10
「さすがに次の休日まで滞在するわけにゃいかんからなあ」
学生は休日のみ、商業区への入場を可能とする。そして、次の休日は五日後だ。
遠方から来た家族と遊ぶことを、特別な事情扱いするわけにはいかない。
何事もなければ、次に会うのは村でとなる。
門限のため寮へと向かう二人とは笑顔で別れた。
フィオはもう大丈夫。エレナだって。
商業区で迎える夜。
宿は一部屋、爺さんと同室だ。
明日は半日、商業区を観光、という名の物資調達。
商業区には、学生の立ち入りを禁止している区画があるそうだ。
高価、危険物、酒等、学生向けでない商品の購入が出来る。
「……………、」
開かれた窓。俺は窓台に座り、静かな風を受けながら夜空を見ていた。
薄い雲の向こうから、細い月明かりがおりている。
この通りは宿泊施設が多く並んでいるらしい。
似たような看板と、窓の形の灯り、窓の形の暗闇がある。
通りの向こうは、わからない。
視認出来ない。
あの路地の陰も、見えない。
暗闇の形の、窓の向こうに何があるのかも。
――ああ、困ったな、わからない、
「おいレプン!」
「うあ!?」
爺さんに腕を掴まれ、窓から落とされるように部屋に引き込まれた。
我に返り、自分が何をしようとしていたかを思いだし、唸る。
「……出てた?」
「一つ分だけだ」
「……くっそ、朝から一度も使ってないから、我慢出来てたと思ったのに。
ごめん、止めてくれてありがとう」
我慢していたのは、反響定位だ。
これまでどこでも好きなように探査していたが、ここは魔法学校。
村の周囲とは比べ物にならない程大きな町だ。そして人も多い。種族氏族も多様。
村では皆の厚意で許されていたが、本来、海妖精の使う反響定位は索敵用。
そんなものを町中で垂れ流せば、聞こえる者程警戒する。
町のルールとして、『反響定位を行ってはいけません。』なんてものはないが、そも、民間人には聞こえない音だ。
聞こえないものを規則にいれると、次は海妖精への余計な恐れを生む原因になる。
音の波一つ分で止めてもらえてよかった。これならうっかりや気のせいで通る範疇だろう。
「完っ全に無意識だった。なんでわかったんだ?俺、黙って外を見ていただけなのに」
「そりゃあお前、」
――その時、感じた。
聞こえた、音の波。
反響定位だ、俺にぶつかった音が、何者かの元へ戻っていく、
瞬間、すぐ側で爆発、したと思った程の爆音に息が止まる。
吹っ飛んだ思考、すぐに戻った理性。
隣を見れば、爺さんは得意気に笑っていた。
手は合わせたままだ、――一回手を叩くだけで出せる音かよ、これが。
「 ?」
爺さんが何か言っているが、聞こえない。聴覚は爆音で機能停止中。
目眩も少し、口の動きを見逃してしまった。
とりあえず自分の耳を指さし、首を横に振って、聞こえないことを伝える。
“耳をやったか!すまんな!”
爺さんが言う。
構わない、とゆっくり首を振った。
……正直、爺さんが動いてくれて助かった。
爺さんのこれは、一種の反響定位対策。
拍手一回、その音の範囲に散らした細かな魔力は、音の波を返さない。音を飲み込んでしまう。
反響定位の仕様上、戻る音が無ければ把握できず、一度の音の波で全て把握出来るものでもない。
わざわざ、音を出したのは。
音を鳴らさずとも、魔力を散布することは出来る。にも関わらずの爆音は、
――嗅ぎ回るのならこちらから出向く、という爺さんからの警告だ。
反響定位は、音の波を継続的に流しているために、広がる音の中心に使用者は必ず存在する。
視界外の情報を得る対価は、己の位置情報だ。
戦いなら、真っ先に落とす対象になるのが、反響定位を使う者、使える氏族。
あれは海妖精が使う音だ。
爺さんの警告は理解できるはず。
「……この町の自警団が、……俺がぽろっと溢した音を不審に思っての探査だったのなら、申し訳ないな」
「有り得ん。これだけ大きな町だ、人も多い。
緊急事態の騒がしさもなし、わしみたいな者に当たれば“事”じゃぞ」
「……そうだな、そうだった」
反響定位は索敵。視認外の距離から敵認定してくる可能性があるなら、警戒を……通り越す可能性だって。
「レプン、耳は大事ないか?」
「問題ない。この通り聞こえてる」
「ならばよし。……しかし昔の、お前がちぃとばかし不安定だった頃を思い出すな。
こうして聴覚を無理やりぶんどっていたら、それを見たディーにぶん殴られた」
その時の傷が、爺さんのこめかみに残っている。
当時の俺は、意識を失って目覚めたらこの身体という謎現象と、己の死の記憶に地続きにある意識のため、……恥ずかしながら、不安定だった。
だが、爺さんが大味な保護者だったために、早い段階で安定。
しかし大味すぎたために、激昂した村長役の先生に殴られていた。
爺さんの対応は的確だったが、俺の事情を知らずにいると、爺さんが子どもの耳を故意に破壊したことになる。
聴覚の機能不全は一時的なもので、……当時の俺は聞こえない方が安定した。
事情を知っても別のやり方があると先生は怒り、……一時的にとはいえ、爺さんと先生の不和の原因となった俺、申し訳なく思っている。
「その……ごめんな。当時のそれも、――“今のも”。俺がまずいことになるって察知してのことだろ?」
「……いい、いい。
謝るな、わしが勝手にやったことじゃ」
「そういえばさ、爺さん。聞きそびれた、気付いた理由、教えてくれよ」
「……嫌じゃ」
「なんでだよ、言いかけてたじゃないか」
「気が変わった。嫌じゃ。
わしは寝る、お前も寝ろ。明日は酒を物色する楽しい観光の日じゃぞ」
……気が変わったのなら仕方ない。
俺も寝るかと思ったが、何か忘れているような気がした。
その何かは、すぐに判明する。
――反響定位が聞こえる者は限られるが、爺さんが出した爆音は周囲一帯に轟いていた。
もちろん通報祭だ。
巡回中の警備隊の耳にも届き、やれ爆発事件だ、事故だと大騒ぎになった。
本当に申し訳ない発端は俺です。
そして、爆音の元と思われる建物の宿泊名簿には『グラン・ダハーカ』の名。
警備隊に爺さんの経歴を知ってる者も多く、聞き込みのため部屋を訪れたのは町の警備隊の隊長だった。
過去英雄とも災厄とも言われていた爺さんを前に、毅然としながらも死を覚悟した顔で、俺は、俺は……!もう本当に……何と言ったらいいか……!
「虫が飛んでいたから、つい。パンと」と謝る爺さん。
その虫、一切の痕跡残さず消滅してない?
「よし、証明してやろう」
「!?――待っ、」
実演する爺さん。爆音。
爺さんに近い警備隊隊長の耳を守る俺。
また耳をやられる俺。
「 、 ……」俺に謝る爺さん。
腰を抜かした警備隊隊長、震え上がる外で待機していた警備隊隊員達。
申し訳なさで倒れそうな俺。
厳重注意の後、警備隊側で内々に処理されることになった。
本当に、本当に……申し訳ございませんでした。
×××××
翌日。
商業区にて、観光のいう名の物資(主に酒)調達をする俺達には、案内人が付いていた。
警備隊所属の、人族の青年だ。
この青年、どうやら昨夜の顛末も、爺さんについても知らないらしい。
お願いですから一人つけて下さいと頭を何度も下げる隊長の横で「任せて下さい!俺ここでガイドのバイト経験があるんです!」と笑顔を輝かせていた。
騒ぎを起こした引け目もあり了承し、――これが大当たりというか、この青年、かなりの情報通だった。
「ダハーカさん、海妖精の女王が外交に積極的だという話、ご存知ですか?」
「うむ。確か人族のいくつかの国……この国とも、協定を結んだと聞いたな」
「そうなんです!それでですね、実はこの町、……姉妹都市提携を結んでいます」
「!!――まさか、闇市に出回るような粗悪品ではない……!」
「はい、純正の本物!海妖精の領域原産の酒が!交易品として卸されています!
案内しますね、こちらです!」
これには爺さんにっこりである。
先導する青年と、うきうきの爺さんの隣を歩く俺。
道すがら、店を前に並ぶ商品を眺めながら、……海妖精か、と思う。
女王就任からの情勢は噂で聞いていた。
女王の、その軌跡を実際に目にするのは始めてとなる。
海妖精の領域は、何百年も閉じられていたせいか、内で喰い合う歪んだ世界になっていた。
他種族と秘密裏に交流を計る者たちはいたが、王に知られれば、一族ごと抹消される世界だった。
それが――今の、これだ。
……自分がやったことは無駄ではなかったと、そう思える。
「となると、この町にも海妖精が?」
「はい!外交官が在留していますし、留学生も何人かいますよ」
「ふむ、その外交官とやらの氏族は?」
「それはー、個人情報なのでお答えできません。
訊けば答えてくれる方ですから、見かけたら訊いてみましょう!」
俺も気になって訊いた口です、とにこやかに続ける青年。
視線で爺さんを確認。――だよな、わかるよ。俺もこの人族の青年が気に入った。
「あ、ここです。……ところでダハーカさん、懐の方は……暖かですか?」
「ふふん、熱々のグツグツじゃ」
海の匂いのする店の前で、青年はにこりと笑い、扉を開けた。
「それを聞けて良かった。
――店長!太客です!お酒の在庫、秘蔵酒まとめて出して下さい!」
濃い匂いと、懐かしいものが並ぶ店内。
店長と呼ばれた人族の男の目は、爺さんを見てぎらりと輝いた。
早足で爺さんに近付き、一礼。
「お客様、奥のテーブルへ。
完全正規品、流通前のレア物含め、全てお出しします」
「うむ!――ああ、そうだ、レプンよ。
たまにはお前も混ざれ、いけるだろ?」
来い来い、と奥へ向かいながら手招きする爺さんではあるが、俺には根の真面目さが好印象な警備隊の青年がついている。
「ダハーカさん、未成年の飲酒はちょっと」
「ふっふっふっ、実はこやつ、童顔なだけで案外年寄りなんじゃぞ」
年寄りではある。
童顔はその……はい、海妖精の成長の遅さがでている。
「なっ……レプンくん……いや、レプンさん……俺二十三歳……君は?」
「暫定です」
その末尾に零を足した数より上だったりするが。
「十八!?見えな……失礼、予想よりは上ではあるけど、……この町は、国ではなく学校の規則を元に運営されています。
よって、許可できません、だめです」
「だそうだ。少し外を歩いてくるから、ゆっくり選んでくれ」
「厳しいのお」
残念そうではあるが、酒を前にすれば機嫌も戻るだろう。
ここは海の匂いが濃い。苦手ではないさ、馴染み深いものだ。
青年に爺さんを任せ、店をでる。
来た道を戻るも良いが、先を進むのもありか。
悩む視線を先の道へと向け、瞬間、息が止まった。
海妖精がいた。
知った顔の海妖精だった。