自由騎士アーウィンの物語 プロローグ
無実の女性を救う為に、王の命令に背いた騎士アーウィン。
自らの良心と騎士としての使命、どちらに従うべきだったのか……。
騎士の位を剥奪され、思い悩む彼に王より今一度騎士に戻るチャンスが与えられた。
「アルムスと呼ばれる場所に赴き、秘宝を手に入れてくるのだ」
その使命を受け、アーウィンは友と共に旅に出た。世界の遥か果てにあると言われるアルムスに向かって―――。
だが、彼らの行く手には、思わぬ試練が待ち受けていた!!
プロローグ
帝国ダントーインの皇帝が住む城、ナイトパレス―――。
その偉容さは、まさにカルラディア最大の帝国に相応しいものだった。高い城壁と、八つの物見用の円塔に囲まれた、地上五階、地下一階からなる壮大な建造物だ。
その最上階にある皇帝の私室では、部屋の主人が卓上に地図を広げ、先ほどからじっと考えにふけっていた。
英雄皇帝の名前で呼ばれる現ダントーイン帝国皇帝、アルバート・デトロニクス・ダントーインその人である。
五十年前、土地も持たぬ下級貴族であった皇帝は前皇帝の崩御と共に発生した宰相の反逆を見事鎮圧し、幽閉されていた皇帝の忘れ形見である皇女を妻にし、皇帝の座に着いた。
すでに老境に入っており、その髪も見事な美髯も、ムスタファー山脈の万年雪のように白い。しかし、今だ背筋はまっすぐに伸ばされ、厳しく引き締められた表情は、王者のみがもちうる威厳をたたえていた。
しばしの間、アルバートは彫像のように動かず、白い眉をひそめて考え込んでいた。それから、やがて思いさだめた様子で、ゆっくりと卓上に手を伸ばした。
しわぶかい、枯れ枝を思わせるその指が、地図の上をダントーインから北西のブルーマを通って、その西コロールへと滑っていく。
「鋼鉄女王ネメアめ……何を目論んでおるのか……」
それは帝国ダントーインの北西に位置する軍事国家コロールにおいて、女神の如く崇められている支配者の名前だった。
「懐刀と呼ばれた軍師マリアがブルーマに亡命していらい、コロールは存亡の危機に立たされておると聞く。だが、鋼鉄女王よ……」
皇帝の目が鋭くなり、野心の光が宿る。
「我が帝国が、コロールの滅亡を傍観しているとは思ってもらうまい」
アルバートは、ブルーマとコロールとの戦いに、直接介入すべきではないと考えていた。ひとたび皇帝が命令すれば、数万人単位の軍隊が組織され、他国に派遣される。それはカルラディア全土に戦火を巻き起こし、多くの命と未来を奪う事を意味するのだから。
だが、より大きな戦乱を避ける為、自ら戦いに乗り出さねばならぬこともある。
今こそ、皇帝の決断を下すべき時なのかもしれなかった。
「やはりブルーマに兵を送る為には、ギラン=ブルーマ間の街道を整備しなおさねばなるまい……」
呟いて、アルバートは卓上の地図をたたんだ。
そして静かに立ち上がると、呼び鈴を振って侍従の者を呼んだのだった。
ダントーイン帝国に仕える騎士アーウィン・クエスターは、ナイトパレスの最上階へと続く階段を昇っていた。
アーウィンは、今年で二十五歳になる。帝国人に多い赤毛の髪と茶色い瞳、気品ある顔立ちをしている。剣と馬術で鍛えられた体つきと、瞳の奥のひたむきな光りは、いかにも騎士らしいものだった。
カツカツと周囲に響く自らの足音を、アーウィンは酷く空ろに聞いていた。何の為に主君が彼を呼び出したのか、見当がついているのだ。
半月ばかり前、一人の貴族が殺された。アーウィンはその調査に当たり、事件の背後でコロールが糸を引いていると言う事実を掴んだ。しかし、事件の顛末をアーウィンから聞いた皇帝アルバートは、コロールの非を問おうとせず、殺された貴族の愛妾に罪を着せようとしたのである。
事実を明らかにすれば、コロールを討つべしとの声が騎士団や貴族達の間で高まる―――そして、ダントーインは準備不足のままコロールとの戦に突入せざるを得なくなる。皇帝アルバートは、そうアーウィンに説明した。無実の罪を着せてしまったが、彼女の名誉はいずれ必ず回復させる、とも。
濡れ衣を着せられたその女性を、アーウィンは監禁されている牢から逃がしてやったのだ。真相はともかく、表面的な事実だけを見れば、彼は騎士と言う身分でありながら、罪人を脱走させたことになる。
その裁きを下されるのだろう。アーウィンは王城の最上階にある、皇帝の私室に呼び出されていた。
公の場ではなく、皇帝の私室に呼ばれたのは悪い兆候ではなかったが、騎士としての資格を剥奪されるのは間違いあるまい。
階を一段昇るたびに、アーウィンは心が重く沈んでいく。
それでも、彼は機械的に足を繰り出し続け、やがて最上階に辿りつた。広い踊り場には、槍を構えた一人の衛兵が立ちはだかっている。
「騎士アーウィン・クエスター、皇帝陛下のお召しにより参りました」
アーウィンが告げると、衛兵は一礼して引き下がった。アーウィンも軽く頭を下げてそれに答え、廊下の突き当たりにある皇帝の私室へと向かった。
廊下の窓からは、暮れなずむ帝都ギランの街並みガ一望できる。それぞれの営みを抱えて帝都を歩く人々の姿は、五階からの高さから見ると、あたかも箱庭の小人のようだった。
だが、そういった風景に感慨を抱いている余裕は、今のアーウィンには無かった。
皇帝の私室に着くと、扉の前で控えている侍従に、アーウィンは来意を告げた。侍従が部屋に引き下がり、しばらく待たされてから、彼は部屋に通された。
「アーウィン・クエスター、参上いたしました」
中に入った所でアーウィンはひざまずき、頭を垂れた。謁見の間ではなく、皇帝の私室に呼ばれるのは初めてである。大きく息を吸ってから、アーウィンはゆっくりと顔をあげた。
彼の主君、アルバート皇帝は、卓に向かって何かしたためている所だった。その手を休めず、横を向いたままで、皇帝はアーウィンに語りかけた。
「来たか。今日、お前を呼んだ理由はわかっておろうな」
「はっ……」
皇帝はアーウィンに向き直り、鋭い視線でアーウィンを突き刺した。
「アーウィンよ。ノイアート卿が暗殺された事件において、お前は夜の命に背いた。今、我がダントーインはコロールと戦うわけにはいかぬ。よって真相を明らかにはせず、ごく一時の処理として、かの愛妾の女性を罪人として扱う……そう言った筈だ。だが、お前は彼女を脱走させてしまった」
「皇帝陛下、それは……」
「余が話しておるのだ。黙って聞け」
アルバート皇帝の声は大きくも激しくも無かったが、アーウィンの弁明を許さない威厳に満ちていた。
アーウィンは黙り込み、顔を少し俯けたまま、そっと主君の顔を盗み見た。
無罪の罪を着せられたその女性を何処に監禁してあるのか、それをアーウィンに教えたのは、他ならぬアルバート皇帝なのだ。ということは、皇帝は言外に、彼女を逃がしてやれとアーウィンに伝えたのではないか? 後になって、アーウィンはその事に思い至った。
だから、皇帝は自分の行動を賞賛しなくても、酷く咎めることは無いかもしれない……正直な所、そんな淡い期待を抱いてもいた。
しかし、ひざまづいたアーウィンを見据えるアルバート皇帝の表情は、あくまで厳しいものだった。
「騎士と言う身分でありながら、お前は罪人を脱走させた。その罪により、お前の騎士としての資格を剥奪する。所持品に紋章を刻む事、クエスター家の性を名乗る事は、以後許さぬ。また、叙勲の折に授けた武具と軍馬については、これを没収する。その上本来ならば、永遠にこの帝都ギランから追放するところだが……」
(お前の犯した罪、と皇帝陛下はおっしゃる。俺のした事は罪なのか? 彼女は無実なんだ。無実の人間が何故牢に監禁されねばならないんだ)
アーウィンは黙ったまま、心の中で叫んでいた。彼女を逃がしてやれと、皇帝陛下はお命じになったのではなかったのですか……そういって慈悲を請いたかったが、アーウィンは誇りにかけて自制した。
そんなアーウィンの内心に気づいてかどうか、アルバート皇帝はほんの少しだけ目元を和ませた。
「お前のとった行動は、ある意味では、まことの騎士として相応しいものであったのかも知れぬ。そこで、お前には機会を与えよう。アーウィンよ、贖罪の使命を受けるか」
「どういった使命でしょうか?」
顔を上げて、アーウィンは問うた。
「アルムスに行け。そして、そしてかの地で秘宝を借り受けてくるが良い」
「アルムスの……?」
アルムスはダントーイン帝国から遥か西の世界の果てとも言われる地にある小さな村だ。
帝都ギランから発し、ロザミア、ザレス、ロマルを通って西部諸国へと至る。通称旅人達の街道と呼ばれる大街道の終点に位置するという。その正確な場所は定かではない。
「旅人達の街道を西へと進めば、やがてアルムスにつくであろう。村長宛に書状をしたためておくゆえ、それを見せればよい。村長は、お前に秘宝を託すであろう」
「アルムスの秘宝とは、何なのでしょう?」
「それは、お前に話すことではない。どうするのだ、アーウィン。使命を受けるか否か」
「…………」
頭を垂れて、アーウィンは目を閉じた。十五歳の時に叙勲を受けて以来、ダントーインの騎士としての勤めを果たしてきた日々が、脳裏に蘇っては消えていく。紋章入りの武具を帯びて、誇らしげに街を闊歩していたあの頃が、とても遠い昔のように思われた。
アーウィンは目を開けると、ゆっくりと顔を上げて主君を見つめた。
「……お引き受けいたします」
アーウィンにとって、選択の余地は無かった。使命を拒めば、待っているのは騎士資格の永久剥奪と言う、不名誉極まりない運命なのである。
アーウィンの答えに、アルバート皇帝は深く頷いた。
「よし。では、アルムスの秘宝を携えて戻ったあかつきには、お前の罪は許して使わそう。ただし、余の元に秘宝を届けるまでは、帝国に戻ってはならぬぞ」
皇帝の言葉に、アーウィンはもう一度深く頭を下げた。皇帝と言う立場上、アルバート皇帝としてはアーウィンを許すわけにはいかない。だが、皇帝は何とかしてアーウィンを庇おうとしてくれているのだろう。投げつけられた言葉こそ厳しかったが、アーウィンはそう感じていた。
「……御意」
しかし、主君の計らいに対する礼も、謝罪の言葉も、ついにアーウィンは口にしなかった。
自分のしたことは間違っていない。
そう信じていたから。
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