03
「うおおおお!!わし!復活!」
店の外にて、爺さんは天へ勢いよく拳を突き出し、歓喜の雄叫びをあげていた。
森妖精の子ことエレナ嬢は、爺さんに感謝されたことが嬉しかったらしい。
照れと、誇らしさが混ざった顔をしていた。
エレナ嬢の伯父は「わかります、わかります…!」と爺さんの喜びに同調している。
「エレナちゃん、すごい、すごいよ!
グランさんを治してくれてありがとう!」
「……えと……うん、これは、私でも出来ることだから、」
抱きつくフィオにおされつつも、……あれはまんざらでもなさそうだ。
照れてはいるが、両手を繋ぎ、回るフィオに身を任せていた。
伯父殿曰く、この力を使った彼女が倒れるようなことは無く、ぎっくり腰の再発も、未だ確認されていないらしい。
「腰に爆弾を抱えることになるはずなのに、……すごいな、これが森妖精の治癒魔法……」
と、感嘆する先生。
「身体が軽すぎるぞ!」と愛用の大剣を持ち出し、素振りまで始めた爺さんを止めるべきか悩む。
この様子だと、明日にも出発出来そうだ。
爺さんが元気であるなら、心置きなく村から離れることが出来る。
フィオと楽しげにくるくる回るエレナ嬢には後で礼を言うとして、保護者の伯父殿にも礼と、今後の予定の確認するか。
「ありがとうございます。おかげさまで、親父もこんなに……元気すぎるほどに」
「いえいえ。魔法を使ったのは姪ですが、私もぎっくり腰の苦しみはよくわかります。
治って良かった。私も治ってすぐに、年甲斐もなく、数回、跳ねてみたものです」
尚爺さんは店の屋根に登っており、また吠えていた。ビリビリと空気が揺れる。落ち着いてくれ。
……爺さんのコレを前にしても動じない伯父殿、案外図太いのかもしれないな。
「この調子だ。数日の様子見なんて必要ない。出発は明日の早朝にしますか?
何が起ころうと確実に町の大使館まで送り届けてみせます」
「有難い。では、明日の、」
「おじさん、まって」
寄ってきたのはエレナ嬢。内緒話を求めるように、口元に手を当てていた。
屈む伯父の耳元で、なにやらごにょごにょ。
「エレナ、出来るのかい?」
「出来る」
頷くエレナ嬢。
明日には行っちゃうんだ、としょんぼりフィオも視界に入り、若干の気まずさと、
「うおおおおおおお!!!」と元気が有り余る爺さん。うるさい。
「あの、先生、レプンさん、お話が」
神妙な顔で、伯父殿は俺と先生に向き直り、口を開いた。
「姪は、慢性的な身体の節々の痛み。肩こりや腰痛等の治癒を得意としています。
筋肉痛や疲労による不調も……すっと消えます」
「なんて素晴らしい魔法なんだ……」
「すごく有用ですね」
「その……姪が、もしこの村に、そんな症状をもつ方がいれば、まとめて全員治したいと」
「!!!!!?????」
がたっと音がなりそうな勢いで先生が前のめりになる。
伯父殿に掴みかかるようの近さだ。
しかし動じない伯父殿。寛容にも程がある。
「それでその、……全員治すかわりに、滞在期間を伸ばしたい。あちらの娘さんと一緒に遊ぶ時間がほしいと。
姪はそう言っておりまして」
フィオに寄り添い、こちらを気にするように見るエレナ嬢。
話を聞いたのか、フィオまで期待するような目を向けている。
「全盛期のような身体の軽さだー!!!!!!」
爺さん、黙って。
「命を助けられた上に護衛まで引き受けて頂き、重ねての厚かましい願いではありますが、……お願い出来ないでしょうか」
深々と頭をさげる伯父殿。
こちらとしては断る理由が無い。
「姪は、出自が出自ですので、他の子どもと遊んだ経験がありません。
あちらの娘さんは、初めて出会う、憧れの、女の子のお友達なのです」
「顔を上げてください。
……この村の子どもは彼女しかおりません。彼女もまた、姪御様と似た境遇の娘です。
こちらからも、是非とも、よろしくお願いします」
先生が頭を下げたことで、少女二人の喜びの声が上がる。
手を握って、もうあんなに仲良しだ。
「ありがとうございます、ありがとうございます!
エレナ、頑張るんだぞ!遊ぶのはお仕事の後だ、私も……応援ぐらいは出来るからな!」
大きく頷くエレナ嬢。
「私も応援する!」とフィオ。
「彼女の体力を確認しながら、謝礼金を積んででも、対象全員に魔法を受けてもらわねば。こんな素晴らしい魔法が存在したなんて」と先生。
まさかフィオの言う、好きなものの話こと、村人の紹介が現実になるとは。
俺を拾った当時より元気そうな爺さんを眺めながら、先のことはわからないものだな、と思う。
××××××
さて、全員治します宣言の翌日だ。
昨日と同じく喜びの咆哮が村の各所から聞こえる。
エレナ嬢、素晴らしい力を持っている。
爺さんは早朝から、山越え谷越え喜びのままに走り、仕留めたらしい巨大とかげを村広場に置いていった。
お礼の品が少女に対するものではない。
解体作業と調理のために、村はちょっとした盛り上がりを見せていた。
身体の不調が解消されたことにより、村の住人たちは元気いっぱいだ。
……爺さんのように、喜びを暴で示そうとする者がいなくて良かったと思う。
いや、もう、本当に、俺の親父は、まったく。
エレナ嬢の治癒魔法は、予備動作もほとんどなく、数分にも満たない速度で治癒を完了させた。
どうやら、華奢な外見とは違い、彼女も体力が有り余っているらしい。
疲れや体調の変化を注意深く見ていた先生が驚くほど、始終けろっとしていたそうだ。
エレナ嬢の側にはずっとフィオがいて、たえず話し続けていたからか、二人の少女の笑顔に、村の住人たちも大変癒されたと聞く。
伯父殿も、「エレナがあんなに楽しそうに笑うのは初めて見た」と、巨大とかげの調理を手伝いながら話していた。
さて、そんなこんなで閉店時間。
本日の客は無し。依頼も無し。
店の仕事といえば、発注していた薬の納品を確認したぐらいだ。
外の者が数日訪れないことはざらにあるが、
――少なくとも、今日のような異様な雰囲気の村を通過、または滞在することにならず、良かったと思う。
扉の看板をひっくり返し『閉店』に。
施錠と、防犯用の魔法を少し。
広場で祝いの酒盛りを始めた爺さんは裏口から帰ってくるとして、
――とんとん、と、扉が叩かれる音がした。
振り返ると、扉のガラス越しに少女が二人。
「どうした、二人そろって」
解錠し扉を開けば、くっつき虫の仲良しコンビの片割れ、フィオが「お願い!」と口を開いた。
「ミサさんも先生も皆も、レプ兄が一緒ならいいよって言ってくれたんだけど、……あ、エレナのおじさまにもちゃんと許可はとってて、その……夜になっちゃうけど、今夜はすごく晴れてるから、」
「いいよ、どこ行くんだ?」
「いいの!?湖!湖に行きたい!
エレナに私の大好きな場所を見せたいの!」
湖、大好きな場所、というと、該当するのは一ヶ所。
村に流れる小川の水源。村から少し距離のある、林道の先の湖だろう。
「少し距離があること、説明したか?」
「した!」
「いけます。元気です」
治癒魔法を使い、村人たちを喜ばせた功労者がそう言うのなら。
まぁ、いざとなれば、俺が抱えればいいだけ話だ。
「わかった。裏口に回ってくれ。
こっちの扉は閉めて、爺さん達に声をかけたら出発しよう」
「うん!わかった!」
エレナ嬢の手を引き、駆けだすフィオを見届け、施錠。
裏口から出れば、しっかりと待機してくれていた。
広場で酒を飲む爺さんに声をかけ、その隣の先生にも声をかけ。
村の住人と打ち解けるのは早いが、やはり浮いている、民間人すぎる伯父殿に姪を預かることを報告し。
俺は少女二人を連れ、湖までの林道を、散歩することにした。
日は暮れたが、夜空は明るい。
それでも昼の明るさとはいえないので、光源を用意する。
一つ、二つ、三つと小さな光る魚を放った。
それらは対象の周囲を泳ぎ、ついて回る。
慣れているフィオは魚を指に滑らせるが、初めてのエレナ嬢は、おそるおそると魚をつついていた。
突き抜けた指に驚いたのを、フィオはからかうように笑って、彼女もまた笑う。
エレナ嬢の羽耳は、出会った時より大きく広がっているように見えた。
……体調や感情と連動しているのかもしれない。
「エレナ見て!ここだよ、ついた!湖!」
俺の横をすり抜け、湖畔へと走る少女達。
歩きながら、反響定位はすませていた。
彼女達を害するものは何もない。
邪魔しないよう、しかし離れることもなく。
はしゃぐ二人についていった。
雲一つ無い夜空だ。
きっとフィオの望み通り。
木々の間を抜けると、眼前に“二つの夜空”が広がっていた。
夜空を映した湖面には、この季節に現れる光虫が星のように浮かび、ゆるりとした点滅を見せてくれる。
「…………、」
エレナ嬢は何も言わない。
無言に耐えられなくなったのか、フィオはエレナの前に立ち、
「えっと、……どうかな、気に入ってくれると嬉しいけど……」
その問いに、まるで羽を広げるように伸ばされた両腕は、フィオを包むように抱きしめた。
「綺麗、すごく綺麗……!
ありがとうフィオ、私の初めてのともだち。大好きよ」
「へへ、……えへへへへ……」
なんともしまり無い笑みを浮かべるフィオ。
それでも心から嬉しそうで、……俺も、初めて見る顔だった。
この少女たちの友情を皆に見せてやることが出来ないのが辛い。
そして、……本当に、心から、彼女と伯父の命が散らなかったことに、安堵する。
「……レプ兄、レプ兄!」
抱きしめられながら俺を呼ぶとは何事か。と思い見れば、その表情と、「お願い」と動く口で察する。
「だめです」
「そこをなんとか!もっともっと、エレナに私の好きなもの見せたいの!」
「危ない。彼女は半分とはいえ森妖精だ、水に潜らせるなんて危険だ」
「私、伯父に叱られたので控えていましたが、池に一人潜り、魚を素手で捕まえる遊びをしていました。いけます」
「ほら、ほらあ!」
「そりゃ伯父殿も怒るわ」
美少女が野生児みたいな遊び方をするんじゃない。
だが、これで合点がいった。
ここまで逃げ延びてこれたのは、彼女に少女らしからぬ体力と、高い運動能力があったためか。
行軍が早ければ、確かに追い捕まるリスクは減る。
……そうであっても、運要素が強い逃避行だ。
戦い方を学んでいないだけで、仕込めば自衛を可能とする程に強くなるとは思うが――、
これは、伯父殿と、彼女を保護する森妖精が考えること。
「レプ兄お願い、ちょっとだけ!
水からあがる時は絶対ごねないし、数分で良いから!」
「…………帰ったら風呂と、自然乾燥とか言わず、髪をしっかり乾かすか?」
「する。約束」
「………………、」
まったく、仕方のないお姫様だ。
いいよ、折れてやろうじゃないか。
初めての友だちだもんな。
「……飛び込むのは、俺の合図を確認してからだ」
「うん!レプ兄ありがとう大好き!」
「はいはい」
この湖は、たったの数歩で深さを増す。
二人からは、俺が突然消えたように見えるだろう。
音は。陸より水中の方が速く遠くに届く。
“いつもの”で確認。
湖面の下に危険はない。
暗い水中をどうにかするために、一つ、二つ、と光源を撒いていく。
淡水を泳ぐ個体ではないが、まぁ、記憶にある群れを模した方が作りやすい。
水面に上がり、おいでと二人に手招きした。
魔法で作った光の群れが泳ぐ様は、水面からでも確認出来るはず。
この水中に、恐れるような闇はない。
「エレナ、水中でのレプ兄、すっごく大きく見えることあるけど、怖くないよ、大丈夫だからね。だってレプ兄だから!」
「うん、わかった」
初耳だ。人族の見え方は海妖精と違うのか、いや俺も半分人族ではあるし。
手を繋ぎ、せーので二人は共に跳躍。
派手に飛び込むのを確認し、また潜る。
元々透明度の高い湖だ。泳ぐ光源により、二人の顔ははっきりと視認できる。
派手に飛び込んでおきながら、その呼吸は安定していて、二人とも口の端しから少しずつ息をはきだしていた。
水中で話せるのは、海妖精と、特殊な技能をもつ者だけ。
彼女たちと会話することは出来ないが、その表情は――すごく楽しそうに見えた。
……海を懐かしんで作った光の魚の群。
フィオが喜んでくれたので、常用することにした魔法。
身体を沈ませながら、息継ぎのため水面に向かう二人を見上げる。
まぁ、もう少しぐらい、サービスしても良いか。
氏族名、オルカ。
揺らめく光で形作った、本来の大きさを縮小させたそれら。
戻って来た彼女たちに挨拶するよう触れさせ、その周囲を、穏やかに泳ぐ。
作ったのは俺だが、あのオルカの形、間違いなく幼馴染みを模していた。無意識の未練がましさを感じる。
海妖精、氏族オルカの、俺という命はあの日終わった。
終わった海妖精の命は、海に還元されるはずであるのに、……俺は、海で生きる者の道理から外れてしまっている。
でも正直、この生活は楽しい。
海に戻りたい気持ちより、村に留まりたい気持ちの方が強い。
魂こそ別の身体に入ってしまったが、俺の元の身体は海妖精の中でも大きな方だった。食べごたえはかなりあると思う。
栄養豊富である自信もある。
味は……あの死に方だ、保証出来ない。
さて、息継ぎも数回見届けたことだし、帰りましょうか。
あがるぞ、と合図を出せば、宣言通りごねずに頷いてくれた。
湖からあがった二人は少々興奮気味で、それほどまでに楽しかったのなら、とこちらも満足。
「水中で話せたら、もっと楽しいだろうになぁ」
「可能ではあるよ。海妖精の呼吸の仕方を魔法で補い再現すれば。
……実際、ミサさんは水中で俺と話せるし」
話せると知った時は、その多芸っぷりにかなり驚かされたが。
「私も……いつか必ず!」
やる気をだすフィオの横から……エレナ嬢の視線を感じる。
記憶において、水中で話す奇特な森妖精に出会ったことはないが、むしろあの時代に話しかけてくる森妖精は怖いまであるが、
「理論上は可能だと思うぞ。森妖精も、混血でもさ」
「はい!」
付け足すように言えば、嬉しそうな返事。察せてよかった。
「レプ兄、あのさ、今回初めて出してくれた、あの大きめの群。
何の種族か訊いてもいい?」
「オルカ。本物はもっと大きいよ。小さくしたのは、……怖がらせないように、だな」
「そっかあ。……でも、“オルカ”、大きくても怖がらないと思うよ、私」
やけに含みがある言い方だ。
湖からあがっての帰り道。
ずぶ濡れの二人を魔法で乾かしながら、その含みについて考える。
海妖精についての本でも読んだのだろうか。
オルカについての記述は俺も見たことはあるが、挿し絵のある本に覚えはない。
「海妖精は、森妖精と同じく、二つの形を持つと聞きます。
私はこの形だけですが、レプンさん、あなたの形はいくつですか?」
エレナからの質問。
試したことはあるが、そもそも姿を切り替えるあの感覚自体が消失している。俺の形はこの姿だけだ。
「一つだよ。変身出来る話を聞いたことがないから、混血は一つなのかもしれないな」
「私は、……羽の氏族だと。
この羽耳を持つ森妖精に、血の起源があるそうです。レプンさんは、己の氏族をご存じでしょうか」
俺はオルカだったが、身体については不明だ。この身体は歯以外ほとんど人族であるし。
「わからない。俺は親の顔を知らないし、爺さんに拾われた身でもある。
海妖精は基本誰しもギザ歯だしで、氏族特有の特徴もないんだ」
「……そうですか」
すすす、とフィオに寄っていくエレナ嬢。ごにょごにょと耳打ち。
まぁ、正直。
この距離であるし、俺は聴覚が鋭い。
ごにょごにょの内容は聞こえている。
どうも二人には、俺の身体に混ざる海妖精の氏族に心当たりがあるようだ。
「俺にはそうだと正解を示すことは出来ないが、別に、候補として挙げる分には構わないぞ」
顔を見合わせる二人。
口を開いたのはフィオだ。
「あのね、レプ兄。多分というか、もしかしたらそうかもって話なんだけど、
……ちょっと確信は持って言うんだけど」
「?」
「レプ兄の半分って、今日見せてくれた、オルカだと思う」
「……どうしてそう思った?」
「水中のレプ兄、黒くて目みたいな白い模様のある、すごく大きな生き物に見えることがあったから」
「見せて頂いた“オルカ”と形は似ているのに、その“オルカ”と比べ物にならない程、すごく、すごく大きく見えました」
「―――――――――、」
全ての息を出しきるかのように、吐き出すのはため息というより、自身の思慮の浅さによる、後悔、
まさか、まさか、
作った光のオルカに配色はない。
フィオは黒と白と言った。
魔力か?俺の魔力がそう見せてしまっているのか?
「……………………申し訳、ない、」
もれでる謝罪。
「驚いたけど怖くなかったよ!レプ兄だってわかってたし」
「です、です!」
こんな少女たちにフォローさせてしまっている。
水中という、陸で生きる者の領域外の場で、とんでもなく大きなオルカの姿を見ることは、多大な恐怖心を、与えたであろうに。
となると、ミサさんも同じものを見ているのでは?
そういえば水中で殺気を向けられたことが、が、
「あっ、あっ、泣かないでレプ兄。
怖くないよ、かっこよかったよ、本当だよ」
「私を一口で飲み込めそうな大きさでした、すごく素敵だと思いました」
「あー!だめだよエレナ、それじゃあ余計に落ち込んじゃう!
レプ兄、気を確かに!レプ兄~!」