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7 色男と夜と酒

 二階の脅威は、敵対生物の数だ。地面に、木に、水に、空に、敵意は蔓延り、油断すれば牙を剥く。

 ならば、敵対関係が成立しない状態にするのが一つの解だ。

「確認! 黄金蜂二匹です!」

 最前列を走るアレクセイの報告に、イリューは樹上を駆けながら目を凝らした。はちみつを陽にかざしたような目に眩しい色味で、拳ほどの大きさの虫が飛んでいる。二匹の軌道を確認し、視力を凝らして葉の影に隠れた巣を見つける。

「左前方に巣!」

「確認、右に迂回します! 回避しきったら方角修正を頼む、エーミル」

「了解!」

 全方位を木で覆われた樹林地帯において、方角の判別は困難だ。太陽の傾きによる観測は可能だが、手間と時間がかかる。そんな問題を解決する道具がある。《方位磁針》、塔産のこの一品は外界とは違い、一直線に出口を指す。二階でごくまれに発見される人型腐乱死体の荷物から採れる、希少な一品だ。

「戻しますっ、左、あの青い花の蔦が絡む木まで一旦!」

 高額過ぎて購入は断念し、貸出という形で今エーミルの手元にある。それすら、イリューが保証人になった上でだ。貴重さを思えば手が震えそうになるが、方角が分かる安心感は進行管理の精神的負担を軽くした。二、三度号令をかけて方角を修正しきり、再び一行は真っ直ぐにアレクセイの背を追う形で走る。

「かくに――接敵! 受けます!」

 前方の熊と目が合い、アレクセイは言い換えた。それでも走る速度は緩めない。前足を振り上げる熊の間合いに、盾を持って飛び込む。一撃が振り下ろされる直前、リヴの短弓が熊の左目を撃ち抜き、力が散った。補強された丸盾は爪に傷つかず、アレクセイはその重さだけを踏ん張って受け止めきる。

 その高い位置での攻防の下を抜け、ひらりと影は躍り出た。伸び上がるように放たれた鋭いレイピアの一撃が、熊の喉元を貫く。

「通常の熊、素材的旨味はないね。肉の方も僕の口に分かる旨味はない」

 シグリッドらの追撃で、絶命までの足掻きは凌がれた。

 倒れ伏した後の熊を見下ろし、ティボーは評価を口にする。はっと、誰かが緊張を解いて吐き出す音が聞こえる。

「進行、再開します」

 だが息つく暇はない。顎先に垂れてきた汗を拭い、アレクセイは乱れた呼吸のまま告げる。深い森へと足を踏み出す。

 エーミルが伸ばした腕で方向を指し示し、再び一行は走り始めた。



 単純な話、滞在時間が短ければ短いほど、敵対生物の遭遇確率は低く済む。雨の中を歩くより、雨の中を走ってどこかへ駆け込んだ方がまだ濡れない。そんな理屈だ。

 ただし短くしようとすればするほど、疲労も大きくなる。

「いやはや蔓猿と見紛うほどの樹上移動だ、まったく恐れ入る。後は四階を踏破せしめた体力を共に示してはどうだい。一枚に合わせてみせる優しさは美徳だが、時には格を示すことも必要だよ」

 煽りに煽るティボーに、イリューは力なく地面に座り込んで応えない。応える気力も体力もない。突入時から小休止はあるものの、走りっぱなしで夕暮れ前だ。疲れもする。実際イリュー以外の面々も倒れ込むか、座り込むかだ。

 そんな中、髪をかき上げる仕草で浮いた汗を拭い、ティボーは平静を装っている。

「……そこまでできることは尊敬するわ」

 あくまでスタイルを崩さないティボーに、反目していたはずのシグリッドはしみじみ呟いた。

 この作戦で負担が大きいのは、索敵のために樹上移動しているイリューだ。次にアレクセイは接敵の際の負荷が大きい。そしてティボー。戦闘を最短で終わらせる必殺を任せられた彼も、疲れていないわけがない。軽薄な態度ながら男の信念を感じ取り、シグリッドは件の折を思い出す。自分の傲慢がティボーの美学を刺激し、だが彼の基準を下回りきらなかったため、中途半端に懲らしめられた。

 そういったことなのだろうと、今では冷静に分析できる。

「余裕がおありなら手伝っていただける?」

 疲れの残る膝を奮い立たせて、シグリッドは立ち上がる。この進行の方法では、シグリッドは出番が少ない。かわりに少しでも役に立とうと、野営の準備を始めることにした。

「もちろん、麗しの乙女。君と二人きり、メヌエットを踊るが如く」

「私も手伝おう、シグリッド嬢」

 夕暮れを遮る影が、ティボーに落ちた。調子の良い口上を途絶えさせ、背後をティボーは振り返る。目が合ったアレクセイと微笑を交わし合う。

「要の君は無理せず休んでいたまえ」

「貴方から離れる気はありません」

「ははっなんだい、熱烈だ。あまり過保護では蕾も恥じらい咲かないものだよ」

「ええ、咲かせないためですので」

「僕は君の一団の助っ人のはずだが」

「はい、そして私はこの一行の責任者です。一度貴方に騙された」

「粘着質な男ははモテないぞ?」

「一度の過ちで学ばない男も女性に好まれるものではないでしょう」

 互いの顔の微笑みは陰らない。

「どちらでも構わないから、幕の端を持っていただけるー?」



 ※  ※  ※



 就寝前に捕獲した《夜番鳥》が、梟に似た音で鳴いている。夜中鳴き続けるこの鳥は臆病で、自分を害する獣が近付くとけたたましい鳴き声を上げる。二階でしか見かけることのない生物だが、夜目が利くことからも夜の見張りがわりに重宝されている。

 ただしそのためには、人間が敵でないことをあらかじめ教える必要がある。イリューは樹上に繋いだ夜番鳥に餌をやり、横で鳴き声を真似、羽根に沿って首後を撫でと、手懐けた。みなが寝入る頃にはけたたましさも落ち着き、一周回る首で夜番鳥は周囲を警戒し始めた。

 そのままイリュー自身も夜番鳥の横で、一人目の夜番として過ごしていた。

 不意に夜番鳥が一方向を注視し始め、イリューもその先、テントを確認する。ティボー持ち込みの豪華なテントの横、簡素な布製の天幕が揺れ、背の高い影が出てくる。

 夜番鳥が怯えぬよう、一つ下の枝に降りてからイリューはしならせて蹴った。

「小便か?」

 急に降ってきたイリューに、影――アレクセイは振り返った。

「いえ……」

 鈍い反応に、イリューはアレクセイが見ていた方向を確認する。

「ティボーが信用できないか?」

 四階雪山地帯で見つかる《テント》は《方位磁針》を凌ぐ貴重さだ。所有者が心地良いと感じる空気にテント内が自動で調整されるという、これもまた謎極まる機能がついている。男女で分けたテントの雑魚寝を拒否し、ティボーは一人このテントで寝ている。希望あらば女性陣は招くと通告していたが、二人は当たり前に冗談ととって無視し、自分達のテントに消えていた。

「あまり好ましく思っていないのは事実です」

 印象が良いはずはない。騙した側と騙された側。禍根はあるだろうと、イリューも踏んでいた。それでも、まったく関係のない人物よりもいいだろうと甘く見たのは、《自己愛》の詳細を噂にでも聞いていたからだ。

 だがアレクセイにはその前提はなく、このグループに責任がある。

 その結果警戒心で寝付けないほどかと、イリューは現状を分析する。

「俺の保証でも弱いか?」

 身長差を見上げてくるイリューの瞳を、夜に溶けるその色を、アレクセイは見つめ返す。

「イリューにそうやって評価されていることが、妬ましいです」

 静かな声音が告げた内容に、イリューは一瞬動きを止め、それからまばたきを一つした。

「己の力不足が歯痒いです」

 言葉にされるものは負の感情と言って差し支えのないものなのに、アレクセイの態度はどこまでも真っ直ぐだ。己の内の未熟さすら、その口は躊躇わず吐き出す。

 イリューは、答えあぐねた。表面的な理解や慰めなど、アレクセイは必要としていない。

 夜番鳥の鳴き声が、森の闇に響く。

 イリューが、口を開く。

「――人の寝床の前でやめてくれないかな、君達」

 テントの入口から顔を出したティボーの怒気に、零れかけていた言葉は再び喉を下った。



 ※  ※  ※



 人には三つの欲があるという。睡眠欲求と食欲は、生存の上で欠かせない。だが三つ目の性欲はひどく歪な欲求だ。それは子孫繁栄、人類繁栄のための生殖欲求などではない。性交欲求というべき快楽嗜好だ。個々で抱え方は全く異なり、毎日必要な他二つとは比べるべくもない。欲求の中でも特殊なものだ。

 それでもその欲は、街に一角を築くほどに人間に根深い。

「お兄さん、背がお高いのね。少し顔を寄せてくださらない? 涼やかな氷のような瞳、もっと近くで拝見させていただきたいわ」

「いいえ、どうかこの距離のままで。覗き込んでは貴方の夜の瞳に落ちてしまいそうだ」

 夜と表現した通り瑠璃色の瞳は美しい光彩だ。アレクセイは隣の女の瞳を見ながら、イリューの黒はまた特殊なものだと認識を深める。あの黒は、夜というより闇だ。もしくは影。

 隣で長い赤褐色の髪が揺れる度、名も知らぬ花の香りが鼻腔をくすぐる。豊満な肢体は充分に魅力的で、当たり前に欲求は湧く。それでも、交わす言葉は慣れた白々しさで、寄せられた身体を支えるのに触れる範囲も最小限だ。

 アレクセイは片手間に周囲を伺う。

「まぁ、ご兄弟が多いのね。とっても賑やかで楽しそう。……でも、こんなに故郷を離れていてはお寂しいでしょう」

「いやっ、自分は元々軍属なのでっ。あ、あの、手、手が」

 優しく両手で包み込まれた手の先で、柔らかな双丘を感じているのだろう。エーミルの声は上ずっている。

 そういえば自分の事情のため、エーミルを場馴れさせていなかったと、今更アレクセイは思う。夜会や式典、護衛で見る女性のエスコートに戸惑いはなかったので、上官の担うべき世話を失念していた。

「おにいさ――え、おじさま? え、おいくつ? ――うそっ、ちょっと触ってみてもよろしくて? ――やだ、姉さんよりしっとり!?」

 更に向こう、イリューの話す言葉はアレクセイまでは届かない。何歳だったのだろうと、今だ判明しない年齢がとても気になる。

「急ですまなかったね。どうにも武骨な者達で、君達の華やかさに少しでも解きほぐされてくれないものかと思って」

「ティボー様のご紹介でしたら、いつでも私どもは歓迎ですわ」

 最後にはこの事態の張本人が馴染んだ態度で端に座っている。


『――分かった、つまり欲求不満だな』

 あの夜、何を理解したのかも分からぬ断定はされた。

 その後、一度目の試行を終えて改めてティボーは一行の男だけを集めた。連れてこられたのが店の外に看板もない、常連の紹介でしか出入りできない様子のこの店だ。

 内装はどちらかといえば南方寄りか、絨毯に直接腰掛ける様式はアレクセイには不慣れでどうにも足が余る。部屋の四隅に、塔四階雪山地帯から運ばれたという氷柱が、花と共に豪奢に飾られている。お陰で少し室温が低い。並べられた宴席の品々は銀食器に盛られており、磨かれた表面が照明に煌めいた。入れ替わり立ち代わり、声をかけてくる美女達は多種多様だ。肌の色、目の色、髪の色、華やかな色彩は眺めているだけでも楽しい。纏う衣装や宝飾品にもこれといった定番はなく、思い思いに美女達は着飾っている。感じるのは自分が主役という気概だ。装飾品はあくまで自分を引き立てるもの。

 そんな彼女らにとって、男という生き物もまたその程度の存在だと、アレクセイは感じる。

 国元の一等高級な娼館、父にそこ以外を使うなと厳命された場所を思い出す。

 紆余曲折はあったとしても、彼女らは自分の意思で今ここにいる。だから裏切る真似も、出し抜く真似もしない。


 幾人かの美女が行き交い、和やかに時間は過ぎた。

 酒が程よく回った頃、計ったかのように男四人取り残される。

「さあさ、語らいの時間だ。演目の半ばとしてはよくある趣向さ。良い女と良い酒があれば男の舌などよく滑るだろう。精々舞台に厚みを持たせるような波乱万丈を披露したまえ」

 それでアレクセイは少し理解がいった。

 つまり親睦だ。あの夜テント前でイリューと話していたことへの、ティボー的解決方法がこれという訳だ。思いの外、常識的な解に、表情には出さず驚く。

「そういうことなら不詳自分が最初でよろしいでしょうか」

 口火を切ったのはエーミルだ。なぜか食い気味だ。

 エーミルの来歴はアレクセイも知るものだ。ただ自分との出会いを幸運と捉えている彼の性質を、アレクセイは初めて知った。

「彩りにもならない平凡な生い立ちですが、先方としてご容赦ください」

 そう言って締めるエーミルに、これはとアレクセイは気づいた。後半になるほど期待が重くなる流れだ。従卒の抜け目のなさに、知ってはいたが感心する。

「ではその流れで私が引き継ぎましょう」

 合わせて口を開く。さして起伏のない自分の人生もまた、クライマックスにはふさわしくないと思ったからだ。

 アレクセイは愛すべき人々に囲まれて育った。尊敬する父母、敬愛する兄、可愛くも自由な弟達、親類、友人、使用人。期待に応えるだけの才能を持ち、それを育てる環境もきちんと与えられた。結果が今の貴族社会での立ち位置であり、王立騎士団の分隊長という役職だ。

 恵まれて生まれ、恵まれたままでいる。

 語るほどに辟易していくティボーの眼差しがその証拠だ。

「それで引率も兼ねて、この街にいるという訳です」

 締めくくり、次を求めてティボーとイリューに目を向ける。

「退屈な二連続だ。ここらで佳境を作ろう」

 宣言し、ティボーは己を語り始める。

「僕は見ての通り高貴な生まれだ」


 ティボー・ド・モンモランシーは西方諸国の一つ、花咲き誇る国の特権階級嫡子としてこの世に生を受けた。ティボーは環境に恵まれ、才能に恵まれた。十にも満たぬ頃から神童と持て囃され、人々の羨望、期待を受ける日々。ティボーはそれに値する者でいることを、幼くして決意した。

 だが、父と兄達はティボーにとって凡庸であり、血筋に囚われる愚物だった。ティボーの才を利用することしか考えず、兄達、とりわけ嫡男はその上で醜く弟に嫉妬までした。

 噂、毒、姦計。次々と仕掛けられる策を退ける中、ティボーはなぜ兄達が自分を排除しようとするのか考えた。

 やがて気づいた。己の中に規範を持たず、己の生き方で己の価値を高めることのできない低能。周りを伺い、狭く限られた世界で下だ上だを争う暗愚。彼らはあまりに出来過ぎた弟がいる限り、ティボーがいる限り、心安らかになる日はないのだ。

 なるほどと、ティボーは見切りをつけた。この国はティボーが輝くのを許さない。その身に泥を投げ、その足を沼へと引きずり込むばかりだ。

 だから、ティボーは故郷を捨てた。《塔》を選んだ。

 自分の在り方だけで戦える世界を。


 ティボーの話の語り口は見事だった。権謀術数に一度は陥れられ、その後に跳ねのける下りなど臨場感がある。どこまでが真実で、どこまでが虚構なのか。判別のつかないそれはあまりに嘘臭い戯曲的な始まりが、気づけば高揚を伴うクライマックスへと辿り着いていた。

「そこから君達に合流する流れは知っての通りだ」

 暇つぶしにつまらない脚本を描き、失敗して挑発されて、今ここにいる。

 物語の結びに、現在へと至った。見事なものだと、表情には出さないまでもアレクセイは称賛する。エーミルなど、素直に感嘆して目を輝かせている。

 ティボーの自己愛の本質までは測りかねるが、少なくともティボーは他者の心理を理解する力と意思がある。この場を設ける提案も、巧みな語り口も、その表れだ。その理解がどう働くかまでの信頼はまだだが、ただ自己中心的な男ではないと、アレクセイは認識を改めた。

 ティボーが口を閉じて少しすると、自然三人の視線はイリューに向かった。

 注目を浴びているのを分かっていて、イリューはゆっくりと口を開く。

「大しておもしろい話にはならないぞ」

 前置きは本当に聞くのかという問いかけでもあった。

 けれど誰一人、視線を逸らさないのを見て、イリューはグラスを絨毯に置く。

「国で主を亡くした。俺も死んだはずだった」

 重すぎる言葉の連続に、アレクセイは相槌さえ打てない。

 イリューの塔の都市でも希少な容姿は、出身を推察することさえできなかった。塔へと至る来歴を簡単にでも知れたらという好奇心に、その始まりは衝撃的過ぎた。

「モッカに生きてと言われたから、今こうしてる」

 イリューは無口なわけではない。説明を乞えば、予想を上回る言葉数が返ってくることもあるし、割と説教は長い。なのに今出てくる言葉は断片的で、その空白が何もなかったのではなく、言い知れぬ何かがあったことを思わせる。

 黒い目で、イリューは語る。

「俺は他人の欲でしか、もう生きれない」


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