08
「こんばんは、レプン。月が綺麗だな」
「……どうしたんですが、毛並みが悪い、顔色も悪い」
いつもの場所、いつもの呼び出し。
待っていた大使は酷く疲れた顔をしていて、自慢の羽耳や羽髪もぼそぼそとしていた。
「……今日はちょっぴり、疲れたのだ」
「疲れてるくせに飛んで来るなんて、無茶がすぎますよ。
本当に忙しいのはわかってますし、連絡なしに来なくたって、」
大使は己の唇に人差し指を当てた。
そこまで、という合図に、おとなしく口を閉じる。
「私が仕事を頑張る理由の一つに、お前に会うことがあるんだ。今夜も付き合ってくれ、湖まで」
困った森妖精だ。
仕方がないので、大使に人差し指を向け、円一つ。
水塊は大使を膝から抱えあげるように包み、宙に浮かせた。
「ほわー!?レプンなんだこれはすごいぞ!
水か!?水なのに濡れない!なぜだ!?
こねられるぞ?!形状も維持するぞ!あっ!浮いてるじゃないか!」
いつもの大使だ。
この変なテンションの森妖精を相手にする方が気が楽だ。
「はい行きますよ。
このまま連れていくので、その上で休んでいてください」
「海妖精の魔法か!?本来海中で使うそれか?!
わぁ!落ちようとしても追尾して受け止めてくれるぞ!」
あまりの興奮っぷりに魔法の使用を後悔したが、まぁ、これは息抜きの散歩であるし。
いつもの魚を周囲に泳がせ、湖までの道を進む。
隣に浮かせた水塊の上では、順応が早すぎる大使が鼻唄まじりに寝そべっている。
「便利な魔法だ。こんなに寝心地が良いベッドが存在したんだな。
うん、大使館にもほしい。術者が私の側近になってくれたら良いのになあ!」
「お断りします。村から離れたくないので」
「大使館を移設させれば、なんて思うが、……そこはもう、彼らが穏やかに過ごせる村でなくなってしまう。
嫌だなあ、それは。私は、お前の村の住人も、面白くて好きなんだ」
「……そうですか、ありがとうございます」
「ありがとう、はこちらだ。
出奔はしたが、嫌いではなかった兄の子をお前は連れてきてくれたし、この村には姪の親友もいる。学友にもなってくれた。
言葉では礼を言い足りない、お前にも、村の者達にも」
「こちらとしても、フィオを外に出せたのはあなたのおかげだ。
大使館のある町の方向に足を向けて眠れないって、皆に言われてますよ」
「……ふふっ、そうか。我らは同じ想いということか。
……嬉しいなぁ、同じ。まるで仲間だ」
ころりと横になり、大使は俺を見る。顔が近い。
「レプン、私も、お前の村の仲間になってもいいか。
……移設の話じゃないぞ、気持ちの話だ」
「……あなたはエレナ、俺たちはフィオ。
協力者なんですから、仲間で良いんじゃないですか」
「ふふ、ふふふふふっ!
嬉しいなあ、私も、レプンの群れの一員だ」
……森妖精にも群の概念はあるらしい。
考えてもみれば、そうか。群の概念は種族ではなく氏族に根深い。
羽の氏族も、オルカと同じように、海の住人と空の住人、相容れないようで似ているところもあると。
湖に到着。
水塊から大使を下ろし、魔法を解除。
今夜は雲一つない満月だ。空と湖に二つ、丸い光が浮いている。
これまでの散歩で最も気象条件が良い。風も冷たくはなく、心地よい涼しさだ。
さて、反響定位を開始。
――異常無し。
「綺麗だな、」
湖の月を見る大使の横顔は、……言葉通り綺麗で、「そうですね」と頷いた。
「……純血主義のやつらも、同じものを見て『綺麗だ』と思うはずだろうに。同じ想いを持つ者を、何故嫌うのだろう」
「お疲れの原因ですか?」
「うむ。純血主義を相手にするのは酷く疲れる。
きっと、私が綺麗事ばかりを言う自覚と、……排斥されない理由こそ、この血にあると、わかってるからだろうな」
大使は腕を掲げ、月の光で白肌を透かすように見ていた。
「単純に好みの問題にもなるよな。誰しも苦手なものがある。
私だって、同族でも苦手と思う者がいるのに、……他種族を苦手と思うなとは言えん」
これは独り言だ。
俺の考えや答えを求めていない。聞くことだけを求めている。
「苦手に思う気持ちは認めても、氏族や、種族、まるごと駆除なんて考えはやり過ぎだ。
おかしい。そんなことを言うお前達こそ、……なんて考えてしまう。
私も“同じ”、ということか。嫌になる」
大使は目を閉じ、力無くため息をついた。
生き生きと広がっていた羽耳は、今は固く閉じられている。
「なぁ、レプン。私の初恋の話を聞いてくれ。面白いぞ、保証する」
次に大使が目を開けた時、黄緑色の瞳は楽しげだったが、羽耳に覇気はない。
「いいですよ、期待しながら聞きます」
「期待されると恥ずかしくなるな。
……昔の話さ。私が幼鳥だった頃。
夜の空を飛んでいて、ある時うっかり落ちてしまった。
そこは黒く冷たい海だった。
びっくりしてもがいたが、月か星か、ぼんやりとした光は見えるのに、届かない。離れていくんだ。
下へ下へと、真っ暗の中に連れていかれる。怖かった、とても……とても。
その時だ、音が聞こえた。
一度じゃない。探るように、何度も。
それからすぐに、何者かの気配を感じた。
その者は、すごく、とても大きくて――
気づいた時、私は海に浮かんでいた。浮かばされていた、が正しいか。
漂う海妖精の上に、私はいたのだ。
まぁ、助けてもらった、というやつだな。
岸に近いそこで、体力の戻った私は羽ばたき飛んだ。
礼は言ったが、……通じなかったと思う。あの姿では、お互い言葉が通じない。
だから、私を助けた海妖精の名も、わからないんだ。
わかるのは、大きくて、黒くて。
聞いたあの音が、反響定位に使われた音の波だったということ。
命の恩人だ。音の主を、私は探した。
いや、探したのは音だ。
もう一度、あの音を聞きたかった。
私を見つけてくれた、あの音を。
幸運なことに、音はすぐに見つかった。
音の主が現れる海域を見つけてな。
身体の大きな者だったから、音も大きくて、陸であっても聞こえたんだ。
空を飛んで会いに行こうとは思えなかった。
夜の海は怖かったし、その者は夜にしか現れない。
何度も通って、音を聞いていた。
幸せな時間だった。
音にも、その主にも、恋い焦がれていた。幼鳥なりに、好いていたんだ。
叶わぬ恋だともわかっていた。
相手からすれば、私なんぞ稚魚同然だ。
しかも、
……ふふ、笑いどころだぞ。
私の幸せな時間は、同時に、恋心を玉砕する時間だったんだ。
そやつな、その海域に女連れで来ていたんだ。
そこは、よりにもよってデートコースに使われていたんだ。
笑って良いぞ。むしろ笑ってくれ。
私は当時を思い出す度に、少し笑って、
……………、幸せそうだったんだ。
私がどんなに美しい成鳥であっても、間に入り込める隙はない、そう思える程。
だから、ただ……幸せを願ったんだ。
私の初恋。名も知らぬあなた。
あなたが一途に想う、かの女性と。
ずっと、幸せに生きてくれたのなら。
幼鳥の恋心も、報われると思ってしまった。
――そう、思ってたのに、なあ。
笑えない話になるが、海の長い戦争があっただろう?
海妖精の王位を巡る、泥沼の戦いだ。
海の色を赤黒いままにした、あの頃だ。
沢山の海妖精が死んだそうだ。
祈ったよ。どうか無事でいてくれと。
あの海域で、ふたり、また幸せな姿を見せてほしいと。
でも、……死んでしまったんだ。
戦争は私の好いた相手を殺してしまった。
あの海域には、もう、現れてくれないんだ」
語り終えた大使は、月を見上げたまま動かず、黙っていた。
女連れの流れで吹き出して、最後で、
……長く続いたあの戦いは、いくつかの氏族を滅ぼすまでに激化した。
海で戦う者であったのなら、どちらも生き残ることこそ、奇跡に等しい程に。
ふと、もしかして、と思う。
同氏族の音は、聞けば氏族がわかる程には似ている。
大使の初恋相手は、オルカだったのかもしれない。
「大使が俺の音を気に入ったのは、初恋相手の個体の音と、俺の音が、似ていたからですか?」
「……ふ、」
大使は口角をあげ笑ったが、……その顔が一瞬、泣きそうに見えた。
「大使、」
「私も!エレナのように潜ってみたいぞ!」
突然だった。
大使はそう叫び、止める間もなく前へと跳んだ。羽の氏族だからか、跳躍力がありすぎる。
唖然としながらも視線は大使を追い、
その静かな着水は、まるで湖の水底に、連れていかれるような。
「……っんとに、困った森妖精だ!」
湖に飛び込む。夜の湖だ、暗くて当然。
怖いと言っていたくせに、恐怖そのもののような状況に飛び込む理由がわからない。
視界が悪いな、これも当然、半分は人族の身体だ。光源がなければ目は利かない。
反響定位――水中の広がりは早い。
どこだ、どこにいる、
いた。
くそ、泳ぐという行為を知らないのか。何がどうして沈んでいる。
――反響定位で捉えられない誰かに抱かれ、水底まで連れていかれてしまう。
そんな大使の姿を幻視し、舌打ちして嫌な想像を払う。
追い付くだろう、俺なら。この身体でも。
大使の元へと泳ぎ、その手を掴む。
閉じられた瞼が開き、黄緑の瞳が俺を見て、
「 」
水中で呼吸出来ないやつが!水中で喋るんじゃない!
すぐに浮上。大使を水面に押し出し、咳き込むのを聞く。
「ふふ、ふふふふっ!
はー、あー、すごく怖かったな!潜るって怖い!」
「あれは沈むです!泳げないなら先に言ってください!」
「レプン、私な、泳げないぞ」
「今じゃ遅いです。もう知ってます」
岸まで引いて泳ぐ。溺れる者は苦しさに暴れるのが常であるが、この大使、全く暴れず、されるがままだ。
助ける意味では扱いやすいが、それはそうと文句を言いたい。
苦言を通りこして暴言が出そうだ。
相手は大使相手は大使と、必死に念じ自制する。
にしても、水を滴らせ続ける羽髪に羽耳。水捌けの悪いモップみたいだ。
「俺を驚かせるのは、その想像以上に高貴な身分だけにして下さい」
「……うむ。すごく、とても、……かなり怖かったから、気を付ける」
「ごめんなさいは?」
「む」
「これだけ心配させて、ごめんなさいの一言もないのかあんたは。
今の俺は、……いや、俺は海妖精の混血だ。純血のようには動けない」
「…………すまなかった、……ごめんなさい。」
反省はしているようだ。
頭を垂れ、謝罪の言葉を口にする。
軽い口ぶりだったくせに、本気で怖かったのだろう。
風が冷たい季節でもないのに、大使は震えていた。
「ほら、帰りますよ」
「……うむ、帰ろう。夜明けまでに戻らねば」
変身しようとする大使の腕を引き、よろけさせてでも止める。
「言葉が悪かったですね。村に行きますよ」
「いいや、帰ろう。お前に迷惑をかけてしまったし」
「帰すわけないだろ」
「……何故だ。私は帰る時間だぞ」
何をまた変なごねかたをしているんだ、このモップ大使は!
「全身ずぶ濡れで帰せるわけないだろバカ!水の重さをなめるんじゃない!
疲労困憊で遊びに来たくせに、その身体で飛ぶとか正気かバカ!」
「正気だし……飛べるし……ちゃんと帰れるし……バカじゃないし……」
「バカだよ。今夜のあんたは大バカだ。
ごねごねしてないで村に戻るぞ。シャワー浴びて乾かして寝る。
諦めろ、あんたは昼帰りだ」
「いやだ、い、いないって知られたら、……部下に怒られるし、……ちょっとした騒ぎになるぞ」
「あんたが部下に怒られようが騒ぎになろうが知らん。
俺が責任もって全身乾かしてやる、覚悟しろ」
「…………………わか、った」
頷いた大使を水塊に乗せ、走って村まで戻る。
宿泊客用の一軒、その浴室に大使を突っ込んだ。
シャワーの音を耳にしながら、服を考える。
よし、新品に近しいものならなんでもいいか。あとはここで寝るだけだもんな、服は洗って乾かせばいいし!
と考えサイズが怪しい服とタオルを置き、ベッドを整えながら出てくるのを待つ。
「……その……あがったぞ」
「服を着ろ」
この大使、恥じらいながら一糸纏わずの登場をしやがった。森妖精は裸族か何かなのか?
これで海妖精、人族、森妖精、全ての裸の氏族に出会ったことになる。出会いたくなかった。
「……だって、……お前が全身乾かすって言ったから…」
「乾かしてるだろ」
「……まぁ、結果そうであるが……」
魔法で起こした温風で大使(服は着てもらった)を乾かしていくと、すぐにモップとは言えない輝きを取り戻していった。
エレナの髪を乾かした経験が生きるのを感じる。
エレナには気を遣ってやらなかったが、大使なので羽耳もしっかり触れて乾かした。
くすぐったそうに顔を赤くしていた所を見ると、エレナの羽耳に触らなかったのは正解らしい。
あとは――大使館のベッドと比べれば粗末なものにはなるが、
「……その、……出来ることなら、あの水塊がいい。ダメか?」
……一応、村ではごねず騒がずでいてくれたことだし。
俺が村から出ない以上、水塊の上で寝る機会は早々無いだろう。
「……わかったよ」
要望通り、水塊が大使のベッドだ。
大きめの水塊をベッドの形に似せ、あとは好みに捏ねればいい。
大使は水塊の上に寝転がり、心地よさそうにもぞもぞと動き。
ぽつりと、大使は不思議なことを言い出した。
「レプン、私はな、……一番になる気はないからな」
「…………そうか」
全くわからないが、とりあえず頷いておく。大使はふっと笑い、目を閉じた。
うん、おやすみ。
翌日。
大使がサイズの合わない服を身にまとい、堂々と日光浴している所を目撃した村の住人がその場で卒倒。
俺は正座で、村長役の先生と俺の先生、頭のあがらない二人からの説教を受けることになった。
爺さんは俺を指差して笑っていた。くそ。
服が乾いた大使はご機嫌に帰っていったが、強火の部下こと森妖精略(女)はしっかり乗り込んできた。
乾かすのに苦労したのに、散々である。