浄化巫女の献身
「ごめん、夏美ちゃん! おまたせ」
「ごめーん! 高梨さん、私のせいだから淳士のこと怒らないであげて♡」
「……はぁ」
いつものように恋人である連城淳士は妹分であるという幼馴染の夜桜綾香を腕に引っ付けデートの待ち合わせにやって来た。約束の時刻はとうに過ぎている。
「綾香がシャンプーにいつまでもこだわるから遅れただろ」
「だってもうないし、たまには別のブランドも試してみたいんだもん!」
二人はどうやら半同居をしているらしい。淳士と付き合う際あくまで綾香は妹の様な存在なので浮気ではないと何度も言われたが、毎回のようにデートについてくるのはいかがなものであろうか……。
夏美の前でどちらのせいで遅刻したのか罪の擦り付け合いという名の言い争いはまるで痴話喧嘩の様に見える。どちらと付き合っているのか傍から見れば一目瞭然だろう。
「ほら、淳士! 高梨さんが嫉妬してるじゃん。誤解なんだからしっかりしなよ」
どの口が言うのか。
「え、いやごめん夏美ちゃん! ほらこいつ、妹みたいなもんだからさ」
それ以外の言い訳を聞いたことがない。
「……仲が良いのは知ってるから大丈夫」
何とか笑顔を作って不満を飲み込む。あからさまにホッとした表情をする淳士と勝ち誇ったように目を細める綾香に夏美は相変わらず何も言えなかった。
淳士の恋人は自分であるはずなのだが、淳士は綾香を腕にくっつけたまま先を歩き出す。二人が仲良さげに歩く後ろ姿を見つめながら恋人でいる意味はあるのだろうかと何度目かのため息を吐いた。
連城淳士との出会いは大学一年の時である。
入学してすぐに一目惚れしたと猛アタックされたのが始まりであった。淳士は派手な見た目で整った顔をしているが、優しく気遣いもできる素敵な人であった。
そのため大学内でも有名で男女問わず人気者であったため、なぜ自分の様な素朴を絵に描いたような女がいいのだろうとかと警戒していた。
だが淳士はその警戒を徐々に解いていくように距離を詰めていってくれたのだ。初めて異性を恋愛的な意味で意識するようになっていった夏美は淳士に自分の想いを伝え、晴れて恋人となる。
無邪気な笑顔で心から嬉しそうにする淳につられて思わず笑ってしまった幸せを享受してわずか三日。初めてのデートでこれまた大学内で絶大な人気を誇るお嬢様、夜桜綾香を伴って来た時は心底驚き、体が固まってしまったのを昨日のことのように思い出せるほど鮮明で強烈であった。
「初めまして、淳士の幼馴染の夜桜綾香です」
笑顔ではあるが、どこか夏美を牽制するような目つきに夏美は思わず怯んでしまった。
「やめろって綾香。夏美ちゃんが困ってるじゃん」
そう言って嫌そうに顔を顰め注意する淳士に綾香はムッとし、横柄な態度を隠さず淳士に説教を始める。
「あんたがチャラいから高梨さんが本当は困ってないか見に来たんじゃん。強引過ぎる男は嫌われるわよ? その点私は高梨さんとタメだし、淳士のことで相談に乗ってあげられるし」
綾香は有名なため同じ歳なのは知っていたが接点はない。学部が違うためキャンパスも当然違うのだ。どう反応していいか戸惑っていると淳士が慌てたように弁明する。
「ごめん夏美ちゃん。綾香は妹みたいなもんだから気にしないで。わがままだけど根は良い奴だから仲良くしてくれると嬉しい」
「わがままって何よ、失礼ね!」
まるで、ほら兄妹だろう? と言わんばかりの喧嘩を始める二人。
「き、気にしてないから大丈夫。二人は仲良いんだね、知らなかった」
「高梨さんって超いい子じゃん! 見た目通りの人ね」
夏美はなんとなく遠回しに嫌味を言われたことに気づいたが、この場の空気を悪くさせないようにとりあえず苦笑した。
「そうなんだよ。夏美ちゃんのこの癒しが堪らなく好きなんだ」
夏美の肩を抱く淳士に心臓が一際大きく跳ねると同時に顔が熱くなった。
「……へぇ、そう」
綾香は露骨に面白くなさそうに一言呟く。やはり綾香は淳士のことが好きなのではと不安になる。だが淳士はいつものことなのか気にすることもなく夏美の手を引くとデートへと繰り出した。その後を綾香が追ってくることはない。
罪悪感を感じたが内心ホッとする。淳士が綾香を妹としか見ていないと知ってその言葉を信じようと楽しそうに笑う淳士に夏美は微笑んだ。
しかし、時が経つにつれ綾香は事あるごとに淳士と夏美の間に割って入ることが増えていった。
大学ではわざわざ同じキャンパスに来ては沢山の友人や取り巻きを引き連れ、わざとのように淳士と夏美の二人だけの時間に飛び入り参加したり、昼の学食も同じにし夏美と淳士の席を離したりする徹底ぶり。
人気な二人が並ぶ方がお似合いだと周りの目が冷たく夏美に突き刺さるが、その度に淳士がさりげなく夏美を助けてくれていた。
だが付き合い始めて三か月。
ここ最近は淳士の態度が次第におざなりになっていった。一緒にいても綾香を中心に夏美を気にかけることが減っていき、デートの時も綾香を伴い二人で恋人の様にじゃれ合うようになった。
引っ込み思案であまり積極的に人と関われない性格である夏美は悩みを誰かに相談することができない。
夏美は幼い頃、両親を事故で一気に亡くしてしまい、そのあとは親戚中をたらい回しにされた幼少期を過ごしていたため、でしゃばらず一人で何でも解決するしか術がなかった。
そのため何が正解なのか分からず、とにかく周りの空気を悪くしないためには意見せず大人しくすることしかできないのだが、夏美の中で次第に本当にこのままでいいのだろうかと思い始めていた時であった。
「高梨夏美様ですね? 私と一緒に来ていただきます。これは決定事項ですので悪しからず」
大学入学と同時に始めた一人暮らしの安アパートの前で黒いスーツを着た男にそう話しかけれら、駐車場に停められていた黒塗りの高級車に有無を言わさず乗せられた。
突然のことに恐怖で固まる夏美に運転席に乗り込んだ男が車を発進させながら話しかけてくる。
「夜桜綾香様をご存じですよね?」
「は、はい……知ってますが……」
怯える夏美を気遣っているのか穏やかな口調の男に少しだけ詰めていた息を吐きだす。だが知ってはいるがあまり良い気のしない名前に眉根を僅かに困らせる。
「あなた様は綾香様の推薦……いえ、あれは最早ただの我儘ですね。それによって我が主様の浄化の役を押し付けられたのです」
「……え、と……」
訳が分からない。それしか感想が湧かなかった。困惑する夏美に当然そうなるだろうと男はタメ息を吐いた。
「申し遅れました、私は工藤と申します。そして我が主様とは日本屈指の陰陽師なのです」
「お、陰陽師って……あの、テレビとかで偶に見る……」
「あのような方々とは比べ物にもなりません。主様は日本を裏から守護する四大名家のおひとつ、一条家の御当主なのです」
スケールがでかすぎて夏美はついていけずますます困惑した。まるで自分とは関係のない世界になぜ推薦?されたのか、何を押し付けられたというのか分からず頭の中でそれらが意味もなく反芻を続ける。
「夏美様、到着いたしました。まずはどうぞこちらへ」
「え、はい……」
困惑をしている夏美に工藤と名乗った男は構わず車を降りると夏美をエスコートする。夏美は一先ずその手を取って車から降り、今自分がどこにいるのかを確認しようと顔を上げた。
「え……なに、ここ」
「素晴らしい、本当にあなた様は浄化の巫女の血を受け継いでいらっしゃるのですね」
目の前には異様な光景が広がっていた。高層ビルに囲まれた東京の真ん中にあるとは到底思えない程広く立派な日本庭園のその先に、大きな日本家屋が堂々と鎮座していた。
「このお屋敷は一条家の力で普通の者には見えないように結界が施され、間違っても入れないようにもなっているのです」
にわかには信じられない説明だが工藤は本当の事を言っているのだろう。東京のど真ん中でこのような場所が地図アプリに載っていないのありえない。その証拠にもの凄く近くにスカイツリーが建っているのが嫌でも視界に入り込む。
「でも私、一般人なのですが……」
変わらず困惑する夏美が一言呟く。
「いいえ、あなたには感じていらっしゃるはずです。屋敷のその奥に……巨大な力が渦巻いていることを」
夏美の心臓がどきりと跳ねた。
「巫女の血を受け継いでいらっしゃるあなた様には分かっているはずです」
「そんなこと、言われても……。私、巫女なんかじゃありません。両親は一般人です。といっても、もう亡くなったので確認のしようがありませんが」
悲しそうに顔を俯かせる夏美に工藤が優しく語りかける。
「申し訳ありません夏美様。私どもは急を要するため勝手ながらあなたの事を調べさせていただきました」
工藤が調べた経緯を教えてくれた。
どうやらこうなってしまった原因は先程も言っていたように夜桜綾香にあるらしい。
この屋敷の主である一条家とは代々日本を守護するために日々、日本を取り巻く人の負のエネルギーをその体に取り込み日本が膨大な負のエネルギーに覆われないようにする役割を担っている。
そして現当主である一条天寧という青年もその役割を果たすために、負のエネルギーを体に取り込み日本を守護しているのだが、その取り込んだものを浄化する役割を担っているのが夜桜家だ。
だがここ最近の夜桜家はあからさまにおかしかった。
というのも、本家も分家も含め現当主までもが綾香を溺愛し、誰一人逆らわないというのだ。すべてが綾香の思いのまま。
夜桜家を通さず直接分家に頼もうにも分家はまだ幼い少女しかおらず力も弱い。分家から派生した者達も時代が進むにつれ更に細かく別れ、いくつもの家が消えたり歴史を知らぬまま一般人となり役割を放棄したりとようは使えないのだ。
他家の名家は浄化に疎く、さらに巫女というのは文字通り女性にしか発現しない。夜桜家で最も力が強い綾香が適任であるため早く役割を果たせと幾度となく物申しているのだが、すべて断られている。
娘に危険な役割などさせられない。夜桜家当主の言葉は由緒ある陰陽師からするとあり得ないのだが、そう言われてしまうとそれ以上はどうしようもできなかった。
その時苦肉の策とでも言う様に提案されたのが夏美を代理にという事だ。
綾香が推すのだから間違いないとこれまた根拠のない言い分を押し付けられたが、当主の一条天寧の体は限界を迎えようとしている。このままでは日本が負のエネルギーに取り込まれ人々の自我が崩壊してしまう。
背に腹は代えられないと藁にも縋る想いで夏美の事を調べ上げた。この女性が駄目であれば夜桜家に責任を取るためにも役割を果たせと再度物申せるし、最悪綾香を無理矢理にでも連れてこなければならないためだ。
しかし、そこで思わぬ事実に辿り着いたのだ。
夏美の遠い先祖は消えた五つ目の名家である高梨家のことだと判明したのだ。そして高梨家の役割は夜桜家と同じ浄化であった。
なぜ消えてしまったのか。それは夜桜家が関係しているらしいが、今はそれどころではない。一刻も早く夏美を主である天寧のもとへ連れて行かなければと今に至る。
「夏美様、一般人として生活していらしたあなた様に酷な役割をさせようとしているのは分かっています。ですが、もうあなたしかいないのです。無理を承知で改めてお願い致します。どうか天寧様をお助けください」
自分よりも一回りは年下であろう小娘に頭を深く下げる工藤に夏美は微笑んだ。
「できるかどうかわかりませんが、私やります」
「夏美様……! ありがとうございます」
「でも、日本のためなんて大層な理由ではありません。工藤さんが天寧さんという方を大切に想っていらっしゃるのが分かるから引き受けたいと思ったんです。何もできずに大切な人を失うこと程辛いことはないのだから……」
日本でも一条家でもなく天寧を助けてほしいと工藤は頭を下げた。両親という大切な存在がもういない夏美にとってまだ間に合うのなら何とかしてあげたかった。
自分の気持ちを見透かされた工藤は驚きから目を見開いたあと、目尻に涙を溜め小さく笑った。
「あなたはとてもお優しい方なのですね。夏美様にお会いできたこと、光栄に思います。どうか、我が主をよろしくお願いいたします」
再度頭を下げた工藤に夏美は快く返事をした。
工藤に連れられ屋敷へと足を踏み入れる。中は明かりが灯っているにも関わらず暗く見え、人の気配もない。工藤によると比較的安全な場所で待機しているようだ。
わかる気がした。この異常な重苦しさを門の前から感じてはいたが、中はその比ではなかった。屋敷を案内する工藤の顔も苦しそうに歪められているが足を止めない。
そして屋敷の者は誰一人逃げ出さず主の無事を祈っているようで、それだけで一条天寧という青年の人柄が理解できそうだ。
夏美は重苦しい得体の知れない恐ろしい何かに飲み込まれないように改めて気を引き締める。ふと、工藤が一室の襖の前で足を止めた。
「夏美様、この部屋の先に天寧様がいらっしゃいます」
しっかりと閉じられた襖に手をかけ工藤が忠告するため夏美に振り返る。
「どうかお気をつけください。天寧様はかろうじて自我を保っていらっしゃいますが暴走寸前にまで追い込まれています。もし、無理だと判断された場合は……」
「工藤さん、大丈夫です。必ず、やり遂げてみせます」
夏美にはもう失うものはない。これが自分の役割だというのなら、最期に誰かのためになるのなら何としてでも成功させたかった。
勿論勝算がないわけではなかった。夏美には浄化の力というものを使えそうな予感がしていたのだ。なぜだかこの屋敷を前にした瞬間、魂が自分の中の何かを呼び起こそうとしている気がしてならない。
工藤は優しく微笑む夏美に感謝しながら硬く閉ざされた襖をゆっくりと開けた。
夏美は足を一歩進め部屋へと侵入する。そしてすぐに部屋の外にいた方がましだと思わされる程の圧を全身に感じたが、ためらうことなく真っすぐに広い部屋の奥へ目を凝らした。
「……誰、だ」
部屋の一番奥で黒い塊が渦を巻いているその中から年若い男の声が聞こえた。とても苦しそうで夏美の胸が思わず痛んだ。
「あなたを、助けに来ました」
「……も、はや、無理、だ……。はやく、屋敷の、者達をつれて、逃げな、さい……」
人の形が見えない程黒い渦に取り込まれ苦しいはずなのに、そんな状態に陥っても他人を気遣う当主に夏美は、なぜこの人が工藤にあんなにも大切に想われているのかが分かった気がした。
この人を救いたい。
夏美は強く強くそう思った。苦しさで呻く青年のもとへ歩み寄る。だが近づくにつれ体が上から押し潰されそうになる痛みと苦しみが襲う。
それでもこの青年を工藤のもとへ無事に帰してあげたいその一心で一歩、また一歩足を進めた。そして黒い渦まで辿り着くと本能に従うようにその渦の中に手を入れた。
「な、んと、無茶を……」
「私は、工藤さんと、約束したんです。あなたを、必ず助けると……。私には、もう失うものなんて、ない。でも、あなた方は違う。この世界に、必要なんです……!」
そう叫んだと同時に伸ばされた手から強い光が放たれた。黒い渦が一瞬怯んだように見えたが抵抗するようにまた青年を深く取り込もうと激しく渦を巻いていく。
「もう、いい……! 早く、逃げなさい!」
夏美を庇おうとする青年に今まで感じることのなかった悔しさが湧き上がって来る。いつも仕方がないと諦めていた。私には分不相応だと手を離していた。
だがこの青年だけは諦めたくなかった。いや、諦めてはいけないと強く思った。
「……絶っ対、あきらめない!!」
夏美は魂からの記憶を呼び起こすように手に力を籠め、光を放ち続けた。まるで本能に頭を焼かれ、血が沸騰し体がバラバラに弾け飛びそうになる衝撃が夏美を襲うが負けたくないと踏ん張り続ける。
「なんと……」
青年の静かに驚く声が耳に届いた。だが夏美は油断しない。なぜだか最後まで一瞬たりとも力を緩めたりしてはいけないと魂が叫んでいた。
黒い渦が霧散するように少しずつ消えていく。
そしてあれほど重苦しかった圧がなくなると、人の姿が現れた。その姿はなんとも神々しく、美しい青年であった。夏美はやり遂げることができたと実感すると嬉しくて思わず微笑んだ。
「そなたは……」
青年は、その場に崩れ落ちる様に膝をつき、肩で息をする夏美を気遣おうと同じく膝をついて手を伸ばそうとした。
「天寧様!!」
負の気配が消え去ったことを察知した工藤や、その他の者達が飛び込まんばかりに部屋へ入り、主の無事な姿を目に入れると皆が喜びから泣き崩れた。
「皆、苦労をかけた。ありがとう」
口々に当主の無事を涙ながらに喜ぶ者達に、天寧は夏美を支えながらも感謝の言葉を伝える。工藤は夏美の姿を目にすると深々と頭を下げた。
「夏美様、何とお礼を申し上げたらよいのか……! この度は我が主を救っていただき、誠に感謝いたします……!」
「やくそく、しました、から……」
頬を紅潮させ苦しそうにしながらもどこか嬉しそうに微笑む夏美に工藤は再度深々と頭を下げた。
そこまでしなくてもいいのにと工藤の頭を上げさせようと夏美は手を伸ばしたが、徐々に視界が狭まっていき、気づけば辺りが完全な闇に包まれていった。
遠くで自分の名前を呼ぶ声に心地良さを感じながら。
◇
「…………っ」
「気がつかれましたか?」
和服姿の女性が夏美を覗き込み声をかけてくる。夏美はまだ回らない頭で無意識にその問いに応えるように小さく頭を上下に動かした。女性はニコッと笑うと部屋を出て行った。
ここはどこだろう。
少しずつはっきりとしてきた頭で軽く辺りを見渡す。そこは上品な和室だった。布団の上に寝かされていた夏美はようやく自分はあの後意識を失ってしまったのだと思い至った。
複数の足音が聞こえてくる。その足音は部屋の前で立ち止まると、この屋敷の当主、一条天寧だけが入室した。
夏美は体を起こそうとしたが優しく制される。
「そのままでよい。夏美、この度は本当にありがとう。そなたのおかげで私だけでなくすべてが救われた」
頭を下げる偉い人に夏美は慌てたが、天寧は嬉しそうに微笑むだけだった。
「どうかそなたにお礼をさせてはくれないだろうか。望むことがあれば何でも叶えよう」
望むもの……。
夏美には何一つ思い浮かばない。もう自分の最期を覚悟していたのだ。生きたとしてもこの先どうすればいいのか分からなかった。
「何もありません。あとは、大学を卒業して、生きていくために働くだけです……」
口にして何とも悲しい人生観に涙がぽろりと一粒零れ落ちる。
「では、私の側にいてくれないだろうか」
「……え?」
頬を薄く染めた天寧が恥ずかしそうに提案する。夏美は確かにと納得した。
「それは、とても有難いです。ここに就職できると決まったら安心して大学を卒業できます」
「い、いや! そうではない!」
「え、すいません。早とちりしてしまって……」
人に慕われている天寧の下で働けたら幸せだと思っていただけに恥ずかしさと悲しさで肩を落とした。では側にとはどういう意味であろうか、と考えていると襖が控えめに開かれ工藤が顔を覗かせた。
「天寧様、この手の女性ははっきりとご自分の気持ちを言葉にしないと伝わりませんよ。夏美様はここまでとても苦労されたのです。どストレートでなければ失礼に値します」
「うっ、そ、そうだな……」
天寧は気を引き締めるように一度咳払いをすると真剣な顔を夏美に向けた。
「夏美、そなたの優しさと勇気が私はどうしようもなく好きだ。これから先の人生、私の隣にいてほしい。どうか、結婚してくれないだろうか」
「けっ……こ!?」
お付き合いをすっ飛ばして結婚とは正気だろうかと夏美は顔が真っ赤に染まり、心臓が早鐘を打ち続ける。そして夏美には一つ懸念があった。
「勿論、そなた自身が好きなのだ。浄化の巫女だからでは決してない。浄化の巫女と結婚などというしきたりはとうの昔になくなった」
夏美の思考を先取りしたように天寧が言う。
「で、でも私一条さんのこと何も知らないですし……! あ、そうだった、私恋人が……」
色々と現実離れをした色濃い時間を過ごしたからか、それともあれは恋人だと言ってもいい関係なのかと悩んでいたからなのかは分からないが、ここまで淳士の存在をすっかり忘れていた。
淳士に罪悪感を感じながらも、好きという気持ちはもう湧いてこなかった。天寧は俯く夏美に微笑んだ。
「そなたは誠実でもあるのだな。やはり、私はそなたを諦めたくはない。だが、困らせたいわけではないのだ。想うだけなら許してくれるか?」
「一条さん……」
なんて優しい人なのだろう。
「私、淳士さんとの関係に悩んでいたんです。あれは恋人と言っていい関係なのかなって。だからってわけでは決してないのですが……私は、一条さんのことを知りたいと、思ってます……」
天寧の目が期待で輝いているのを見て、夏美は思わず小さく笑った。
「だから、淳士さんとちゃんと別れてけじめをつけてきます。そしたら、その、まずはお友達からでも……一緒にいてくれますか?」
「勿論、もちろんだ夏美! ありがとう、とても嬉しい」
嬉しさから思わず夏美の手を取ろうとしたが、寸でのところで天寧は手を引っ込めた。その思いやりに夏美の心はすでに天寧に傾き始めていた。
嬉しそうな二人を見守りながら工藤はきっと夏美は当主の良き伴侶となってくれると涙ぐんだ。
◇
「夏美ちゃん、大事な話って?」
予想を裏切らず淳士は自身の腕に綾香を引っ付け約束の場所に現れた。そして案の定、約束の時間は大幅に過ぎている。
夏美はそれを見届けると吹っ切れた清々しい笑顔で別れを切り出した。
「私と別れてください」
「え!?……まぁ、いいけ、ど……。じゃあ、さようなら」
夏美の言葉に一瞬驚きから目を見開いたが、すぐに了承する淳士に夏美はホッとしていた。綾香はまるで勝ち誇ったように意地の悪い笑みを浮かべている。
思った以上にあっさりと別れることができた夏美は足取り軽く、天寧達が待つ屋敷へと向かった。その後ろで綾香がまるで周囲に聞かせるように大きな声で夏美を貶し淳士を慰めていた。
淳士はどこか引っかかるのか歯切れの悪い反応を示していたが、夏美にとってそれは最早どうでもいい事であった。
それから夏美は天寧との時間を大切にした。
天寧は当初と変わらず優しく誠実であった。その優しさと気遣いは夏美にだけでなく他の者達にも変わらず向けられている。だがそんな中でも夏美にだけ向ける特別な甘い感情に夏美も少しずつ心を向けるようになっていった。
そして天寧が役割で請け負ったものを夏美は上手く浄化できるようになった。その日々の中で一つの疑問が湧いてくる。
「天寧さん、私が浄化をする前はどうしてたんですか?」
縁側に二人座って美味しい和菓子を口にしながら夏美が問いかける。
「前は夜桜家の前当主、つまり夜桜綾香の祖母が私の浄化をしてくれていたのだ。だが彼女はもう歳だったこともあってかつい最近亡くなられたんだ。だが亡くなられる前に妙な事を言っていた」
「妙なこと?」
天寧の厳しい表情に首を傾げる。
「あぁ、なぜか彼女は孫の綾香をとても警戒していた。だが夜桜家の矜持に関わることなのか、なぜなのかは最後まで教えてくれなかった。そして何も言わぬままある日突然脳梗塞で亡くなられたんだ」
本来なら巫女が亡くなったら次の巫女が浄化の役割を担うのだが、なぜか夜桜家は次を送ってくることはなかった。
だが天寧が役割を放棄するわけにはいかない。限界まで粘ったが大惨事になりかけた。
「夜桜家には失望したが、その代わりに私は夏美に出会う事ができた。その不思議な運命に今はとても感謝しているよ」
優しく微笑みを向けてくれる天寧に夏美の頬が熱を帯びた。夏美もこの青年の事がどうしようもなく好きになっていた。
「あのね、天寧さん。私、浄化の力を使うことで少しずつ私じゃない人の……多分、ご先祖様の記憶が頭に流れ込んできたの」
それは戦国時代まで遡る。
五大名家の一つ高梨家は、一条家ひいては日の本を守護するために浄化の力を使って一条家を支えていた。だがそれを快く思っていなかったのが、同じ浄化の力を持つ夜桜家である。
事の発端は本能寺の変であった。
明智光秀により織田信長が討たれると世は大混乱に陥った。その混乱は次第に日の本中に広がっていき、恐怖と不安が人々を襲った。そしてそれを覆う様にそれぞれの思惑が混ざり合っていった。
一条家の当主は突然訪れた巨大な負のエネルギーに為す術がなく取り込まれ、自我を失い暴走を始めたのだ。
その暴走を阻止するべく高梨家の巫女は力の限り浄化を続けたが、あと一息のところで僅かに力が緩んでしまった。
その頃にはほぼ浄化をすることに成功していたのだが、その僅かな油断を突かれ夜桜家の巫女に押し退けられた。
そして夜桜家の巫女は当主を完全に浄化する事に成功し、その功績を丸ごと夜桜家のものにしてしまったのだ。
高梨家は無能のレッテルを貼られただけでなく、権力に目がくらんだ他の名家の策略によって家は取り潰され追い出されたのであった。
「その時浄化をしていた巫女が最後まで願っていたことが、未来永劫続く一条家の存続と無事でした」
「なんと、愚かな……。我らはそんなことも知らずに」
自分のことの様に悔し気に顔を歪ませる天寧に夏美は目をしばたたかせた。
「こんな突拍子もない話を信じてくれるんですか……? それどころか、ごめんなさい、私他の家のことを悪く言ってしまって」
何気なく頭に流れ込んできた記憶を口にしたが、結果的に他家の悪口を言ってしまったことを夏美は恥じた。そんなつもりではなかったとはいえ、口に出してしまったからにはもう取り消せない。
「いいんだ夏美。それに突拍子もないことなどとは決して思えない。なぜなら工藤が私のために高梨家の事を調べてくれた時に言っていた。五大名家であったはずの高梨家が追放された理由が曖昧にされていたと」
他家にとっても知られたくない事だったのだろう。高梨家は力のない家だと記録されていたが、それ以前の功績と比べるとあまりにも話が繋がらないと疑問に感じていた。
「だが安心してほしい。現代はそれぞれ役割が違うためにそれほど他家との関りはない。それこそ大きな行事に招待したりされたりするくらいだ。例えば、私達の婚約パーティーとか、ね」
嬉しそうに夏美を抱き寄せる天寧に夏美の頬がカッと熱くなる。淳士と別れて早二年。大学卒業を前に夏美は天寧のプロポーズを了承していた。天寧は喜び、工藤も一条家に仕える者達も大いに祝福してくれたのは記憶に新しい。
「今度は、私が君を守るよ。必ず幸せにするから」
「天寧さん、私もうとても幸せです。だから、これから先もずっと一緒にいてください。そして、二人で幸せになりましょう?」
二人の幸せを願う夏美の優しさに天寧は柔らかく微笑んだ。
「夏美、やはり君はとても素晴らしい女性だ。私を受け入れてくれて、本当にありがとう」
天寧は夏美を強く抱きしめた。
◇
一条家の屋敷は今までにない程の賑わいを見せていた。
屋敷の門の結界を続々と招待された者達が難無く潜り抜けていく。そこには夜桜家一同も姿を見せていた。
「なん……で! なんであんたがそこにいるのよ!!」
綾香は一条家の初めて見る美しい青年当主の隣に立つ、かつての芋くさい女を目にすると怒りで目の前が真っ赤になった。激昂し夏美に詰め寄ろうとする綾香の前に天寧が立ち塞がり夏美を背に庇う。他家の者達は突然の出来事に何事かと目を見張った。
「夏美は私の大事な人であり婚約者だ。気に入らないというのなら夜桜家共々出て行くがいい」
堂々たる天寧に綾香は可愛らしい顔を悔しそうに歪める。
「でも一条様! その女には恋人がいます! それに浄化の巫女である私の方があなたの隣に立つのが相応しいとは思いませんか!?」
今までの行いをまるでなかったかのように己の主張を声高々に叫ぶ綾香に天寧は怒りから目を吊り上げる。
「貴様、よくもそんな事を恥ずかしげもなく口にできたな。一条家は再三夜桜家に巫女を送るよう伝えたはずだ。それを無視し続け剰え一般人として過ごしていた何も知らない夏美を危険な場所へ送り込んだのはすべて貴様の意向だと言うじゃないか。それに夏美が以前の恋人に別れを告げ、その別れが成立したところに立ち会ったのは他でもない夜桜綾香、貴様であろう」
「そ、それは……!」
何かがおかしい。今までどんなに荒唐無稽な言動も我儘もすべてが罷り通って来たのに上手くいかない。助けを求めるように綾香が両親へ振り返る。だがいつもはどんな時も全面的に味方をしてくれるはずの両親がオロオロと狼狽えるだけの姿に苛立った。
「ちょっとパパ、ママ何とか言ってよ!!」
「でも、綾香……」
母であり夜桜家の当主である綾菜の情けない姿に他家の者達が静かにざわめいた。天寧は綾香を冷たく見下ろすと真実を口にする。
「無駄だ。貴様の魅了の力はここでは通用せん」
「……は? 魅了?」
何のことだと綾香が戸惑った。
「やはり自覚がないのだな。恐ろしい一族だ。貴様の祖母、綾芽様は貴様のその力を常に警戒していた。だから綾芽様だけ思い通りにはいかなかったはずだ。さぞ苛立ったのではないか?」
その言葉に綾香はハッとした。確かに祖母は綾香を毛嫌いしていた。綾香の思い通りにいくこの世界において唯一の天敵と言っていい程祖母は綾香の掌で転がされることはなかった。
そしてようやくその天敵が居なくなったと思った矢先にまたしても思い通りにいかない奴が現れた。それが夏美であったのだ。
「まさか……今まで、全部……」
「ほう、頭は悪くないのだな。それだけに残念だ。その力は危険故にこの屋敷に貴様が足を踏み入れた時点で封印させてもらった。気の毒だがここから先の人生、その我儘は一切通用しないと思え」
「な、んで……なんでそんな勝手な事あんたがすんのよ!!!」
自分の甘い世界が壊されたことを理解した綾香は天寧に怒りをぶつけようと拳を上げ殴りかかろうとしたが、工藤達に素早く取り押さえられた。
「なにすんのよ! 触んな! 私に触んなって言ってんだろ!! くそ、くそ! この芋女! 全部あんたのせいよ! やっと淳士が従順になって私のものになったのによくもやってくれたわね!! 絶対に許さない!! 地獄に堕ちろ!!!」
綾香の怒りの絶叫に招待客は醜い生き物を見るような冷めた目で見つめていた。そして魅了の力が解けたばかりの夜桜家の者達は一様に顔を青くさせる事しかできなかった。
夏美は天寧の隣に立つと悲しそうな顔を綾香に向ける。
「残念だけど、地獄に向かうのはあなたの方よ。私は流れにただ流されていただけ。でもこんな何もない私を拾ってくれたのが天寧さんと一条家の方々だった。だから私はもう流されない。お気の毒様、夜桜さん」
先祖の記憶に思いを馳せ、その無念が晴れるよう願っていた夏美はきっぱりと言い放った。
これぐらいの意趣返しは許されるだろうと微笑む。もうかつての地味で弱い女性はいない。天寧の隣に立つのは愛を知って満たされ強くなった美しい女性であった。
一条家の婚約者が美しいだけでなく強かな態度を見せると、他家の者達は頼もしそうに目を細める。そして夜桜家の危険な力に警戒を強めた。
「私は何も悪くない! みんな私を好きだって言ったじゃん! 私が世界で一番だって言ってたじゃない!!」
いつもとは違って思い通りにならない現実を拒否するように泣き喚きながら抵抗する綾香を工藤達がこの場から強制的に追い出すために連行していった。
未だに狼狽する夜桜家の者達に天寧が声をかける。
「どうやら夜桜家には稀にあのように人を魅了する力を持った者が生まれるようだ。そなたたちの前当主である綾芽様だけが気づき抵抗していた。だがその事を言わなかったのは夜桜家の矜持を守るためだったのかもしれないな」
その言葉に夜桜家一同は愕然としていた。その時、綾香の母であり現当主である綾菜が震えながら口を開く。
「今なら母がなぜ、綾香の事を口にしなかったのかが理解できます。……母は、綾香を取り巻く環境を憎み嫌悪していました。幾度となく正そうと私達に綾香を甘やかすな、取り込まれるなと申していました。しかし、私達はそんな母を……!」
両手で顔を覆い泣き出した綾菜を庇うように夫の清が続ける。
「綾芽様はきっと、我ら夜桜家の未来がないことを悟ったのかもしれません」
呪われた果てに潰れてしまえ。綾芽が最後に言い残した言葉だ。その言葉を吐きだすと同時に綾芽はその場に倒れ息絶えた。
綾香の力は綾芽であってもどうしようもなかったのだろう。それほどまでに強すぎる力はここで滅んだ方がいいと、夜桜家当主としての最後の判断だったのかもしれない。
「まだ、終わらせません……」
ぽつりと夏美が呟いた。その声に夜桜家一同が顔を上げる。
「一条家にはこれから先も夜桜家の力が必要なんです。確かにまたいつ魅了の力を持つ者が現れるのかはわかりません。ですが、これからはここにいる皆さんで気づき合い、助け合うしかないんです。これからも変わらず一条家を支えてください。最後まで役割を果たしてください」
高梨家を追い出し、その座に夜桜家がついたのなら最後まで貫き通せと夏美は怒っていた。それだけの義務と責任があると伝えたかった。
「……承知いたしました。娘がご迷惑をおかけした分も含め、これから先誠心誠意夜桜家一同は一条家を支えてまいります。これからは夜桜家の分家から浄化の力を持つ者を養子とし育成しますのでどうかご安心を」
夜桜家が頭を下げるとどこからともなく拍手が沸き起こった。温かい拍手に包まれる中、天寧は滑稽だなと内心呆れていたが、夏美の真意に感謝していた。
魅了に惑わされ踊らされたのは夜桜家だけではない。
高梨家以外の者達もあの時代、取り込まれていたのだろうと天寧と工藤は推測していた。当時の一条家当主さえも自我を取り戻した際に力が尽き、夜桜家の者の魅了に抗えなかったのだろうと容易に想像できる。
そして時代が進み、昔の様なしきたりや他家との繋がりを重視しなくなったために、夜桜家の魅了に取り込まれなかっただけのことだ。
夏美は高梨家の再興よりも一条家や他家の事を想って何も言わないでくれたのだ。余計な争いを起こさないためにも。
その優しさと思いやりが天寧はどうしようもなく好きだった。そして夜桜家に最後まで責任を通させようとする強くなった夏美にも惚れ惚れとする想いだった。
例えこれから先、夜桜家に魅了を持つ者が現れたとしてもこれからは一条家で何とかできる。そう取り決めることができたのもすべて夏美が流れ込んできたという記憶を話してくれたからだ。
「夏美、君に出会えて本当に良かった」
夏美の頬を慈しむように撫でるとくすぐったそうに夏美がはにかんだ。
「私も、天寧さんに会えて幸せです」
こうして波乱の婚約パーティーは無事に幕を下ろしたのであった。
◇
婚約パーティーの一か月後、夏美が買い物を終え屋敷へ帰ろうとしていた時であった。
「夏美ちゃん! 良かった、見つかって」
知った声に呼び止められ、そちらを振り返る。そこには息を切らし額に汗を滲ませるかつての恋人がいた。
「連城先輩、お久しぶりです」
「そんな、また淳士って呼んでよ」
爽やかに言う淳士に構わず何か用でしょうかと問いかける。すると淳士は突然頭を下げた。
「ごめん夏美ちゃん! 俺、あの時どうかしてたんだ。それで、君のことが忘れられなくて探してたんだ。もう一度俺と付き合ってほしい!」
「ごめんなさい。私婚約してるんで無理です」
「はぁ!?」
夏美の口から予想だにしていなかった婚約という単語に淳士は見たこともない程激昂し、夏美の両肩を力強く掴んだ。
「痛っ!」
「婚約って、別れて二年しか経ってないのにおかしいだろ! もしかして浮気してたってこと!?」
周囲の目を気にせず叫ぶ淳士に怖くなった夏美は、咄嗟に心の中で天寧に強く助けを求めた。
「私の夏美に触るな」
どこからともなく突然現れた美しい青年に、夏美の肩を掴んでいた手を捻り上げられる。淳士は驚くと同時にその手を振り払うと二人から一歩距離を取った。
「天寧さん!」
「大丈夫か? 夏美」
嬉しそうに天寧と呼んだ青年に抱きつく夏美に淳士は再び怒りが込み上げてくる。しかし、そんな淳士を牽制するように天寧が鋭く睨みつけた。
その殺気のような敵意に淳士は思わず怯んだ。
「夏美は浮気などしていない。君と別れた後にしっかりとした手順を踏んで私と結婚を前提に付き合う事を了承してくれたのだ」
「俺は……」
「別れたことを後悔してるって? そうだろうな。君は得体の知れない力で操られているように感じた。それが解けた気がして夏美を探していたのだろう?」
「なんで……」
この青年はなぜそんな事が分かるのだろうかと少し怖かった。確かに天寧の言ったことは一言一句に頷きたくなる程その通りである。夏美と別れたかったわけじゃない。なのに、そう、綾香に逆らえなかったのだ。
淳士の言わんとしていることが手に取るようにわかる天寧は怒りを込めて目を細めた。
「お前自身の行いを振り返ってはどうだ? 本当にその女だけのせいだと嘘偽りなく言えるのか?」
「そ、れは……!」
そう問われると手放しで肯定などできるはずもなかった。なぜなら、綾香を伴ってデートに行ったことは淳士自身の意思なのだから。
「貴様のような男の魂胆など分かりきっている。貴様、本当は夏美が傷ついている事に優越感を感じていただろう」
ぎくりと体が強張った。どういう事なのだろうと困惑する夏美を守るように天寧が夏美の体を抱き寄せる。
「本当はあの女の手を振り払おうと思えば貴様にはいくらでもできたはずだ。それをしなかったのは夏美の気持ちを試していたのだろう? 他の女と一緒にいる事に傷ついている夏美を見て安心していた。愚かな男だ」
ぐうの音も出なかった。淳士には自分から夏美に強引に迫って付き合わせていると思っていたため、どうしても夏美の本心を知ろうと綾香の行為を逆に利用していたのだ。
そして天寧には調べがついていた。淳士が夜桜家から分家していった更に遠い位置した家の生まれであることを。
淳士と綾香が幼馴染なのは偶然かもしれない。だが淳士に綾香の魅了が効いていなかったことは事実であった。淳士の力は自覚がないとはいえ、一般人よりも遥かに強かった。
その力のおかげで綾香の魅了を寸でのところで回避し続けていたのだろう。なにせ淳士は綾香の事を女性としてではなく本当に妹の様に思っていたのだ。一人の女性として扱われたかった綾香は思い通りにならない淳士に固執していた。
綾香を使って夏美を試す度に夏美の傷つく顔に優越感を抱いた。そうしている内に綾香の力がその淳士の心の隙間に徐々に入り込んでいった。
結果、気づけば綾香に逆らえなくなっていったのだろう。
だから夏美から別れを告げられてもその場であっさり受け入れはしたがどこか納得できなかった。そして綾香の、淳士がやっと従順になったという言葉はそういう事で間違いない。
だが綾香は力を封印され、今は陰陽師連盟が管理する施設という名の矯正所に送り込まれている。そうして綾香が消えたことで淳士から綾香の力が消えたのだ。そこで初めて自分のやらかした事の重大さに気づき、必死に夏美を探した。
そんな所だろうと天寧は心の中で一笑する。
「夏美ちゃん、本当にごめん。でも俺、夏美ちゃんのことが本当に好きなんだ」
やり直したいと深く頭を下げる淳士に夏美ははっきりと断る。
「ごめんなさい。もうあなたを好きという気持ちはないです。傷ついていた私を見つけてくれたのが天寧さんなんです。私は優しい天寧さんを愛してます。私に幸せをくれるのはいつだって天寧さんなんです」
愛おしそうに自分よりも背の高い天寧を見て夏美は微笑んだ。
「夏美……私も、愛してるよ」
幸せそうな二人に入り込む余地がないことをようやく悟った淳士は全身から力が抜け、その場に膝をついた。
その姿に夏美は声をかけようかと一瞬悩んだが、それでは淳士のためにならないと天寧の手を引いて歩き出した。気丈に振る舞う夏美を支えるように天寧は繋いだ手に力を入れる。夏美もそれに応えるように力を入れた。
少し先を歩くと工藤が黒塗りの車を停めて待ってくれていた。どうやら夏美が心の中で天寧に助けを求めた時、天寧が陰陽師の力を使って夏美のもとへ一瞬で駆けつけてくれたのだと知った。
『今度は、私が君を守るよ』
あの日の約束を守ってくれる天寧にまた嬉しくなった。工藤が天寧と夏美のために後部座席のドアを開ける。
「夏美様、お怪我はございませんか?」
「大丈夫です工藤さん。天寧さんが助けてくれたのでどこも怪我してないです。お待たせしてしまってごめんなさい」
「とんでもございません。夏美様がご無事で何よりです」
「ありがとうございます」
工藤に誘導され天寧と一緒に車へと乗り込む。
「夏美、明日は休みになったんだ。久しぶりにどこかに出かけようか」
「本当ですか? 嬉しい。それなら私、父と母のお墓参りに行きたいです。色々あって天寧さんを紹介できなかったから……」
「それは光栄だ。では明日、花を沢山買って行こう」
「はい!」
幸せそうに話し合う二人を工藤は優しく見守ると少しだけ車のスピードを落とす。少しでも長くこの穏やかな時間を楽しんでもらいたいと前を向いた。




