04
ずっとここにいてくれたらいいのに。
泣いて別れを拒むフィオに、彼女は首を振った。
手紙を出す、必ずまた会いにくる。
そう言い、フィオを泣き止ませるために、また抱きしめた。
「あ、ミサさん。今戻りました」
朝焼けの空の下、欠伸混じりに歩いていると、村広場で出迎えるような人影一つ。
俺を見て苦笑するミサさんは、全てお見通しのようだ。
「レプくん、またとんぼ返りね。
早すぎるわよ、戻るのが。町で一泊ぐらいしなさいな」
「いやだって、仕事は完遂して後は戻るだけとなったら……休む時間も惜しいですし」
「……あなたって本当に、グランさんが好きよね」
「ミサさんも村の皆も好きですよ」
「あら嬉しい。じゃあ、好意に甘えて。
お疲れの所悪いけど、どう仕事を終えたのかを聞こうかしら」
「はい。二人を連れ、問題なく町に到着し、」
――結果、埋めた数は片手ほど。魔物を含めても、両手指でおさまる。
目的の町は、物品調達のため、一人で訪れたことは何度もあった。
森妖精の大使館は町で一番目立つ建物でもある、迷うことはない。
もし、この大使館の森妖精が、純血至上主義で他種族排斥を望むなら、すでに噂になっているはずだ。
それに、そもそも、人族の地で暮らすこと自体耐えられないだろう。
混血とはいえ、エレナ嬢の見た目は森妖精そのもの。
一目で血の証明になり、保護の対象になるはずだ。
一応、と守れる距離で、門を守る森妖精に事情を話す二人を見守っていた。
しかしどうも、様子がおかしい。
耳をすまし、話を盗み聞いてみた。
羽の氏族、髪の色が、瞳の色、そのお顔、云々。
連絡がいったのか、吹き飛ぶような勢いで大使館の扉が開く。
現れたのは自信が顔と歩みに全面開放された森妖精の女性。
その髪色、瞳、顔つき。そして羽耳は、エレナ嬢によく似ていた。
彼女こそ、この大使館の主。
大使として派遣される程に高貴なご身分だそうで。
その大使曰く、兄が人族との間に作った子を、ずっと探していた。
これはもう、外見が証明だろう。
大使の森妖精は、随分と尊大にみえたが、――ためらいなく、伯父殿に頭を下げた。
その姿を、俺は仕事の完遂と見なす。
二人は大丈夫。間違いなく、身分は保証されるだろう。
森妖精と人族の関係は、大使館を置くほどには良好である。
しかし森妖精と海妖精になると、……まだ、良い関係とはいえないはずだ。
俺に、見てわかる海妖精の特徴がある以上、余計な不和は避けたい。
「道中話してくれたんですが、この村の永住に頷かなかった理由は、森妖精に魔法を習うためのようです」
「うちじゃ自衛は学べても、妖精の魔法は人族のそれとは違う。
……もしかして、フィオの母親を治したい、だなんて健気な考えがあったのかしら」
「その通りです。
宴が始まるほど元気になった村人達を見た後で、唯一、自分の力で元気に出来なかったのが、……大好きな友人の、まだ生きている母親でしたから」
エレナ嬢の母親は早世したと聞く。
友人の母親を見て、……自分と同じ思いをさせたくないと、そう考えたのかもしれない。
「ふふ、成長の見込みがある、自分の才能に賭けたのね。
一人、二人の住人が増える事に問題はなかったけれど、……ま、今生の別れではないでしょうし」
「はい。案外早く再会できると思いますよ。……ただのカンですが」
ミサさんの笑みは、『そうなると良いわね』と、言っていた。
「報告ありがとう。
じゃあ、あとは休みなさいな。またね、レプくん」
「はい、おやすみなさい。
……あ、ミサさん、一つ、気になる事を解消してから休みたいんですが」
「なあに?」
何のことかわからない、と首が傾げられ、俺も……自分で言っておいて、口ごもりそうになるが、
「あの、……水中での俺、……変な感じに、見えていたりしませんか?」
「………………レプくん、」
するりと。足を踏み出した素振りなく、ミサさんは俺に接近。
反応より先に、その両手は俺の頬を挟み、上下に撫で撫で、
「あなた、陸ではこんなに可愛いのにね。
ふふ、ふふふっ!」
「……ありがとうございます?」
「よし。じゃあ、おやすみなさ~い」
揉まれ撫でられ解放され、後ろ手に振った手と去っていくミサさんを見て、質問の答えがないことに気付く。
「……あー、いや、これが答えか」
殺されてないしな、と納得し、また欠伸。
昔より体力ないよなあ、と思いつつ、帰路につく。
裏口、施錠なし。
扉を開けて、廊下を進む。
「おかえり」と爺さんの部屋から聞こえた。
「ただいま」と返す。
水を浴びて、身綺麗にしたら、二階の自室、ベッドに転がり。
一度だけ、音をこぼした。
近くには爺さんの反応だけ。
異常無し、問題なし。
あとはそうだ、おやすみなさい。
×××××
眠りは深いが目覚めは良い。
体内時計は昼すぎを示していた。
身支度を整えに一階におりて、……おや、店の方に爺さんがいない。
外の様子も……何かあったか。
叩き起こされていないので、俺を頭数にいれる程の状況ではないらしい。
身支度よし、時間的は昼食は……まぁ、後で良いか。
無人のカウンターに寄り、依頼の有無を確認。店内を見回して、問題なし。
内側から見ると『閉店』の看板。からころと扉のベルを鳴らし、外へ。
広場に人だかりがある。不穏だ。
村全体を確認するため、反響定位を開始。
音をこぼしながら、人だかりに歩み寄る。
村の住人は皆俺の存在に気付くが、さて。
人だかりの中にいる、見知らぬ者たち。
傭兵と言うより騎士といった方がいいか。
ご立派な衣装で、村人達を蔑むような目で見ている人族達は、……これは俺の音には気付いていないな。
把握完了。
村の敷地内に、それぞれ村の住人達が散らばっている。
万が一が起きた場合、一人として逃がさず、新たな来訪者を害さず終わらせるためだろう。
対して騎士たちは集団で一塊だ。
敷地の外に馬車を待機させているようだが、……この感じ、近くの村か町で雇われた、民間人の御者か。
隠れていないため、視認距離となれば騎士達も俺に気付く。
俺のことは造作もない、ただの野次馬と認識したみたいだ。
有難い、接近を許す浅慮さに甘えよう。
ここ村の代表として話すのは、診療所の先生だ。
この村に村長の役職は存在しない。
しかし代表は何かと必要であるため、村長“役”を先生が担当している。
そんな、先生こと村長役は。
騎士集団の代表らしい男と、顔に笑みを張り付けたまま押し問答中だ。
騎士集団は村の住人たちを威圧するが、住人たちの一般村人面に怯んで見せるという項目はない。
この違和感を気のせいですますかどうかが一種の分かれ道ではあるが。だめそう。
見た目が堅気ではない爺さんは、威圧も威嚇もすることもなく、村長役の後ろの野次馬に混ざり、目を閉じ待機していた。
……爺さんの眼力は強すぎる。顔にも出る。村長役の指示だろう。
「先生、何があったんです?」
その外見から、最も一般村人面が上手い“俺の”先生を見つけ、声をかける。
こちらは俺に人族の常識、教養を仕込んでくれた人だ。
騎士が耳をそばだてているのを知った上で、俺たちはこそこそと話す。
「それがどうもね、森妖精の娘を匿っていると、おかしな勘違いをされている」
このタイミング、無関係ではなさそうだ。
伯父殿曰く、故郷ではすでに、エレナ嬢の存在は露呈したとのこと。
その地域を治める領主の出頭命令を蹴って逃げたそうだが、……これがそうか。
この金をかけた装備……雇った使い捨ての傭兵ではなく、私兵か。
国の騎士だと誤認させそうな意匠だが……まぁ、それも目的とした装備だろう。
「森妖精……?
それってあの、陸の獣の耳をした、見目がとても良いとされている種族ですか?」
「そうそう、その森妖精。
うちには人族しかいないのに、この村で見たって言って聞かないんだ。
皆どうしたものかと困っていてね」
「見たと言うなら……あ、そうだ。
うちの村って、山越えの通り道にあるじゃないですか。
俺たちが知らないだけで通行していて……それで見た、っていう目撃情報が」
「……驚かないでね。
今日、この村で、彼らがその目で見たというんだ。
村の方へ逃げていったそうだよ」
……なるほど、見たのはフィオか。
普段は外の者の目に触れないよう行動しているはずだが、エレナ嬢との離別のショックで、動きに甘さがでたな。
確かに森妖精らしい顔のエレナ嬢と並んで遜色ない程、彼女は整った顔立ちをしている。
しかし、森妖精らしい特徴は一切ない。
……村の先にあるのは森妖精の大使館のある町。
まさかと思うが、収穫無しに帰れず、王都からも遠い小さな村なら、娘一人拐っても良いと考えているのか?
「うーん、村の外の人の顔は目立ちますし、森妖精なんて綺麗な子がいれば、誰かしら気付くと思うんですが……
まさか、うちの村一番の美少女が、森妖精に見間違われていたりして!」
「しっ、しー!声が大きいよ」
口元に人差し指を当て、声を抑えるように言う先生、小芝居が上手い。
声音も気弱で無害な人族男性そのものだ。
だが、騎士達に見えない所に隙は無い。教え子に伸びる暗い影に、先生の目は酷く冷えていた。
「あ、すみません……、にしても、妹は美少女、姉は美女。
我が村が誇る美人姉妹ですもんね……見間違うのも納得です」
と、適当なことを言ってみたが、反応あり。一人の騎士が代表へ耳打ち。
結果、出せという娘の年齢が上がった。
姉妹そろって出せという。
姿を見せて確認させろと言うが、さて。
「その姉妹は私の孫です」
孫に過保護な祖父こと、村長役。
地の底から響くような村長役の一言は、この場の空気を一瞬にして重く変えた。
「私が美麗な森妖精に見えると、あなた方は、そう、仰るのですか?」
ミサさんの存在を明かすのは悪手だったのかもしれない。
なんとか穏便に、と頑張っていた村長役のタガが外れてしまいそうだ。
隣にいた先生に、肘で軽く小突かれてしまった。はは、その……すみません……
「皆さん、おじいさま、どうかされました?」
と、ここで乱入する、件の美女。
ミサさんの登場に村の住民たちは道を開け、その姿を騎士ご一行に見せる。
獣耳も羽耳もない。
完全にただの特上美人な人族だ。
不躾な視線はまだマシで、下卑た視線までもが孫娘に集まるのを目の当たりにしている村長役、破裂寸前である。
「……人族だな。森妖精ではない」
騎士の代表は、あっさりと認めた。
「君、祖父と名乗る者と全く似ていないが、血の繋がりは本当にあるのか?」
「はい。よく言われますが、大切な祖父です」
先生の膨れた怒気が少し萎む。
「我々の見間違いだったようだ。
謝罪しよう。ここに森妖精はいない」
驚いたな。穏便に済まそうとする努力目標が達成されそうだ。
と思ったのも、数秒で無いものと悟る。
騎士達は動かない。村の住人も、微笑みを浮かべたままのミサさんも。
「では君と、……そこの、後ろにいる子ども。前に」
ミサさんと、何故か呼ばれる俺だ。
子どもと呼ばれるような存在は、フィオを除けば俺だけだ。
おとなしく前に出ようとして――止めるように腕を掴んだのは、先生。
反射的なそれだったらしく、すぐにそっと離された。
大丈夫です、と声に出さずに言い、前へ。
「顔を見せろ」
予想外だな。海妖精だと気付いたか。
爺さんの方を見れば、片目が開いていた。
……まずい、騎士連中、爺さんを見るなよ。
逆らうのも不自然であるため、マフラーをずらし口元をさらす。口は開かない、
その代表騎士は、口を開かせることなく、俺の顔だけを確認し。
ミサさん、そして村長役に視線を移し、合図するように腕を上げた。
「我々は寛大だ。妹の方は残してやる」
この場にいる騎士全員が、かちゃり、と音を響かせるように、腰の剣に手をかけた。
「金は追って届けよう。“それでいいな?”」
そうか、俺もこいつらのお眼鏡にかなう面だったというわけか。
初めての経験だ。前世でも、……運良くなかったことだ。
村の住人一同、何も言わない。静まり返っている。
爺さんもまだ動いていない。
俺はもぞもぞと、再度口元を隠した所で、
「高いですよ」
「は?」
口を開くミサさん。微笑みは継続。
「私も彼も、高いですよ。
国庫を空にしてもらいますが、あなた方に王族との繋がりはありますか?」
「……面白い冗談だ。しかし、顔は良いが頭は弱い。
冗談は時と場合を見定めて使うんだな、お嬢さん」
「あら、まぁ。事実と冗談の見分けがつかない程、節穴の大きな目をされている事に、今気が付きましたわ。
確かに、見定められなかった私に落ち度がある。ごめんなさいね?」
お~、っとこれは、ミサさんキレてるな。
ここは元傭兵の集まる村だ。
ミサさんももちろん、金で仕事を請け負った経験がある。
提示した金額が、……発言通り国庫とまではいかなくても、それなりの金額なら、或いは。
どこかの領主は、私兵を失わずに済んだろうに。
「嫌な目に合わせてしまったなぁ、レプン」
「ん?……ああ、いや、問題ないよ。
連れて行ってくれるなら、村が汚れないで済むな、程度にしか考えてなかった。
……この馬車は壊していただろうけど」
雇われ御者は、この村のことを知っているらしい。
怯えた視線を御者台から感じる。
ミサさんの怒りを受けた者達は土の下にある。
高価なものは次代に繋げるべきだと、剥ぎ取られた装備は馬車に積み込まれていた。
御者を帰すついでに、馴染みの店で売ってくるらしい。
俺も知っている店だが、今回は爺さんが一人で行くとのこと。
「フリであってもな、嫌悪感は無かったことにならない。
例えお前のそれが小さな物だとしても、わしは駄目だ。
……現役だった頃なら、あれらの主の土地で憂さ晴らししたんだがのう。やっぱり行くか?」
「懲りずにまた喧嘩を売りに来たらね」
……爺さんは損得勘定より感情で暴を振るう悪癖がある。
現役時代がまさにそれだ。
理性無きドラゴン。
爺さんは人族の身でありながら、その異名に、ドラゴン――竜の名を使われている。
現役時代を知る村人によれば、ドラゴンの名に恥じない程の暴れっぷりだったそうで――俺も一度、見たことがあったりする。
豪快さの中にある鋭い殺意に、惚れ惚れした。
相対したいというより、共に闘えればと思って、――思った、相手の、息子になった俺である。
「……ま、俺としては、大事にされてるようで嬉しいけど。ありがとな、親父」
「うむうむ、素直でいいぞレプン!」
ハマるって。仕方がないって。
がしがしと頭を撫でられる経験は今世が初だし、守られる側になったのも初だ。
この村で俺は、フィオとその母親に次ぐ、第三位。人族の大人達に守られる、保護対象だ。
そして、成長を見守られる立場にある。
過去を思い出した分だけ、己の異常性に頬を叩かれる気分だ。
子どものふりをしたことはない、……ないとは思う。少し思考が若返ったぐらいで、
やめだ、やめ。思考を止めた。恥ずかしくなるだけだ。
爺さんは見送ったことだし、無人の店に戻らないと、
「………………、」
店の前で俺を待つ者がいた。フィオだ。
落ち込んでいるのが表情にも姿勢にも現れている。
フィオは何も言わず、俺の服の裾を握った。
「…………客もいないし、一緒に茶でも飲もうか」
頷くフィオと共に店内へ。
カウンターの前に椅子を引きずり出し、フィオに座って待ってもらう。
俺はお茶の用意のため台所へ。
この家には優雅にティータイムを楽しむ住人がいないので、洒落た食器が存在しない。
鍋に水、沸騰させて茶葉を適量。
煮出してこして、陶器のコップにそそいで、水塊に持ってもらう。
自分の分を手に、フィオの元に戻れば、……フィオはカウンターに突っ伏していた。
「隣にあるぞ」と茶の存在だけを教え、俺もカウンター内の椅子に座り、一息つく。
「……レプ兄」
「ん」
「おかえりなさい」
「……ただいま」
顔をあげたフィオの顔は赤く、少し涙の跡があった。
「……私、すっごく……情けないよ……後先考えず我が儘言ったし、外の人に見付かるし……」
「変に思い悩むと、感覚まるごと曇っちゃうからな。良い経験にはなったろ」
フィオは頷いた。
本来なら、あの程度の連中、目視される前に察知出来ただろう。
「……………あの人たち、森妖精を探してた。
もし、エレナが村にいてくれていたらさ。……きっと、嫌な想いをしただろうね」
「かもな」
「私……自分で対処出来ないくせに、尻拭いしてもらってる立場のくせに……
私は、自分の気持ちだけ押し付けて、エレナに何かあっても助けられないんだ……」
「あの程度なら一人二人はいけたと思うぞ」
「全部じゃないなら対処できたことにならないよ……!
エレナを嫌な気持ちにさせた時点で、私は友だち失格なんだぁ……」
「助けたいのはわかるが、身体や心を守りきることが友だちの証明になるのか?
君がエレナを守りきったとして、ならその逆は?
エレナに身を呈して守られることでやっと、お互い友だちか?」
「…………そんなんじゃない……違うう……もう最悪、守りたいのも私の我が儘だ……」
「そうだな」
「うぐうう……」
「……でも、間違った感情ではない。
大事だから、失くさないために守るんだろ?
側にいて、お互いが楽しいなら友だち。それで良いんじゃないかな」
「……エレナ、私といて楽しかったかな」
「大好きとまで言った相手がそんな事言ってるって知ったら、彼女、悲しむと思うぞ」
「私の方が大好きだし楽しかったんだもん……」
「君が攻撃性の高さで友だちを守りたいと思っているように、彼女は魔法の素養を伸ばして、君のためにありたいと思ってるんだ。
森妖精の元に行ったのはそのためだぞ」
「……そうなの?」
「そうだよ。だから……友だちの好意を疑うな」
「そっか、……うん、……うん、わかった。ありがとう、レプ兄。私、目が覚めた!」
ぬるくなったお茶を一気に飲み、フィオは立ち上がった。
「皆に見付かってごめんって謝ってくる。
それに、……私、疑わない。
手紙も、また会いに来るって言葉も。
私だって、会いに行くのが許されるまでに強くなればいいし!」
「よしよし、その意気だ」
「お茶と、話を聞いてくれてありがとう!!じゃあねレプ兄!」
からころと、扉のベルを慣らし出ていく後ろ姿。
いいね、俺たちのお姫様はこうでないと。