11
前世の俺には、幼馴染みの男がいた。
氏族オルカ。幼体からの付き合いで、俺の一番の理解者だった。
――その、知った顔の海妖精は、記憶にある幼馴染の顔をしていた。
海妖精の王族の安否は知っていた。
情勢に大きく関わる事だ。海から遠い村にいても、噂として耳に入る。
だが、身分があるわけでもない海妖精一個体の安否なんて、それこそ、海で訊き探すしかない。
俺が死んでから八年……いや、九年近くなる。
当時、幼馴染みは第一王女の配下で、事務官をしていた。
海から離れたこの地にいるということは、第一王女――現女王の元、外交官として働いているのだろう。
通りの端に移動し、足を止め、顔を伏せた。
マフラーに触れ、口元が隠れている事を確認し、すれ違うその時を待つ。
俺は姿を変えている。
幼馴染みに俺がわかるはずもない。
声をかけるつもりだってない。
耳を澄まし、捉えるのは、海妖精の足音。
残り五歩、四歩、三、二、一、……すれちがって、終いだ。
――お前が生きてくれていて、嬉しいよ。
ミトラ・レジス。幼馴染み。俺の親友。
お前に、俺以上の幸福を願、……待った、続く足音が無い。
おいおい、何で足を止めている。
どうして視線を感じるんだ。寄ってくるんじゃない。
「………………君、海妖精?」
何でわかるんだ。
歯さえ見せなければ、俺は人族のそのものの姿であるはずだ。
警戒しながら顔をあげる。
俺を見下ろす海妖精の顔には、困惑が浮かんでいた。
「突然声をかけてごめんね、……海妖精かと思ったら人族で、驚いてしまって」
「……人族との混血です。外見特徴は人族に寄っていて」
久々に間近で見ることになった海妖精の目が、幼馴染みの物になるとは。
海妖精の目は、人族や森妖精と異なる配色をしている。
白と瞳の色の組み合わせが人族と森妖精なら、海妖精の組み合わせは黒と瞳の色だ。
「なるほど。口元を隠してるのは、歯が海妖精なのかな」
「はい」
「……質問責めになっちゃうけど、
海妖精のはずなのに、海の匂いがほとんどしないから、……その、体調は平気?
君の姿は、人族に溶け込むことは出来るけど……海で生きるには大変だろうと思って」
――なんだ、こいつ、……そういうことか。
単純に、同族だと思って、心配して声をかけたのか。
海妖精は海で生きる存在だ。
人族や森妖精がずっと海中にいられないように、陸地での活動は可能だが、体力魔力ともに消費する。
海妖精の排他的で暴力的な歴史を考えると、人族の姿で海にいることは酷く目立つ。
海産物の流通が少ない理由でもあるし、海妖精の前に現れた他種族なんて、何をされるかわからない。
だから気にしてくれている。
海に入れず、無理をしているのではと。
「人族の血が濃いようで、海に戻らずとも、体調に影響はないんです」
「それなら良かった、安心だね」
そう言い微笑む幼馴染みは、……海妖精であるのに、匂いが薄い。
交易品を置く店が濃すぎるのか、……いや、
「……あなたこそ、ほとんど海の匂いがしない」
「僕は人族に混ざって働いているから、何かと気を遣うことが多くてね。
ただでさえ、この外見で怖がられてしまうから。
目もね、君に、久々に合わせてもらえたよ」
歯以上に、海妖精の目の配色が人族や森妖精に恐れられると、話には聞いていたが。
「大変ですね。凪の海の色を怖がるなんて」
「……ありがとう、そう言われたのも久々だ。
ところで、学生が出歩ける日でもないし、君、観光客か何かだろう?親御さんは一緒?」
「はい。親父がちょうどそこの交易品を卸す店で、酒を選んでいる所です」
「海妖精?」
「人族です」
「それは――嬉しいな。
僕らの領域の飲食物は、人族にはちょっと敬遠され気味で。
ちょうど店にも用があったし、挨拶したいな。君も一緒に、お願いしていい?」
お願い、にしては自然に腕を取ってくる。
……断る気はなかったにしても、その頷くことを強制させるような強引さは、少し気になった。
「……わかりました」
海妖精に連れられ、俺は店へと戻る。
警備隊の青年が「ミトラさん!」と幼馴染みの名を呼ぶ。
俺は腕を引かれたまま、奥へ。
ミトラは何も言わず、爺さんの姿を、顔をじっと確認して、
肩越しに振り返った爺さんは俺を見て、口角をあげた。
「なんじゃあ、レプン。子どもでもあるまいし。
“怪しい大人にはついていくな”と、今さら教わる気か?」
――まずいな、勘違いされている。
とりあえず腕を放してもらおうと、見上げたミトラの目は瞳孔が開ききっていた。
それは、気が立った海妖精特有の、
「ダハーカさん、失礼ですよ。この方は外交官の、」
爺さんは青年を制するように手を上げ、ミトラに向き直る。
「お子さんは――息子さんは、実子ではない。そうですね?」
「さあな。そうだとしても、お前に何一つ関係あるまい。――なぁ、海妖精?」
まずいまずい。爺さんの目付きが変わった。
腕を振りほどこうとしたが、逆に引かれ側に寄せられる。
馬鹿、お前何を考えている。
「あります。答えて下さい」
「ふぅむ、」
「実子じゃない、養子だ。
答えたぞ、これでいいだろ?
喧嘩を売る相手を間違えるな」
ミトラは俺を見、また爺さんに視線を戻す。腕を掴む力はさらに強まった。
「わしの倅は、なんでか穏便にすませたいようだ。その意思を汲んでやりたいが……。
困ったのう、お前さん、このまま倅を拐っていってしまいそうじゃ」
「……少し、彼と二人きりで、話をしたいだけです」
「断る。
それに、なあ。昨晩、反響定位を使った海妖精はお前だな?」
昨夜の、あの反響定位はお前だったのか。
……でも、お前だったなら尚更、戦争を経験したお前が、反響定位を簡単に使うとは思えない。
反響定位を使う危険性は、死を伴って、何度も見てきたはずなのに。
「彼の音は氏族オルカのもの。確かに僕は、……彼を探しました」
「ほお、反響定位を使った者を探す。
この意味を、海妖精のお前にわからんとは言わせんが、……さて、探して何をする気だった」
「………………、」
「わしは気が短い。言わんのなら、お前の首、」「親父!!」
やめてくれ、先は脅しでも聞きたくはない。
「……親父、やめてくれ。俺は大丈夫だ。……あんたも、頼むから放してくれないか。逃げはしない」
「……………、ごめん」
腕は解放されたが、俺はその場から動かない。逃げる気はない、自分で言ったことだ。
「……反響定位の音は、個体の癖が出ます。
彼のそれは、……戦争で死んだ、親友の反響定位の音と、………」
「――で、なんじゃ?」
「彼は、僕の死んだ親友の隠し子です。
お願いします、……少しの時間だけで良い、話させていただけませんか、確かめたいんです」
「確かめて、そうだったのなら、お前はどうする?海の底にこやつを連れていく気か?」
「………………、」
「認められん。話したいことがあるならここで話せ。お前は信用出来ない」
「お言葉ですがっ、間に入り申し訳ありませんが!」
突然、ぎゅっと目をつぶった青年が、ミトラと爺さんの間に入る。
「個人情報を知ることは、知った者に責任を負わせます!
この場には店長が!民間人がいるんですよ!
あなた方の話は“こみあっている”!
絶対に、確実に、関係のない我々が聞くべき話ではありません!
だから別室に!どこかゆっくり話し合える別室でお願いします!」
言葉尻は震えていた。
間に飛び込み割って入るとは、……俺とは比べものにならない程、勇気がある。
それに、正論だ。
「……うむ、一理あるな!」
「ははっ……一理どころじゃない、十理ぐらいあるよ。俺が話して止めるべきだったのに、申し訳ない」
「別室、手配します?」
おそるおそる目を開けた青年に、俺は頷き、
「いいや、いらん」
「爺さん」
「いらん。わしはまだ酒のアテを選んでおらんのだ。
――レプン、お前、自ら選んでこやつの側にいたな。お前が望むのなら話してこい」
「……わかった。行ってくる」
「海妖精。わしの元に帰すと約束出来るか?」
「はい、必ず。この首と心臓を賭けます」
「ならいい。行け。
――店長、貝じゃ、わしは貝が気になるぞ!
若いの、お前さんも、わしが好きそうなものを教えてくれ。
金ならあるぞ、こんな時にしか使わんからなぁ!」
言うだけ言って、爺さんは俺達に背を向ける。
俺はミトラの手を引き、店の外へ連れ出した。