飴みたいな温いもの
切っても切れない縁とはよく言ったもので、
切ろうと何度も励むものではないとは思うが、そこまで必死になって断ち切れないほどならば、いっそ腐れ縁と呼ぶべきだと私は思う。
まあ正味な話、腐れ縁と呼ぶと朽ちているのか繋がっているのか、
その縁が生きているのか死んでいるのか、若干戸惑う所があるのだが、
どろっどろになってもう分離不可なほどと言えば、まあ納得できなくもない。癒着済み、腐り縁、鎖縁。素敵じゃないか。
鎖なのに腐るとはこれ如何に、とも思わなくはないが、とりあえずは無駄に強固な繋がりとしておこう。
「……んでさ、いつまで人の部屋で腐ってるわけ男の子」
「腐ってんじゃなくてダレてるんだよ……溶ける、どうなってんだこの天気」
暑ぃ……と人のベッドの上で心底気だるげな呻き声を上げ、男はパタパタと顔をあおぎだす。無論、団扇は私が独占中なので素手であるが。
夏バテ真っ最中の幼馴染みのその様を見て、私は言及を諦め、さてどうしたものかと周りに目をやった。
部屋の隅に掛けられた若干時代遅れな温度計は、水銀の部分が真っ赤に染まって完全測定不能状態であり、正確な気温など知る術は無い。
思い出さんとすれば、今朝に天気予報で十の位に四の数字が見えた気がするのだが、確か我が地元は北海道ではなかっただろうか。
さて、仮にも一女子大生たる私の部屋に同年代の男がダラダラとしているとなれば、浮ついた話の百や二百流れてもおかしくないのだが、残念ながらそんな愉快極まりない展開は存在しない。
事の顛末を語るとするのなら……とりあえずは、一本の電話が始まりだ。
午前10時。うだるような熱帯夜を乗り越え、全身に気味が悪い程に纏わりついた汗をシャワーで流した直後の事である。
お前の部屋にクーラーあったよな、頼む、涼ませてくれ。
別々の大学へ進学し、久しく聞かなかった幼なじみの第一声がこれだ。
へ? と間の抜けた返答をするよりも早く携帯は不通音を再生し始め、たった今掛けてきた声の主が既に電話を切ってしまっている事を伝えてくる。
当然、私の部屋は人を招く予定などなかった為に周囲には様々なものが散乱し、私個人としてはとてもじゃないが人を入れたい空間ではない訳であって。
幸か不幸か、昔通り(・・・)の習慣として、幼馴染の襲来という事態に体が即座に反応した。
バスタオルを巻いただけのあられもない格好のまま、時間が惜しいとクローゼットの扉を左右に叩きつけるような形で開く。
元来、自分はおしゃれとは言えないので、日常において真っ先に先行する“とりあえず変でなければいい”という思考判断を即座に埋葬。
この服だろうか、それともこの色のほうがという、普段はまず行わないであろう乙女思考を体感時間数時間かけて行った。実際はほんの数十秒なのだが。
その後は身だしなみを整え、部屋中に散らばった私物の選別である。あと掃除、消臭剤ばら蒔いたり。
本当、全力で。こいつは人の部屋のベッドで寝転がる癖があるからそこら辺は特に厳重に。
特に汗とか汗とか匂いとか本当この馬鹿は――うん、やめよう、なんか墓穴を掘ってる気がする。
ただ回想を行っているだけなのに、何故か事細かに綴った日記を覗かれたかのような気恥ずかしさが湧いてくる。
まあ、とりあえず私の七転八倒な苦悩劇などはひとまず置いて、
今現在、そんな作業を終え無事にそいつを迎え入れたのだが、正直、ここまで頑張る意味もなかったような気がする。
例のそいつは、はいって早々エアコンが起動しないのを確認すると、なんかこっちが悪く感じる程に落胆してベッドへとダイブ。本当に涼みに来ただけらしい。
ここは女の子の部屋だという事を自覚しているのだろうかこんちくしょう。
いや、まあ、涼めないと聞いて落胆する気持ちもわからなくはないんだけど。
なんたって今、この地域は地獄の釜の中身をぶちまけたように……む、そうなったらむしろ涼しいのだろうか。
霊気とか幽霊とか、そんなオカルト的不思議要素が溢れ返って来て冷えそうなイメージがあるし。まあ、“涼しい”じゃ済まないであろう気もするが。
閑話休題。端的に言おう、あっついから誰か助けて。
うだー、と意味の無い呻き声を上げ、椅子の背もたれに体重を預け天井を見上げる。
蝉の鳴き声と私の身に纏わり付く倦怠感のせいか、その呻き声はこの気温で蒸発したのではないかと思うほどに響かずに消失した。
少し前に全力稼動したせいか気力も若干えんぷてぃ。普段ならたとえ急な訪問とは言え客に飲み物位は出すのだが、今日は流石に動くのが億劫だ。
「しかし、本当に間の悪い。エアコンが今日に限って過労死してるなんて」
「この気温じゃつけない訳にもいかないでしょ。切ったらもれなく天然サウナよ。丁度今みたく」
その通り、部屋に取り付けられているクーラーは前日までほぼフル稼動という多忙ぶりであった。ちなみにガー、ガッなどと不安になるような音を上げだしたのは昨日の朝の話である。
一応、業者に修理も頼んだし扇風機もがんがん回しているのだが、殆ど焼け石に水なのが現状なのだ。生温い風しか回って来ない。
暑い為出たくないのか、いつもは盛んな車の走行音も聞こえず、腹いっぱい全力で鳴き叫ぶセミの声がサラウンドで街中に響いている。
それ以外の音を忘れたみたいに木霊するその鳴き声は、夏の風物詩と言われるだけあり、
心持ち暑さを加速させるなどという相乗効果を発生させており、とても嬉しくない。そのくせ風鈴の音は音色だけ涼しげだが体感的には殆ど変わらない。
「よっし、アイス買いに行くよ! 人の部屋で涼んでるんだからお金はあんた持ちね」
この猛暑の中外へでるのは嫌だが。どうせ冷えてない室内だしそこまで大差ない。直射日光は少しばかり避けたいが、こういった理由を作って、久々に幼馴染同士で歩き回るのも面白いかも知れない。
「んなっ……お前この馬鹿みたく暑い中歩き回るってのか!」
「当たり前でしょ。暑い時に食わないでいつ食うってのよアイス。
それにクーラー効いてないから殆ど外気と気温変わんないわよここ。ほら、立った立った」
面倒だなぁ、と不満気な愚痴を漏らしながら、彼は重い腰を上げる。
嫌々とはいえ、こういった強引な扱いをあっさり受け入れる彼に少し笑みが溢れそうになるのだが、意地的なものでそれを引っ込めた。
というのは案外結構厄介な縁のわけで、彼は私は、多分一生、一方に対してこの繋がりを感じ続けるだろう。
切っても切れない、腐れ縁。子供の頃にぐちゃぐちゃに絡みあった縁である、解き方なんか私も知らない。
――いや、まあ。赤かったり、糸じゃなかったのが多少残念ではあるのだが。本当に多少。