6 鍛冶屋と信者と奇策
工房の端、雑に設けられた来客カウンターで、イリューとアレクセイは親方と向き合っている。天板の上には、アレクセイの盾が置かれている。
「単純品か。改良の余地なら山とあるが、予算のほどは?」
「二階素材までで済ませてくれ」
イリューは、短く指示した。親方の頷きも早い。
三階以降の素材単価は桁が変わる。来訪貴族相手の運び屋も三階以降は存在しない。お荷物を背負っての踏破など考えられないくらいに、三階以降は過酷になる。都市の人間同士の会話は、自ずとそれを前提としたやりとりになり、話が早い。
「となると、甲殻系か。一応確認しとくが虫嫌いとか言わないよな?」
確認の視線は使用者であるアレクセイに向かった。
「いえ、問題ありません。装備でそこを気にする人間が?」
「たまぁにいるんだよ。もれなく上から目線のお貴族様だ」
「ご苦労されていますね」
「そういう奴に限って表通りの吊るし品で済ませず、特注に来るんだから迷惑な話だよ」
「求められる腕を持つ者の宿命でしょうか」
「へっ。にいちゃんも外来貴族だろ? 随分腰の低い態度だな」
「私は」
挑発というわけでもない、口が悪いだけの単純な疑問を受け、アレクセイは隣に並ぶイリューを見る。
「この街を支える方々の素晴らしさを、知っているので」
気難しい親方が、顔を歪める。妙にもにょもにょと落ち着かない口元は、持ち上がりかける口角を必死で抑えていた。
「へっ、そうかよ。倉庫で素材見繕ってくっから、ちょっと座って待っときな」
言って目線で誘導するのは、カウンターより内、壁際に置かれた二脚だ。工房側の扉から出ていく親方を見送り、種類も揃えられていないその椅子に二人は腰掛けた。
工房の中は熱気で満ちている。塔の素材があるとはいえ、鍛冶師の扱うものの基本はやはり鉱物だ。炉の周りを忙しく立ち働く弟子達の様子を、アレクセイは興味深く眺める。熱された鉄を重い槌で打ち付ける作業は三人の大がかりなものだ。高くも重い、槌の音が響く。
だからその気配にアレクセイは気づかなかった。
「おい」
近くで発声された呼びかけに、アレクセイは一拍遅れて振り返る。いつの間にか客側の入口から、男が入ってきていた。その男が、イリューの左手首を握って見下ろしている。
「何やってやがる」
声音は刺々しく、眼差しは剣呑だ。イリューよりは大きいが、アレクセイほどではない身長。身に纏うものはこなれた現地のもので、腰にはいた剣から冒険者であることが見て取れる。癖のある黒髪はイリューとはまた違うもので、肌の浅黒さや若くも目元の深い顔立ちも、塔近隣の血を感じさせる。
目を凝らしてアレクセイはその男の、イリューの手と繋がる右手に、三枚の印を認めた。
イリューと同じ、三枚。
ちらりと一瞬向けられた視線で、アレクセイは男と目が合った。その表情は余計に険しくなる。
「未だに落ちっぱなしで、おのぼり貴族の子守りかよ。マルクスがやられたんだぞ」
イリューは黙って、されるがままに左手を取られている。
「中核なくした白銀は期待できねぇ。てめぇが昇らず、誰が昇るんだよっ」
内側で煮えたぎる何かの発露で、言葉は強く発された。垣間見た感情に、アレクセイは不意に男の正体を察する。
バトゥル。いつか聞いた名前を思い出す。三枚になった男。信者、被害者、監視者。男が内側に抱える熱は、憎悪や嫌悪ではない。怒りではあるかもしれない。根底にあるのは確かに信仰に近い。崇高だと信じるものの堕落を、バトゥルは許せないでいる。
第三者からみる男の熱情は、足りていない言葉とは裏腹に鮮烈だった。
いっそアレクセイには眩しいほどだ。
「いくらでもいる」
その熱に、焦がすほどの熱に触れてなお、イリューはただ事実を返す。
誰が止めたとしても、塔を昇る者が途切れることはない。誰もがその神秘の先を、不可思議の力を、未知を求めている。
けれどそういうことではないと、アレクセイはバトゥルが見せた表情に共感する。憤りの炎に冷たい水を被せられ、僅かに残った灯が風に揺れるような、頼りない表情。
だから思わず、腰を上げた。
「待ってください」
座るイリューの上から、バトゥルの腕を掴んだ。すぐさま振り払われそうになるところに声を発する。
「昇ってほしいと」
びくっと、震えと共に動きが止まる。
「願うことは自由です。その願いを、怒りで覆うのは違います。その願いと怒りは、もっと別の、もっと純粋なもののはずです」
「なんっ何なんだてめぇ!?」
「何……と聞かれたら、先程看破された通りただのおのぼり貴族です」
「関係ねぇだろっ口出すな!」
「いや、一応今のイリューは私の雇用業務中なので関係あります」
「し、仕事中か……?」
「はい。装備品の調達の補助です」
存外真面目な男なのか、バトゥルの勢いは弱まった。
「とりあえず手を離しましょう」
促しにも従い、イリューの手を離した。感情が籠っていたためか、手首に痣が残っている。そのことにざわりと何か騒ぐが、アレクセイも手を離す。理性に乗っ取り、場の収集に努める。
「話す機会が必要なら、この後場を用意しましょう」
「いや……いい。おい、いつ終わんだよ」
「改良の目途が立ったら、仕上がるまで数日は多分自由だ」
「だったら……」
空気が、変わった。先程まであった苛烈な怒りが鳴りを潜め、バトゥルはぶっきらぼうにイリューに言う。
「今日の夜、いつもんとことっとくから来いよ」
変化に、ん?と、アレクセイは内心で首を傾げる。
強引な言葉をイリューが不快に感じた様子はなく、ただ少し躊躇いがちだ。
「またか?」
「三枚になったんだ。頑張ったんだから労えよ」
「労うぐらいはかまわないが……」
「なんだよっ、なんか嫌なのかよっ!?」
前向きでない姿勢を感じ取って、バトゥルが詰問の調子で迫る。
「お前と飲むと潰されるから翌日が」
言葉の半ばで、アレクセイは反射的にイリューの肩を引き寄せた。
「申し訳ない。今夜は食事をしながら塔の攻略について話す予定になっています」
座ったままのイリューが、そうだったか?と不思議そうにアレクセイを見上げている。
「ぁあ? だったら明日」
「明日は……そう、観光案内を頼む予定です」
「はぁ!? 四枚相手に何っ」
ガンっと、鉄を叩く音ではない、大きな音が遮った。音の発生源に三人が目を向けると、先程まで作業していたはずの男達が険しい目でこちらを見ている。
「うるせぇっ、喧嘩なら表で殴り合ってろ!」
二人の間で、俺は関係ないんだがと無罪を主張する声は、誰にも聞き届けてもらえなかった。
※ ※ ※
「……何がどうなってお前さんらで飯食うことになってんだ」
ちょっとした約束事で出かけていたガナハは、帰ってきた自分の店で戸惑っていた。外出着のまま、四人席テーブルの一つに近付く。差し向かいで食事しているのは、アレクセイとバトゥルだ。バトゥルはすでに飲み過ぎているようで、卓上に肘をつき、そのまま眠るのではないかというくらい項垂れている。アレクセイの方はと言えばまったくの素面顔だが、このにーちゃん顔に出ねぇんだよなぁと、探る心地で注視する。
「イリューに逃げられました」
「は? ああ……」
少し仏頂面で言われ、やはりこっちも酔ってると断定する。四人席で差し向かいの理由が分かった。こいつらどっちもイリューを自分の横に座らせようと廊下側空けやがったと、知りたくもない経緯を把握する。
介助や仲裁が必要な事態ではないと悟り、ガナハは早々に撤退を決め込む。
「まぁ、ゆっくりし」
「何でだよぉ! 俺強くなってんだろがぁ! 相手しろやぁ!」
「イリューの価値基準は強さにはないでしょう。付き合いの長さを誇る割に、随分浅い理解だと言わざるをえません。ねぇマスター殿」
辞去の言葉は最後まで言えなかった。やめろ振るなと思いつつ、培った客商売の精神が無駄に対応の口を開く。
「かまって欲しけりゃ無駄吠え止めて、素直に尻尾振っとけ」
「かまって欲しくなんかねぇよ!」
がばりとバトゥルが顔を起こした。けれどまた徐々に頭は落ちていく。伏せながら、呻くみたいに苦しげに呟く。
「ただ、強い奴には昇ってほしいんだよ」
バトゥルは強さを目指してきた。
バトゥルは塔の都市で産まれ、塔の都市で育った。肌も髪も目も、何もかも違う奴らが寄り集まる場所。違いを異物として見ない世界。そんな世界の価値は認定だった。大人は禁止したがるが、小遣い稼ぎにスライムを捕獲に出る子供だっている。塔は身近で、認定は将来当然挑戦すると決めているもの。
だからその最高峰にいる者達の話は、子供達の話題に当然上った。筋骨隆々とした逞しい戦士、抜け目のない雰囲気の漂う弓士。珍しいところでは、信仰の証明のために塔を解き明かそうとする洗礼騎士、知識欲のために体を鍛えて挑む学者。四枚を持つ冒険者の話は、この街では話題に事欠かなかった。
その中でも、バトゥルのお気に入りは黒い男だった。身長も体格も大したことはない。同行したことがある者に聞けば、単純な力ではないところに強みがあるという。ほとんど単独で四枚に辿り着いた男。非力な子供心に惹かれた。
その一枚が、気づけば落ちていた。《塔を昇る者》の称号を持たない、塔を降りることのできるものになっていた。
けれどその時にはバトゥルはもう大人になっていた。バトゥル自身が《塔を昇る者》になったからこそ、その過酷さを知っていた。だから憧れの落日も受け入れられた。そんなことより、自分の塔への挑戦に必死だった。
憧れていたことすら忘れかけていたある時、同行の機会ができた。二階での作業用に集められた一枚の警護役として黒い男は現れた。成長して相対した姿は小柄で、いうなれば貧相にも見え、とても四枚だったようには見えない。
なのに、憧れは確かに憧れの位置にあった。知識に裏打ちされた無駄のない行動、人体を知り尽くした身のこなし、淡々と目的を遂行する冷静さ。バトゥルはそのすべてに痺れた。
そして男が一人である理由も納得した。冒険者の仲間は一蓮托生だ。男はあまりに異物過ぎた。思考が推測できない。行動が予測できない。感情は多少見えても、その先の心の働きが全く分からない。理解できない存在に命を預ける馬鹿はいない。
だが、バトゥルは馬鹿になりたくなった。分からないものを分かりたくなった。四枚から三枚に落ちたのはきっと、一人の限界を感じたのだと思った。だから強くなって、一緒に昇れるようになろうとした。
なのに近づいたはずの自分を放って、なんだか呑気におのぼり貴族の相手なんかをしていて腹が立った。
強い奴は、昇るべきだ。できる奴ができることをするからこそ、塔の都市は秩序を保てる。できる奴には、責任があるのだ。
グダグダと考えていると、右手が取られた。なんだと顔を上げると、イリューといたおのぼり貴族と目が合う。名前は聞いたかもしれないが覚えていないので、バトゥルには分からない。
「貴方とは、同じ三枚でも刻んだ強さは違うのでしょう?」
当たり前だ。認定される内容は《塔を昇る者》以外、みな違う。イリューの三枚に至ってはそれすら異なる。イリューは本来なら四階雪山地帯を踏破した四枚で、今は《塔を昇る者》を落としてしまった三枚だ。
「ならここに現れない弱さもきっと、別のものなのでしょう」
弱さ。
《塔を昇る者》を落とした、弱さ。
バトゥルは目の前の男を、瞠目して見つめる。
よくよく見つめて、それから――顔が良くて嫌いになった。
「イモざけとイモあげです。……おきゃくさんたち、なんで手ぇつないでるの?」
「こういう奴らには近づかねぇ方がいい。おう、手伝い始めてどんくらいだ。まかない食ったか?」
「さっき、たべたっ。おいしかった!」
「そうか、いっぱい食えよ。デカくならねぇからな」
給仕の少年の、まだ骨の感触の強い背を押し、店主の男はそそくさとその場を後にした。
※ ※ ※
西の花の都、東の貿易の港、そして砂漠の塔の都市。
世界で口々に讃えられる三つの街がある。その一つに数えられる塔の都市は、他の街にも匹敵する人口を誇る。と、言われる。この街は国ではない。関所もなく、戸籍もなく、管理者もない。ゆえに全ては来訪者達の体感であり、郷里に帰っての誇大化した土産話であり、往年美化した思い出語りである。
けれどそれは、訪れた者が圧倒され、離れても忘れがたい魅力の証左でもある。この街はそれだけ多くの人間の欲や願望、憧れを受け入れる多様性がある。
イリューが今歩いている区画も、そんな多様性の表れだ。整備の行き届いた石畳の通路は歩きやすく、各建物の入口付近に必ず設置されたランタンのお陰で夜道も見通せる。統一感のある建物が整然と並び、辺りは人の気配はあっても閑静だ。
塔に魅了された金持ち、学者の住まう区画は、表通りとは違う、上品な空気が満ちている。
イリューはそんな中、ランタンが鉄製の酒瓶型看板を照らす一つの店を目にとめた。ドアノブを力強く引き、隔絶されていた店内へと空間を繋げる。ひやりと心地の良い冷気が、イリューの身体の前後で外の熱気と混ざり合う。
「おや」
響いたドアベルに顔を上げた男が、イリューと目を合わせ微笑んだ。波打った豪奢な金髪、白磁の肌、薄暗い店内で不思議な光彩を放つ蒼の瞳。身に纏う品は一級品で、醸し出す高貴さはこの区画の店に相応しい。
「これは珍しいところで会うね、落伍者同士よ。河岸変えかい?」
そんな男の正体は、《塔を昇る者》の称号を落とした三枚――自己愛のティボー。
さして面識はなくとも、互いの稀な共通点から知り合いではある。
店に入ると、扉は重さでひとりでに閉じた。店内の薄暗さは意図的なもののようだった。店員が払う注意に軽く断りの手を振って、イリューはティボーの元に歩み寄る。
「隣に座っても?」
ティボーがひらりと見せた手のひらは、隣の座席に迎える仕草だ。
「馴染んだ猥雑さも時に飽きるものか。この店は僕も勧める良い店だ。里心がつくまでのひととき、堪能していくといい」
腰掛けたカウンターの座席からは、並べられた酒瓶がよく見えた。揃いの衣装を来た店員の、只ものではない気配が納得いく品揃えだ。秩序を保つには、一定の武力も必要になる。
逆に芋酒や麦酒は並んでない辺りに、矜持が伺い知れる。
「今夜の君は夜そのもののようだ」
イリューが注文を済ませると、ティボーは口を開いた。その目は、普段とは違うイリューの身なりを見ている。黒一色の装いはあまりに短絡的だとティボーは評すが、その黒の深さに黙らざるを得ない。黒の濃度は、分かりやすくその衣装の格を示す。
「黒く、暗く、溶け込んで、何を獲物に定めた?」
問いかけは警戒だ。縄張りの話ではない。この男と自分が相容れない人種であることは、関わらずともティボーには分かっている。それはお互い様のはずだ。それなのに。
給仕に供されたグラスに、イリューは視線を落としている。最高級品のガラス細工は、店の抑えられた照明でもきらきらと光を放っている。三枚の印が刻まれた左手で、イリューがグラスを取る。
「妙に絡まれたから逃げてきただけだ」
「絡む? 我ら偉大な四枚からの落伍者に絡むとは随分と恐れ知らずな輩だ」
「そういうのじゃない。雇用主と知り合いが何でか揉め始めた」
「ははっ、愉快な仲間達に囲まれて羨ましい限りだ。いっそ三人で友誼を結べば、ほどかれるわだかまりもあるのでは?」
「ちなみに雇用主はお前に詐欺られた奴だ」
他人事として捉えていた意識が急に引き寄せられる。
「人聞きの悪い。詐欺とは利益を不当に得る行為だ。落ちても三枚の僕に、少々の詐欺で得られる利などないよ」
「お前の台本にしては盛り上がりに欠ける。高慢貴族じゃなくて喜劇にし損ねたか?」
気位の高い貴族を出し抜く痛快な喜劇。筋書はそうだったのではないかと問いかける言葉に、ティボーは薄く笑んで返す。
この黒い瞳が、ティボーは大嫌いだ。
「半端な悲劇を一つ紡いで満足か、色男」
一切周りに染まることのないその黒を、ティボーは心の底から気色悪く思っている。
※ ※ ※
「やぁやぁ麗しき乙女らと紳士諸君、しばらくぶりだね? 息災なようで何より」
入口広場の一角、丸くランタンを連ねた大型屋台の横で、アレクセイ達は驚きに見舞われた。イリューが一行に加えたい人物がいると言い出したのにも少しの驚きはあったが、今はその比ではない。
波打った豪奢な金髪、整った面立ち、立ち姿さえ人目を惹く男。
自己愛のティボー。
酔っぱらっても記憶力は保持しているアレクセイが、脳裏に名前を浮かべる。
「貴方っ、どんな顔して私達の前にっ!?」
「あぁ、艶やかなかんばせには怒りも花だが、添えるなら別の色が良い」
「なっ!?」
一気に距離を詰めたティボーから頬に手を当てて覗き込まれ、シグリッドは絶句する。その顔が、先程までとは違った赤に染まる。何度かその反応を見たことのあった三人は、好みなんだろうなと一度は思ったことをもう一度思った。
「二階の団体行動と、俺の様式は相性が悪い」
「昨日の敵が今日の友とは、数奇で劇的で、抗いがたい王道の魅力だ」
動揺しているシグリッドに身を寄せたまま、伊達男はウインクを一つしてみせた。