12
「……この先、真っ直ぐに歩いていくと、自然区の湖が見える展望台があるんだ。
学生の出入りが無い日だから、きっと誰もいない。そこまで、……ついて来てもらっても良いかな」
弱々しく話すミトラの数歩後ろを歩き、その足取りの重さに追い付き、……結局、ミトラの右を歩く。
馬鹿をやったよな、と思った。
怪我するどころか、軽く命を持っていかれるような相手に喧嘩を売っていた。
後先考えず、感情で動くやつじゃなかったのに、どうして。
「……レプン、って言うんだね。君の名前」
「はい」
「……両親のこと、君は知っているの?」
「いいえ。……俺は孤児でして、親父に拾われる前の事は、ほとんど覚えていないんです」
「そっか。……海妖精の名付けは、強い海妖精の名をもらうことが珍しくなくて、
……君の名は、僕の親友と同じなんだ」
「……そうですか」
元々の、俺の名もそうだ。
死んだ一族の個体名を流用している。
海妖精の名は判断基準にならない。
こいつは俺のどこに、“俺”との関係を見出だしたのだろう。
「……反響定位の音って、そんなに似ているものなんですか?
氏族違いによる反響定位の違いは俺にも理解出来ますが」
「同氏族の個体判別、って意味かな?」
「はい。……氏族オルカは、希少種ではないと、聞いているので」
「そうだね。絶滅した一族もいるとはいえ、氏族オルカは希少種ではない。
反響定位の聞き分けは、……耳の良さも必要になるけど、」
――風が水源の匂いを運んできた。
展望台に辿り着くまで、ミトラは一度も俺を見ることはなかったが、
「身体が大きくて、音も大きくて、自分ばかり反響定位を行って。
自分だけに、敵視が向くように仕向けていると、気が付かないのかもしれないね」
自然区の湖が崖下に広がるそこで、柵にもたれたミトラと顔をあわせることになる。
眉を下げ、ミトラは苦笑していた。
「レプン、個体の音は唯一性をもつんだ。
僕のも、君のもね。親子だからって完全に同じとはならないんだよ」
「――!」
「僕の親友に隠し子がいたとしても、その子は海妖精。混血になることは絶対に有り得ない。
それこそ、海がひっくり返って空になってもね」
……おかしいと思ったんだ。
俺を知るお前が、海妖精と人族の混血相手に、隠し子なんて言い出した時は。
「…………あなたは、……俺が、死んだ親友と、……同一個体であると、言いたいんですか」
どう答えるのが正解かわからない。
もし、話したとして。
……海に生きる者のお前は、俺の存在を認められるのか。
死んでも海に還れなかった俺を。
「……せっかくの機会だ。僕と親友の話をきいてくれ。戦時中の話だ」
頷く。
俺も、言葉を探す時間がほしかった。
「――数千年ものの古代魔法が、王の城を護っていた。
寄れば、古代魔法による防壁の熱に、身体は焼かれ死に至る。
彼と僕は、その古代魔法を破壊することにしたんだ。
そうすれば、追い詰められ、捕虜と共に籠城した王を、引きずり出すことが出来るから。
僕は当時、第一王女の部下で、古代魔法の機構を調査出来る立場にいた。
結果的に言うと、方法さえ選ばなければ、古代魔法の破壊は可能だった。
古代魔法に術者はいない。
だから、触れることで魔力の方向性変えることが出来る。
魔力を逆流させる指示を出して、魔力が正常に通っていない状態を維持できれば、
古代魔法であっても過負荷で壊れてしまう。
あとは、過負荷状態になるまで、逆流指示を出し続けることの出来る、
――破壊までの間、意識を保ち、焼かれ続けることの出来る個体を、用意するだけだった。
レプン。君は、そんな個体が存在したと思う?」
「……………、」
答えない俺に、ミトラは消え入るような声で「いたんだよ、」と言う。
……そうだよ、いた。存在した。
身体が大きくて、体力があって、丈夫で、保有魔力も多い、氏族オルカ。
その強さから、王が絶滅においやった、カムイ一族最後の仔。“レプン・カムイ”。
「僕の親友は、第三王子の護衛部隊の隊長でね、部下もいたし、王子にも懐かれてた。
そんな彼が、古代魔法を破壊出来る可能性をもった、……唯一に近い個体だった。
彼、慕われていたから。
古代魔法の破壊のために命を賭けるなんて知られたら、間違いなく止められてしまう。
彼の部下だって、共に、殉じようとしてしまう。
だから、僕と親友、二個体だけの秘密だった。
万が一でも生き残る術はない。
命は古代魔法の破壊のために捧げられる。
僕だけが、親友が死ぬ事を知っていたんだ。
死ぬ事をわかった上で、送り出したんだ。
身体の芯まで焼き焦がされて、生きているはずのない状態でもまだ動く親友を――僕は、最期まで見ていたんだよ。
あとは、君も知ってるんじゃないかな。
海妖精、新たな女王就任の顛末だ。
人族にも、森妖精にも知られている」
ああ、知ってる。
……城に突入した第一王女の一派により、王は処刑。
王を信奉する氏族や一族は、王に殉じるか追放を選ぶことになった。
悪しき王は斃され、戦争は終結。
海妖精の領域には、新たな女王が就任した。
「僕さ、君の生活を壊したいわけじゃないんだ。君が望んで選んだ立場と場所を、奪うつもりはない。
頑張った君に“次”があったとしたならば、……幸せになってほしいじゃないか」
「………………、望むのは、それだけか?」
訊けば、ミトラはゆっくりと首を振った。
「望むものはあるよ。
僕だって君との秘密を守ったんだ。
守りきったから、君は誰にも邪魔されず、魔法を破壊できた。
僕は、……秘密を守れる証明をしただろ。
だからさ、わかれよ、……頼むよ。
僕には、誤魔化さず、話してくれてもいいだろ。
なぁ、レプン・カムイ」
その震えた声と、生前の記憶が重なる。
古代魔法の破壊を決めた時、ミトラは何度も俺を止めようとした。俺が止まらなかった。
俺は、こいつ一人に、俺の死を背負わせたのか。
「……死んだ、自覚はあるんだ。
でも、気が付いたら、この身体で生きていた。
記憶は、全部……残っていたんだ。
それなのに、俺はお前を探しに行かなかった。
死んだら海に還るのが海妖精なのに、俺は還ることが出来なかったから、
……資格がないと、……思って、…………ごめん、ミトラ」
ミトラは、「そっか」と呟き、
泣き顔でもなく笑顔でもなく、表情のないまま涙をこぼした。
「な、お、おまえ、ミトラ、大丈夫か、無の表情で泣くな、目が死んでるぞ!」
「……あー、ごめんね、僕、陛下に休養しろとずっと言われ続けているんだけど、何か仕事持ってないと逆にまずくて」
「………………、俺のせい、ですね」
親友を死地に送り出した上に、海中で焼死する様を見せられたんだ。
逆の立場なら、俺だって引きずる。
「いいや?そうすることを選んだのは僕だし、君が気にすることじゃない。
しばらくすれば元に戻る。この状態でも受け答えは出来るよ」
「………俺に出来ること、何かあるか」
「そうだなあ、君が僕の幻覚じゃない証明って出来る?」
幻覚、という単語に、昨日の、フィオからの扱いを思い出す。
「…………昨日も幻覚扱いされたんだよな。ここの学校に通っている、妹みたいな人族の子に」
「酷い個体だね、君。
稚魚みたいな年の子にそんな思いをさせて恥ずかしくないの?」
「ただの勘違いの結果だ、俺は悪くない。
それで、ほら、昨日の妹分みたいに、抱きついてみるか?幻覚でない証明に」
「嫌だけど?」
こいつに表情があったら、今絶対小馬鹿にしたような顔をしていたな。
「仕方のないやつだな。
ほら、手を貸してみろ。噛んでやる」
「……腕ごと噛みちぎっていかないよね?」
「そんなん出来るか。生前の十分の一ぐらいのサイズだぞ」
「もっと小さいよ。僕ら五十年は幼体だし、混血とはいえ、成長がゆるやかなんだろうね」
しぶしぶ出されたミトラの手を掴み、小指を一噛み。少し血が滲む程度だ。
海妖精には、王が臣下に己を噛ませる儀式がある。
種族上、咬合力が強い海妖精。
咬合で他者を簡単に食いちぎれるため、噛まれる王は臣下への信頼を、噛む者は王への忠誠を示す。
格式のない一般海妖精にとっては、互いの信頼を示す行為だ。
「うわ、本当に傷がある。
……そうなんだ、君、幻覚じゃなかったんだね。
昨晩の反響定位も一瞬だったから、いよいよ陸でも幻聴の症状が出たかと」
「……ミトラさん、その……いや本当に申し訳ないというか」
「謝らないでよ。僕、こんなんだけど、仕事は出来るんだよ。この町と姉妹都市提携の盟約をとりつけたのは僕だし。
陛下と一緒にさ、海妖精が陸と交流出来るよう、地盤作りに励んでいるんだ」
「……すごいな、お前が変えているんだな、海妖精の世界を」
「君を含めた、沢山の海妖精の犠牲で変えた世界だ。少しでも良くなってくれなきゃ、困るよ」
「…生き残った者ほど、苦労するよな。
……ミトラ、やっぱりさ、俺、」
「レプン、お腹空いてない?」
突然、俺の言葉を遮り、ミトラは不思議なことを言い出した。俺の返事も求めていないらしい。
止まった涙を拭き、ミトラが取り出したのは、謎の、……干し肉。
海妖精が干し肉?陸の食べ物だぞ?
ミトラから手渡され、俺の手には見慣れた保存食、干し肉がある。
「……海妖精が人族の携帯保存食を食べる時代になったかぁ」
「便利だよね、持ち運びが楽で。
塩はいくらでもあるけど、乾燥も燻製も、海じゃ出来ないからさ。
陸の調理法も悪くないと思うよ」
「あるものそのまま食べるが基本だもんな、海妖精」
もらった干し肉を噛る。
……海中で食べているような、懐かしい風味。
肉としての味は、……知らない味だ。まずくはないが、旨いと言うにはこう、何かあるような違和感がある。
「なぁこれ、何の肉だ?」
「君の肉だけど?」
さらっととんでないことを言いやがった。
「………………食べちゃったんだが?」
「腐らせてないから問題ないよ。保存状態に気を遣っていたし。
こんがりローストされた君の身体は切り分けられて、しっかり弔われたんだ」
こんがりロースト。
自覚的には黒焦げローストだったが、こんがりならまだいけそうだ。……いや、いけるのか?
「まだあるよ。はい」
追加でもらう生前の俺の一部。
まずくはないので食べはするが。
「……まさか自分の一部をお前と一緒に食べることになるとは」
「はは。もうすぐ食べきっちゃう所だったから、よかったね。間に合って。
どうせ、君も気になっていただろ?自分って食べられるような味なのかなって」
「それは、そう考えたことはあったにしても、……すごく、複雑な気分だ」
「これもさ、陸にはない弔い方だよね。
僕ら海妖精が陸と交流するには、文化の違いも壁になる。
死んだ人族の友達を食べだしたら、もう事だよ」
「遺体の損壊はご法度な所はあるなぁ、身内なら尚更」
「まったく、課題だらけだ。
でも、これは僕ら生き残った者が解決すべきこと。だから、君には関係ない。
レプン。海には戻ってくるなよ。
せっかく半分人族なんだ。次は陸で、まともな死に方をしてくれ」
「……いいのか、」
「君の生活を壊すつもりはないと言ったろ?」
ミトラは、その瞳の色と同じ、凪の穏やな海のような笑みを浮かべていた。
「わかったよ。……ありがとう、ミトラ」
俺も笑って、親友に頷き返す。
「――そろそろ戻ろうか、君を帰さないと。
未処理の書類があるから、担保に置いていった首と心臓を、取り戻さないとね」
「……お前な、本当に心配したんだぞ。
よりにもよって爺さんに喧嘩を売りやがって。もっと上手く立ち回れたはずだろ?」
来た道を、店の方へと歩き始めたミトラに並び、不満を言う。
こいつは、……爺さんに会わずとも俺を連れ出すことは出来たはずだ。
「君と話すより先に、知りたかったんだ。
君の選んだ居場所で、君が大事にされてるかを。
……試すような事をしたから、君の養父さんには謝らなきゃいけないね」
「バカ、二度と無茶するなよ。
お前が生きていてくれて、俺はすごく嬉しかったんだ」
「そうだね、僕も、……生きていて良かったよと思うよ」
それは、俺に対するものか、……自分自身に対するものか。……どちらも、だろう。
隣を歩くミトラを見上ると、ミトラもちょうど、俺を見ていた。
「……何で俺だとわかったんだ。
種族も姿も違うのに、俺はお前に、声をかける気もなかったんだ」
「幼体の頃からずっと、百年、君の隣を泳いでいたんだ。
君の気配ぐらいわかるよ、当たり前だろ」
……ああ、そうだったな。
最も長く俺と共に生きたのは、お前だった。
――と、ちょっと心にきた所で、真相が小言と共に披露された。
「君さ、生前の君。
自分の身体の大きさをなかなか把握してくれないから、ぶつからないように僕が避けて泳いでいたんだ。
もう慣れだよ慣れ。無意識に避けられるようになってて、君の前を通った瞬間、僕、すっと横に避けたんだよね。自分でも吃驚だよ。
僕に無意識避けさせるのなんて、君しかいないんだ」
「……っ、そうかいそうかい!
すみませんでしたね俺が大きすぎたばっかりに!」
「やっと言えた、すっきりだよ。
今は小さいから問題ないけど、これから大きくなるんだし、人にぶつからないよう、今度は自分の幅を考えて泳ぐんだよ?」
「わかったわかった。……くそ、ちょっと泣きそうになったのに」
「君、鈍感なくせに涙もろいところあるよね」
「鈍感じゃないが?」
「口では何とでも言えるか」
「くそっ、これから証明してやるから、見てろよな」
そう言えば、ミトラは立ち止まった。
どうしたんだと俺も立ち止まり、波揺れる、青の瞳を見た。
「……君、また僕と会うつもりがあるのか」
「そりゃ会うだろ。お前が自分で秘密は守れるって言ったんじゃないか」
「…………、確かに言った、けど。
……僕、また君に振り回されるってこと?」
「俺も振り回されてやるから。良いだろ?親友」
「……仕方がないな、本当に」
昔のように笑い合って、俺たちはまた、共に歩きだした。




