自由騎士アーウィンの物語 第一章「アルムスの末裔と幽霊騒ぎ 前編」
剥奪された騎士資格を取り戻す為、ダントーイン皇帝から下された贖罪の旅に出たアーウィン。
アルムスの秘宝を求め、旅人の街道を西へと歩む。最初の中継地ロザミアへと辿り着いたアーウィン達は、宿泊した宿屋でアルムスの村出身の少女パーミルと出会う。
パーミルを旅の仲間に加えた翌日、宿屋で同時に起こった幽霊騒ぎと殺事件に巻き込まれ足止めされてしまった。
ダントーイン帝国首都ギランを出発してから、およそ三週間が過ぎようとしていた。
アーウィンの旅は、祝福されるべきものではない。だが、故郷を発ったあの日、騎士仲間達はひそかにギランの街はずれに集まってアーウィン達を励まし、その使命の成功を祈ってくれたのだ。
アーウィン達? そう、彼は一人ではなかった。心強い二人の同行者が、彼の両隣につき従うようにして、共に旅人の街道を歩いている。
一人は濃紺の長衣を纏った、二十歳くらいの青年だった。ふっつりと切りそろえた金髪と、優しく澄んだ碧い瞳の持ち主だ。やや小柄で華奢な体格と、すっきり整った顔立ちは、繊細な水晶細工をを思わせる。
彼の名はサレンと言う。帝都ギランの魔術師ギルド所属の魔術師である。幼馴染のアーウィンが贖罪の使命を課されたと知って、サレンは自ら協力を買って出たのであった。
「ロザミアまでもうすぐかい、アーウィン」
「さっき、道標が出てたろ。今日の夕暮れには着くはずだよ」
物思いに沈んでいたアーウィンに代わって、サレンの反対隣を歩いていル女性が答えた。
彼女の名はマイラ。半妖精の精霊使いであり、盗賊としての技術に長けている。アーウィンが、今回の使命を受ける原因ともなった事件をきっかけに、彼女はアーウィンやサレンと知り合った。彼女の能力を評価したサレンが、ぜひとも同行して欲しいと頼んだ為、マイラは帝都ギランを後にしたのである。
マイラは半妖精だから、正確な年齢は不詳であった。だが、人間としてなら二十代前半くらいに見える。
そして、人間達の目にも彼女が美しく映えるのは、紛れもない事実だった。すっと切れ上がった琥珀色の目は猫のように、油断のなさと愛嬌を同時にたたえている。少し癖のある長い栗色の髪を背中で一つに束ね、すらりとした肢体を際立たせるような,ぴったりとした黒い皮鎧を着けていた。
「どうしたんだい、アーウィン。さっきから黙り込んで」
サレンがきづかわしそうに、旧友の顔を覗き込んだ。
「……ああ。何でもないよ」
アーウィンは、口元をほころばせて答えた。
現在の彼は、騎士としての資格を剥奪された身である。身に着けた剣と皮鎧は、騎士叙勲を受けた時の物ではない。一介の冒険者のように、出立前に店で買い求めた品だ。
例え一時とは言え、そのような品を身に着けることに、出立前のアーウィンは深い屈辱感を覚えた。世間の誰もが、彼を見て後ろ指を差しているのではないか、そう思えて仕方が無かった。自分のした事は間違いではないと、いちいち弁明して廻るわけにもいかないのだ。
しかし、彼の旅立ちを祝福してくれる騎士仲間と、そして何よりも心強い同行者達のおかげで、アーウィンには周囲の景色に目を向けるほどのゆとりが生まれた。
カルラディアは、今丁度春の気配に包まれていた。日ごとに少しずつ暖かさを増してゆく陽光が、街道を行くアーウィン達に優しく降り注ぐ。道沿いに植えられた木々は、小さな花のつぼみを芽生えさせていた。
「ロザミアについたら、二~三日はゆっくり休むのもいいな。二人とも、疲れてるだろう?」
サレンとマイラに微笑みながら、アーウィンは言った。
「いいね。正直言って、少ししんどかったんだ」
サレンが答えた。緩やかな風を受けて、彼の柔らかい金髪がふわりと靡く。ロザミアの街までは、もうすぐであった。
ロザミアの街の酒場兼宿屋『イン・シルバーフォックス』は、閑散とした印象の店だった。
なまじ広い店であるだけに、今夜のように客が少ないと、一層がらんとして見える。
「帝都の酒場とは、やっぱり比べ物にならないね。料理は中々おいしいけど」
ワインのお代わりを頼みながら、マイラが言った。
ロザミアの人口は、およそ九万人。帝都ギランと比べても、そう遜色はない大きさである。ただ、場所が悪いせいか、この『イン・シルバーフォックス』はあまり活気のある店ではないようだった。
「……ああ、ありがと」
ようやく酒を運んできた給士娘に、マイラは礼を言った。
「意外な所で礼儀正しいんだね、マイラは」
「ちょっと前まで、こういった店で働いてたからね。あの娘達も大変なんだよ」
サレンの言葉に怒りもせず、半妖精の女盗賊はグラスを口に運んだ。
「この国が興ったのは、旅人達の街道が出来てからなんだよな……」
強い蒸留酒をゆっくりとすすりながら、アーウィンが呟いた。
ダントーイン帝国に生まれたアルムスと言う男が、東西の交流の為に、私財を投げうって帝都ギランから西へと延びる街道を作った……それは百年以上も昔の事である。
街道の工事の過程には、様々な障害があったという。他国との道が繋がる事が、侵略戦争の原因となるのではないかと考えた当時のダントーイン皇帝が、資金援助を打ち切ったこともあった。
だが、アルムスはそれに抗議することも無く、黙々と工事を続けた。多くの者は報酬が支払われなくなった為に去ったが、アルムスの志に打たれ、無償で彼に協力する者達もいた。
彼らが取り組んでいるのはダントーイン帝国一国の為ではなく、カルラディア東西に住む全ての人々の為の物だった。故に、彼らは国の束縛とは無縁にならざるを得なかった。
「街道は、人々の自由な心によって完成するのだ」
旅人の街道作りはそんなアルムスの諺が歴史に残るほどの偉業であった。
およそ五十年の歳月を経て、やがて街道は完成した。しかし、アルムス自身は街道の完成する二十年も前に、その生涯を終えている。
自らの夢が実現した光景を、目にすることもなく……。
今も、カルラディアの西の果てには東方の言葉を日常語にする小さな村がある。その村の名は、偉大なる指導者の名前を戴き、アルムスと名づけられている。
高貴な理想を抱き、偉業を成し遂げた先人の心に、アーウィンは思いをはせた。酔いが回ると、いつも彼は考え込みがちになる。
そんなアーウィンをつまらなさそうに見ながら、マイラはサレンの方に向き直った。そして声を潜めて――――――
「ねえ、サレン。あそこにいる女、ちょっと気にならない?」
琥珀色の瞳をちらりと動かして、彼女はカウンターの隅に視線を送った。
「どの女性? ああ、確かに綺麗だね」
「そうじゃなくってさ」
的外れな返答をした魔術師の頭を、マイラは軽く小突いた。
「顔じゃなくて、格好を見てごらんよ。どう見ても旅姿じゃない。なのに、連れはいないみたいなんだよね……」
いくら街道沿いに旅をするといっても、若い女性一人での道行は、やはり幾ばくかの危険が伴うのである。それでも、あえて旅に出るだけの理由があるのだろうか?
マイラは目を細めて、視線の先にいる少女の横顔を探るように見つめた。
その少女は。アーウィンよりも二~三歳下でだろう。まっすぐな黒い髪が、肌の白さを際立たせている。髪と同じ色の瞳は、長いまつげにふちどられ、幾分愁いを帯びているようにも見えた。
「まあ、そんなに気にしなくてもいいだろう。俺達には関係のないことさ」
アーウィンがそういったので、マイラはその少女を観察するのを止めた。
カウンターに並べられた料理の皿は、殆ど空になっている。追加注文をするか、二階に上がって休むか、アーウィンは少し悩んだ。
そして、彼の仲間の意見を聞こうと口を開きかけた時、隣に座っている中年男性の客と、店の主人との会話がアーウィン達の耳に入った。
「最近、この店には幽霊が出るんですよ。何でも、先代の時の泊り客のものらしんですがね……」
「へえ、幽霊だって?」
興味を引かれた様子で、アーウィンが横合いから尋ねた。
「詳しく聞かせてもらえないかな。俺達は今夜、此処に泊まらせて貰うんでね」
もうしばらく酒場にいることに決めて、アーウィンは酒のお代わりを頼んだ。
「あ、じゃあ私はワインね」
「僕にもエールください」
「はいはい、ありがとうございます」
手際よく料理を作りながら、宿屋の主人はアーウィン達の注文を給士娘に申し付けた。
「幽霊と言ってもね、そんな不気味なもんじゃないんですよ。二十歳そこそこの、綺麗な金髪の女性の幽霊なんです。そいつが出るというもんで、客足が遠のいちまってね」
宿屋の主人はそう言って、愛想よく笑った。所謂典型的な宿屋の親父さんといった感じではなく、まだ若い、中々感じの良い青年である。男性としては少し小柄で、サレンと同じくらい華奢な身体つきをしていた。
「でも幽霊って、この世に未練や怨みを持ってる場合が多いんでしょ。泊り客に危害を加えたりするんじゃないの」
マイラが言った。
「まさか……」
宿屋の主人は笑いに紛らわせようとしたが、うそ寒そうな表情になって言葉を飲み込んでしまった。
「まあ、今更宿を変えるわけにも行かないしね。何事も無い事を祈っていますよ」
慰めるようにサレンは口を挟んだ。
「それに、そんな美人の幽霊なら、一度見てみたい気もするしね」
「明日にでも神殿の司祭様に来てもらったらどうだい。危害は加えないかもしれないが、祓っておいた方がいいんじゃないか」
アーウィンがそう述べると、宿屋の主人はそうですね、と頷いた。
(それにしても、幽霊が出るとか言う宿屋を、わざわざ選んでしまったとはな)
心の中で、アーウィンは苦笑した。運が良いのか悪いのか、とは、まさにこのことだろう。
「その幽霊について、何かわかっているのかい」
とりあえずアーウィン達の質問が終わったと見て、最初に宿屋の主人と話していた客が宿屋の主人に話しかけた。
「さあ、なにぶん先代の頃の話なんで、良く知らないんですよ。でも……確か、昔からの客の話じゃ、ソフィアとか言う女性の幽霊なんだそうです」
「ソフィア?」
その客は幽霊の名前を聞くとピクリと反応した。
「ええ。それがどうかしましたか?」
「いや……何でもない。じゃあ、私はそろそろ休むよ」
宿屋の主人の言葉にそう答えると、その中年男性の客はジョッキの中身を飲み干して、二階へと上がっていった。
「誰なの、あのおじさん?」
それを見送りながら、マイラが尋ねた。
「ああ。あの人はケルビンさんといってね。昔は、このロザミアの街で店を構えていたそうなんですが、今は息子さんに跡目を譲って、自分は各地を旅してるんだそうです」
「ふーん……」
何か引っかかるような表情で、マイラは細い眉をちょっとしかめた。
「あの人、あたし達が幽霊の話しをしてる間、ずっと聞き入ってたんだよね。やけに真剣な表情で。それに……」
マイラはアーウィンとサレンを見回していった。
「あの人って、ロザミアの人なんでしょ。それが、どうして宿屋に泊まるわけ?」
「確かにな」
あいづちをうって、アーウィンは腕を組んだ。
「何か事情があるんじゃないのかい。たとえば、息子さんの奥さんと仲がよくないとか」
「そうかもしれないけどね……」
軽い口調でサレンが言うと、マイラは不満げに黙り込んだ。気を取り直すようにグラスを取り上げ、ゆっくりと口に運びながら、彼女は内心で呟いた。
(ケルビンとかいったっけ。あいつ、どうも訳ありなんだよね……)
「すみませんが、一人にしておいて貰えませんか」
夜もそろそろ更け始めた頃、勘定を済ませて二階に上がろうとしたアーウィン達は、固く強張った少女の声を耳にした。
先ほど、マイラが気になるといっていた、あの黒髪の少女だった。
あまり人相のよくない男が、彼女の隣に座って、仕切りと話しかけている。
「そう言うなって。一杯どうだい。俺が奢ってやるからよ」
早い話が、独りでぽつんと座っていた黒髪の少女を、男が口説いているのだった。何処の酒場でも見られるであろう一場面だ。
ただ、彼女の瞳に浮かぶ露骨な当惑と脅えの色を、アーウィンは見て取った。
となると、騎士道精神を叩き込まれて育った彼としては、放っておくわけにはいかない。
困っている女性には、必ず救いの手を差し伸べなければ。サレンとマイラに目配せして、アーウィンは、二人が座っているカウンターの隅に向かおうとした。
「ちょっと待って」
その横をすり抜けて、マイラがアーウィンの前に立った。
「あたしに任せといてよ。あんたが行ったんじゃ、余計に話がややこしくなっちゃう」
そう言うと、彼女はしなやかな足取りで、カウンターの隅へと近づいていった。
「まあ、ここはマイラのお手並み拝見といこうか」
サレンは言って、階段の近くで立ち止まったまま、マイラの手際を見物することに決めた。渋々と、アーウィンもそれに従う事にした。
カウンターの隅についたマイラは、困惑して腰を浮かしかけている黒髪の少女に向かって、にっこりと笑いかけた。
「なあんだ。もう来ていたのかい、ミナ」
呆気にとられている黒髪の少女に片目をつぶって見せて、マイラは言った。もちろん、彼女が口にした名前はでまかせである。
呆気に取られていたのは男の方も同じだったらしく、言葉を失って口をパクパクさせている。その隙を突いて、マイラは少女の手をとって立ち上がらせた。
「あそこで、アーウィン達が待ってるんだ。早くおいでよ」
有無を言わさぬ口調で言うと、マイラは男に背を向けて、すたすたと歩き出した。マイラに手を取られたままなので、黒髪の少女もそれについていくことになる。
「お、おい……」
取り残された男の、限りなく間の抜けた声を背中に聞いて、マイラは思わずくすりと笑った。
「はい、ただいま」
突っ立っていたアーウィンとサレンに言ってから、マイラは連れてきた少女に向き直った。
「貴方が、嫌がってるように見えたもんだからね。お節介だったかしら?」
「いいえ、そんな……。どうもありがとうございました」
少女の声は細く、美しかった。
「礼には及ばないよ。好みじゃないのに付きまとってくる男は、ハエよりもうっとしいからね。あの男が帰るまでは、あたし達と一緒にいたほうがいいよ」
「ええ……でも」
少女は戸惑っている様子だった。いきなり登場したアーウィン達を、警戒しているふうでもある。
それをほぐすかのように、マイラはにっこりと笑って見せた。
「大丈夫、あたしが保証する。二人とも、さっきの男よりはいい奴よ」
「あんなのと比べないで欲しいな」
苦笑いを浮かべて、アーウィンとサレンは異口同音に言った。
そしてアーウィン達は、先ほどの男から離れた卓につき、少女を交えて会話を始めたのだった。
もう十分に飲んだし、腹もくちくなっている。卓上にはアーウィン達が改めて注文した果汁のグラスが乗っていた。
「あたしはマイラ。よろしくね。この二人はアーウィンにサレンって言うんだ。あんたは?」
「私はパーミルといいます。……こちらこそ、先ほどはどうもありがとう」
「見たところ旅の途中みたいだけど、一人なの?」
「ええ……」
少女は、うつむきかげんに頷いた。
「旅人の街道があるおかげで道中は安全だけど、さっきみたいな奴もいるからね、気をつけないと」
マイラがそう言うと、パーミルと名乗った少女は黙って微笑んだ。
どこか寂しげな笑顔だ、とサレンは思った。
「僕達も旅の途中でね。これから西へ向かう所なんだよ。ずっと、ずっと遠い西の方へ……」
いったん言葉を切って、サレンはちらりとアーウィンをうかがった。
「アルムスの村までね」
それを受け取ってアーウィンが言った。力むでもなければ、悲壮ぶるのでもない、いい表情だった。
「アルムスの村へ?」
パーミルは黒い瞳を大きく見開いた。
「どうしたの? 西の方に詳しいんだったら、あたし達に教えて欲しいんだけど」
「いえ……実は、私はアルムスの村の者なんです」
「なんだって!?」
アーウィン達は顔を見交わした。帝国で暮らしていた彼らは、遥か西にあるアルムスの村について、殆ど何も知らなかった。旅人の街道の終点にあるといっても、具体的にはどのあたりに位置する村なのか、それすらも不明なのである。
「アルムスは、今から百年以上も前に、街道を作ったアルムス達が興した小さな村です。ドーレッドの街から北に少しいった所にあります……」
興味を露にして尋ねるアーウィン達に、パーミルはぽつぽつと語った。彼女は半年ほど前に村を出て、帝国までの旅をしたのだという。そして、ふたたびアルムスの村に戻る途中なのだそうだ。
ただ、なぜ村を出たのかを、パーミルは明かさなかった。また、はっきり語ったわけではないが、旅の途中で連れを失ったらしかった。
「そうだったのか……」
パーミルが口にしなかった事を、深く追求するつもりは、アーウィン達にはなかった。
出会ったばかりの他人に話すには重過ぎるものを、パーミルは背負っているのだろう。
それはアーウィンも同じである。彼とても、自分が資格を剥奪された騎士で、贖罪の為にアルムスの村に行かなければならないという事情は話していない。
「アルムスの村には、何か凄い宝物があるんじゃないの? 帝国の方じゃ、そういう噂なんだけど」
「宝物? さあ……。私は知らないけれど、大した物はないんじゃないかしら。アルムスは、五百人ほどの小さな村ですから」
パーミルの言葉を聞いて、アーウィンの心に暗雲がよぎった。
(皇帝陛下はおっしゃったじゃないか。村長に皇帝陛下の親書を見せ、アルムスの秘宝を借り受けて来いと……)
あるいはパーミルが知らないだけなのかもしれない。だが、もしもアルバート陛下が、ありもしない宝を取りに行かせたのだとしたら? アーウィンは帝国から永久に追放されたことになるのではないか。
(だとしたら……何故陛下は、いっそのこと追放をお命じににならなかったんだ)
アーウィンは考えてみたが、答えは見つからなかった。使命を果たしさえすれば……そんな思いを揺さぶる不安だけが、胸の中で膨らんでいく。
「さあ、そろそろあいつも行ったみたいだし。休もうか」
「ああ……」
沈んだ面持ちで頷き、アーウィンは立ち上がった。
元から空いていた店に残っているのは、彼らだけになっていた。
「あの……もし良ければ、アルムスまでご一緒してもらえませんか」
ごく控えめに、パーミルが申し出た。
「喜んで。アーウィンもサレンも、可愛いい女の子が増えていいんじゃないの?」
「もちろん構わないさ。若い女の子が、一人じゃ危ないしね」
碧い瞳に暖かな光を浮かべて、サレンは言った。
「じゃあ、明日の昼過ぎくらいに出発しようか」
胸中の不吉な思いを振り払うように、アーウィンは笑顔を作った。
それをしおに、四人はそれぞれの部屋に戻って、休む事にしたのだった。
アーウィン達と別れ、自分の部屋に戻ったパーミルは、来ていた旅用の服から夜着に着替えた。そして、脱ぎ捨てた衣服をきちんとたたんでから、彼女は寝台に身を横たえた。
窓の外には、夜空を埋め尽くすほどの星々が、おのがきらめきを誇るかのように光を投げかけている。
それを眺めながら、パーミルは物思いにふけっている様子だった。後にしてきた故郷を、思い出してでもいるのだろうか。
やがて、パーミルはそっと目を閉じた。
ほどなくして、彼女は規則正しい寝息を立て始める……。
そして、そのまま夜が過ぎ、空が白み始めた頃。
パーミルは苦しそうに、難度も寝返りを打ち始めた。眉を寄せ、首を左右に振っている。その動きに、彼女の黒い髪が頬に乱れかかった。そして小さな唇の間からは、言葉にならないうめき声が漏れる。
悪夢にうなされているのだ。それも極めつけの悪夢に。
パーミルが見ている悪夢は、彼女自身が殺される夢だった。
夢の中で、彼女は硬い石の上に横たえられていた。其処に、何者かが迫ってくる。完全な闇の中、それが誰なのかはわからない。ただ、そいつの手に握られた短剣だけが、禍々しく浮かび上がっている。
パーミルは逃げようとする。だが、手足を縛られていて体の自由が利かない。
彼女には、見ていることしかできないのだ。
無防備な彼女の胸目掛けて、今まさに短剣が鋭く振り下ろされるのを……!
自分自身の絶叫で、パーミルは目を覚ました。
肩で息をしながら彼女は上半身を起し、額に張り付いた髪を撫で付けた。体中が異様にだるく、冷たい汗にぐっしょりと濡れていた。
体を拭く為の水を貰おうと、パーミルは上着を羽織って部屋を出た。今の時刻なら、朝一番でパンを焼く料理人が起きているはずだ。
廊下を出たところで、パーミルは一人の給士娘に出会った。
水をいただけますか、と声をかけようとして、パーミルは気づいた。
立ち尽くしている娘の顔が、恐怖に凍りついている。彼女は手を上げて、震える指で一つの部屋の扉を指した。
「どうしたの?」
「あそこから、幽霊が……まさか、本当にいたなんて……」
幽霊が出て行ったという部屋からは、弱弱しい、男のうめくような声が聞こえてくる。
パーミルは、その部屋の前まで歩いていって、扉を叩いた。
「どうしたんですか。大丈夫ですか?」
返事はない。ノブに手をやると、扉には鍵がかかっていた。
「なんだ、パーミルじゃないの。何かあったのかい」
パーミルの声を聞きつけて、隣の部屋から顔を出したのは、半妖精のマイラだった。彼女はちょうど、隣の部屋で休んでいたのである。パーミルから事情を聞くと、マイラは給士娘に、ただちに宿屋の主人を呼びにやらせた。
「この部屋にいる人は、どうしてるのでしょうか」
不安そうに、パーミルが言った。
「さあね」
上の空で、マイラは答えた。扉の向こうの声を聞き取る事に、彼女は全神経をを集中させた。
「……やばいかもしれない」
マイラは呟いた。彼女が聞いたうめき声の感じからして、扉の向こうにいる人物は、どうやら死に掛けているようだ。
マイラは一瞬だけ、唇を噛んで考え込んだが、すぐに決断して髪にさしたピンを抜いた。それを鍵穴に差し込んで、手馴れた様子で動かし始める。
とはいえ、いくら熟練した盗賊の腕を持ってしても、鍵を開けるのにはそれなりの時間がかかる。マイラが鍵と格闘している間にも、部屋の中から聞こえてくる声は、徐々に弱弱しい物になっていく。
焦ったマイラの手つきが、少し荒っぽいものになった。ピンが鍵穴を擦り、ガリッと音を立てる。それでも、何とか鍵を外す事はできた。
「見なかったことにしておくれよ」
パーミルに向かって言うと、マイラハ扉を開けて、部屋の中に入った。そしてパーミルがそれに続き――――――彼女は悲鳴を上げた。
おびただしい量の血が、部屋の床に飛び散っていた。
そして中央には、一人の男が仰向けに倒れている。その旨の辺りからは、なおも血が流れ続けていた。傷の大きさから見て、短剣のような物で刺されたのだろう。先ほどの自分が見た夢を思い出して、パーミルは体を震わせた。
その男は、夕食の時に幽霊の話に聞き入っていたロザミアの元商人、ケルビンであった。大きく見開かれ、血走った目で、ケルビンはマイラを凝視している。
何かを伝えようとするかのように、ケルビンは血で汚れた手を上げ、いくどか口を開閉させた。
しかし、マイラが近づこうとした所でその手は垂れ下がり、ことりと力なく床を叩いたのだった。
「マイラ! 何があったんだ」
いつの間にか、宿屋の主人をはじめとして、多くの泊り客達が、部屋の前にやってきていた。その中にはアーウィンとサレンの姿もあった。
「見ての通りだよ」
アーウィンとサレンに向かってマイラは言った。
「あんたが殺したのか?」
血相を変えて、宿屋の主人がつめよった。フンと鼻を鳴らしたマイラを庇うように、パーミルが二人の間に割って入った。
「違うんです。この部屋から幽霊が出て行ったというので、見に行ったら、部屋の中からうめき声が聞こえて……」
「まさか、これは幽霊の仕業なのか……?」
泊り客の一人が呟いた。
その声は、どこか不吉な響きをともなって、人々の間を流れていったのである……。
次回は「アルムスの末裔と幽霊騒ぎ 後編」を執筆します。
ちゃんとトリックと動機が描写できるといいな。