01
はるか昔、海妖精の王が諜殺されたことをきっかけに、美しい海は血で濁り続けることになった。
過去の話だ。
王位継承を巡る戦いの終結から、七年。
第三王子の派閥に属していた海妖精が命を落とし、七年。
死んだ自覚はあったのに、海を漂っていた人族の亡骸に魂が入り込んでしまい、人族の身体で生きることになって、七年。
死んだ海妖精こと俺。個体名レプン。
多分人族。暫定十七歳。
現在人族として、穏やかで緩やかな二度目の生を歩んでいる。
「レ、れ、レプー……!」
外の朗らかな陽気をかき消すような切羽詰まった悲鳴。
店に戻れば、店主であり俺の養父でもある爺さんが、おかしな姿勢で腰に手をあて、ふるふる震えながら静止していた。
「まずい、まずいぞこれは」
「……もしかして、腰をやった?」
「ぐ、わしは、……わしはもう駄目だ。ここで終わる。
さらばだレプン。この店はお前に託、わしに近付くんじゃなーい!触るんじゃない振りじゃないぞあああ!」
今生の別れみたいな事を言い出した爺さんに、ため息一つと同情を向け近寄れば、盛大に拒否された上の絶叫である。
拒否されようとも、店のど真ん中だ、こんな所で叫ばれても困る。
「出来るだけ動かさないようにはするけど、診療所と自室、どっちだ?」
爺さんに人差し指を向け、ぐるりと円を描いた。次に指を弾き、魔法を発動。
現れた水塊が爺さんを支え、
「あんぎゃー!!!!!部屋に!部屋のベッドまで頼ぐあー!!!」
まるで断末魔だ。叫べるうちはまだ元気だと思いたい。
爺さんを水塊に乗せ、店の奥、爺さんの寝室へ連れていく。
「そっと、そーっとだぞ、」
と言う爺さんの要望通りにそっと横倒しにし、ベッドに着地させることに成功。
追加の悲鳴はあがったが、一応、ほっと一息。今生の別れにならなくて良かった。
「ぐう……なんということだ、不甲斐ない……このわしがぎっくり腰になんぞに……」
水塊は解かず、このまま爺さんのクッションになってもらうとして。
早い時間にはなるが、店じまいと、診療所の先生に爺さんの腰の相談に行くか。
「じゃあ俺、店閉めてくるから、安静にな。何かあったら水塊に呼び掛けてくれ、聞こえる」
「ぐぬぬ……、」
己への不満と痛みの混ざる呻きを聞きながら、店の方へと戻る。
客はなし。
扉を施錠し、防犯用に魔法も少し。
扉にかけられた看板を裏返して、外から『閉店』の文字が見えるようにする。
カウンターの内側に貼られた依頼書の中に、新規または急ぎのものがないかを確認。なし。
店内を歩き、在庫を確認。煎じ薬や軟膏の在庫が心もとない。
解毒薬と保存食も減っている、となると、山に入った者がいるようだ。
この村は、山越え前の最後の補給地。
人族の王都に向かう整備された道は、各所に関所が設けられている。魔物はなく安全ではあるが、通行税の支払いは必須だ。
よって、税の節約か、素性を明かしたくない者は、関所を避け山越えを選ぶ。
王都さえ目的地でなければ、関所を避けることは容易だ。道は多い。
そう険しい山でもないが、備えをないがしろにしない客のためにも、在庫の補充は欠かせない。
――発注書を作成、村の薬師に届けよう。
店についてはこれでよし、診療所に行こうか。
カウンターの内から店の奥へ。
爺さんの部屋の前を通りすぎ、裏口から外へと出る。
……平和な村ではあるが、一応、外の者が利用する、村唯一の雑貨屋だ。施錠と、防犯のために魔法を少し。
店舗兼住居の我が家を外壁に沿って一周。
異常無し。防壁の魔法を少し。
……今の爺さんは幼児にも負けそうだ。
迎撃用の魔法を少しだけ。
満足した俺は、診療所へ歩を進める。
その道中、人族の身体でも抜けない癖が、朝の日課を再度行った。魔力を音に変化させ、垂れ流す。――反響定位開始。
爺さんが動けないからと、警戒してしまっているのかもしれない。予
想通り、異常はなかった。
――到着前に、先生その人が診療所から出てきた。
診療所を閉めるにはまだ早い時間だ。
爺さんのように、村の住人に何かあったのかもしれない。
「先生、往診ですか?」
「ん、ああ、レプンか。
往診の予定は無いんだが、早朝から薬草摘みに出掛けたミサが戻らなくてね。様子を見に行こうかと」
ミサ、この村の薬師にして、先生の孫に当たる若い女性だ。
日が暮れるまでまだ時間はあるにしても、早朝から出掛けたとならば――彼女は寄り道するような人でもない。
確かに帰りが遅いが、……あのミサさんだ。
心配するような相手じゃない、いや、彼女のような女傑をか弱い孫娘と扱う人なので、心配は仕方のないことだ。
薬の発注を請け負うのも彼女であるし、
「俺が探しに行っても良いですか。彼女にはうちで取り扱う薬の発注もあるんです」
「そうかい?すごく助かるよ。
君は探し物が上手だからね。いつもの場所周辺にいると思う」
「その代わりに、と言うのも申し訳ないんですが、爺さんが腰をやってしまいまして。
念のため診てもらってもいいですか?」
腰、という単語に、爺さんの旧友である先生は悲しげに天を仰いだ。
「ああ、私たちもついにそんな年になったか……」
「そんな年になっていますが、長生きしてもらうつもりです」
「そうだな、そのために爺の腰を診てやろう。年の自覚をさせんといかんしな。
孫を頼むぞ、レプン」
「はい。あ、そうだ。店は閉めているので、裏口からお願いします。鍵は……今開けました」
指を弾き、裏口の魔法ごと解除。
「……重ねて、助かるよ。君の防犯意識は高すぎて私の手には負えない」
「ご謙遜を。では、行ってきます。
爺さんをよろしくお願いします」
一礼し、踵を返し、次は山へと向かう。
ミサさんを探しに行こう。
先生が言ういつもの場所といえば、薬草の群生地だろう。
道中、魔法で音をこぼし走る。反響定位開始。
海妖精時代と同じ、反響音での探査は、人族の身体でも問題なく行えた。
両足で陸を走るのは少し違和感があるが、水中では感じられない風は好ましく思っている。
――と、反応が一つ。
木の足元に籠と、中には薬草がある。
付近に持ち主の姿はない。
足跡を複数見つけた。
血の匂いはしない。倒れる物体もない。
籠を抱え、耳を澄まし、音をこぼす。
少し、距離があるが、――先に、複数。
もう尾鰭はないのに、尾を振ろうとする自分に呆れつつ、音を出すのを止めた。
俺の音は、相手によっては聞こえてしまう。
いた。山の中腹。
しばらく前に殲滅された魔物の巣穴の前に、見知らぬ人族の男が五人。
巣穴の中には、縛られているミサさんと、知らない顔の人族が二人。
男が一人と、あの体格、子どもだろうか。どちらも非戦闘員に見える。
ふむ、どうしようか。
見たところ、山を根城にしようと企む野盗集団のようだ。
情報収集力が足りないというか、噂を一つも耳にしなかったのかと甚だ疑問だ。
的は手練れにも見えないし、ミサさんはおとなしくしている。
とりあえず状況を訊こうと、地面に水を這わせ、巣穴へ到達、ミサさんの足先に触れさせた。
足元を堂々と這う魔法に気付かない野盗の鈍感さに呆れながら「ミサさん」と呼ぶ。
『レプくん、全員仕留めたいけどなかなか集まらないから、残り二人、探してくれない?』
さすが、話が早い。
俺の存在に気付き、おとなしく捕まっている理由と、俺への指示を出してくれた。
ミサさんの側で縮こまっている二人について言及しない以上、問題なく保護できるのだろう。
「仕留めます。任せて下さい」
探し物は得意だ。
その場を離れ、――ミサさんが動いたのぁろう。人族の悲鳴を聞きながら、反響定位を再度開始。
なんだ、すぐ近くにいるじゃないか。
悲鳴を聞かれて逃げられても困る、早急に処理しよう。
見付けた人族の男は、二人並んで歩いていた。
ずっと抱えたままだったミサさんの籠を下ろし、代わりに使い慣れた短剣を持つ。
人族はだらだらと巣穴の方へ進むが、合流は叶わない。
背後に回り込み、首に一線。残った一人も首を狙った。
柔らかすぎる、なんとも呆気ない。
せめて俺の手持ちの刃物が通らないよう、厚く堅くした首の皮を持っていれば良かったのに。
この山で盗賊行為をする強さも覚悟も足りなかったな、と思う。
魔法で穴を掘り、物言わなくなった人族を埋める。よし。
巣穴に戻ると、ミサさんもちょうど埋葬を終える所だった。
どんな者であっても、亡骸を辱しめることはしない。俺も埋めたし、ミサさんも埋める。
海と同じだ。この骸は、より小さな生き物の糧となる。
「帰りが遅いと先生が心配していたんです。それで俺が代わりに」
薬草の入った籠を手渡し、俺がここに来た理由をのべれば、人族の成人女性であるミサさんは、困ったように笑った。
「まったく、相変わらずの過保護ね」
「ですね。……でも、気持ちはわかります。
成長しようとも、幼い頃の姿を知っている以上、保護欲が抜けないというか」
「ふふ、また年不相応なことを言って。
あなたの成長を知っているのは私であるのに、時々、あなたは私より年上なんじゃないかと思ってしまうわ」
「はは、そうだったりして」
「あら、だめよ。年上なら、あなた、私の好みになっちゃうじゃない」
額を小突かれ、お互い笑いあう。
人族の美しい彼女。好みは年上の強い男と公言している。
光栄なことに、俺は強いと分類されるらしい。
しかし残念ながら、人族の身体の年だと、彼女のお眼鏡には叶わないようだ。
中身自体は、……自覚している年齢は三桁になる。しかし海妖精は人と比べ長命であるし、成長も緩やかだ。
その成長を人族に換算し考えてみても――やはり年上だ。
老年期には入っていなかったが、青年期は終えていた。好みには当たると思う。
……なんて、な。
前世と地続きにある記憶。
人族の子扱いを受け入れた結果だろう。
俺はものの数年で、思考が身体に寄ってしまった。
時々、自分は変態なのかもしれないと思う。年を考えて思考してほしい。
「あ、そうだ。薬の発注があって。店の在庫分です。ここでお渡ししても?」
「いいわよ。……うん、素材は切らしてないから、すぐにでも納品できるわ」
渡した発注書を胸に挟むのはどうかと思うが、在庫問題は解決。
さっさと山を下りて爺さんの様子を見て、……夕食は何にしようか。
「あのっ、すみません!……この度は、助けて頂き、ありがとうございました」
捕まっていた二人、その内の年長者に声をかけられた。
俺の関与といえば、ミサさんの後始末の終わりを見届けただけにすぎない。
助けるような姿を見せてはいないが、
「私が言ったの。あなた方が寄った村の、雑貨屋の息子だって。
ほら、残りのお片付け、あなたが担当してくれたから」
「ああ、それで。……こちらこそ、ご来店ありがとうございます。無事で良かったです」
「いえ、いえ!本当に、お二人がいなければどうなっていたことか」
「そうですね。二人そろって戦闘訓練を受けていない上に、護衛なしの山越えは無謀が過ぎます。
ちょうど魔物がいなかったのは、こちらの彼女が先日討伐したからです。
重なる運で生き延びたことを、当然と思わぬよう」
「レプくん、厳しいわね。確かに同感ではあるけれど。
……本当にたった二人で山越えを?
お話した町まで、無事にたどり着けるとは思えませんが」
「……ごもっともです。ですがこちらにも、込み入った事情があります。
信用できる護衛を雇うツテも、金に物をいわせるような財力もない。
運が重なることを祈り、進むしかないのです」
込み入った事情は、男の後ろで俯く少女の件だろうか。
うちの村にも、込み入った事情をもつ女の子がいる。
ちらりとミサさんを見れば、ちょうど彼女も俺を見ていた。……すぐに視線をそらす。
爺さんが腰をやったんだ。俺には店と爺さんを守る義務がある。
見ないでくれミサさん、視線を外して……ん?増えたな、視線。
「……あなた、海妖精」
顔をあげた少女が、何故か俺をじっと見ている。男は少女と俺の顔を交互に見ていた。
「どうしてそう思うの?」
ミサさんの問いかけに、少女は深々と被っていた外套のフードを外し、その特徴的な羽耳を露にした。
……人族ではない、森妖精か。
「彼からは、海の匂いがするの」
「エレナ、そんな不用意に!」
「あら珍しい、森妖精ね。
道理で……確かに護衛には気を遣う。
向かう町には、……ああ、目的は、森妖精の大使館」
「……はい。彼女は、私の妹が産んだ子です。
父親の事を語らないまま妹は早世し、私は姪と、故郷の村で静かに暮らしていました。
しかし、成長につれ、森妖精の特徴が身体に現れ始め……村でも騒ぎになり、こうして逃げてきたのです」
男は項垂れ、込み入った事情を語った。
どうやらこの男は、姪を売り富を手にすることより、生活を捨て姪の安息の地を求めたらしい。
森妖精は、その整った外見から人族の好事家に人気がある。
少女は森妖精の血が濃く出た混血だ。
純血の森妖精と違い弱いとされ、半分は人族であるために、不当に扱おうとも種族間の問題にならない。
どの種族にも、混血を同種と認めない層はいるものだ。
非道な所業が公になっても、無かったことにされるだろう。
しかし、これ程までに森妖精している少女を連れ、よく山越えまでたどり着けたな。
「ねぇレプくん。あなた、これで『はいそうですか、サヨナラ』って出来る?」
「…………そうしたいんですが、そう出来ないから、視線を必死にそらしてるんです」
少女は俺から視線を外さない。
瞬きの間に逃げ出してやりたいぐらいだ。
……まったく、わかった、わかったよ。
季節外れの薄手のマフラーに手を掛け、ずらし。俺は隠していた口元を露にする。
「俺も、人族と海妖精との混血です」
この身体は確かに人族であるが、海妖精の血も混ざっている。
海妖精の外見特徴、尖り並んだ歯を見せれば、男は息をのみ、少女は満足したように微笑んだ。
「海妖精だなんて、……きみ、身体は平気なのかい、こんなにも海が遠いのに」
海から遠いと弱るとされる、海妖精との混血と知り、すぐにそんな言葉を投げ掛けてくるとは。
他人を気遣う前に、自分達の状況について思い悩むべきだとは思うが、……性根だろう。嫌いではない。
「俺の身体の海妖精らしい所は、この歯だけです。
確かに水辺は好きですが、海が遠くとも身体に影響が出たことはありません」
「……そうか、それなら良かった」
「それで、あなた方のそれは、期限つきの逃避行ですか?
大使館に期限を定められている等でなければ、一度下山して数日村に滞在して下さい」
「え、あ……期限は……なく、出来るだけ早く、姪を保護してもらいたかっただけで……」
「そうですか。ならば四の五の言わず下山してください。
数日待ってもらえれば、俺が護衛について町まで送り届けます」
「いや、気持ちは有り難いが、……君は姪と似た年の頃だろう?
子どもを危ない目にあわせるわけには、」
なんだこの善良な民間人は。
隣でミサさんがニヤニヤしているのがわかる。
森妖精の子は、十を超えた年に見える。
……この小柄な身体が原因か、
「俺は十七です、子どもではない。
この身体が比較的小柄なだけで、まだ成長期だ。
戦地ど真ん中を通るわけでもなし、俺だけで十分です」
「ふふ、口は厳しいけど、出来ない事は言わない子なの。
命惜しくば、ついて来てもらえると助かるわ。
私、捨て置かれたあなたの亡骸を埋めたくないの」
怖い言い方ではあるが、余程の運を引き寄せない限りは、そうなってしまう。
姪は連れていかれ、男は殺されその場に捨てられるだけだ。
「…………っ、わかり、ました。エレナ、お二人について行こう。
きっと大丈夫だ、心配ないよ」
俺とミサさんを先頭に、下山。
日が傾き始めている。
……さすがに夜までには下山出来るとして、村に戻ったら宿の手続きと、村の住人達への根回しと、
「ねぇ、彼女、うちのお姫様と年が近いかも。話し相手になってもらおうかしら」
「いいですね。大人ばかりと話していますし、同世代と話す経験も必要かと」
「じゃあ、そっちは私が話を付けるとして、……レプくん、数日の準備期間と言っていたけど、いったい何をするの?」
「ぎっくり腰です。数日は爺さんの腰にお伺いをたてます」
「――え、なに?グランさん、腰をやったの?……っ、ふっ、あは、はははははは!!
……あ、笑っちゃだめね、ごめんなさい、……ふ、ふふ、あのグラン・ダハーカがぎっくり腰、っふ、」
「今生の別れみたいなこと言い出して驚きました。
店を託すとか言ってましたよ」
「んふっ……!やめて、笑っちゃう、笑っちゃだめなのに、歳を重ねれば次は我が身だもの……!」
「……あの、お話を盗み聞きして申し訳ないのですが、ぎっくり腰に関してなら、お役にたてるかと思います……」
おそるおそる、というように会話に入る男。
ぎっくり腰のお役に、というと、良い民間療法でも知っているのだろうか。
肩越しに振り替えれば、男は姪に「できる?」と訊いていた。頷く少女。
「恥ずかしながら、私も腰をやったことがありまして、姪に治してもらった経験があるのです。
同じぎっくり腰であるなら、姪に看せれば痛みも引くかもしれません」
「さては、森妖精の治癒魔法。
森妖精でも、使える者は限られているそうなのに」
確かにすごい。
重ねて、よくここまで無事だったなと強く思う。
「では明日、お昼頃にお願いしようと思います。
俺が手配するので、今日はこのまま指定された部屋に。……野盗に襲われたんです、ゆっくり気を休めて下さい」
「遠慮はだめよ、おじさま。
これもあなた達の運。私たちは慈善活動家ではない。
運良く、タイミングと気があっただけなのだから」
「……わかりました、姪共々、よろしくお願いします」
「…………よろしくお願いします」
礼を言う二人。
簡単に殺されてしまいそうな、善良な民間人が二人。
前世で出会っていたのなら、きっと、沢山の小言を浴びせかけた後。
部下に頼むか――許可が下りれば、俺自身が送り届けただろうに、と思う。