をするなど家族の中の誰よりも健康的だった。
そんな祖父が倒れたのは3日前だ。脳卒中だった。
あんなにも元気で、つい数日前までは次の休みに僕と登山に行く約束をしていたのに・・・
両親は親戚に電話するため部屋を出て行き、部屋には僕と祖父が残される。
今にもその鼓動を止めてしまうのではないかと錯覚してしまうくらいの青白い祖父の顔。
そういえば、いつだったか祖父が突然自分の死について話してくれたことがあった。
『人はいつかみんな死ぬんだ。じいちゃんもお前もな。違うのはそれが遅いか早いかだよ。いずれ、みな同じところへ行くのだから、もしじいちゃんが死んでも悲しむ必要はないよ。』
そう話しながら僕の頭を撫でてくれたっけ。あの時の祖父の瞳はとても穏やかで優しくて・・・そうだ。僕はその時誓ったんだ。いつか誰かが死んでもその人の死に対して悲しまないようにしようって。だから、僕は悲しくなんかない。むしろ、じいちゃんに「今までありがとう、ご苦労様」と言ってあげたい。
でもね、じいちゃん。なんだか胸に穴が空いちゃったような感じがするんだよ。
それがなんなのか本当は分かっている。だけど、それを認めちゃったらじいちゃんとの誓いが破られちゃう。
僕は、尿意を感じていったんトイレのため部屋から出た。
すっきりさせ部屋の中に入ろうとした時、祖父以外は誰もいない部屋から聞いたことのない声が聞こえてきた。
僕はそっと廊下と部屋をつなぐ襖を開け、その隙間から部屋の中をうかがう。すると、そこには大きな鎌を持った金色の髪の少年が立っていた。その肩には少年の髪と同じ色をした小鳥がとまっている。
「ほれ、さっさと終わらせようぜ。」
小鳥は少年の肩から離れると部屋中を飛び回る。
少年は無言のまま持っている大鎌を振り上げ、祖父に向けて振り下ろした。
しばらく気を失っていたのか、廊下で仰向けになって倒れていた。
「ゆ・・・め?」
起き上がり、急いで部屋に入って祖父のもとへ行くが、鎌で切られた跡はなかった。安心してその場に座り込んだ。しばらく祖父を見ているとなにやら様子ががおかしい事に気がついた。
そうだ。じいちゃんの胸が上下していない。
「お、おじいちゃん!」
僕は急いで祖父の口に耳をやるが祖父から呼吸の音が聞こえない。
心臓にも耳を置く。しかし、僕の耳は祖父の心臓音をとらえることができなかった。
それが意味することを知りたくなくて、脈も測るが祖父の体からは何の脈も感じられない。
もう、間違いない。祖父はあの少年に連れてかれてしまったのだ。
以前本で読んだことがある。鎌を持ち人の魂を奪う存在―死神
あの少年はきっと死神だったのだ。あの光の玉は祖父の魂だったに違いない。ならば、もうどんなに手を尽くしても祖父が生き返ることは無いだろう。
ふと、脳裏に先ほどの少年の顔が浮かぶ。部屋の薄明かりに反射して輝く金色の髪の少年はとても死神には見えなかった。
そういえば、彼はどこか苦しげな表情をしていた気がする。
もしかして、あの少年は祖父の魂を奪うことに苦しんでいたのではないだろうか。
『いずれ、みな同じところへ行くのだから』
ああ、じいちゃん。じいちゃんは正しいよ。もし、僕が死ぬときが来てもあの死神みたいなのが来て、じいちゃんがいる場所に連れて行ってくれるかもしれない。そしたらじいちゃんと死んだ後の世界で色々話せるかもね。
それにね、じいちゃん。あの死神、必死に感情を殺してたように見えたんだよ。
僕の胸には未だに穴が空いた感じがするけれど、最初に比べて少し小さくなった気がする。
命を奪うここが仕事の死神が少しでもその仕事に悲しみを持っている死神がいる。死んだ人に対して想うのは生きた人間だけじゃない。僕だけが僕たち残された人間だけが悲しいんじゃないんだ。
「さよなら、じいちゃん。」
僕は祖父にそっと手を合わせると母を呼びに部屋を出た。
『僕』はおじいちゃん子でした。




