今更愛なんて、もう要りませんわ
「勘違いするなよ、これは政略結婚だ。呉々も愛なんぞ望むな」
「……はい、わかっております」
今から神への誓いをするというのに、こんなことを言う男が他にいるだろうか。しかし、政略結婚なのは事実で夫になるオーガストの両親が、無理やり押し付けたものだということもあり、オーガスト本人は大変不服そうだ。
オーガストの家は伯爵家で、私の家は侯爵家だ。オーガストの父、ホルベル伯爵は更なる権力を欲しがった。そして私の父、アニベル侯爵は売れ残りの娘を嫁がせたがった。両家の利害一致ということだ。私の年齢は26歳。貴族令嬢だというのに、婚約者なんていた事がなく、いつも妹と比べられては嘲笑された。
「____では、誓のキスを」
触れるているようで触れていない。彼は形すら作ることを拒んだ。政略結婚なんて、こんなものだ。白馬の王子様なんて、夢のまた夢だ。貴族の娘に産まれた以上、家門のために嫁ぐことは義務なのだから。
____それでも、夫から愛されたいと願うことはいけないことだったの
˙⋆❀⋆˙
「オーガスト、この橋の建設について話したいのだけれど____」
「はあ、何度言えばわかる!女が仕事に口出しするな!」
「それでも、これは見直すべきだわ!これでは、あまりにも____キャッ」
「“あまりにも”、なんだ。言ってみろ」
痛いわ、なんて力なの。資料を持っていた手首を捻りあげられてしまった。ぐぎぎ、とでも音がしそうな程の力で握られてしまい顔は歪んだ。
「な、なんでもないわ。……ごめんなさい」
「ふん。……こんなことを考えている暇があるなら女主人としてもう少し働いたらどうだ?」
漸く手首は解放された。少し紫色に腫れてしまった。
「してるわ、きちんとしてるわよ。」
「ハッ、どこがだ。ホルベル家の財産を食い散らかしといてよく言えたものだ」
「必要経費よ。今年の冬は大寒波が来るそうよ。きちんと備えないと____」
「黙れ!!もういい、部屋から早く出ていけ」
「……わかったわ」
結婚式当日の初夜、彼は来なかった。それからも、彼と寝室を共にすることはなく、私たちは一度も夫婦の義務を果たしていない。
早く後継者を作れとお義母様から圧をかけられていているが、子は一人では成せない。だと言うのに彼は「お前の子などどうせ使えない」などと心無い言葉しか言わない。養子でも取るつもりなのだろうか。
「奥さま、手首が……!なんて酷い」
「気にしないでハナ。……でも、少し痛いわ、手当をお願い」
「当たり前じゃないですか!」
この家での私の立場は最悪だ。夫から愛されておらず初夜すら迎えていない女主人の言うことを聞く侍女は、ハナくらいだろう。ハナだけが私を女主人として扱い、身の回りの世話をしてくれている。
「……旦那様は、いくらなんでも酷すぎますよ。こんなにも腫れてしまって。……奥さまは、家門の為に尽くしてくださっているというのに!あんまりではありませんか!」
「ハナ……。声が大きすぎるわよ。ふふ、ハナは本当に良い子ね。嬉しいわ」
「当然のことを言ったまでです!」
そう言えば、そろそろ商人が来る頃かしら。暖炉とカーペット、それに使用人の冬服も新しく発注しないといけないわ。
すると、コンコンと ドアがノックされた。
「入っていいわよ」
「奥さま、商人が到着しました」
「ええ、今行くわ」
応接室で待っていたのはいつもの年老いた商人ではなかった。
「お初にお目にかかります、私はフリップ・ガーベントの代理で来ましたエドウィン・ヴェゼルと申します。申し訳ございません、フリップは今は床に伏せておられまして」
なんて、綺麗な人。くすみのなお金髪にパープルアイ。洗練されたカーテシーに本当に商人かと疑ってしまう。
「奥さま、どうかなさいましたか?」
「い、いえ。マルティナ・ホルベルよ。今日は来てくれてありがとう。早速だけれど、発注の話をしましょう」
「かしこまりました」
ハナが用意してくれた紅茶を飲みながら、今年の冬について、最新の暖炉、流行りのカーペット、長持ちする侍女たちの冬服等々を話し合った。
私より若いはずなのに、とてもしっかりしているわ。ここまで、地理のことも政治も流行も抑えているなんて素晴らしいわ。フリップさんもいい商人だけど、やはりセンスが流行に上手くハマっていないこともあったので、エドウィンさんとの商談はとても有意義で楽しいものになった。
「奥さまは、素敵な人ですね」
「え」
「この屋敷だけでなく、働く人々にまで気を使っていらっしゃる。尊敬します」
「い、いえ!私なんか、そんな……」
パープルアイが私を見つめた。綺麗すぎて惹き込まれてしまったが、褒められてしまい顔を伏せた。大丈夫かしら、顔、赤くないかしら。
____女のお前が、政治に興味を持つな!みっともない!淑女としての自覚を持ちなさい!!
父から散々言われた。私が売れ残っているのは、政治に関心を持ち、男の仕事に口を挟むからだと。なのに、エドウィンさんは私の“淑女らしくない”知識を褒めてくださった。男性に褒められるのは初めてで、照れてしまった。
「奥さまは、もっと自分に自信を持たれたほうがいい。貴女様は、素晴らしい人なのですから」
「ッ〜!」
「さて、本日の商談はここまででよろしいでしょうか?また、なにかあれば手紙で知らせてください。何時でも駆けつけます」
「……は、はい。ほ、本日はありがとうございます」
お、奥さま顔真っ赤ですよ?!とハナに声をかけられるまで私は、立ったままその場から離れられなかった。
˙⋆❀⋆˙
幸せに天上なんてない。逆も然り、不幸に底なんてない。
「初めまして、アメリアと言います。本日からお世話になります」
何が目の前でおこっているのだろう。どうして、オーガストは、彼女の腰を抱いているの。どうして惚けた顔で彼女を見つめているの。
____私は、彼を愛していたのね。
ズキンと胸の痛みを感じて私は漸く気がついたようだ。夫としては最悪だが、貴族として仕事に向き合う彼の姿勢は素晴らしかった。私はそんな彼を見て、頑張ろうと思ったのだ。……オーガストは、邪魔に思ったみたいだけれど。
「彼女は、今日から屋敷に住んでもらうことにした。呉々も丁重に扱え」
使用人たちの視線が痛い。本格的に見放された女主人が哀れすぎて可笑しいのだろう。私も笑ってしまう。彼は真面目だから、いくら私が嫌いでも浮気なんてしない、愛人なんてつくらないと思っていた。その結果がこれだ。なんて笑える話だ。私たちに愛なんて、信頼なんて、端からないというのに。
「あ、あの伯爵夫人、なにかお力添えできることがあれば言ってください!私、頑張るので」
「……ええ。よろしくお願いするわ」
「はい!」
なんて愛らしい笑顔。彼はこういう女性が好みだったのね。けれど、見た感じ村娘ってところね。平民と貴族は結婚できるが、それでも世間がそれをどう思うか。私を隠れ蓑にして、愛を育むつもりなのかしらね。
「まぁ、もう、いいわ。どうでも、いいの」
この日の奥さまが、私は一番恐ろしかった。
˙⋆❀⋆˙
無愛想で女のくせに政治に興味があり、仕事に口出しをする身の程知らずな女。これが俺の彼女____マルティナへの見解だった。
やはり、こんな女と結婚なんてするもんじゃない。何かと俺の仕事に文句をつけてきた。
「もう、飲み過ぎでは?」
「……だまれ、おれは、」
「はいはい、お水飲んでね」
「アメリアちゃーん、こっちこっち」
「はーい」
「…………」
街の居酒屋には、偶にお忍びで来ていた。領地のことを把握するという業務と俺のストレス発散を兼ねてだ。どうやら、俺は結婚生活を想像以上に憂ていた。酔いがやたらと早く回ってしまい、性にあわないず酔っ払ってしまった。
この居酒屋の看板娘のアメリア。病人のように青白い肌をもつマルティナと違い、少し焼けた肌。輝く金髪に、キャンディのような甘いピンクの瞳。これらをより一層愛らしく見せる笑顔。人気の理由がよくわかる。
この時から俺はアメリアに惹かれていたのだろう。毎週のようにこの居酒屋に足を運び、気づいた頃にはアメリアとは相思相愛だった。いつ、アメリアに俺がこの地の領主であるホルベル伯爵だと伝えようかと悩んだ。俺がそんな悩みを持っていることを知っているかのようにアメリアは、
「オーガストは、オーガストです。私の大切な恋人だよ」
と言ってくれた。そんなアメリアに俺は嘘をつきたくない。ホルベル伯爵であると告げるとアメリアは、最初こそ驚いていた。妻がいるというのに、自分と付き合っているということに、罪悪感を感じ一度別れた方が良いのではと、話し合ったが、俺たちはもう愛し合ってしまった。
アメリアは、母と一人暮らしだったが病気持ちの母は、屋敷に来る3日前に亡くなってしまった。女性一人が暮らすなど危険すぎるので、屋敷に呼んだ。アメリアは、それはもう喜んでくれた。結婚生活、夫婦とはこういうことを言うのだろう。
「オーガスト、まだ書類と見つめ合いっこするの?」
「ああ……どうしても冬が来る前に済ませないといかないんだ。すまない」
「もう、仕方ないんだから」
執務室で、頭を抱えながら書類と見つめ合っている俺の膝の上にアメリアは乗ってきた。思わずドキッとしてしまったが、愛らしいアメリアの頭を撫でた。
「冬になると雪が積もるせいで、馬車がなかなか来れなくなるんだ。だから、保存ができる食料や衣類を今のうちに蓄えないといけないんだが……。今年は不作だったからな、厳しいんだ」
ホルベル家は、他の領地から輸入をすらばいいが、領民はそうはいかない。自分の家のライ麦などが育たなければ冬に食っていけるものがない。この冬で領民が餓死してしまっては困る。
「なら、ホルベル家の食料をみんなに分けてあげましょうよ!」
「それはできない。狭い領地ならできるかもしれないが、ホルベル家の領民は多い。屋敷には使用人たちも多いから、分けることはできない」
「それでも、一部の人たちには……!」
「それをすると、暴動が起きる。渡すなら、平等にしなければならない。」
そういうとアメリアは、少し不満気な顔をした。
「アメリアは優しいな」
「そんなことないわ。でも、ありがとう」
さて、本当にどうしたものか。貯蓄するために、干し肉などが必要だが領民全員に分けるとすると、増税は必須だ。しかし、この厳しくなっていく今増税をすることはかえって領民を苦しめることになる。なにか、なにかいい解決策はないのか。
「当主様、こちらの資料をどうぞ」
「どうしたダンテ。……これは!」
執事のダンテが持ってきたのは、資料の束だった。内容を読んでみると、現在領地で飼われている牛、森にいる鹿やイノシシの大体の頭数などが記されていた。
「ダンテこれは一体どこで……。」
待て、この筆跡は……。
「真逆、マルティナか?あの女が寄越した資料なのか?」
「…はい、奥さまが今年は不作だったからと初秋から手配をしておりました。」
“冬に備えて、狩りは控えるように領民に声をかけておりますので____”
“橋の建設を拡大させて、農民の仕事を____”
何枚にも渡って対策が練られていた。これがあの女が考えたことだと言うのか?女だぞ。
「マルティナは、今どこにいる?」
「今はもうお休みになられております」
「え、オーガスト!今行くの?明日でもいいじゃない」
「アメリア、先に寝ててくれ」
「オーガスト!」
˙⋆❀⋆˙
“東の国から特別な茶葉が入りました。良ければティナにプレゼントしたい。貴女さえ良ければ、プレゼントを渡しに行くことを口実にティナとお茶をしたい。返事を心待ちにしております エドウィンより”
「はぁぁ、エド……。」
あの日から私とエド____エドウィンは、発注の手紙からプライベートな話までする仲になり、今では愛称で互いを呼び合う仲にまで発展した。ティナ、なんて呼ばれたことは今までに1度だってない。両親は私を疎ましく思っていたし、兄弟だって私を遠巻きにしていた。なんて、心が踊る響きなのかしら。文だけでここまでときめくものなのね。
「お返事をしないと。いつなら空いてるかしら」
手帳を出し、空いている日……がないので空いている時間を作ることにした。オーガストは私が、体たらくで浪費家の妻だと罵るが、私はきっと貴方以上に働いているわ。浪費なんかじゃない、必要経費だもの。
____バンッ
「オ、オーガスト?どうしたの、こんな時間に」
勢いよく凄い音を立てて入ってきたのは真逆のオーガストだった。それも、凄い剣幕だ。
「この資料、お前が作ったのか?」
ダンテ、黙っておくように言ったのに。私が作ったって知ったら、オーガストがまともに読むわけないじゃない。
「ええ、私がつくりました。今のまま冬を迎えれば、領民は餓死者が出ることでしょう。そうならないように、対策を練っておきました。……なにか至らない点でもございましたか?」
どうせ、女がだの仕事に口出しするだのネチネチと大声で罵るんでしょ。
「……今までのことを、謝罪しよう」
「へ……、今なんと、」
「どうやら私はお前を見くびっていたようだ。……私が他の仕事に追われている間にこんなにも対策を練っていてくれたとは、思いもしなかった。」
あの、オーガストが謝った?しかも、私を認めた?結婚生活2年目にして漸く、彼が私の目を見た。
「この事案は、お前に任せよう」
「ほ、本当によろしいのですか?」
「私よりお前のほうがよくわかっているみたいだからな。……領民の為に最善を尽くそう」
そう、彼は真面目。超がつくほどの真面目だ。今の女性の立場を考えると今まで、彼が言っていることは一般世論だ。別に、可笑しいことではないし、諦めていたことだ。
けれど、仕事……領民のためならと彼は考え方を変えた。女である私を認めたのだ。
「ええ、この冬を乗り越えましょう」
ずっとしたいことがあった。それをこれを機に始めていこう。
˙⋆❀⋆˙
春が来た。長く寒い冬が終わり、雪が溶け始めた。マルティナのお陰で、農民たちは仕事を手にしてその金で食料を買い、冬服を買い、寒さを凌いだ。
「マルティナ、この事業で相談したいことがある」
「分かりました」
変わったことは、俺からマルティナに相談するようになったことだ。女は本来、淑女学のことしか学ばない。礼儀、作法、ダンス、編み物……。なのに、マルティナは、経済学、哲学、経営学、農学と様々なものに精通していた。その知識量と応用力には驚かされた。
「マルティナ、良かったら今度、乗馬に行かないか?」
「……いえ、結構です。やることがありますので。これで話は済みましたか?」
「あ、ああ。」
「では、失礼します」
変わらないことは、マルティナと私の距離が縮まらないことだ。夫婦として距離ではなくとも、もう少し、彼女を知りたいのだ。
˙⋆❀⋆˙
あの冬を超えてから、変わったことはオーガストの私を見る目だった。アメリアさんのようにまで、とはいかないもののなにか、心がゾクリとするような寒気さを感じる。
それでも、事業に関して口出しすることを許してもらえたことによって、私の事案も通り領地が豊かになった。まだまだ、これからだけどね。
「エド、お待たせしました」
「いや、今来たところだ。今日も美しいよ、ティナ」
右手の甲に、優しく触れるようなキスをしてもらった。何回されても、やはり少し照れてしまう。
もう1つ、変わったことはエドとの関係だ。
____恋仲になったのだ。
こうして、商談に見せかけて応接室でお茶会をするのだ。私だって、今まで以上に着飾ったし、エドもよく頼んでいないのに「ティナに似合うと思って」と言って宝石を持ってくるようになった。嬉しいので貰っておこう。
「……実はね、私、オーガストとと離婚するつもりなの」
「夫は許してくれそうかい?」
「今のままではきっと無理ね」
「その様子じゃ、なにか策があるんだろうね」
「もちろんよ」
まぁ、私から仕掛けるほどのものじゃないけれど。
˙⋆❀⋆˙
「マルティナ様、聞いてください!赤ちゃんができました!」
「あら、おめでとう。嬉しいわ、とっても」
愛人が本妻に、妊娠報告するなんて可笑しな話だ。しかし、彼女は本妻である私に対して嫌味のつもりでもないのだろう。
「オーガストとマルティナ様は愛し合っていないので、構いませんよね?」
と、真正面からオーガストとの関係を言われた時は呑んでいたティーカップを割りそうになったが、今の私からしたら、かなり好都合な話だ。どこまで行っても、頭がお花畑の愛らしい村娘なのだから。
オーガストは一度も私と一緒に寝床を共にしたことはないが、アメリアとは寝室を一緒にしたのだ。アメリアもアメリアで、まるで自分が貴婦人にでもなったかのように振る舞うので、使用人たちは自分たちはどうするべきかと悩んだ。過度の浪費に、物欲。あれが欲しい、これが食べたい、あそこに行きたい。限度というものを知らない。
「オーガストが言ってくれたんです、私の産んだ子が次期当主になるって……。」
「あなたッ____!!」
「ハナ、お茶が冷めたわ。新しいのを入れてちょうだい」
「……かしこまりました」
アメリアの話をまともに聞くと私の頭がおかしくなったのかと錯覚してしまうので、適当に返事をするのが最善策なのだ。
「ふふ、今からオーガストと大切な話をするのだけれど、アメリアさんもご一緒してくださる?」
「もちろんです!」
私たち、3人にとって大切な話なのだからね。
「マルティナ、大切な話というとは____アメリア、すまないが、別の部屋で待っててくれ、大切な話をするんだ」
「イヤよ。マルティナ様も私もご一緒して欲しいって言ってくれたもの!」
「ええ、アメリアさんもご一緒によ」
ほらね、とでも言いたげな表情だ。彼女は、まあ頭がお花畑なので政治の話が理解できないそう。そんな彼女を輪に入れて話すことなどなく、いつも彼女を除け者にして話していたので、彼女は嬉しそうだ。
「まぁ、落ち着いて、座ってお茶でも呑みましょうよ」
オーガストは、彼女の隣に座った。
ハナが入れてくれたお茶を一口呑み、喉を潤わせた。
「それで、マルティナ、話とはなんだ?」
「____離婚しましょ、オーガスト」
「は?」
「ほら、サインしてちょうだい」
机の上にドンと離婚届を置いた。
なんて面白い光景なのかしら。アメリアさんたら、あんなにも喜んだ顔をしちゃって。私が邪魔で邪魔で仕方がなかったのね。
に比べて、オーガストのこの表情。まあ、最近の行動からどんな心情か多方想像できるけどね。
「な、ぜだ」
あら、ようやく絞り出した一言が「なぜ?」ですって?笑っちゃうわ、ほんと。
「妻である私をあれ程冷遇していてよく言うわね。加えて、妻がいるというのに村娘と浮気、しかも屋敷に迎え入れるなんて。その上、子を作り、その子供を次期当主にするですって?これだけ、私のことを侮辱しながらよく言ったものね」
「子だと?妊娠したのかアメリア!」
「え、えぇ。ついさっき、お医者さんに診てもらったの」
妻である私とは一度も床を共になかったくせに、愛人とはいくらでも寝るのね。貴族としては素晴らしいけれど、ほんと、男としては呆れて物が言えないわ。
「マ、マルティナ、今までの君への行動を深く謝罪しよう。頼むから離婚するなんて言わないでくれ。私は、私は君を“愛してるんだ”」
____パシャッ
「……“愛してる”?同時に2人の女性を愛するって言うの?馬鹿も休み休み仰い!」
呑んでいた、ティーカップの紅茶をオーガストの服にぶっかけてしまった。幸い、紅茶はそれほど熱くなかったようだ。
私としたことが、つい冷静さを失うなんて。
「オ、オーガスト、マルティナ様を愛してるってなによ?!私じゃないの、言ってくれたじゃない!“あんな女よりも君を妻にしたかった”って!!なのに!この女を愛してるってどういうことよ!!」
「アメリア……、すまない」
すまない、ねぇ。まぁ、私の事を今になって好いてきたということは、なんとなく確信していた。いくら、私が素晴らしい事案を出したからといって、一緒に夕飯を食べようなんて言うかしら?この前なんかは乗馬に誘ってきたわ。けれど、他にも私に好意を抱くようになった要因はある。
「どうして謝るの?!私のこと、まだ愛してくれてるわよね?!」
「……ぁ、……いや、今は応えられない」
「ッ〜!!」
それはきっとアメリアさんだろう。居酒屋で、お忍びで、彼女と会っているときは彼女を素晴らしい女性だと感じたのだろう。けれど、屋敷に連れてきた瞬間からなにかが、良くないものが見え始めたのだろう。
根っからの貴族である彼には、彼女のマナーが耐えがい時があった。食事をする際のナイフとフォークの使い方、文字の筆跡、言葉遣い、廊下を走り回る……。最初こそは仕方ないと彼なりに消化していただろうが、私の完璧な作法を見て嫌でも目に入ってくるようになったのだろう。加えて、彼女の無知さ。よく言えば無邪気だが、それは無知で考え無しとでも言えるだろう。
多方、こんなところでしょうね。
「それでもオーガスト、貴方はアメリアさんを妊娠させた。それは“紳士”なら責任を取らなければいけないこと。けれど、私は愛人の子なんて欲しくないの。だから、離婚しましょ。これが最善策よ」
「どういうこと、欲しくないって……」
「貴女の子を私の子として、世間に紹介するつもりだったのよ」
愛人の子を次期当主になんてするわけがない。私が産んだことして、世間に紹介するつもりだったのだろう。都合のいいことに、私は一年以上誰ともあっていないのだから。
「さぁ、早くサインしてちょうだい。この国では、平民とでも結婚できるもの。良かったわね、アメリアさんと結婚できわよ」
「……少し、時間をくれ」
「返事はYESorYESだけよ。……でもまぁ、気持ちの整理くらいは付けさせて差し上げましょう」
夫婦らしくなかったといえど、3年間の付き合いだ。荷造りもしなければならないし、その期間を猶予としてあげましょう。
˙⋆❀⋆˙
「三日三晩待って差し上げたわよ。もういいわよね?早くサインをしてちょうだい」
「マルティナ、やはり俺を君のことを“愛してる”んだ!考え直してくれ」
はっ、三日三晩何をそんなにも考えているのかと疑問だったがそんなことを考えていたのね。ほんと、呆れるわ。
「貴方からの“愛”なんて、もう要らないわ。もう、私たちは終わりなのよ」
始まってすらいない私たちは、終わりにきちんと向き合えていないのだろう。何もかもが、遅かったのだ。
「…マルティナ、ひとつ聞いていいか?」
「なに?」
「お前は俺を、愛したか?」
愛したか?ええ、知らず知らずのうちにそんな感情を育ててしまったわ。でもね、根っこから抜いてしまえば跡形もなく消えるの、雑草でも二度と生えてこないの。
「今更それを聞いてどうするの?私たちの間に、愛も信頼も絆も何一つ無かったじゃない」
「ッ…そうだな、お前を傷つけたのは、俺だ」
オーガストは、漸く離婚届にサインした。
「家に帰るのか?」
「他人の貴方に言うことかしら?私事なんて気にせずに、アメリアさんと愛でもなんでも育んでてちょうだい」
ハナと共に屋敷を出た。もちろん、行く宛てならある。その為に、離婚したのだから。
「エド!お待たせ。漸く、貴方と一緒にいられるわ」
「ティナ、お疲れさま。私の屋敷でゆっくりしよう。今後のことはまた来週にでも考えればいいさ」
「どうして?私は早く、結婚式を挙げたいわ」
「それは嬉しい。なら、早急に手配しよう」
エドウィン・ヴェゼルは、偽名だ。本名は、エドバルト・ハンツェル。隣国のハンツェル公爵閣下だ。貴族にしては珍しく商業を営んでおり、いつもお世話になっていた商会は、ハンツェル公爵家に吸収されたそうだ。どうして、エドがフリップさんの代わりに来たのかと聞いたら、
「私と君の出会いは、あの日じゃない。3年前、ドナン王国に訪れたときに君を見たんだ。その日から、私の心は風穴が空いてしまった。……幸運なことに、商会のお得意様リストに君の名前が載っていた。結婚していたことにはがっかりしたが、もう一度会えて本当に嬉しかった」
____運命とは、人間の意志や力を超えて人生に訪れる幸不幸や、あらかじめ決まっているとされる出来事
きっと、あの時、あの時と後悔しやり直せたところでオーガストとアメリアは惹かれ合うし、私とエドバルトも惹かれ合う、オーガストと私は離婚する。これらは、私たち4人の人生で決まっていたことなのだろう。
偶然は必然に、必然は運命に。
「……ええ、私は貴方を愛していたわ。けれど、もう要らないの」




